モラルとルール
「総員、整列!」
「右向け、右」
「10歩前進、前向け、前」
「左向け、左」
「10歩前進、前向け、前」
「総員、30歩後退」
「総員、駆足で前進、線上にて停止」
総員で、60人の兵員が6本の列を成し、掛け声にあわせて指示された行動を取る。
「総員、整列!休め」
既に、時間にして半刻。隊列移動を繰り返した騎士達は、慣れない訓練に既に顎を出していた。体力的にも勿論、精神的な疲弊は大きく、漸くもたらされた、休めの言葉に一気に緊張を解いた。
上層部の、一斉刷新とも言える、極端な人事異動、そして騎士組織の一斉改革の命令は、現場の騎士達を不安にさせていた。
気を抜いた騎士達の上に、檀上からアルトの声が響く。
「さて、先ほどから、諸君らの動きを見させて頂いた。私は、非常に喜んでいる。素晴しい、実に素晴しい動きだった」
お褒めの言葉かと、騎士達の目が輝く。しかし、そこに続けられる言葉は、騎士達の期待を裏切った。
「素晴しいほどダメな動きだ。諸君らはアレか?一切の訓練を今までしてこなかったのか?そこらへんの乞食でも連れてきた方が、まともな動きをしそうだな。この、蛆虫並みの貴様らを、せめて2流の兵士に育て上げるまで、いかに過酷な訓練を課すか、それを思うとむしろ楽しくさえ思えてくる」
思いもよらぬ辛らつな意見に、騎士達の顔が歪む。中には顔を真っ赤にして、今にも殴りかからんばかりに前のめりになっている者もいる。
「さて、今までの順位にさほど関わり無く、そして無論家柄やその他の階級などにも関わりなく、諸君らは今、軍内において最低のごみくずだ。役に立たぬお荷物だ。それを、何とか2流の兵士にまでしてくださるのが、私を含めたここに居並ぶ教導官だ。光栄に思い、歓喜の涙でも流すと良いだろう」
アルトは檀上から飛び降りると、今にも掴みかかってきそうな、一人の男に歩み寄って行った。男は、あまりの言葉に殴りかかろうと思いはしたが、事前に、上官に逆らった者は原則軍から追放の上厳罰対象と言う命令を思い出し、何とか睨みつけるだけで、その場を耐えていた。
「そう、時に貴様のような、蛆虫にも劣る最低の階層を這い回るような奴には、実に苦労するだろう。どうだ?今からでも、そこの壁に頭でもぶつけて死なんか?誰の役にも立たんのだ、生きているだけ無駄だろう?」
流石に、その言葉には耐えかねたのだろう。拳を作りアルトに殴りかかったが、アルトは軽くかわすと、その手を掴んでねじり上げた。
「なるほど、ただ能力が無いだけでなく、短慮で、無駄な暴力を振るう。自分自身で、己が蛆虫にも劣る、最低の存在だと認めたい訳だ」
「貴様!私を誰だと思っている。私の父は、マライア子爵だぞ。かのリューベック侯爵の外縁にも連なる、由緒正しい名家だ。貴様の様な、ぽっと出の若造など、父がねじり潰してくれる」
痛みに顔を歪めながらも、アルトに向かって気焔を吐く男を、アルトは冷徹な眼で見下ろした。
「貴様は、さらに無能を晒したな。先ほど言っただろう、軍内において、貴様の家柄など何の意味も無い。それに、俺が言っている貴様が最低である所以は、他にある」
「何の事だ!この無礼者が!手を放さんか」
男は、ジタバタと見っとも無く暴れるが、完全に決められた腕は外れず、ただ男の痛みを増すばかりだった。
「ケーン・マライア、マライア子爵家の嫡男」
「そうだ!次期マライア家当主たるこの私に、何たる狼藉を…」
「そして、これより軍事裁判に入る。被告は、貴様だ」
突然の発言に、辺りの空気は凍りついた。
「なっ!」
しかし、アルトは無視して、言葉を続ける。
「先だって、城下街に置いて殺人事件が発生した。城下で食堂を営んでいた、アンリとクラッドの夫妻が何者かに殺され、夫妻の娘である、リルと言う少女も、暴行を受け重症を負った…」
その言葉に、鈍く震えながら汗を流し始めたのは3人。1人は、アルトに押さえ込まれているケーン・マライア、そして、残りの2人は隊列の中で立ちすくんでいた。
「調査の結果、犯人が判明した。1人は貴様、そして、その場に同行していた者が2名。何か弁明があれば聞いてやろう、しかし、それが刑を減じるに足る物でなければ…貴様達の罪はさらに重くなると理解した上で喋れ」
「「「…」」」
3人とも、何も喋ろうとはしない。何かを喋る事によって、刑が重くなることを恐れているのだろう。しかし、過去軍規違反で死刑になった者は少ない、しかも、未だ爵位は継いでいないとは言え、貴族であるケーンがいる。
彼らの考えた刑罰とは、軍からの追放と金銭の納付、その程度だった。
「何も言う事は無い様だな。それでは3名を死刑に処す。軍規に則り、刑が執行された後、氏名と階級、罪状を公にし、その首を2週間に亘り晒すものとする。親族への遺体の引き渡しは、これを認めない。今回は、明確な被害者が存在するため、罪人の持つ財産は、全て没収の上その被害者に渡される」
3人は、何とか抗弁をしようと、身を捩りながら声を出そうと努力をする。しかし、ケーンはアルトによって首を押さえられ声が出せず、残りの2人は、背後から歩み寄っていたバイエルラインに、口を押さえられ声を出せないでいる。
「ここに宣言しよう。騎士として、そして国家を守る軍人として、諸君等が成すべき事、そして、犯してはならない事、それは全て既に通達してある。略奪、暴行、そして虐殺、これらを犯した者は、全て死刑。それを助長した者も、同様に死刑に処す。命令に違反した者への刑罰なども、全て記してある。ゆめゆめ、忘れない事だ。この屑の様に、貴族であろうが、幾ら金を持っていようが関係は無い。軍規は、王の名の下に絶対だと言う事を、心に刻み込んで置け」
縛り上げられ、猿轡を咬まされたケーン達は、練兵場の地面に転がっている。
その耳元に、そっと口を寄せたアルトは、冷たく重い声で囁く。
「お前がいかに最低か分かったか?これから、刑が執行されるまで、およそ1日。その最後の瞬間まで、自分の罪を悔いていろ。幾ら悔いた所で、貴様の殺した人間は帰ってこない。貴様の所為で、少女の心に付けられた傷は癒えない。それでも貴様は、悔いて、悔いて、それから、死ね」
ケーンは眼から止め処なく涙を流し、他の1人は既に気絶している。もう1人は、アルトを睨みつけていたが、アルトが眼を向けると、急いで眼を逸らせた。
「連れて行け」
バイエルラインは言葉に頷くと、3人を引き摺って練兵場を後にした。
後に残る空気は、有り体に言って重苦しいものだったが、あるとの発言はさらに拍車をかけた。
「さぁ、蛆虫以下の屑は死ぬ。お前達は如何かな?」
その場にいる全員が凍りつく。それは、居並ぶ教導官達も同様だった。
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