新たな波濤
「つまり、文務に優れた副官と、自分がいない間部隊をまとめる人間が欲しい。そういう訳だな」
「ええ、騎士将を受けるのであれば、それは必要になりますからね。少なくとも武器を持ってない兵士に、何らかの価値を見出せというのは難しいでしょう。現状の私は正にそれですよ」
シュトラウス将軍は、顎に手を当てて考え込む。
「問題は無いでしょう」
その将軍の後ろから、1人の男が声をかけた。
「文務に優れた人間には心当たりもありますし、隊をまとめるのは、シュルツ辺りで良いでしょう。幸いにも今日帰ってきますから」
背が高く、ひょろりとした体つき、長めの銀髪を後ろに流した温和な50前の男だ。目元は、穏やかな弧を描いているが、薄く開かれた眼には一片の隙も無い。
マリーン・オブライエン。
シュトラウス将軍の左腕、主に兵站補給広報任務の専門家。たった1人で国家予算10年分の編纂を行えると言う、ある種の変人として知られている。
「感謝します」
「えらく丁寧だな」
マリーンに対して、丁寧に頭を下げるアルトに少しばかり思うところがあったらしい。シュトラウス将軍が訝しげに聞いてくる。どうやら、最近少しずつ態度が雑になってきたアルトに慣れていた為、丁寧な態度を取るアルトに違和感を感じたらしい。
「初対面ですからね」
「私に対して、必要以上に敬意を払う必要はありませんよ」
「いえ、結果的にではありますが、弟子を横取りしてしまいましたからね」
少し、大きく開かれたマリーンの眼に剣呑な光が宿る。
「どう言う事ですかな?」
アルトは、ソファーに深く腰掛けると、大きくため息をついた。
「悪いと常々思っていたんですよ。バイエルラインの動きには明らかな癖がありました。誰か専門的な師がついていたとしか思えませんでしたので、少し調べたんですが、誰かと言うのは、確とは分かりませんでした。ですが」
アルトは、一旦言葉を区切りシュトラウス将軍の執務机の角を指した。
「そこを曲がった時の歩き方、歩法と重心移動、それがバイエルラインと合致しましてね。勿論貴方のほうが洗練されていますが」
マリーンは、アルトの指差した角を見下ろすと、首を振って答えた。
「気を付けてはいたんですが」
「身に染み付いた動きほど、自然に出るものです。また、自然に出なくてはまずいでしょう」
「そうですね、あなたは非常によく訓練されている」
「まだ、動きを隠せるほどの錬度ではありませんからね、そう言われても仕方は無いでしょう。精進しますよ」
「皮肉ではなかったんですがね」
漸く、マリーンの眼から剣呑な色が抜ける。そこへ入ってきたのは、武人同士の会話に、中々入り込めないシュトラウス将軍だ。
「鞘当と挨拶は終わったかね?まったく、武人というものは、どうしてこうも挑発しあうのか。理解が及ばないよ」
理解できないと言われた武人2人は、お互いに顔を見合わせて苦笑を交わす。
「何であれ、セシルの事は任せましたよ。私には、実際の問題として教える時間も、教えきる力もありませんからね」
「謹んで、お受けします。非才の身では有りますが、互いに高みに至れるように精進します」
「よろしくお願いしますよ」
「しかし」
「なんでしょう?」
アルトは、顎に手を当てて、考え込むような形を取る。
「いえ、話の流れから、セシルと言うのがバイエルラインのことだとは思いますが。その名前は知りませんでした」
マリーンは、納得した様に、手を打つ。
「ああ、あの子は恥ずかしがって、この名前を名乗りませんからね。本来はセシリエルと言うのですが、セシルは愛称なのですよ。あの子の母親、つまり私の姉なのですが。非常に少女趣味とでも言いますか、女の子が欲しかったようで、当時流行っていた女性名を彼につけたのですよ」
「成程、分からない話ではないですね」
「何で、女性の名前は流行り廃りが激しいんだろうな?」
「分かりかねますね。男よりも、なんらかに敏感なんでしょうが」
「そう言ったものこそ、独身者に聞かれても分かりませんよ」
此度は、3人がそれぞれ納得して、各々目線を交わした。
途中でアルトは、「アリシアさんと、バドウィックさんの奥さんのアリシアさんは、同年代で同名だったが、あれが流行っていた名前だったのだろうか?」と、どうでも良いことに思い当たったが、そのまま、確かめる気もないので放置した。
「まぁ、青年のささやかな愛着です。尊重して、その名前は聞かなかった事にしておきますよ」
「そうした方があの子は喜ぶでしょうね」
そう言って頷くマリーンの眼には、只管な慈愛が溢れていた。
室内に居並ぶ人員に、バイエルラインは少し緊張していた。正確に言うならば、その中の人間に対して引け目があるのだが、そうでなくても、緊張はしていただろう。
そこには、かつてこの国を守り抜いた歴戦の勇将達が揃っていたからだ。
先王と前宰相ヴェスター、そしてシュトラウス将軍と共に、かつてこの国を守り抜き、その後も僻地に飛ばされながらも、国家と王家と将軍に忠誠を誓う戦士達が揃っていたからだ。
その前に立つアルトは、大きく声を張った。
「細かい状況については、皆さん既に周知の事実と思われる。したがって、今更のように状況説明はしない。階級並びに所属部隊、そして権限に関しては、おって説明する。私は、現状シュトラウス様軍の元今回の議長を務めさせて頂く。アルト・ヒイラギ・バウマンです。以後よろしく頼みます」
名々が、頷くのを確認すると、居並ぶ人間に役職を告げていく。
「まず始めに、ヴェルギエール・シュトラウス閣下。閣下は、騎士軍総大将、騎士総将にして大将の位を有する。閣下より上に立つのは、国王にして軍元帥の称号を持つフレデリック・ウルト・アイゼナッハ陛下のみであり、閣下の地位は軍の最高責任者にして総指揮をとる司令官である」
「騎士総将副将、中将の位を有し、騎士総将不在の際に指揮権を委譲される副指令にブリストル・ローデンハーグ殿」
首筋に大きな傷のある、シュトラウスと同年代の男が立ち上がり、礼を返す。
「続いて、騎士総将副将、中将の位を有し、兵站管理後方管理の一切を取り仕切る後方指令にマリーン・オブライエン殿」
マリーンが立ち上がり、礼をする。
「私は、第1師団師団長、騎士将にして少将の位を預かります」
「第2師団師団長、騎士将にして少将、ゲルムハルト・バーゼル殿」
立ち上がり礼をしたのは、茶色い眼と、それよりも赤味がかった髪を持つ、長身の美男子だった。その美貌は、女性が10人いれば内8人は顔を赤らめて見惚れるだろうと言うほど整っている。
「第3師団師団長、騎士将にして少将、マルイレル・コーデローム殿」
マルイレルは、ゲルムハルトと双璧と言って良いほどの美貌を持っている。黒瞳黒髪に、引き締まった長身を持つ、ハンサムな美女だ。
「第4師団師団長、騎士将にして少将、ウォーリック殿」
ドワーフのような固太りの短躯を、大量の筋肉の装甲で包んだ男は、立ち上がりもせず、視線だけで礼を返してきた。
「第5師団師団長、騎士将にして少将、ジョレラ・パトリシオ殿」
紫がかった巻き毛を、腰まで伸ばした妖艶な女性は、静かに立ち上がると、色気を振りまく様に流し目を作る。本人にその意識は無いのだが、勘違いした男が彼女に群がるのは、避けようが無い。
「第6師団師団長は、現在おられませんが元王都駐留騎士団指揮官、リッパー・シャンプール殿が務められます。同様に騎士将と少将の役職が与えられます」
リッパーの名前が出た時、幾人かが顔をゆがめる。本人に悪意は無いのだが、ルールと規律の権化とでも言おうか、その厳しさに合わない人間も多いのだ。
好かれてはいないが、嫌われてもいない、でも苦手とする人が多い。そう言った人間だ。
「なお、各騎士将の副将については、マリーン殿から説明される」
アルトが1歩下がると、マリーンが咳払いをしながら書類を持って立ち上がる。
「それでは順次説明していこう」
「アルト殿…いや、面倒なので仲間内と言う事で敬称は省略しよう。アルトの副将はシュルツ。ゲルムハルトにはキュリア、マルイレルにはノンリエッタ、ウォーリックにはクーンルール、ジョレラにはタラップウェル、そして、ベリオラはシャンプール騎士将の補佐を務めてくれ」
既に、それぞれが顔見知りや上官部下の間柄にあり、問題なく席を移動し副将は騎士将の隣に席を移す。しかし、そこで少しだけ悶着があった。
「納得がいきません。何故、ノンリエッタが副将に就いて、私がマルイレル様の傍に侍る役職につけないのですか」
双子の姉が副将に就いたことに対してよりも、マルイレルの傍にいられなくなる可能性が出来た方が問題らしい。副将に就任した当のノンリエッタから慰められているノエラを見た周囲の人間は、如何したものかとため息をついた。
「副将ではなく、騎士団長としてマルイレル殿のところに組み込めば如何だろう。本来は、教導官筆頭になる予定だったが、兼任でも問題は無いんじゃないか?」
アルトが書類を捲りながら言うと、食いつくようにノエラがそれに同意した。
「それです。それに決めます。中々良い事言うじゃないですか」
ちなみにアルトは、名前と役職は把握しているが、顔は分かっていなかった。しかし、鏡に映したような対称の姿を持つ二人は、マルイレルに侍る姿とも相まって目立っていたので、アルトにも直ぐにそれと知れた。
マリーンは、ため息をつきながら書類に変更を加えると、マルイレルに顔を向けた。
「仕方が無いので、そういう事にしましょう。ですが、部下の管理はきちんとして下さい。と言うか、躾けて置きなさい。以前からあなたは女性関係で問題を起こしすぎです」
「すまん」
マルイレルは、素直に頭を下げたが、その手はノエラの頭をなでたままだ。本人にその手の趣味は無いのだが、その風貌と、基本的に女性に優しく強く出れない性格から、各方面の女性から圧倒的な支持を集めているのだ。
彼女の部下に配属されるのは、恐ろしい競争率を勝ち抜いた女性が殆どであり、その隊内の女性率は全部隊の中で、圧倒的な数値を記録し続けている。その壮大な闘争の歴史は、アルトが知れば、新たなトラウマを作るのは避けられないだろう。
「仕方が無いので、教導官筆頭はアルトに兼任して貰います。貴方の言った通り、兼任しても問題は無いでしょう」
アルトにしても、自分から振った話なので断れなくなってしまった。
「分かりました。何とかします」
どんどん被せられる自分の役職に、漸く重圧から抜けたと思っていたあるとは、新たな重圧に胃が痛むのを感じだ。
そこで、それまで黙ってい推移を見ていたシュトラウス総将は、さらにあるとの胃を痛める言葉を口にした。
「お前達、適当に自分の部下の中から、教導官に出来る人員をアルトに押し付けて置け、後で楽になるぞ」
気楽に返事をする面々を見て、アルトは胃薬の使用を本気で考え、以前実際に服用していたラッセルの苦労をしのんだ。
人が多いー。
とか叫びたくなってます。これでも大分削ったんですが。
ともあれ、読んでいただきありがとうございます。
ご意見や御感想、その他なんでもお待ちしております。
他の作品も読んでいただければ幸いです。
活動報告なども地味に書いております。
それでは。