壁
手を横に上げ肩を竦める、少しふざけた様な仕種をしてみせる。
「この世界の女官は、金払って男の事を調べるのが普通なのか?怖い物を見てしまった」
どこか遠くを見る目をして、再び窓の外へ眼を戻す。
「ふむ、確かにお前さんも演技には向かんの」
爺さんは、2人を交互に見てため息をこぼす。
無理やり意識を他に向けて、思ったよりも大きかった自分のダメージを誤魔化そうかと思ったが、何の意味もなかったらしい。
「そうだな」
自嘲の笑みは止まない、しかし、時間の動きも止まることはない。
「爺さんは知っていた。そして、今は将軍も知っている。少しは悩んでいたんだがな」
「だから感謝すべきだろう。俺が言い難い事を爺さんが言ってくれて、俺の覚悟も決まった。同時に、情けなさも感じてはいるがな」
爺さんは、顔に微笑を浮かべ、将軍は無表情の仮面をかぶっている。
「お前さんに、弱さも、優しさも捨てさせたくは無かったからの。おせっかいは承知の上でも、年長者は年少者を守ろうとする。しかし、無意味な悪意をお前さんに向けたくはなかった」
「感謝している。そして、俺のつまらない演技に付き合ってくれた事についても、不肖の教え子として礼をしなくてはならないのだろうな」
「異世界か」
将軍がポツリと呟く。そうだ、俺は会話中わざと世界という単語を入れていた。それに反応をせず流した事は、将軍が俺は異世界の住人であった事を知っているという事に繋がる。
しかし、爺さんはもとより、百戦錬磨の将軍もそんな陳腐な策に引っかかる人間ではない。忙しい爺さんと将軍、この2人が固まって爺さんの執務室に来る意味も低い。須らく俺の行動を読んだ上で、俺の贖罪の言葉を聞いてくれるためにいるのだ。
将軍は、行動はともかく、表情や言葉から隠しきれぬ意図が見えてはいたが、結局俺はそのとおりに行動した。
負けたとは思う、しかし、それは俺の枷も解いてくれた。
「俺は、結局俺が殺しうる人間にしか秘密も明かせていない。弱くて情けない人間だ。爺さんに関して言えば、見通しも甘かったとしかいえない」
さぁ、涙を流せ。これが最後だ、最後の甘えだ。
「俺は、俺は、俺しか信用できない小心者で。保身ばかりを考え、自分を良く見せようと画策し、それすら満足に出来ず。先走った結果失敗し、犠牲も出した。言った事も守れなかった。小心者の嘘吐きで、弱者だ。何が保護者だ、何が守護者だ」
拳が震える、目尻からゆっくりと涙が滴る。
「すいません、すいません、すいませんでした」
ゆっくりと頭を下げる、何に謝っているのか。誰の為の謝辞なのか、爺さんと将軍は、代わりに受けてくれただけ。本来は2人だけじゃない、フレッドに、ミリアに、メイリンに、バイエルラインに、アリシアさんに、シーラに、皆に謝らなくてはならない。
それが出来ない俺の為に、それを許さない現状の為に、二人は代りに受けてくれたのだ。
「ならば、次からは如何するかね」
「ならば、今後は如何するのじゃ」
二人の声には、優しさが含まれている。多くの優しさと、大きな意志が含まれている。
「ならば」
そう、ならば俺は。
「走る、走り抜ける。俺の言葉を貫き通す」
静かに意志の燃える目を見た二人は、ゆっくりと肩を震わせて笑い出す。
「良いのぉ、こういった役目は何度やっても良い」
「初心が思い出されますな」
「お前さんの時も面白かったのぉ、子供が出来てあたふたしおってからに」
「ははっ、酷いですな。それにずるいですよ先生、先生だけ私とアルトの両方を知っているのですから。1人勝ちじゃあないですか」
「それこそが、年寄りの特権じゃて。いやぁー歳をとるのは楽しい。老いてこそ分かる楽しみという物じゃの」
お互いに、手を叩きあって笑いあう二人を、アルトは憮然と見つめていた。
「気は済みましたか」
ムスッとして腕を組んだアルトは、耳の方まで赤くしている。照れ隠しが多分に入っているのだろうが、多大な感情の発露の直後だ。隠しきれていない。
「ああ、お前さんも済んだ様じゃの」
「これで、君も年長組の仲間入りを真に果たしたと言う事だ。歓迎しよう、今度晩酌に付き合って欲しいね」
「そぉじゃのぉ。良い男になったことじゃし、真面目に見合いを考えようかの」
「良いかもしれませんな、結婚と子育ては、精神を更なる高みへと進めることでしょう」
「それでは、お前さんの娘が第一候補じゃの」
「許されることではございませんな、先生」
俺のさっきの感慨はなんだったのか。さっきの内省はなんだったのか。そう思ってあるとは深くため息をこぼす。先ほどの態度は、多分に照れが入っていたが、今はただただ不機嫌の様だ。
「こんな年長者が周りにいて、若者組は気の毒な事だな」
「若い時の苦労などは、後の経験にしかならんよ。幾らあっても困りはせんさね」
爺さんや将軍の目に浮かぶのは、只管慈愛だ。俺はまだ若者組か、そう感じて、情けなく思うも、それ以上に嬉しさが湧き上がる。
「そうだな、将軍の娘さんについても真剣に考えてみるかな。大事な事だろう?爺さん」
将軍の顔が、早変わりの劇の様に瞬時に変わる。歯を擦り合せ、ギリギリと音を立てて青筋を立てる。その顔面からは呪いが物質化して流れてきそうな、おどろおどろしい雰囲気が漂う。
言葉も無く顔をしかめる何時もの将軍を見て、爺さんもあるとも吹き出すように笑い出す。
部屋に響く笑い声は、もはや乾きも冷たさも感じない。
心の底からの笑いだった。
その翌日、王国に置いて、初の非常事態宣言がなされることになる。
あくまでも内々にではあったが、軍関係者や官僚、ギルドの幹部には発布され、大いに彼等を困惑させた。
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