人に逢っては、思い。他人と己
バドウィックさんの御宅で、夕飯をご馳走になっていた。幸いにも、と言うべきなのか、夕飯はガルムではなかった。豆で作ったスープと、クスクスに似た、小さく、まるで米粒のように作られたパスタ。それに、採ったばかりの、根菜のサラダがそえられていた。体感的には、暫く何も食べていなかった上、その前も、主に軍用レーションを食べていた俺には、新鮮な野菜が、何より美味く感じられた。
料理に、舌鼓を打ちながら話を聞いているわけだが、まったく俺は質問できていない。決して、料理にだけ集中していたわけではないのだが、バドウィックさんと、彼の奥さんのアリシアさん娘さんのサニーさんが質問攻めをしてくる。俺は、こんなにも押しが弱かったのだろうか?それとも、弱くなったのだろうか?もしくはこの一家が異常に押しが強いのか?
ちなみに、先ほどバドウィックさんがつけていた、イヤーカフは、今は俺の耳に着けられている。どうやら俺が、装着しても、問題なく使えるようだ。これは、ぜひとも欲しい物だが、こんな物が有るとなると、嫌な予感が離れない。
しかも、自分に、経験がないので、家族の団欒に邪魔しているようで肩身が狭い。しかし、何時までも答えてばかりでは、埒が明かない。
「所で、ここはなんと言う村なんですか?まだ伺っていませんでしたね」
やっと話が切り出せた。がんばれ、がんばるんだ。
「おお、そうでしたな。つい、こちらばかりが質問をしてしまった。森から来られたという事は、リヒテンラーデ公国から来られたのですかな?ここは、アイゼナッハ王国のパルムエイトと言う村です。」
アイゼナッハ?リヒテンラーデ?なぜか名前は、ゲルマン語族系みたいだが、聞いたことも無い。嫌な予感が、どんどん高まっていくのを感じる。まるで、薄くて細い橋の上で、暗闇に浮かんでいるかのように、居心地が悪い。足場と、周囲が、俺には誰もいないと告げてくるようだ。そんな気分を、払拭するように、さらに質問を重ねた。
「失礼ですが、日本という国に聞き覚えは?アメリカは?フランス・インド・オーストラリアこれらは聞いたことがありますか?」
訝しげな顔をしながら、皆さんが一斉に首を横に振った。
「はじめて聞きますな。国の名前ですか?フランと言う町は有りますが。その他は聞いたこともありません」
あっさりと、絶望的なこと仰ってくださる。それならばと、さらに質問を続ける。
「このイヤーカフ、ですか?耳飾をつけた途端に言葉が通じるようになりましたが。これはいったいなんですか?」
聞きたくなくて流してきたが、さすがにそろそろ限界だ。魔法とか言われたら、さすがにまだ、狂ってるんじゃないかと思う。新しく開発された特別な翻訳機ですよと、言ってほしい。そうすれば、いや、もう限界だな。
「いや、お恥ずかしい。古いものではありますが、意思疎通の呪式をこめてある耳飾です。昔はこのあたりにも、ドワーフの集落などがありましたので、彼らとの交流に使っていたものです。最近は使うことも無かったので、まだ使えてよかったですよ」
聞きたくなかった。一般教養として、読まされた事はあるが、そんな世界を信じたくない。実在するなどとは、思ってもいなかった。フィクションの世界は、フィクションで終わってくれたほうが良い。ファンタジーなんて、たまった物ではない。
「しかし、アルトさんは御強いんですな。ガルムを4頭もとは、さぞやギルドのランクも高いのでしょうな。C級、いやもしかしてB級ですか?」
ギルド?ランク?さっきから、クエスチョンマークが、乱舞しているな。確かに元の世界では、ギルドといってもいいような、傭兵連絡協会にはしていた。しかし、ランクなんか無かった、あれは単に、名簿に名前を載せていただけだ。
元の世界か、こんな単語を遣わなくちゃならないとは。実は夢でした、と言う風にならないかな。お願いだから。
「すいません。ランクですか?傭兵をしていた事はありますが、ランクなどは無かったんですが。どういったものですか?それにギルドとは?」
「ご存知ではないんですか?傭兵にせよ、冒険者にせよ、大抵はギルドに所属しているはずですが。そうしないと、生活が成り立たないでしょう?例外的に、村や町、大きな商会等に、直接雇われる例も無いことは無いようですが」
ますますファンタジーだな。と言うかRPGだ。知り合いがMMOとか言って、インターネットでゲームをしていたが、それについて似たようなことを話していた。何で傭兵として、実際に現実世界で戦っていたのに、電脳世界でまで傭兵をやるのかと、皆で笑い飛ばしたが、人事ではなくなってしまった。
しかも、こっちはリアリティーが余るほどある。こんなことになるのなら、いっそ狂ってしまえるなら良かったのに、鋭敏化した感覚が、狂っていないと太鼓判を押しやがる。今だけは、むしろ邪魔だ。心から。
「そうですか、此方には来たばかりで、言葉が通じなくて困っています。よろしければ、この耳飾を譲っていただきたいのですが。お金は持っていませんが、働いてかならず払いますので」
何をするにしても、言葉が通じないのでは話にならない。せっかく何ヶ国語も覚えたのに、ここではすっかり無駄になってしまった。耳飾があれば話が通じるならば、何としても手に入れておきたい。
「ガルムから村を守ってくださった恩人です。もう使うこともありませんでしたし、差し上げますよ。それに、ガルムを綺麗なままで倒してくださった。ガルムの毛皮は貴重です。それについてもお礼をしなければなりません」
それで、屍骸を持って帰っていたのか。食うわけではなかったんだな。
「それに肉はいい滋養強壮剤になります。みな喜びますよ」
食うんだ・・・・滋養強壮って、夜のお供とかですか?奥さんが、顔を赤らめてますが。お元気ですね。
「それは、喜んでいただければ何よりです」
あまり深く追求はしないことにしよう。女性経験が無いわけではないが、師匠が結構固い人だったので、俺は傭兵にしてはその手の話は初心だ。付き合うようなことも無かったし、半ば無理やり娼館に連れて行かれただけだからな。
思い返せば、まともに女性と話した経験って実に少ないな。学校に潜入していた時は、なるべく目立たない様にしていたし。なんだか嫌なことに思い当たってしまった。
とりあえず、明後日近くの大きな町まで行く人がいるというので、その人に案内してもらって、町まで行くということで、話も落ち着いた。護衛も兼ねるので、報酬として、3週間ほどは生活できるだけの金もくれるらしい。ことは、うまく運んでいるのかもしれないが、あくまでも不幸中の幸いで、基本は不幸だ。なんだか、胃が痛くなってくるようだ。
娘さんの、サニーさんが、部屋に案内してくれた。どうやら村長の家なので、客間と言うものがあるらしい。小さな部屋だが、寝るのには問題ないし、シーツは清潔そうだ。よく干してある匂いがする。
とりあえず、今日は寝ることにする。思い出せないほど久しぶりの睡眠だ。眠れることがこんなにも幸せだとは、改めて思い知らされた。現実逃避の側面が、あったことも否めないが。
異世界に来てまだ一日だが、一般の方々の生活にはとことん馴染めない様だ。あの何も無い空間に居た時の方が、遥かに楽だった様に思える。基本的に、周りの人間が、一般人ではなかったので、ただただ疲れる。後は、深い付き合いをする人間も、限られていた所為だろう。いきなり、人に親切にされると、むしろ戸惑う、疑心暗鬼とまでは行かないが、疑ってしまう。そもそも、自分は精神的には、弱いのではないかと思い、少し自信を失った。
改訂版、恐らく正月中には、掲載し終わります。
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