修行の本質 根源の思考
薄く琥珀色付いた、酒の入った杯を傾ける。酒が、のどを通り抜ける感触を味わいながら、俺はこう言った。
「この辺りで、修行しても周囲に影響が無くて、人が近づかない様なところ無いですかね?」
アリシアさんの御宅に赴いてから、早5日。宿の中で、ひたすら意識内で呪式を、構築し発動、構築し発動を繰り返していた。原子構造や、科学的物質特性を知っている俺は、創造や構築するのは得意なようだ。
しかし、操作に関しては、あまり訓練できていないのが現状だ。一般の人の前で、呪式の訓練をする訳にもいかないので、室内で、それも隠れて出来る範囲での訓練しか出来ていない。本当なら屋外でするのが好ましいのだが、何度か試してみたものの、人がかなり出歩いているのだ。
穢れ物にあっても倒せばいいのだが、人はそうは行かない。150m以内に入ってくれれば感知できるが、大掛かりな呪式の訓練は出来ない。そこで、ウィルキンズさんに修行場所を尋ねてみたのだ。
ウィルキンズさんは、少し考えて答えた。
「フランから南に伸びる街道は知っているか?王都に伸びている街道なんだが、そのまま行くと山にぶつかる。山のふもとで、街道は右に折れているんだが、そこを左に向かって森を抜けると、7里ほど歩いたところで、大きく開けた場所がある。洞窟があって、その中には水も沸いているし、人はまず来ない。そこが良いんじゃないかな。馬を使っても丸1日は掛かるが。どうかね?」
思ったとおり、希望通りという奴だ。
「いいですね。そこにしましょう。早速明日にでも用意をして行って見るとします」
「それでは、修行の成功を祈ってこれを送ろう」
2本の酒瓶が、目の前に置かれる。元々酒も頼むつもりだったので、ありがたく頂くことにする。
「ありがとうございます。それでは明日から暫く留守にします」
「ああ、気をつけて行ってきなさい」
翌日、アリシアさんにも挨拶をして、ライオネルさんの工房に向かう。邪魔になる服を預かってもらうのと、この前頼んでいたマントと帽子を、受け取りに来たのだ。
「おお、よく来たな。言われていた物は出来ているぞ。それと服を預かるんだったな」
「はい。よろしくお願いします」
「で、何日ぐらい掛かるんだ?」
「そうですね、行き返りだけでも2日は掛かりますので、10日ほどですかね」
「そうか、気を付けて行って来い。お前さんが帰ってくるまでに、今着ている、野戦服だったか?それと同じ仕立てのものを、色を変えて作っておいてやるよ。珍しい仕立てだから腕がなるよ」
「何から何までお世話になります」
そう言って、頭を下げると、これも趣味だと豪快に笑われた。ライオネルさんの工房を後にし、市場で頼んでおいた、保存食を受け取り、馬を借りる。教会に、背嚢を受け取りに行き、町を出る。
実にいい天気だ。空は蒼く、澄んでいて、雲が疎らに流れてくる。日差しは、やや熱く感じるが、風は心地よい温度を保っている。こんなに良い天気だ、馬を無理に駆り立てても意味は無い。今日中に到着できればいいので、ゆったりと進む。
だが、穀倉地帯を抜けて、人影が疎らになってくると、馬を下りる。背嚢を背負い馬の口を取る。さすがに食料品が大量にあったので、自分1人では運びきれない。しかし、せっかくの修行なので、持久走もしたい。馬を引きながら、走り始める。
走りながらも、意識下では呪式を展開する。目立たぬように、目の前に風を起こす呪式を展開する。
頭は痛みを覚え、呼吸は急速に乱れる。今、人が俺を見れば、酷い形相をしているだろう。あぶら汗を流し、神経がヂリヂリとこげるような感覚を、全身で味わう。
曲がり角を逆に行き、道とも言えない獣道を進む。その獣道すらも外れ、山の稜線の外周を駆け抜ける。獣道に入ってから3時間、およそ27kmの距離を踏破した。いきなり視界が開け円く開けた場所に出る。
中心の石柱から、半径500mほどが中心に向かい傾斜している。草は生えているが、木は小さいものしか生えていない、クレーターではないかと思う。中心の石柱も、衝突の反発で出来たものだろう。山から、水が湧き出ているのを確認し、その近くに馬をつなぐ。紐を長くして多少は動けるようにしておき、シートを敷いてターフを張る、その中に荷物を入れて、ピンを抜いた閃光弾を挟んでおく。こうしておけば、何者かが動かしたとしても反応する。風如きでは動かないし、何かの時の警報代わりだ。
荷物などをまとめ、修行を始める。すでに、日は落ちかけ暗くなっている。しかも、ここまでの訓練で、すでに疲労は蓄積し、意識の方も悲鳴を上げている。しかし、そこを乗り越えてこその訓練だ、限界を見極めてこその修行だ、そして、限界を壊してこその特訓と言える。
走れ。
走れ。
痛みが襲おうと、肉体が悲鳴を上げようと。
構築しろ。
発動させろ。
限界まで構築、すばやく発動。
展開し、構築し、発動する。
脳が泣き叫ぶ、意識が咆哮する。
血を流せ、涙を搾り出せ。
肉体の吐く泣き言を聞くな。
神経が作る痛みを感じるな。
最大を、最小を。
遠くを、近くを。
感じて尚も走り、呪式を放て、腕を振れ、刀を抜き放て。
脳が意識を放り出しても、気力でそれを取り戻せ。
俺は、天才ではない。決して多くの才を与えられたわけではない。肉体に力は付きにくく、とっさの閃きも無い。武器を扱う才能も、体力も、知力も、生まれ持って人に勝る物など持ってはいない。そんな俺が、一級線の人材と張り合ってきたのは、張り合えて来たのは、偏に訓練によるものだ。
常軌を逸した訓練、常に肉体の損壊と、精神の崩壊の間に立ち、それでも訓練を繰り返す。気絶するまで体を鍛え、時間を忘れて訓練をする。気を失うまで苛め抜き、気を取り戻せばまた続ける。そんな、一種マゾヒスティックな行動を取れるからこそ、俺は地獄を生き抜けた。
今度の世界でも俺は変らない、俺を構築する根源は変らない。俺は、自分と自分の仲間しか信じない。自分たちが得た技能しか信じない。金も、他人も、権力も、神も仏も、ありとあらゆるものを信じない。俺の根源は、不信と世界に対する反逆で出来上がっている。
今日も俺は鍛え上げる、磨き上げる、限界まで自分を構築する。
俺は、僅かな塩水だけを摂取しながら、26時間訓練を続け、ついに意識を手放した。3時間後、目を覚まし、起きた瞬間から訓練を再開する。今度は9時間ほどで、気絶した。4時間ほど気絶して、また訓練を再開する。今度は、僅か3時間で限界が来た。ここを、基点と認め食事と休憩を取る。
食事と睡眠を取ってから、座禅に入る、先ほどの訓練をシミュレートし直し、呪式の構成を練り上げていく。反省を終わり、再び肉体と精神を苛め抜く。
訓練・休憩・反省を、都合三回繰り返し12日間の訓練を終えた。