矜持と敵、誰かにとっての。
酒場の扉を開けて中に入る。
「もう飲めるかな?チョット、早かったか」
まだ、空に日は高い、普通に働いている人間は、こんな時間からのみには来ないだろう。だが、何と無く、開いているんじゃないかと思ったのだ。
「英雄の来訪を断る店があるかね?B級到達の、最速記録に祝杯かね?」
話が広がらないように、口止めを頼んでいたのに、1時間も経たない内に、あっさりと知られている。
ギルド職員の口が軽いのか、マスターの耳がすごいのか。少なくとも、マスターは複数のコネを持ち、それらを、管理していると言うことが、推測できる。
「口止めしたのに、耳が早いね」
マスターは、にやりと笑うと、酒をカップについで出してくる。
「私の情報精度の確認だろう。朝の段階で、情報が入ってないなら二流だし、今の段階で把握していないなら、それはもう情報に関わる者ではない。私は及第点が頂けたかね?口止めなどもしていたようだが、あれではあまり効果がない。ただでさえ君は、話題になりかけているのだから。この、なりかけと言うのが、一番美味しい情報なのさ。皆知りたがり、先に情報を仕入れ優越感に浸りたがる」
ご教授感謝、とでも言う所ですかね。
「いえいえ、昨日の話の続きをしに来ただけですよ。懐もあったかくなりましたしね」
「あの報酬ではちと安いがな。まぁアリシアお嬢さんにしても、あれ以上は出しようがなかったのだろう。」
不思議なことを、言い出す。別に、アリシアさんが、個人で支払うわけでもあるまいに。
「どういうことです?ギルドが、そんなに困窮しているようには、見えませんでしたが」
「そうだな、どう説明したものか」
自分にも、酒を注ぎながらマスターは考えるそぶりを見せる。
「ギルドの報酬費用は、ギルドが直接払っているわけではない。ギルドに依頼に来た人間が、払っているわけだ。これは、大きく分けると2つに分かれる。国と一般の二つだ。雑務や採取、護衛などは、一般人が依頼するのが殆どだ。ところが、駆除や討伐は、国が費用を払っていることも多い。そのために、その費用を出す国は、一定の審査をする必要がある」
「ようは、治安維持費用ということですよね。まぁ、国家の資産ですから、それを管理する機関があるのは、当たり前でしょう」
逆に、無い方がおかしいと言える。
「そうだ。そのための組織、名前は国庫管理局なんだが、そのトップにいるのは、国務尚書という役職だ。この、尚書が問題でな。昨日の話に出てきた王子、これがその国務尚書なんだ。どのくらいの金額が動いているのかは、定かではないが、相当の金額が横領されている。一部のギルドの支部長と結託してやっている様なんだが」
しかし、それは考えて見れば、そう言ったシステムを構築できる、と言う事でもある。もしくは、やってもせいぜい横領、と見るべきなのか。しかし、なんにせよ。
「アリシアさんは、そういうの、嫌いそうですからね。反目していると言う所ですか」
あの人は、仕事に矜持と美学を持つ人だろう。そのくらいの事は、見れば感じる。
「反目も出来ていないのが現状だな。あちらは全て無視しているし、訴状も全て握り潰されている状態だ。そういった理由があって、このフランのギルド支部予備費は、ほぼ無いのさ。こういった緊急の際には、予備費から報酬を出すんだ、一々承認を待ってはいられないからな。お嬢さんも頑張って、いろいろな所から、捻出していたようだが。どう考えても、B級の依頼2件分の費用を丸々は出せなかったんだろう。Bランクの平均報酬は金貨一枚。パルプは比較的安いが、それでも銀貨80枚ってとこだろうな」
「咄嗟の事ですしね。何ならもう少し安い値段でもかまわなかったんですが。そういうこともあって、B級に上がったんですかね。ねぇ、アリシアさん」
扉を開けて、アリシアが入ってきた。報酬が、すぐには用意でき無いと言う事なので、こちらで待たせてもらっていたのだ。扉の所まできていたのは、気配で判っていた。
「申し訳ございません。騙す様な心算は無かったんですが。結果的にはそうなります。ですが、これ以上の額は、今はどうしても」
深々と頭を下げる。年齢を知っていても、何だか少女に頭を下げさせているようで、胸が痛む。
「気にしないでください。ランクもおまけして貰いましたし、十分な金額です。なんでしたら、分割払いでもかまいませんよ。焦りはしません」
そもそも、仕事と言うものを、誇りに思っている人間だ。今回のように、結果的ではあれ、値切って仕事をさせる。そんなことになって、一番歯がゆい思い、辛い思いをしているのは、アリシアさんだろう。
彼女は、プロフェッショナルだ。今回は、状況がそれを、仕事を完全にはしなかったが。俺は気にしていない、あるものの中で、精一杯の努力をするというのも、プロの行動の一つだ。
「いえ、そう言う訳にはいきません。金額を増やすことは難しいですが、何か私どもで便宜を図れることがありましたら、何でも仰ってください」
マスターの顔を見て話しかける。
「そういえば、お名前を聞いていませんでした。私も自己紹介はしていません。失礼ですがお教え願えますか。私は、アルト・柊・バウマンと言います」
マスターは、少し笑って、頭を下げながら答えた。
「これは失礼を致しました。しがない酒場を営んでおります。ウィルキンズと申します。今後も良しなに」
「こちらこそ良しなに。所でウィルキンズさん、この国では、呪式は一般的には広まっていない。これは、指導者がいないことに問題があると思うのですが、違いますか?」
「そうですな。呪式は学問です、それなりの教育を受けていないと習得は大変難しい。そういったことも含めて、指導者不足だと思います」
ウィルキンズさんも、意を汲んでくれたらしい。ツーカーで、話が通じる人間は心地良い。アリシアさんの方を向いて言葉を続ける。
「それではアリシアさん。今日、パルプに対して呪式を使っていましたね。ああいった場に、赴くことができると言うことは、ある程度の戦闘力があるからでしょう。そして、恐らくそれは呪式、違いますか」
「はい。私も昔は冒険者でしたから、ランクはC級どまりでしたが」
ウィルキンズさんが、言葉を続ける。
「いやいや、先代の支部長に、見込まれてあとを継いだから、途中で引退してしまっただけで。総合的に、各種の呪式を使いこなす有力な呪式師だった。あのままなら、B級に上がるのも近かっただろうに。それ以上に、冒険者のマスコットのような扱いも受けていたが」
「いやですよ。昔のことなんですから、もう年ですよ」
赤くなって怒る様は、どう見ても女学生だ。これはマスコットと言うのもわかる。
「まぁ、貴方がかわいらしいのは事実だしな。年上に言う事ではないかも知れないが、俺も、見た目では年下によく見られるし、貴方ほどではないが」
「そういえば、26でしたね。体も細いですし、どうやってあんな力を出しているんですか?呪式も使っていないようですし、何か強化武器でもお持ちなんですか?」
勁の概念なんて、説明がつきにくい。それに、自分の力を、必要以上にさらすことも無いだろう。
「着やせしてるだけです。特別な武装もありませんし、呪式も知りません。それが本題なのですが、呪式を教えてくれませんか?もちろん御礼もします。さわりだけでも教えていただければ、嬉しいのですが」
アリシアさんは、暫く考えた後、ウィルキンズさんに話しかけていた。ここは、聞かないのが礼儀だろう。5分ほど話していたが、話は付いたようで、こちらに振り向いて言った。
「わかりました、明日からお教えする事にします。お礼などは要りませんよ。今日は、明日からの調整や、パルプの管理などもありますので、失礼させていただきます」
「ありがとうございます。明日どうしたらいいですか?」
「明日、ギルドまでお越しください。始まる前、7時ごろにギルドのドアを叩いてください。中で、お教えする事にしましょう。それでは失礼いたしますね」
アリシアさんが、店を出て行った。酒場にはあまり似つかわしくない人だ。
「マスコットですか、理解は出来ますが。あれで43は詐欺に近いですね」
「私の知り合いには、他にもエルフがいるが、あんな事は無いからね。あれは、彼女だけの特性だと思うよ。本人は、エルフの血による影響と言っているが」
まぁ、何処にコンプレックスが有るかは、人それぞれだ。
「私もそう説明されましたね。まぁ、何を言っても始まりませんが。それでは、今日は何を聞きましょうか」
何を、教えて下さいますか?
「そうだね、昨日とは違う、お勧めの酒があるんだが、試すかね?」
「ぜひお願いします。美味い酒と楽しい話、いつもこうなら泣けてくるんですがね」
「人生を嘆くよりは、楽しむべき、そう言う事だね。まずは、乾杯を」
「乾杯」
杯を二人で軽く掲げる。今日も話を暫く楽しむとしよう。ウィルキンズさんとアリシアさん、二人のプロフェッショナルと、繋がりが持てたのだ。少しぐらい報酬が増えるより、よほど良いと言える。
「ところで、ウィルキンズさんは御幾つですか?」
「秘密、でございます」
丁寧に、頭を下げられた。