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後編 排除から選別へ

 子供の意志で回すことが出来ない親ガチャはガチャではなく、実際は子ガチャこそが真実と言えます。

 実際にガチャを回しているのは、親であって子供ではないからです。


 子供に選択肢なんて、最初から存在しません。


 その意味で親ガチャといった激しい表現を使った結果、かえって本質が見えにくくなっています。

 大事なことはその本質であり、そこを無視すると問題はむしろ見えなくなります。

 だけど、我が子が成功者になって欲しいと望むのは親の性であり、それを一概に否定は出来ません。

 子供には自分とは違う人生を歩んでほしい、幸せになって欲しいと思う親の方が、今は大多数のはずです。

 そうでなければ、社会はとっくに崩壊しているはずです。

 その一方で、少数とは言え子供を一人の人格とみなさないを通り越して、自分たちにとっての道具であると認識している親もまた存在します。

 育ててやった恩を返せなんて、ドラマでしか見たことがないような恥ずかしいセリフを言う親は、実際に居るからです。

 自分が回したガチャで子供を選択しておきながら、恩を感じろなんてどうかしていますが、人の愚かな部分が出たにすぎません。

 そんなことを言われて、喜んで親の世話をする子供が居るだろうか?

 すべてを諦めて、世話をする子供も一定数存在しますが。

 愚かなのが人というモノなら、親にとって遠慮する対象でない子供に対して、最低なセリフをぶつけるのもむしろ普通のことに違いありませんから。

 しかも、最初から子供に食べさせてもらおうとするのは、ちょっと違うんじゃないだろうか?

  

 昭和の名残りとも言えるような考えになりますが、一億総中流時代を経ているのに、そんな考えがあるのは、一体なぜだろうか?


 それはかつての日本が、子供とは労働力であるからです。

 今のように農業が機械化されていない時代では、人の手で農地を耕し、収穫しないといけないからです。

 だから男手が必要であり、女子ばかり生まれると間引きされます。

 

 明治以降に導入された義務教育制度と徴兵制度により、子供は労働力ではなくなり、国の宝となりました。

 だが、子供は親を継ぐものという無意識の思い込みがあり、その最たる例が政治家になります。

 医師とか場合によっては芸能の世界も世襲みたいな制度があり、子供に選択肢はありません。

 文化芸能は物心つく前から叩き込むことは確かに有用ですが、将来に選択肢を持たせることが義務教育の趣旨なら、これはいかがなものだろうか?

 もっとも、長男相続法は江戸時代からであり、それ以前は実力主義となります。

 末子でも能力や後ろ盾があるなら、嫡子として扱われ、兄たちを追い越して家を継ぎますが、しかし親を蔑ろにすると相続権を取り上げられます。

 御成敗式目によって確立されたやり方ですが、それが室町幕府まで採用されました。

 つまり、子が親の世話をするのは当たり前であるという前に、それが出来る能力がある者が家を継ぐことが前提な制度になっていたのです。

 では、能力が同じ、少なくとも劣っていないはずと思った子はどうするのか?

 実力で奪うしかありません。


 江戸時代ではこれが乱世を産んだと考えられ、長子相続が武家の間で確立されましたが、長子なら無能でも家を継げるので、無能な家(藩)はお取り潰しとすることで無能であることを回避しようとしました。

 それを回避する為に、優秀な者を身分に関係なく抜擢し、藩政とか幕政を委ねてきました。

 他藩と同じにやっていては衰退するだけだから、人材を集めて差別化を図ってきました。

 それが結果として、封建制のメリットを最大化し、明治の近代化を促進したのだから、歴史とは分からないものです。

 つまり、一般のイメージと違って江戸時代までは、血縁よりも能力が重視される社会でしたが、それでなんとか社会を維持してきました。

 江戸時代が長い間太平だったのは、表向き身分制度を採りながらも、実は能力主義であるからです。 

 しかし、能力による成果主義が暴走して、弱者を切り捨てるようなことをしなかったのは、ベースに儒教があったからと考えます。


 そして現代では、日本人のベースとなっている儒教は形骸化しました。


 しかし、日本に儒教が完全に無くなった訳ではなく、ただ制御出来なくなりました。

 制御しようにも、儒教教育どころか、我々を指導する人も機関も存在しなくなったのですから。


 日本人特有の利他感覚と、それと矛盾するような利己や狡さは、矛盾することなく共存出来ています。


 その一方で、利己が利他感覚を利用し、感情の制御が無くなって暴走すると、優秀な者は最初から優秀であるはずとか、子供は優秀でなくてはいけないとか、無能な子供は子供にあらずといった、いびつな気分を醸成します。

 本人も無自覚であり、とにもかくにも働くことが最優先されます。

 その結果、現代では晩婚化や非婚化が進みましたが、江戸時代でも人口停滞期の理由が、この晩婚化、非婚化が原因だったみたいです。

 故郷を遠く離れ、都会で働くことで婚期を逃し、やっと落ち着いた時にはもう手遅れになります。

 それでも人口が微増し続けたのは、財産を持つ親の子供たちが自立する際に資産を分けることで婚姻率の向上、出生率の上昇をもたらしたからです。

 つまり、子供を外に働きにいかせる必要の無い家の子供が大人になり、分家して婚姻することで子供を複数もうけることが出来たのです。

 これで江戸時代では、少子化を解消したと考えられます。


 親ガチャと言うなら、まさにこれこそがそうでしょう。


 結局、子供の未来は親次第なんですから。


 だからこそ、親は子供に期待します。


 いい意味でも、悪い意味でも。


 それは儒教の教えが逆に働き、子は親に仕えるべしが文化として残り、やがてそれが選別となります。

 江戸時代というより、昭和の中頃辺りまであった堕胎、間引きに代わって、出生前診断がそれになります。

 最初は男か女かを調べたり、あるいは生育状況を調べることぐらいしか出来ませんでしたが、近年では障害の有無を調べることが出来るようになりました。

 まだ完全ではありませんが、晩婚化の影響で高齢出産する女性が増えたので、ニーズがあると言えます。

 特に産婦人科学会では、38歳以上の初産を高齢出産と定義し、特に障害を持って生まれる確率が飛躍的に高くなると警鐘を鳴らしていました。

 だから出生前診断で、遺伝子に問題が無いか調べるのは、むしろ普通のことでしょう。

 その一方で、外国では男子ならいいが、女子なら中絶をするといった社会もまた存在します。

 倫理的にアウトでも、それを求めるのも人の性というモノでしょう。

 大谷翔平のような子供が欲しい、あるいは藤井聰太のようになってほしいと願う親は、それが転じるとそのような才能を持った遺伝子を持つ子供を欲するようになるでしょう。

 最初から、生まれる前の子供の遺伝子を操作する時代も、いつか来るかもしれません。

 病気を一切しない子供とか。

 いずれにせよ、親は無意識に子ガチャを回す、あるいは回したいと願っているものと思います。

 

 そして外れを引いた場合、そこに不幸が起きたら、それを誰のせいにするんだろうか?


 他の子供のように背が伸びないとか、他の子供のように物覚えがよく無いとか。


 あるいは、子供の同級生で出来る子が居たら、何でお前はあの子のように出来ないんだと、そんな残酷なことを言うのだろうか?

 

 優秀な子供として生まれてくれなかったことを、子供のせいにするのだろうか?


 子供を呪うのだろうか?


 だが、その子にはその子の才能があるはず。

 こういった無理解は、かえって才能の目を摘んでしまいます。


 親や周囲に期待されないことで、かえって劣等生になることもあるからです。


 これはゴーレム効果とも呼ばれ様々な論議を呼んでいますが、多感な時期に一番近しい人から否定されれば、何をと思うよりも、自暴自棄になるのも普通の反応でしょう。


 ただ言えることは、そういうことを言うような家庭では、子供は最初から不幸なんだろうと思います。


 例え、金銭的に恵まれていたとしてもです。


 だから、親ガチャという言葉を、軽く受け止める、あるいは若者の戯言と受け止めないで欲しい。

 

 最初から立派な親が居ないように、最初から立派な子供なんて存在しません。


 だって、あのマハトマ・ガンジーだって、子育てに失敗したんですから。


 過剰に期待しないことと思います。



 親も、子供にもです。






 参考資料

「子どもの貧困」       阿部彩著 岩波新書

「人口から読む日本の歴史」  鬼頭宏著 講談社学術文庫

「生贄探し」中野信子・ヤマザキマリ共著 講談社α新書

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