恭三
恭三は生まれてすぐに自覚した。この人生に涙の途絶えるときなどないのだと
三歳で父親は死んだ。母親は恭三には目もくれなかった。
彼女の仕事といえば夜に街に行き、名も覚えぬ男たちと話すこと。
恭三は小学校に入るまで家で過ごした。だから友達という概念も知らなかった。小学校に入って数か月のうちは友達と呼べる存在もいた。それでもその”友達”が教えてくれたのはそれまで恭三は知る必要のなかったいじめという概念だけだった。
恭三が学校に何しに行っているのかと問われれば迷わず「友達に殴られに行っている。」と答えるのだろう。
恭三が家で何をしているのかと問われれば迷わず「母親に殴られている。」と答えるのだろう。
そんな恭三の心の許せる存在といえば野良猫のにんじんだけだろう。毎日学校から帰ってくる途中で残した給食をにんじんにあげる。それだけが彼の癒しの時間だった。
目の焼けるような日の照らす夏の日。耳をふさぎたくなるほどに蝉がうるさかった。だから恭三の悲鳴は教師に届かなかった。そう信じるしかなかった。恭三が教師に悲痛を訴えても教師は忙しくて手を回すことができなかった。そう信じるしかなかった。
この話は恭三が救われるとかそういう話ではない。ハッピーエンドというものも期待できない話である。
そうして恭三は大人になった。恭三は軽度の発達障害を抱えていたために勉強はひどく苦手だった。いわゆるFランとよばれるような大学にも行くことはできず。高校を卒業してすぐ工場に就職したのだ。
職場でのあだ名は白痴だった。
恭三の家は住むところというよりかは泣くところと寝るところといったほうが適切な施設であった。
彼の仕事はベルトコンベアで流れてくるケーキにはっぱを乗せるだけの仕事であった。しかし彼はそれすらままならない男であった。作業中にうつつを抜かし乗せ忘れるだけならまだましで、ベルトコンベアが動いているのを忘れてどこかへと行ってしまうひどさがあった。
ある日、ベルトコンベアが急に停止した。恭三でもそれには気づくことができた。
しかし、ベルトコンベアを止めたのは正確に言うと恭三自身だった。
非常停止ボタンによって止まったのではない。恭三が、流れてくるケーキを見送って、はっぱを持ったまま立ち尽くしてしまったがために後続の作業が止まり、監督が停止信号を送ったのだった
「何回目だ」
恭三は数えたことがなかった。数えるという発想がなかった。
監督の発する怒鳴り声は、音として恭三の耳に入ってきて、やがて消える。子供のころからそうだった。
その日は誰も殴らなかった。
失望の目でもなく、ただただみんなが恭三を見ていた。
いやに清掃された床、停止したベルトコンベア。溶けかけたクリーム。
それらすべてよりも、その視線が重かった。
翌日から恭三の仕事は変更された。
はっぱを乗せるだけの仕事から、会社の植物に水をあげるだけの仕事をやらされた。
それもすぐに変わった。
最終的には誰もやりたがらない掃除以外は許されなくなった。
それでも恭三は失敗した。
トイレの床をびしゃびしゃにし、入れる洗剤を間違え、挙句の果てに酸素系と塩素系の漂白剤を混ぜ恭三とともに会社の人間を殺しかけたのだ。
そのたびに殴られ、殴られ、殴られ、やがてなにも言われなくなった。
その代わりに何も任せられなくなった。
数か月後、契約は更新されなかった。
理由は何も告げられなかった。恭三はその理由すら考えようともしなかった。
考えたところで何も変わらないからだ。反省したところで何も変わらないからだ。
何も、変えられないからだ。
久しぶりに家に戻るとおかえりはなかった。
というか、いままであったことはなかった。迎えてくれるのはいつでも散乱した物だけだ
冷蔵庫には水だけが入っていて空いた腹をそれで満たした。
その夜、恭三は笑いながら泣いた。
声は出さずに、布団の中で、誰もいない家の中で、子どものころと同じように。
唯一違うのは泣き声を聞いて殴りにくる母親がいないことだけだった。
翌日、リビングには母親が寝ていた。今はなんの仕事をしているのか恭三は知らない。
何気なく、恭三は久しぶりにあの道を通った。
工場に行く必要なんてもうなかったからだ。
小学校から帰るときに毎日通っていた道。この道を歩くと恭三は頭とおしりが痛くなる気がする。
にんじんはいなかった。
段ボールも、恭三が餌を置いていた空き缶も何もなく、
そこにあるのは再開発と書かれた紙きれだった。
恭三はその前に立ち尽くした。
はっぱを握るように、何もない手を握り締めて。
恭三は理解ができないのだ。生き物はいつか死ぬ。
恭三に対してこの世のすべては虚像なのだ。
恭三は泣かなかった。
涙は出場所を見失った。
恭三はそのまま家に戻った。
泣くところと寝るところに戻っただけだった。
恭三の人生に、涙の途絶えるときはない。
それは少し間違いだったかもしれない。
正しくは、涙を流す意味のない人生だったということだ。




