◆九月十二日 午後一時三十一分――室月中学校 総合体育館
さて、そうやって急いで体育館へと足を運んだ僕だったのだが、体育館の入口を押し開けたその瞬間、僕の網膜に飛び込んできた光景はというと――――
「……なぜにバスケ?」
こともあろうに我がクラスの学友たちは、時間に限りのある割り振られた貴重な体育館練習などそっちのけでバスケットをして遊んでいました。
「……オーケー、とりあえず落ち着け、僕」
せっかく皆に迷惑がかからぬようにと急いできたというのにこの体たらく。
あまりに急いだためか、僕の膝関節はやはり密かに悲鳴を上げているというのに、この人たちはいったい何をやっているのだろうか――――
僕は密かにそんな憤りを感じながら、とりあえず元凶である人物へと接触を果たすことにした。
「おっしゃー! リバ――ンッ!!」
その人物はというと今まさにゴールに阻まれ、こぼれおちてきたボールを持前の身体能力をフルに生かして、手中に収める。
その高さに、周りからも思わずといった感じの歓声が響いてきた。
……確かに今のはすごかったけど、みんな注意しようよ。
僕は、そんなクラスメイト達の言動に深いため息をつきながら、今しがたボールを奪取した人物へと背後から近づいた。
「はっはっはっ!! どうだ、この高さ! リバウンドを制する者はゲームを制す―!!」
「――とりあえず、言いたいことはそれだけですか? 修司クン?」
僕は顔をできるだけ笑顔に保ちながら、親友の頭――顔面をグワシッ! とひっつかんだ。
僕のその行動に、はじめのうちは僕の腕を振り払おうとする修司君、だが、顔を掴んでいるのが僕だと気がつくと、彼は面白いくらいに顔を真っ青にさせた。
「ずいぶんと楽しそうでしたね、バスケット。だけど違うでしょ? 今は体育の時間じゃないでしょ?」
「ぜ、全……いやこれはなんていうか、いろいろと訳があってだな――」
「黙れ、元凶」
「即答!? いやほら、バスケしてたのは悪かったけど、これだって俺が始めたってわけじゃ」
修司君はもがきながら、どうにか顔を掴んだ僕の手のひらを外そうと奮起しているけど、あいにく僕はそうやすやすと放してあげる気など少しもありはしなかった。
とりあえず、僕は修司君の顔を掴みながら彼と同様にバスケットをしていたクラスメイト達へと視線を向けてみる。
「おーい瀬月、責任転換はよくねぇって (すまん、俺たちに今の霧生を止めるのは無理だ!)」
「そうそう、お前が言いだしっぺじゃねえか (尊い犠牲だった、俺たちはお前のことを忘れないぞ!)」
「て、てめーら俺を切り捨てやがったな?!」
何やら裏のありそうな会話を交わす修司君とクラスメイト達。
だが、とりあえずこれで裏は取れたわけだ。ならば心は痛むがわが親友に罰を与えるとしよう。
「まったく、こっちは朝から学校中を奔走してるってのに、君ってやつは――」
とりあえず断わっておくが、今から行うのは場の雰囲気を乱した親友に対しての刑罰だ。故に、僕の私情などこれっぽっちもありはしない――ないったらないっす!!
「と、とりあえず全、お、お、落ち着け? な? 話せばきっとお前もわかってくれるはず――――」
「あはは――問答無用、よいしょっと」
せめてもの情けで魔法の使用は控えておくが、それでも手加減する気など毛頭なし。
僕は笑顔を保ちながら、修司君の顔を現在進行形で掴んでいる我が掌にありったけの力を込めた。
ミシミシミシミシッ!!
「ミギャアァァァ――――ッ!!」
力が廻る、僕の指が絞まる、締まる、しまる――――
力の流動を操ることはしない、純粋な身体能力によるアイアンクロー。
ちんまい僕が、ひと際大きい修司君にそれを決めているのがシュールな光景に見えるのか、傍観者は静寂を決め込むうようで、修司君の悲鳴は体育館の隅々まで木霊する。
「イッテ―ッ! イッテ―!! ってちょっとまて、ありえねーってこれ!! 全!! お前握力どんだけあんだよぉぉぉ!?」
現在進行形で僕の手の中でもがき苦しむ修司君、そんな彼の疑問をとりあえず答えてあげることにする。
「右手72kg、左手74kgだけど、それがなにか?」
ちなみにただいま左手で拘束中。
「ってどんだけだよ!? リンゴ潰せんじゃんそれ!! ちょ、ホントやばい! ギブギブッ!!」
というか、確か春の体力測定は修司君と一緒に行ったはずなのだが、親友は僕の記録を覚えていなかったのだろう。
確か中学三年生の平均握力は35~36kgぐらいだと何かで聞いたことがあるから、それを考慮するならば僕は同年代の中では実に二倍近くの握力があることになる。
……うん改めて考えてみれば、修司君が大げさに騒ぐのも納得かもしれない。
僕はのんきにそんなことを考えながら、その実さらに掌に力を込めてゆく。
なぜ人一倍体の小さい僕にこれほどの握力があるのかというと、実は僕の家に代々伝わる魔法に関係があったりするのだが、詳しい説明は後にしておこう。
ちなみに、リンゴ云々に関しては、以前興味本位で試してみたらぎりぎりで割ることができた。
……後々父さんに「食べ物を粗末にするんじゃない」と怒られてしまったけれど。
「お~い霧生、その辺にしておかないか?」
と、そんなことを思い出していた僕に、何やら背後から声が掛けられた。
はて? と思う、我がクラスメイト達は、大変失礼ながらも、自分たちにとばっちりが来ないようにと僕たちからだいぶ距離をあけている。
そんな状態の僕たちにいったい誰が声をかけてきたのか――――
僕はとりあえず振り返ってみることにした。
「…………ぇ? あれ? 城嶋さんがなんでここに?」
だが、振り返ってみて僕の疑問は困惑へと変わった。そこに立っていたのはまったくもって予想外の人物であった。
彼の名は城嶋 恵介さん、現室月中学校生徒会長であり、顔良し、性格良し、頭良し、スポーツ万能の超人のような人。要するに男版の一葉ちゃんのような存在である。
しかも彼の場合、家のほうも結構なお金持ちであるというのに、そのことを自慢することはせず、その人の良さから誰からも慕われているという、まさに完璧超人を絵にかいたような人だった。
そして、これは嘘かほんとか定かではないのだが、わが中学校で唯一の継続魔法もちであるとかないとか……
まあ、とにかくいろいろと尊敬できるお人だ。
だが、なぜそんな人がここにいるのであろうか?
城嶋さんとはクラスが違うし、第一彼は生徒会長。
白聖祭の前日である今日は、当然彼自身も忙しいと思うのだが。
「なぜと聞かれてもな、それは霧生と同じ理由なんだが……」
同じ理由――そう言われて僕はすぐさま納得した。
城嶋さんは生徒会長であると同時に、僕たち学園祭運営委員の運営委員長も兼ねているのだ。
「ああ、なるほど。うちのクラスの前は――――」
「そういうことだ。俺たちのクラスが先にここを使っていた。ついでに言えば少々舞台の片付けに手間取ってしまっていてね。その分霧生のクラスに場所を明け渡すのが遅れてしまった訳だ」
城嶋さんは、僕に状況を説明しながらおもむろに背を向けると、体育館の床面、赤、白、緑、青とカラフルな色合いで引かれたバスケットコートのセンターラインまで歩み、そこに転がっていたバスケットボールを拾い上げる。
「本当なら舞台の明け渡しは宛がわれた時間の五分前で終了しなければいけないはずだろう? だけどね、なかなか片付かない舞台を見かねた彼ら――まあ、君の手のひらの中にいる瀬月たちのことだが、彼らには遺憾ながら暇つぶしをしてもらっていたわけだよ。つまり彼らの非の一部分は我がクラスにあるわけだ。そんなわけでだな、お前の怒りも理解できるが、ここはひとつ瀬月を勘弁してやってくれないか?」
「ぉぉぉおおおお!! ナイス! ナイスフォロー会長!! そう! そういう訳なんだ!! だから今すぐこの戒めから解放してくれ、さあ早く! 今すぐ!! NOW!!!」
とりあえずなるほどと思う。
城嶋さんの説明でとりあえずなぜバスケをするに至ったのか、その理由はとりあえず理解できた。
僕の手の中にいる修司君はそれはもう、天の助けと言わんばかりに歓喜の声を上げている。
だが、あえて言おう、これで助かるなんて考えは甘い、甘すぎる。
僕は、とりあえずの現状把握をしただけである。
つまり僕が何を言いたいかというと――――
「だからと言って! 何で! その手持ち無沙汰の間にやることがバスケになるんですか――!!
舞台が使えないからと言っても、セリフ確認とか小道具確認とか振り付けの確認とか、やれることはいろいろとあるでしょーが!!
結局バスケになったはどうせ君がそうしようとでも言いだしたからでしょー!! このバスケ馬鹿が―――!!」
「あぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
――――時間を無駄にするなと、まあ、結局それが言いたかったのだった。
僕は暴走しそうになる自我を必死に抑えながら、最後の仕上げとばかりに修司君のこめかみを締め上げる。
修司君は断末魔の様な叫びをあげ、そしてその数秒後、とても静かになった。
何やらだらりと肢体を垂れ下げピクピクと小さく痙攣しているが、もはや知ったことではない。
僕はそのままポイっと修司君を投げ捨てると、やや大きめに手を叩くことで皆の注目を集めた。
「はいはいっ! さっさと練習はじめましょう!! 時間は有限! タイムイズマネーだよ!」
「「「「「「さ、サー、イエッサー!」」」」」」
僕の掛け声で皆はとても機敏な動きで演劇練習へと取りかかってくれた。うんうん、いい感じだ。
「さてと、お騒がせしてすいませんでした」
先ほどのやり取りを半ば呆然とした表情で見守っていた城嶋さん。
僕が声をかけると、彼は意識を取り戻したのか軽く手の中でバスケットボールを遊ばせて見せた。
「ん? あ、いや別に俺は構わないんだけどな。というか元はと言えばうちのクラスが遅れたせいでこうなったんだ。謝るのは俺のほうだよ。とはいえお前のクラスはいつもすさまじいな、本当にいろんな意味で」
「…………耳が痛いですね」
僕は城嶋さんの言葉に曖昧な苦笑いで答える。
よくいえば元気がいい、悪く言えば問題児の集まり、我がBクラスはそんなクラスである。
故に、いろいろと話題に上がるのも必然と言えば必然で、生徒会長である城嶋さんにはその辺の逸話がそれはもう数え切れぬほどに伝わっていることだろう。
ほんと、穴があったら入りたいの心境である。
「いや、クラスも凄いがそれをきっちりまとめるお前も凄いと――――」
「ん? 何か言いました?」
「―――ひとりごとだ、聞き流してくれ」
城嶋さんは何やら自分で会話を完遂させると、そのままそれ以上の問いかけを拒むように、センターラインからバスケットゴール目がけ、華麗なジャンプシュートを放った。
放たれたそれは綺麗な放物線を描き、まるで始めからそこに収まることを義務付けられているかのようにゴールへと飛んでいく。
――パスッ!!
正直に凄いと思った。ボールはゴールのリンクにさえ掠ることなくゴールへと吸い込まれていった。
「うわぁ! その距離からよく決められますね」
僕は素直に称賛の言葉を城嶋さんに投げかけた。
彼はその言葉を聞き、かすかに笑みを浮かべながら返答を返してくれた。
「なに、”出来るようになれば”簡単なことさ」
城嶋さんのその一言、僕は何となく違和感を覚え、首をかしげる。
そんな僕の様子に、城嶋さんは再び笑みを浮かべると「それじゃまた委員会で」とそんな一言を残し、体育館の出入り口へと歩いて行った。
僕も思考を切り替えそれに返事をし、演劇練習の監視をするために城嶋さんとは正反対の方向――舞台へと方向転換する。
このときの僕は、すでに演劇練習に完全に意識を切り替えていた。
故に、体育館の出入り口で一瞬、僕に向かって冷やかな嫉妬めいた視線を送った城嶋さんに――――僕は気がつかなかった。