◆九月十五日 午後七時三十二分――霧生家 台所--解答例
人間と言うのはどうしてこうも単純なのだろうか?
この三日間で大いに、怒って、悲しんで、涙して……そして喜んだ。
そして今はと言うと――
「――おいひい、こえおいひいよ!!」
――文字通り口いっぱいにケーキと言う名の幸せを噛みしめながら、僕は今この時を楽しんでいた。
”喜怒哀楽”とは良く言ったものである。
「全、もう少し落ち着いて食べなさい」
「うん!!」
「……良い返事だが、食べるスピードが全く変わっていないぞ」
……――だっておいしーんだもん!!
僕は口を忙しなく動かしながら速やかに返答する――心の中で。
「まあまあ良いじゃない今日ぐらい、今日は全が主役なんだから」
「……浅海、お前も今は食事中なんだから、いい加減にしなさい」
「――だって見てくださいよ、悠馬さん!! ケーキを口いっぱい頬張っている全を! あの、”うれしい”を純粋培養したみたいな笑顔を! だというのに、新調したカメラが手元にあって、目の前に最高の被写体がいるこの状況で、一体他に何を撮れというの!?」
「……俺は撮るのをやめろと言っているんだ」
「だって誕生日よ! 写真くらい撮るのが普通でしょ! ねぇ、一葉ちゃん?」
「…………」
「って、一葉ちゃーん? 全をガン見するのはいいけど、ちょっとくらい話を聞いてほしいなーっておばさん思うんだけど?」
「はぁ、好きにしろ、もう」
父さんはまるで諦める様にして大きなため息をついた。しょうがないとでも言いたげな口ぶりだ。
――誕生日。それは生まれた日を祝う記念日。
そして今日のこれは僕の為の物だった。
本当の僕の誕生日は三日ほど前だったのだけれど、それが今日になったのは、まあ、この三日間色々な事があったから。
誕生日当日は、母さんが食材の買い物に集中し過ぎて帰りが遅くなった事と、僕自身が晩御飯を食べることなく就寝してしまった事が原因。
そして今日にいたるまで誕生日が行われなかったのは、白聖祭で僕の帰りが遅かったからだった。
そんなわけで本当ならば、今年は祝ってもらえなくても仕方ない訳で、僕自身にしても忘れていたのだけれど。
白聖祭も無事に終わり、一葉ちゃんと共に帰ってきてみれば、玄関先で待機していた母さんに強引に手をひっぱられ、気がつけば一葉ちゃんと共に我が家のキッチンへ――
――そうして今に至るというわけだ。
まあ、僕にしてみればこれは大歓迎だ。
母さんの作る料理は本当においしいのだから。
ホールケーキを手作りで三つも用意してくれているこの状況(勿論他の料理も多数だが、これが一番重要)を喜ばずにいられる訳がない。
……――甘味は素晴らしいものなのです!
「悠馬」
「一か」
僕が甘味を貪り、父さんがなすすべもなくただ座ってこの状況で、一さんがひょっこりと顔を出してきた。
恐らく母さんが呼んだのだろう。
「……なんかお前肩身が狭そうだな? もしよかったら久しぶりにうちで一杯やらんか?」
「そうだな。付き合おう」
一さんの提案に父さんは一も二もなく立ち上がった。
立ち上がるのは本当に早かった。
「という訳だ、浅海、俺は向こうで一と飲んでくる。こっちは任せたぞ」
「あら、いっちゃうの?」
「ああ。こんな時でもないと、一と飲む機会もないんでな」
父さんはそう言ってぐるりと部屋を見渡した。
「……それもそうね。一さん、うちの人をよろしくね?」
「はいはい。浅海ちゃんもうちの一葉をたのむよ」
「任しといて」
「お父さん、飲みすぎないでよ?」
「ああ、わかってるわかってる」
「お父さんはそれが怪しい」
一葉ちゃんのなんとも手厳しい返し。一さんは苦笑いしながら出て行った。
そんな一さんを追う形で父さんも台所を後にする。
僕は口をむぎゅむぎゅやりながら、そんな二人を見送った。
「それにしても良い顔して食べてくれるわねー、うれしいわー! カメラも新調して本当によかった。白聖祭での全の勇士もとれたし、ね?」
「――ゲホッ!?」
――思わず噴き出してしまった。
白聖祭の勇士と言うと、もしかしなくても演劇のあれだろう。
サーっと、自分の顔から血の気が引いて行くのが分かる。
「――浅海おばさん、私にも写真焼き増しお願いします」
「オッケーオッケー! 勿論よ! 楽しみにしててね」
「ちょ、まって!? それ僕の黒歴史だから本当にやめてー!!」
僕の必死の叫びは、虚しく台所に響き渡った。
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◆九月十五日 午後七時四十五分――水鳥家 リビング
先ほどとは打って変わって静けさの支配する水鳥家のリビング。
一に誘われて足を踏み入れてみれば、部屋のテーブルの上には酒とつまみが用意されていた。
つまみの方は結構凝ったものが用意されていて、一がうちに来るのが遅れた理由を理解する。
そして、理由はどうあれ、俺を此処に呼ぶ予定であった事も――
俺はひと足早くテーブルに着く。一はと言うと、部屋のサッシを開き、代わりに虫が入ってこないように網戸を閉めていた。
サッシを開けた瞬間、となりの我が家から賑やかな声が聞こえてくる。
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。まあそのうち一人は息子な訳なのだが――
あいつの容姿は浅海よりだから、はたから見る分には間違ってはいないだろう。
容姿に関しては、俺のような無愛想にならなかった事に嬉しさ半分、複雑さ半分と言ったところだが。
「悠馬、眉間にしわが寄ってるぞ、何か考えことか?」
「……なに、他愛のないことを、な」
軽口を言い合いながら、一は俺のコップに酒を注いできた。
俺はコップを傾けそれを受け止めると、同じようにして一にも注ぎ返す。
「なぁ悠馬、僕は自分ではもっと凄い人間だと思っていたんだが……どうやら違ったらしい。所詮はただの凡人だった。この三日間で、それが身にしみてわかったよ」
「どうした? 破らか棒に」
「そして、”全”と名がつく人間は、総じて凄い人である事も、改めて理解させられた」
「…………」
一はとなりの家から聞こえてくる声に耳を傾けながら、しみじみと、そんな事を言ってきた。
その独白に、俺自身思う事もあったが、とりあえず酒の入ったコップと同時に耳を傾ける。
「……全君、笑っているよな? ”あれ”を聞いてまだ三日しかたっていないのに。前と同じように笑っている。全兄さんと同じだ。同じで強い人間だよ」
「一、それは少しだけ違うぞ」
「悠馬?」
そう言って俺は自分のポケットに手を伸ばし、目的の物をひっぱりだした。
ひっぱり出したのは古ぼけた手帳。
掌の上に載せたそれを、一は興味深そうに覗き込んできた。
「それって、お前が何時も持ち歩いてる?」
その様子を見て、ふとした事に気がついた。そう言えばこいつにこれの中を見せるのは初めてだった。
「ああ、これは兄さんの使ってた手帳だ。それも最後の一年間に、な」
「全兄さんの、だと!?」
一は俺の手の中から、それをひったくるように持って行った。
そうして、夢中でページを捲る、捲る、捲る――
俺はつまみを摘みながら、静かにコップを傾けた。
兄さんの、七代目霧生 全の手帳、その内容は日記帳だ。
いや、日記と呼べるモノではないかもしれない。
なにせ、そこに書かれているのは大体がその日に行った魔法実験と、その結果が記載されているだけ。
だが、それでもその実験結果の記し方は日を追うごとに乱雑になっていた。
それはまるで見えない恐怖におびえる様に――
「なんだ、なんだよこれ!?」
「人間は須らく弱い生き物だ。それは全も、兄さんも同じ――ただ違うとすれば、兄さんも全も自分が弱いのが解っているのに、決してそれを他人にぶつけようとしなかったってだけだ――そして、兄さんは一つの答えにたどり着いた。自分が助からないってことに」
俺は一から手帳を取り上げると、ある一ページを開いて見せた。
そこにはこう書いてあった。
『○月△日
我が家の魔法を作ったやつは天才、いや鬼才だ。
此処まで緻密で計算された術式では下手に術式を弄ろうものならば、どんな結果になるのか見当もつかない。
解呪は不可能だ。もう時間がない、恐らく俺はどうあっても助からないだろう。だからこそ、俺は開き直る事にする。
どうせ助からないのなら、せめて、”俺で最後になるように”』
書き殴るような汚さに、必死さが伝わってくる。
「それで、全兄さんは何をしたっていうんだ?」
「……なあ一、不思議に思わないか? 俺たちの家の魔法は水鳥家の”長男”が、霧生家の”長男”の魔法を偽造する事が定められている。だからこそ、互いの家の長男は同じ名をつけられることになっている。霧生家の”長男”には”全”、水鳥家の”長男”には”一”とな、なあ七代目”水鳥一”?」
「いきなりだな、それが一体なんだって――ッ!?」
「気がついたみたいだな、しかしながら、水鳥家には八代目にあたる”一”という名は子は生まれなかった。なんてったって”女の子”しか生まれなかったからな、そしてそれが兄さんの最後の足掻きだ」
そう、女の子。
そもそもなぜ、水鳥と霧生の家の魔法の譲渡が”長男”でなければならなかったのか。
それは単純な話。話のみそは両方ともが長”男”、つまり”同性”でなければならなかったというところ。
”同性”でなければ二つの魔法が再び”一つ”になってしまう可能性が出て来るからだ。
だけどそれは有ってはならない事。
我が霧生家は水鳥からの分家、一つであったものをわざわざ二つに分けた。
その理由は互いの魔法を別々に極めさせて、それから一つにするため。つまり片方が片方の魔法の”技量”を一緒に継承するためにだ。
だからこそ、”偽造魔法”という技法がわざわざ使われた。
そもそもなぜ偽造魔法と言うモノが忌み嫌われるのか。
確かに偽造の手法が心臓から直接生血を摂取しなければならないといという、非人道的であるというのも理由の一つ。
だがそれ以上に、偽造魔法によって継承された魔法は、魔法の技量が一緒に譲渡出来る代わりに、その魔法を子孫に残す事が出来ないという点からだ。
子子孫孫と受け継がれてきた魔法が、奪われ好きかってに使われて、後世に語り継がれることなく消えてゆく。
それは継続魔法使いにとっては嫌気のさすような在り方だ。
しかしながら、我が家の魔法は逆にそのあり方こそ好ましかったのだろう。
何といっても譲渡のされ方が、人間が既に定まっているのだから。
霧生家にしても二人以上の子がいれば問題はなく。水鳥家は霧生家の魔法を継承することなく水鳥の魔法のみを後世に残せるのだから。
「兄さんも、我が家の継続魔法を調べている段階で気がついたんだろう。継続魔法に”男の子”が生まれるようにとする術式が組み込まれている事を、な――だからこそ、兄さんはやったんだ。魔法を解呪するんじゃなく、我が身に更に術式を書き込むと言う事を。”女の子”が生まれる様にするための術式を、そして、その術式はお前に譲渡され――そしてその魔法は見事に成功した」
「……そんな、でも、それじゃあ、全君は助からないじゃないか」
「いや、まだ分からないというのが正しい言い方だろうな。なあ一、俺も兄さんや全と同じ術式を受け継いでいる事は解るだろう? それじゃあなぜ俺はお前に魔法を譲渡せずに済んだか解るか? 俺も真実はどうか解ってはいないけど。少なくとも俺と兄さんの見解はこうだ。俺がなぜ、譲渡せずに済むのか、それは水鳥家七代目のお前の中に、”二つの魔法が既に存在する”からだ。つまり、その世代のいずれかの人間の中に”二つの衝撃魔法を同時に宿す”モノが存在する、と言うのが譲渡をせずに済む条件だと考える」
「それじゃあ、つまり、一葉が全君の?」
「ああ、一葉ちゃんが”全との子をその身に宿す”事があればあいつは助かるかもしれない、それも二十歳を迎える前にな。それで条件的にはクリアされるはずだ」
「……なんだよ、それ」
一は力なく項垂れた。
まあ、気持ちはわかる。俺もこの事実に気がついたときにはやるせない気持ちで一杯になったものだ。
「確かに全兄さんは、努力した。でも、結局助からなくて――残せたのはこんな曖昧な可能性だけなんて……それに、この可能性だって一葉と全君が結ばれた後に初めて意味を持つもの――しかも可能性があるというだけで、必ず全君が助かるかどうかは結局定かじゃないか、なんてままならない」
「思う通りになることの方が少ないもんだ。現実っていうのは特に、な」
本当にままならないと思う、兄さんが残せたのが、こんな綱渡りの縄のような細い細い一本の道だけなんて。
「でも、これは実現する事が出来たならば、これ以上ないほどのハッピーエンドだ。これで二つの魔法は必ず一つになるだろう。そうすれば、俺たちの様な思いをする奴はいなくなる」
「どうしてそう言い切れるんだ? もし事が上手くいったとしても、魔法が一つになるなんて確証はないだろう?」
「いや、一つになるさ、俺たちの魔法は元々一つだ。相性で言ったらこれ程の物は他にはないだろう。それに複数の継続魔法を継承する事は事実上可能だ」
「そんな話聞いたことないぞ?」
「聞いたことはなくても事実だ。お前には黙っていたけど、実は浅海の奴も継続魔法持ちなんだ」
「なんだと、初耳だぞ!?」
「あんまり声を大にして言える事でもないだろう? あいつの魔法名は眠りの初期化、眠る事によって身体の健康状態を急速に回復させるというものらしい。一昨日全はボロボロになって帰ってきた事があったろ? だけどあいつは次の日には何事もなかったかのようにピンピンしていた。それを見る限り受け継いでいるとみてまず間違いはないだろう」
そう、間違いない。あいつはオート・リセット受け継いでいる。
逆にいえば受け継いでいなければ、今までの事が説明出来ないのだ。
玖珂の奴が言っていた。全を見てよくそんな成りで平気でいられるな、と。
そして、あいつは俺だけに教えてくれた。
全は何時壊れても可笑しくなかったという事を。
そうだ、全はずっと我慢していた。
でもあいつの身体は”我慢”だけでどうこうできるものじゃなかった。
いつ壊れてしまっても可笑しくないところまで行っていたのだ。
それでもどうして壊れなかったかと言えば、つまりはオート・リセットが発動していたからに他ならない。
そしてオート・リセットが発動していたからこそ、完全に壊れることなく、今まで苦しみ続けていたんだ。
そうだ、いっそのこと一度壊れてしまえば、俺たちはもっと早くあいつが苦しんでいる事に気が付く事が出来たのに。
あいつもあれほどまでに苦しい思いはしなくて済んだかもしれないのに。
それはどれだけ苦しい事だったのか、俺には想像する事しかできない。
全く、俺はあいつの親だというのに情けないもんだと思う。
「悠馬、まさかお前それを確認するために、浅海ちゃんと?」
「そんな訳がないだろう!!」
「っ!? す、スマン!」
「――……いや、いい、そう思われても仕方ない事かもしれん。だが信じてくれ、そんな打算的な思考はなかったと言う事を」
言って俺はコップに残っていた酒を一気にあおった。
「なんにしても、守るべきものを失う愚かだけは何としとしても避けたい。二度とあんな悲しみは味わいたくないからな」
「そうだな、確かにそうだ――でもまあ、家の一葉は全君にぞっこんだからな、案外なんとかなるかもしれないな」
「くっ、そうなってくれるとありがたいがな、だが、まあ、全はこれからあいつなりの答えを見つけて行く筈だ、今は見守ってやろうじゃないか」
そうだ、今は見守ろう。あいつがあいつなりの答えを見つけることを期待して――
そして、もしその答えの先に、俺たちの力が必要で有るのなら、俺は全力でそれに答えるだけだ。
俺たちは既に空になったコップを手に取り打ち鳴らす。
――どうか、我が最愛の子供たちに、幸があらん事を。