◆九月十五日 午後五時十五分――室月中学校 総合体育館
忙しなく行き交う学友たちを眺めながら、俺は体育館の入り口をくぐり抜ける。
先ほどまで悪戦苦闘していたアンケートの集計結果を小脇に抱えながら、ステージ前へ――
そこでは俺の代わりに皆へと指示を送っている学園祭運営委員の運営副委員長にして、生徒会副会長の冴島さんの姿があった。
歩み寄る俺に対し、冴島さんも俺に気がついたのか、彼女の方からも俺の方へと歩み寄って来る。
「お疲れ様、城嶋君」
「ああ、そっちもお疲れ――順調みたいだな」
「ええ、もうちょっとで後片付けも終わると思う、これなら後夜祭の方は時間どうりに始められるんじゃないかしら? あ、そうそう、実はちょっと懸念事項があってね、実は舞台袖の――、――――――――……」
俺は城嶋さんの声に耳を傾けながら体育館を見渡した。
つい一時間前まで、少なくとも俺がこの場所を離れた時点でまでは、この場所はまだ演劇会場だった。
来客者を歓迎する為の装飾が成され、規則正しくパイプ椅子が並ぶ何時もと違う体育館――
それが今は、パイプ椅子は全体の四分の三が既に撤去されており、来客者歓迎の装飾は白聖祭の終焉の為の物へ変化していた。
これだけの変化だ。演劇会場であった先ほどの体育館とは、当然ながらまた違った印象を覚える。
――その変化に寂しさを覚えるのは何故だろう。
重要な事が終わってしまって、あとに残されているのは後片付けのみ――その現実に感じる言いようのない焦燥感。
それはあの夜――Bクラスの教室で一人目を覚ました時にみた。荒れ果てた教室の風景に何処か近いモノを感じた。
全力であいつに挑んで、敗北して――いや、”挑む”という言葉を使うこと自体間違っているのだろう。
あれはただ単純に、思い通りにならないことへの不満や憤りを、自分勝手にあいつらのせいにして押し付けた――ただそれだけの事。
本当ならば、今こうして、こうやって白聖祭の運営を変わらず行う事も――下手をしたら、普通の学園生活を送る事さえ出来なくなっていたかもしれないのに――
――でも、あいつは、霧生は、それをよしとしなかった。
『――とりあえず、貴方の周りで一番近い位置にいる人に聞いてみてください、それで貴方も救われる筈です。保証しますよ――』
朦朧としていたときに聞いたのにもかかわらず、あの時の言葉は、あの気を失う直前に聞いた声は、今も損なわれることなく覚えている。
それを聞いた瞬間は、如何して救われると言い切れるのかと心底疑問に思った。
”貴方も”という事は霧生の奴はそれで救われたという事だ。
だからって、俺も同じだとは限らない――そんなふうに捻くれた事を考えもした。
――でも、違った。
あいつは根っこの部分で俺と同じ人間で――だからこそ言いきれたんだろう。
それを理解したのは、荒れ果てた教室を、俺の継続魔法で強化した”修復魔法”で元通りに戻した末の事。
拉げた机を元通りにして、割れたガラスと蛍光灯を元通りにして、そしてこれからも”一番を目指し続ける”という在り方も元通りにして――
そうやって全てを元通りにした後、やる事が無くなって帰路についた。
家に着いたのは既に日付が変わった位の時間で、家に着いてからは玄関で待ち構えていた両親にこっぴどく叱られた。
親父には大声で怒鳴られ、母さんには泣きつかれる始末。
二人とも俺の事を心配してくれていたんだ。
その事実に嬉しさを覚える半面――俺は罪悪感で押しつぶされそうだった。
俺はこれ程までに心配されていいような人間じゃない。そう、思った。
だから俺は帰宅が遅くなった理由を二人に打ち明けたんだ。
学友を襲ってしまったという――その事実を。
俺の懺悔にも似た告白を、二人は顔を蒼白にさせながら、それでも黙って聞いていてくれた。
そして、最後まで俺の話を静かに聞いてくれた人たちは――特に親父の方は悲痛そうな顔をしながら、どういうわけか俺へと謝ってきた。
気付いてやれなくてすまないと、それは俺のせいなんだと――訳が分からなかった。
何故親父がこれ程までに俺に謝ってくるのかが理解できなかった。
親父の独白はさらに続いた。
曰く、城嶋家の魔法は、確かに一番を目指す事に執着させるが、その執着自体は何代も世代を重ねたことでかなり薄れていたらしい。
事実城嶋家現当主である親父は、確かにそう言ったモノに執着は感じるが、強迫観念に囚われるほどではないそうだ。
だから、俺の事もそうなのだと思っていたらしい――だけどその考えは間違いで、先祖返りのように、俺にはその執着が顕著に表れてしまっていた。
だから親父はなによりその事を、俺がいろんな事を一生懸命に頑張っていた事で察しなければならなかったのだと、そんなふうに言ってきた。
それ故にの、”すまない”らしい。
そして親父はこうも続けてくれた。
お前が”一番なる”ということを強迫観念に囚われるほど執着させられているのなら、俺はお前が一番になれるように出来る限り協力しよう、と――
お前が今回のように執着に押しつぶされそうになった時、俺がお前を止めてやる。と――
だから、押しつぶされそうになったなら、押しつぶされる前に、俺たちに相談しろ、と――
お前はお前が思っているほど、それに耐えられほど強い人間じゃないのだから、決して一人で抱え込むな、と――
それは俺を気遣う、優しい言葉。
親父たちは、俺が頑張っている事を見ていてくれた。
親父たちは、俺が強い人間じゃない事を知っていた。
親父たちは、強くない俺の為に、手を差し伸べてくれたのだ。
――霧生の言っていた事はこれだったんだろう。
努力というものは必ずしも報われるとは限らない。
それは真実で、だからこそ絶望した。
何をしても無駄なのかもしれないと思った。
努力をしても、何をしても、何の意味のないことだってあるんだって、”結果”が伴わなかったら、頑張ったって意味なんかない――そう思った。
でも、その無駄だと思っていた努力を認めてくれる人がいて、その努力によって認められる事もある。
結局のところそれだって立派な”結果”の一つ。
それに、失敗は成功の母とよく言われている様に、俺が苦しんだ事も、悲しんだ事も無駄じゃない。
それはちゃんと俺の糧になっている。一部になっている――
そうだ――今までの俺は決して無駄などではなかったんだ。
……――ああ、霧生の言った通りだ、これは確かに、救われる。
「……――じま君、城嶋君! ちょっと、ちゃんと聞いてるの!」
物思いにふけっていた俺の意識は、冴島さんの声によって急激に現実へと戻された。
みれば冴島さんは眉間に皺を寄せて俺の事を睨んできている。
……――しまった。物思いにふけっていたせいで彼女の話をちゃんと聞いていなかった。
「ああ、悪い、ちょっと意識飛んでた」
非は俺にある。だからこそ俺は素直に謝ることにした。
頭を下げる俺に対し、冴島さん『まったく!』とでも言いたげな表情をしながら、それでも引き下がってくれた。
……どうやら助かったみたいだ。
「……ふう、それにしても、城嶋君がボーっとしてるなんて、珍しい事もあったものね。私初めて見たかもしれない、もしかして疲れてる?」
「――ああ、忙しかったし、色々あったからな、疲れていないと言えば嘘になる」
素直に肯定した俺に対して、冴島さんは意外そうに少しだけ目を見開く。
「ふーん、なんて言うか、意外ね。城嶋君でも疲れたりするんだ」
「何だそれは、俺だって人間だぞ。疲労の一つや二つ感じるのは当たり前だろう?」
「うんまあ、そう言われるとそうなんだけど、なんていうか、城嶋君って何やっても涼しい顔してこなしちゃうからね、さっきみたいに、分かりやすい位に抜けてるところは、ちょっと意外だったってだけの話――――――――ま、今の方が親しみやすくはあるんだけどね……」
「――すまん、最後の方なんて言ったんだ? よく聞き取れなかった」
「っ!? 何でもない何でもない! 気にしないで! えっと、ほら、城嶋君がここに来たってことはアンケートの集計終わったんでしょ?」
慌てたようなモノ言いをしながら、冴島さんは、少しだけ強引に話を変えてきた。
こころなし顔が赤いのは気のせいだろうか?
まあ、彼女が何でもないというのなら、実際何でもないんだろう。
そう割り切ることにして、冴島さんに言われるままに、小脇に抱えていた紙の束を差し出す。
全校生徒分――と言いたいところだが、流石にそれは無理なので、彼女に渡すのは各クラスの用紙の集計結果だ。
「うん、確かに受け取りました――て、へぇ~、今年はこうなったの。まあ納得と言えば納得、かな? 惜しかったわね、城嶋君」
冴島さんはアンケートの集計結果を眺めて一言。それは正しく率直な感想。
俺はその一言に曖昧に笑って見せた。
確かに結果を見た時、俺とて少し予想外だとおもった。
でも冴島さんの言うとおり、これは納得のいく結果だと思う。
確かに少し悔しくはあるけれど、この結果はつまり、俺の在り方を肯定しているという事と、何ら変わりないだろう。
だから、正直少しだけ嬉しくもある。
「ふう、それじゃあ冴島さん、俺はもう少しだけやる事があるからもう行くよ、アンケート、よろしく頼む」
「はいはい、頼まれました。城嶋君も頑張ってね」
冴島さんと言葉を交わし、俺は彼女とステージに背を向けた。
さあ、これでよし――これで俺もあいつに伝える事が出来る。
俺にああ言ってきたあいつの事だから、こんなこと、もうとっくに知っているかもしれないけれど――
俺の気付く事が出来た真実を――俺達の努力は、決して無駄なんかじゃないという事を――俺たちの努力は、他の誰かの心に届くのだという事を――
――あいつにも教えてやろう。




