◆九月十四日 午前十時二十五分――室月中学校 総合体育館 ステージ脇用具室
それは正に悪夢の再来だった。どうしてこんなことになってしまったのか――
ただ一つ言える事は、流される事しか出来ない僕にとって、それは正に死刑宣告に等しいものだという事だ。
目の前に突き出された狂気を視界に収め、思わずゴクリと生唾を飲み込む。
「さぁ、観念して受け取りなさい」
図らずしも耳を澄して聞こえてきたのはそんな言の葉。
誰が言ったのかは最早問題ではなく、誰に対しそれに言ったのかは考えるまでもなく明らかだった。
周りを見渡せば、見慣れたクラスメイト達は皆一様の表情で僕を見ている。
「――そ、そんな、話と違うよ! こうならない為に僕は頑張ったのに……それじゃあ僕の努力はなんだったのさ!?」
皆からの余りに理不尽な要求に僕は思わず声を荒げてしまった。
そんな僕の様子に取り巻きのクラスメイト達は少しだけ慌てる。
何故彼らが慌てるのか、その理由は簡単。
場所と時間、その二つの理由によって今この時この場所で大きな物音を立てることを禁止されているからだ。
僕自身もそのこと自体は重々承知していたが、それに関わらず声を荒げてしまった所を見ると、どうやら僕は自分で考えている以上に狼狽しているのだろう。
――ここにきての予想外。
僕に向けられた余りに理不尽な要求は、僕の余裕を失くすに余りあるモノだった。
しかしながら僕の訴えはクラスメイト達には届かない……
「あー、まぁそのなんだ。確かに免除が考慮されるとはいったが、別に出ちゃいけねぇって話でもないんだわこれが、そこんところは本人の自由意思で、でたけりゃ出てもかまわんぞ――というわけで頑張れ!」
「――三谷先生!?」
言いながら、すごくいい笑顔で右手の親指を立てる。そりゃあもうグッジョブ! って感じで。
っていうか先生、貴方言ってる事がもうすでに可笑しいことに気が付いていますか?
本人の自由意思なんでしょう!? 僕の意思これっぽっちも反映されてナイデスヨ!?
「それじゃあよろしくね、これが全君のだから」
先生とのやり取りで固まっている僕に対して、嬉々として声を掛けてきたのはクラスメイトの魚谷さんだ。
半ば強引に手渡されたそれを見て矢張り呆然。
信じたくはなかった。夢だと思いたかった――
だけど両手に持たされた生地の質感が、僕を現実へと強引に引き戻してしまう。
そう、”演劇用の衣装”という名の気付け薬によって――
――どうしてこうなった!?
……――おーけー、少し冷静になろう。とりあえずよく思い出してみよう。
今日という日は白聖祭の二日目で、だからなのか、今日は何時もと少し違う朝から始まったのを覚えている。
久しぶりに寝坊をした――といっても起床時間は遅刻とはまだまだ縁の無い七時という時間帯。
それは何時もならば台所へと顔を出す時間帯だ。
とは言え何時もの僕の内緒の起床時間は五時半で、七時ではやはり寝坊なのだろう。
だけど睡眠という行為を経た事によって、昨日あれだけボロボロだった僕の体は、僕自身が驚くほどに回復していた。
これには自分でもびっくりだった。
昨日身体が動かなくなったのは一時的なモノだったらしい。
両掌の裂傷もかさぶたで残ってはいるけれど、その痕は思いのほか小さい。
見てくれは少し悪いけど、動かすにあたっての問題はなかった。
それに嬉しい誤算はもう一つ――今日という日は寝坊であるはずなのに、血圧を整えてもいないのに、いつも以上にスッキリと目が覚めたのだ。
頭痛なく吐き気もない、身体の軋みも殆どなかった。
考え付く理由は骨格の歪――それを玖珂さんに正してもらったからだと思う。
変わった朝にちょっとだけ泣きそうになった。いや、この場合”変わった”ではなく”戻った”というのが正しいのかもしれない。
時間にして約一年ぶり、”もどかしさ”のない朝はただそれだけで嬉しくて――
――今日と言う日が良い日になりそうだと、根拠もなく思ってしまったものだった。
いや、あの時の僕は柄にもなく、今日という日を良い日にしてみせようとさえ考えていたような気がする。
だからこそ、朝起きて、この時まで張り切って何時もと違う日常を”僕らしく何時も通り”過ごしてきたんだ。
そしてそうやって今この時、正確にいえば九月十四日白聖祭二日目、クラス別演劇発表会3年Bクラス発表直前へと至った訳だ。
当初演劇出演者ではない僕は、演劇用の小道具の最終確認を行っていた。
皆が演劇に集中できるように、些細なことで間違える事のないように――
僕は”頭に焼きつくほどに繰り返し眺め見た”演劇練習の様子を思い浮かべながら、シーンごとに必要になる道具やセットを確認してゆく――
――と、そんな最中、この舞台と直結している用具室兼演劇者用控室に、とある一言が投げかけられた。
「皆ぁーちょっと落ち着いてきいてー、演劇の事なんだけどー、佐恵子にちょっとしたトラブルがあって出られないんだってーどうしよっかー?」
その言葉を言ったのはクラスメイトの一人、石動さん(シナリオ担当)だった。
少しだけ棒読みで皆に伝えられたその言葉は、緊張感の欠片もないものだったけど、内容は大ごと。
それを聞いた瞬間、僕の思考は動かしていた手と一緒に一瞬だけ止まった。
クラスメイトの佐恵子さんと言えば、魔法使い役の森下さんの事だ。
僕たちのクラスの演目で魔法使い役は、登場する頻度はそれほど多くないものの、物語の進行上確実に必要となる役どころ。所謂”キーファクター”。
いくら僕たちの今からやる演劇が、脚色・アレンジ盛りだくさんの物だったとしても、その役の重要性は変わらず、いなければ劇が成り立たない。
でも、だからといってはいそうですかと納得出来る事でもないだろう。
そりゃそうだ、いくら内容にアレンジがされているからといって、いやアレンジがされているからこそ、その劇に対する思い入れも大きい。
だからこそ、トラブルで出来ませんでしたなんてことはあっちゃいけないし、してもいけないことだ。
なんとかしないと――僕はそんな強い想いに掻き立てられた。
だけど、僕のそんな想いとは裏腹に、クラスメイト達は慌てる事もなく話を進め始めた。
「えー? まじかよー、そいつは困ったなー、じゃあ誰か代役を立てないとー」
誰かが言った。それはどこまでも間延びし、棒読みな言葉。
焦りも戸惑いもないその声に、僕は些細な違和感を覚えた。
「でもー、皆何かしらの役をするわけだしー、どうせやってもらうなら、手が空いている人で、尚且つ全体の流れをよく知ってる人じゃないといけないよねー」
またしても誰かが言った。やはりどこか間延びし、棒読みな言葉。
そして淀みなくすらすらと出てきたその言葉に、今度は確かな違和感を感じる。
一体……何なのだろうか?
「それにー、さえちゃんって結構小柄だよねー、体格とかも小さい人じゃないと無理かもー」
まただ。また間延び、棒読み――
何かがおかしい、もしかしたら演劇自体が出来ないかもしれないというのに、如何してこんなに緊迫感がないんだ?
それにさっきから、代役の人物像がやけに具体的なような――。
……――ん? ちょっと待てよ?
手が空いている?
全体の流れを熟知している?
小柄?
……………――ま、まさかっ!?
――い、いや、まて、早合点するな霧生 全、か、勘違い、そう、きっと勘違いだ。
確かに僕は実行委員で演劇に参加しないから手は空いてるけど――
演劇の全体練習の監視役として演劇に参加していたから、”頭に影像として焼きつくほど”演劇の流れは記憶しているけど――
認めたくはないけど、確かに僕はクラスで一番背がちっちゃいけど――
まさか、そんなことは――……
そこまで考えて、僕はある事に気がついた。
……――視線を感じるのだ。
四方八方から僕へと注がれるそれ。
刺すように鋭いそれらに、僕はハチの巣にされていた。
否定したかった。
一瞬でも僕の頭に浮かんできた可能性を否定したかった。
恐る恐る、視線を上げる――
「というわけで、はい全君、これが貴方の台本だから、まあ急なことだから完璧には覚えられないだろうけど、最悪アドリブでも全然かまわないからね」
そこには、急ごしらえにしては随分としっかりした装丁の台本を僕に強引に押し付ける石動さん(しつこいようだがシナリオ担当)と――
――同じようなニヤニヤ顔を張りつけたクラスメイト達がいた。
そして、今に至る訳である――回想終了。
要するに僕ははめられたのだ。
よくみれば、訂正版であるにもかかわらずしっかりとした装丁の台本は、僕の手の中に限らずクラスメイト全員にいきわたっているようだった。
いくらなんでも当日のトラブルで台本を差し替えたにしては、手回しが良すぎる。
つまり僕のクラスメイト達は――いやもうこいつ等で十分だな。
では改めて――こいつ等は始めからこのような展開にしようと狙っていたのだろう。
もう何と言うか、あきれ果てて言葉も出ない。
それに、ここまで周到に用意をされて断ったら――僕はただの空気の読めない奴じゃないか?
全く、しょうがない――僕はそんな事を思いながら渡された衣装へと視線を落とした。
しかしながら、ここで再び違和感。
きっちりとたたまれ、僕の手の上に置かれたそれは、一部分とは言え見た事もないデザイン。
はて? 確か魔法使いの役の恰好は黒いローブを羽織るだけだと思ったけど――
僕はそんな事を考えながら何気なく衣装を広げ――
――――――ッ!!?
――そして固まった。
言葉を失って一拍、僕は油切れのブリキのロボットを思わせるかのように、ギギギッと首を持ち上げる。
「う、魚谷さん? こ、これって……?」
「うん! 私、頑張ったんだよ♪」
魚谷さん(衣装担当)は可愛らしく、そして誇らしげにピースサインとウインクを決めていた。
……――いやいや、だよ♪ とか言われても――
可笑しい、これはいくらなんでも可笑しい、僕の知っている魔法使いは少なくてもこんな奇天烈な恰好はしていなかったはずだ。
いやいやまて、もしかして僕はこの恰好で演劇に出ないといけないのか?
僕は頭の中が真っ白になりかけて――そしてさらなる事実に気がついた。
よく考えれてみれば、変更されたのは衣装だけではない。
それにわざわざ改定用の台本まで”用意”してきたのだ。
ただ代役を務めるだけならば、セリフまで変える必要はないはずである。
という事はつまり――
僕は急いで台本を開き――
――――――――――――ッ!!?
――そして本日二回目の石化を果たした。
「あ、あの、石動さん?」
「エヘッ♪」
……――エヘッ♪ じゃありません!
なんなんだこれは!? 確かに始めから大幅にアレンジがされた演劇だったけど……これはあまりにもひどすぎる。
確かに僕は未体験のことに挑戦するのは好きだけど、流石にこれは無理だった。
「え、えっと、悪いんだけど、流石にこれは――」
だから僕は断ろうと皆に声をかけようとしたのだけれど――
二年半、同じクラスで過ごしてきた彼らは、僕のそれを予想していたようで素早く僕のもとへと駆け寄ってきた。
近くにいるクラスメイト達は皆揃って僕の手に手を重ね、重ねられない人たちは、その分真剣な面持ちで僕を見る。
『 全 (くん)!!』
そして、皆が皆口をそろえるんだ。
『――お願い!!』
……………どうも僕はまだまだ、自分の”在り方”を変えることは出来ないみたいです。
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――演劇の幕が開け、僕らのクラスの発表が始まった。
客観的にみているとよく分かる、どうも僕たちのクラスは本番に強いらしい。
スポットライトに充てられて、沢山の人たちの目が向いているというのに、舞台で演技をしているクラスメイト達は練習道理の、否、練習以上にのびのびとした演技を見せ
ていた。
いうなれば正に迫真の演技だ。
観客の人たちは、時に感嘆の声をあげて、時には笑い声をあげて、そして引き込まれる様にして僕たちの演技に見入っていた。
本当に凄いと思う、僕は素直に関心した。
流石Bクラスと言うべきか、ここまで観客を魅了する大立ちま――――
「おい全、そろそろお前の出番だぞ、準備できてっか?」
……――どうも僕は現実逃避さえさせてもらえないらしい。
「よし、大丈夫そうだな、そんじゃ逝ってこい!!」
――えっ?! え、ちょ、無理です駄目ですヤですホント御免やっぱり無理ってちょ背中押さないであ――!!
強引に背中を押されステージへ、後ろを見れば手をグッジョブの形にしている修司君の姿が目に映った。
……――お前か、後で覚えていろよ!!
芽生えた殺意の波動に支配されそうになる僕。
しかしながら数瞬後、眩しいすぎるスポットライトに充てられて、そんな事は気にならなくなった。
僕の突然の登場に会場にいる観客の目が一瞬にして僕へと集まり、その集中率に比例するかのように僕の羞恥心が膨れ上がる。
沈黙する観客。
なぜ沈黙するのか僕は理解に苦しんだ。
今度こそ目の前が真っ白になりそうになりかけ――なんとか踏みとどまる
ものすごく不本意だけど、ここは舞台の上なのだ。
「えっと、その、し、シンデレラさん、あの、元気を……だ、出してください」
「まあ、貴方はどちらさまでしょう?」
「あ、あの…………ま、魔法使い……です」
なんとかしてセリフを絞り出そうとするが、その声は尻すぼみになって最後の方など消えてしまいそうな位に小さなものになり果てていた。
去年も味わったこの感覚を、また今年も味わうことになるとは思ってみなかった。
なんというか、その、死ぬほど恥ずかしいのだ。顔が急激に熱を帯びるのが分かる。
こんな状況で声を張り上げるなんて無理だ。
きっと今の僕の顔は真っ赤だろう。
だけど、僕のそんな内情など知らないとでも言うように、今まで沈黙を保っていた観客たちは次々とざわめき出した。
――――おい、誰だあれ!?
――――キャーかわいい!!
――――凄い! 本格的だなぁ!
――――魔法少女……だとっ?!
……――魔法少女って何!?
僕は思わず心の中で観客に突っ込みを入れた。
しかし、この状況だ。恐らく僕の事を言っているんだろう。
決して長くない髪の毛を強引に二つに縛り、首には目の痛くなるようなまっピンクのリボン。
きている服は鎖骨がくっきりと見えるくらいに襟ぐりがあき、縁を覆うふんわりとした白い襟が印象的。
ワンピースを模した非常に短い桃色のスカートは腰の細さを強調するように大ぶりな黄色い布にきつく縛られている。
また、そんな衣装をより強調する、胸元に輝くチューリップを模した黄金のブローチ。
見えそうで見えないスカートは、しかし動きまわる事を考慮してか、清楚な白い、なんというか所謂カボチャパンツというやつでカバーされている。
また、そこから伸びる足は膝上までという広い範囲が黒いソックスで包まれ、足元はアクセントのように黄色いショートブーツで飾られている。
肩から色が変わり、白いレースを絞るような形のみじかい袖から生える両の腕は、二の腕まである縁を桃色で色づけられた白い手袋で包まれ、手首には赤色のリボンが細く巻かれている。
肩にはよく分からない小動物のぬいぐるみがついていて――
極めつけは手に持たされた杖、これは胸を飾るブローチと対になるような黄金のチューリップ。中に赤い玉が飾られたピンク色の小ぶりな杖だった。
……なんかもう、これでもかというくらいに力のこもった衣装だ。
こんな姿誰にも見せたくはないというのに――最悪だ。
客席の方に目を向ければ、わりと前の方の席に、僕のよく知る三人の人影を見つけてしまった。
一さんは笑いをかみ殺し、父さんは唖然、そして母さんはデジカメで僕の事を連射していた。
……きっとまた僕は盛大にからかわれるんだろう。
それを思うと憂鬱だった。
「シンデレラが舞踏会に行けるようにぼく……あ、いや、私がここに来ました」
「まあ、それは本当!! 魔法少女さん!!」
「魔法少女じゃないです! 魔法使いです!」
「でも、どうして私なんかのために?」
……っ!
ついに来てしまった。ここからだ、ここからが台本で改変されたところ。
どうしてこんなメンドクサイ言い回しをしなければいけないのか……僕には理解できないし、理解出来るようにもなりたくない。
「あ、あの、それは、えっと、その……」
……――ああもう! ホントやだよう!!
「ああん? 全くこれっぽっちも聞こえませんわ魔法少女さん、もっとこう声を大にして張り上げて言ってくださいませ!」
言い淀む僕に対し、発破をかけてくるシンデレラ役の西村さん。
その顔は可笑しくて堪らないとでも言いたげに、これでもかという笑顔で固定されていた。
……そんなに楽しいのか!? ていうか僕は魔法使いだって言ってるのにっ! くそぅ、こうなったら、もう、どうにでもなれ、だ!!
ものすごいインパクトせいで、一度見ただけだというのにしっかりと覚えてしまった改変部。
半ばやけっぱちに、僕は台本に書いてあったセリフを叫んだ。
「か、勘違いしないでよね、私がここに来たのは修行みたいなものの為であって、べ、別に貴方の為に来たわけじゃないんだから!!」
――――ツンデレ来たーーーー!?
――――キャーーーー♪
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
どこまでもぐだぐだで、もう別の話ではと疑いたくなるほどにアレンジされたその物語は――
非常に遺憾なことながら、予想外に大盛況で幕を閉じました――まる
今回の投稿で、『衣装』に関して知人のとあるお方に意見を求めました。
単刀直入に、『魔法少女』って言ったらどんなのを思い浮かべる? って、メールで――
そうして待つ事約30分、返信メールに書いてあったのが今回の更新で使用したものです。
ホントもうありがとうございました。もう何と言うか引くぐらい素晴らしいアイディア!!
という訳でほぼそのまま使用させていただきました。
サンクスN.Kさま!!