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◆九月十二日 午前七時三十五分――霧生家 玄関先



「それじゃ、行って来ます」



「いってらっしゃーい!」



 母さんに見送られ僕は外へと出た。


 九月もそろそろ中旬に差し掛かろうとしているのに、相変わらず陽光は力強く降り注いでいる。


 見上げてみれば上空は澄み渡っていた。


 おそらく今日も暑くなることだろう。


 残暑で悩まされるのは僕としても謹んで遠慮したいことなのだけれど、悲しいことに既に日の光を受けて僕の体はじりじりと熱を帯び始めていた。



「これは……今日も暑くなりそうですね」



 僕は口調を丁寧にしながら、若干大きめのひとり言を呟く。


 否、実際この呟きはある特定の人物に向かって投げかけたものだった。


 口調を改めたのもそれ故にこと。


 その人物は僕のそれに気が付いたのか掃除をする手をいったん止めた。


 

「やあ、おはよう全君。悠馬と同じでいつも早いな君は。あいつとそっくりだよ」



「おはようございます、一さん」



 僕はその声の主へと顔を向けると、軽く頭を下げる。


 僕に声をかけてきたのは、僕の家のお隣に住む水鳥みずとり家の主、はじめさんだ。


 一さんは温和で陽気な人で、真面目で無口な僕の父さんとはまさに正反対の人。


 だがそれでも、一さんと父さんの中はそれほど悪いものではない、いや、寧ろ良いと言い切っていいだろう。


 それというのも、僕の霧生の家と水鳥の家は分家と本家の関係にあるあたるらいく、二人はそれなりに長い付き合いであるかららしい。


 つまり簡単に説明するなら、一さんはお隣さん兼、親戚のおじさんなのである。

 


「家の子ならまだ寝ているよ、まったくあの子のあれだけは誰に似たんだが、少しは君を見習ってほしいものだ」



「そういわれましても、実際僕の方が見習うことが多いですよ?」



「全君、そりゃ謙遜ってもんだよ。君は実際たいしたものさ、確かに一葉はそれなりに要領がいいが、あれは中々抜けたところがあるというか、詰めが甘いというか……」



「そうですかね?」



 一さんは、片手で頭をカリカリと引っかいた。


 水鳥家の家族構成はいたってシンプル、今僕が話をしている一さんを除けばたったの一人だけ。


 一さんの娘である一葉かずはちゃんが居るだけだった。


 水鳥 一葉、彼女とは親戚であり幼馴染、基本的に何でもこなす天才肌の人間である。


 しかも容姿の方も端麗であるため、学校での人気も驚くほどに高い。


 難をあげるならば朝早く起きられないこと、性格の方が少々キツイなどがあげられるけど、それを友達に話したらそこがまたいいのだと力説されてしまった。




 僕にはよくわからなかったけど……




「そうさ、あの子もそれを理解しているよ。そうじゃなければあの子の性格上、毎朝君に起こされることを望むことはしないよ」



「そんなことないですよ、きっと一葉ちゃんなら一さんが起こしても素直に起きてきますって」



「いや、それがそうでもないんだよ、ほらこの前君が学校の当番がどうとかで起してやれないことがあったろう?

 あの時なんか凄かったよ「なんでお父さんが起こしに来るのよー!!」ってね、あの子は君にきつい物言いをするけど、その実、君に心を許している。

 つまりある種の天邪鬼みたいなものではないかと、そんな風に僕は思っているんだけどなあ、君もそう思うだろう?」



 一さんは変な手付きをしながら僕に同意を求める。


 だが、そのようなことを言われてもやはり僕にはよく理解できなかった。



「なあと言われましてもコメントに困るんですが……」



「はぁ……君も煮えきらん男だな。そんな所も悠馬にそっくりだよ――まあその話はもういいや、それにしても――――」



 一さんは自分の中で納得したのか話を完結させると、なにやら再び僕に何かを問おうとしてきた。


 陽気な一さんとの会話は、このように唐突に話が終わり、がらりと違った内容に移り変わることがしばしばだ。


 その変わりようは時として本当に脈絡も何も合ったものじゃないため、彼の人柄をよく知る僕でも時々戸惑うことがあるのだが――――



 ――――今回のは本当に予測すら出来なかった。



「全君、今朝は何かあったのかい? どうもいつもと雰囲気が違うけど」



 僕はこの時本当に驚いた。


 確かに今朝の父さんの仰々しい態度に対する疑問が未だに残っているのだけれど、それをあからさまに態度に出してはいない筈である。


 それなのに、一さんは僕のそれに気がついていたのだ。


 前々から知ってはいたけれど、この人のこれは本当に凄いと思う。


 相手の空気、雰囲気のようなものを読み取るという一種の才能。


 一さんは最近よく耳にする「空気を読む」という技術を無意識に卓越しているのだ。


 それはなかなかにうらやましいものだとさえ感じてしまう。


 僕はことさら、そういうものを読み取るのが苦手だから。



「……ふう、よくわかりますね。僕ってそんなにわかりやすいですか?」



「いや、本当になんとなくだよ。で、どうかしたのかい?」



「いえ、別にたいしたことじゃないですよ、父さんに大事な話があるから今日は早く帰って来いと言われただけです、

 その時の父さんの表情が何時になく真剣だったものでちょっと気になったんですけど――――って、一さんどうしたんですか?」



 変化に気がつくとことは容易だった。いつもにこやかな表情がデフォルトの一さんが見せた険しい表情。


 彼のこんな表情など過去に数えるほどしか見たことはない。


 今朝の父さんといい一さんのこの態度といい、本当に話というのは何だというのだろうか?


 僕の中の蟠りが大きくなるのを感じた。



「――おお! いやすまない、っとこりゃあ随分と話し込んでしまったな。遅刻するといけないからそろそろ一葉を起こしてやってくれないか?」



 結局、一さんは何も答えることはなく、それどころか話の流れを強引に変えられてしまった。


 当然戸惑いはしたけど、こうなってしまってはそれ以上深く聞くことは僕には出来なかった。


 なので僕は仕方なく一さんの言葉に従う。



「? ええ、わかりました。それじゃあ失礼します」



「おう、しっかり頼んだぞ!」



 僕は勝手知ったる水鳥家へと踏み込むと、二回に位置する一葉ちゃんの部屋を目指した。
























「――そうか、今日は全君の――――まさか悠馬のやつあれを話すつもりじゃないだろうな――」





 












 






 閉まり掛けの扉から微かに聞こえた、一さんの言葉を気にしながら――――




 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■





 正直なことを言うと、僕のこの脆弱な体には二十段にも満たない階段を上ることさえ厳しいらしい。


 その証拠に階段を上りきるころには、僕の膝は軽く悲鳴を上げていた。


 自律神経失調症とは又別に、僕を苦しめているこの症状、世に言うところの成長痛というやつだ。


 他の人はどうなのか知らないけれど、僕のそれはおそらく人一倍たちの悪いものではないかと密かに思っている。


 というのも、僕の膝、間接は運動は勿論、階段の上り下りだけでなく、普段の歩行にさえ痛みを伴うというたちの悪いものなのだ。


 人一倍成長の遅い僕としては、成長しようとする体の兆し事態は好ましく思っているのだけれど、体を動かすたびに逐一間接が軋むのは、やはり勘弁してもらいたかった。




 ……結構地味に痛いからね、これ。




 と、そんなことを考えている内に、僕は目的の部屋の前へとたどり着いた。


 目の前には可愛らしい丸文字の書かれたプレートのかかった扉、僕はその前に佇み、申し訳程度にノックをする。


 

 コンコンと乾いた音が響き、そして一秒、二秒――――反応は返ってこない。



 が、それは想定内、というかいつものことだった。


 僕は返事が返ってこないことを確認すると、ドアを開き中に踏み込む。


 そうして目にするのは、最早怒りを通り越して呆れてしまうほどに安らかな寝顔だった。  


 僕はその状況に小さくため息を吐き出す、毎度のこととは言えこの部屋の主には呆れてしまう。


 普段は理知的で何でもこなす万能人間であるのに、なぜこうも寝起きだけが悪いのだろうか。


 僕が彼女を起こすようになって早数年、友達の話では普通立場が逆であるらしいんだが、僕と彼女の間では、その世間一般の常識は成り立たないのであった。


 

「一葉ちゃん! ほら朝だよ! 起きろ~!」



 僕は幼馴染の眠るベッドへと近づくと、取り合えず再び声をかける。しかしながらやはり無反応。


 一葉ちゃんは暑いのか、タオルケットを跳ね除けて物凄い格好で眠っていた。身に着けている黄色いパジャマは着崩れている。


 その状態、初見であったならば、僕はおそらく赤面していたかも知れない。


 だが、人間とは慣れる生き物であるらしく、殆ど毎日彼女のその姿を目にしている僕は、その程度で動じたりはしなかった。



「ほらほら、お~き~て~!!」


 

 今度はやや強引に体をゆすって見る、すると安らであった寝顔の眉間にしわが寄った。


 とはいえそれでも顔の造詣は整っているのだから、彼女の魅力は相当なのだろう。


 まあ、今は関係ないことなのだけれど……



「うう~~……」



 うなり声が微かに聞こえてきた。ようやく目を覚ましたらしい。



「おはよう、目ぇ覚めた?」



「……だめ、まだ眠い……後、ご――――」



「ご? 後五分ってこと? だめだよ、一葉ちゃんの場合そうなったら五分じゃ絶対に済まないからね」



「――――ご……五時間」



「って!? 貴方学校行く気無いでしょ!!」


 

 彼女のすっとぼけた返答に僕は思わず突っ込んでしまった。


 だめだ、やはり埒が明かない、僕はいつもと同じ手段で彼女を起こすことにする。


 僕は徐に利き手である右手の中指を内側に丸め、それを同じく利き手の親指で抑え込む。


 狙いは彼女の額、中指に出来る限り力を入れて、親指を離すことで狙った場所に打撃を与える方法。




 それは世に「デコピン」と呼ぶ――――



「てい!」



 ビベシッ!!



 僕の発する声質は軽い、されど、額を打ち抜いた打撃音はそれに反比例するかの如く重々しい。


 密かに僕の、いや、我が家に代々伝わる魔法の本質の一つである”力の流動”を操ったそれは、一般のそれより遥かに浸透率に差があることだろう。


 故にそこから与えられるダメージは、額を打ち抜いた表面の痛みに止まらず、僅かながらに脳を駆け抜け、言いようの無い不快感が襲ったはずである。


 それこそ、寝起きの人間にはきつ過ぎるダメージであることだろう。



 その証拠に――――



「~~~~~~ッ?!?!? いったぁ~~!? ちょっ?! 全!? デコピンで起こすのは止めてってあれだけ―――いつぅ~~……」



 一葉ちゃんは先ほど以上に取り乱した格好で、ベッドの上に蹲った。



「うん、起きたみたいだね、それじゃ僕はいつもどおり外で待ってるから、支度は早めにお願いね」



 僕はに軽く声をかけ、幼馴染の思考が正常に戻る前に部屋を後にする。


 長居していいことなど何も無いからこその行動だ。


 僕が部屋から脱出しドアを閉めたその瞬間、ドアの内側からは少女の罵詈雑言と共に何か鈍い音がドアにぶつかる音が響いてきた。 



 ……危ない危ない、今日は間一髪だった。



 今日は朝から父さんと一さんの奇妙な言動につき合わされ、僕自身のリズムも知らずのうちに狂わされていたのかもしれない。


 寝起きだけ野蛮な一葉ちゃんの行動は、いつもならやれやれ程度の感想を覚えるのかもしれないけれど――――



 僕はこのときいつもと同じ朝のひと時を実感し、少しだけ安堵するのであった。






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