◆室月中学校 普通教室棟 3-B--SceneⅨ 決着
刹那、僕の視界に映ったのは”天井に立っている”城嶋さんの姿――彼は驚愕の表情で僕を見ていた。
何故に城嶋さんが天井にいるのか理解が追い付かなかったが、僕の視界は城嶋さんを映したまま天井へと落ちてゆく。
そして衝撃――
”背中”をしこたま打ち付けたため一瞬息が詰まったが、その衝撃のおかげで理解した。
今の”仰向け”という僕の倒れ方から予想するに、なんてことはない、先ほどの一瞬は”世界”が変だったのではなく、僕の”体位”が可笑しかっただけの話。
先ほどの光景は、踏み込みの勢い余って吹っ飛んで、空中で半回転した際にみせた可笑しな景色。
一瞬の空中遊泳が見せた俯瞰風景。
それがあの、上が床で下が天井という常識外れの上下反転世界。
――だけど、一体なぜ?
「……霧生、お前は今”何”をした?」
聞こえた城嶋さんの声、しかしながら何と聞かれても、明確な答えを返すことは出来ない。
何故なら僕自身、あの一瞬何をしたのか断定できないのだから。
いや、予測なら出来る、先ほどのあれは間違うことなく、僕自身の慣れ親しんだ魔法の力だ。
自己防衛本能が危険を察知したのか、はたまたただの無条件反射の賜物か――どちらにしろ無意識のうちに僕は魔法を使用したことは確かだろう。
それは理解できる……それは理解できるけど、一番重要な”何故魔法が使用できたのか”という理由が理解できない。
”魔法の使用は城嶋さんに支配されている”筈なのに、どうして僕の魔法は発動したのだろう?
使えない筈の物が使える矛盾、その理由は一体何か?
確か城嶋さんの継続魔法の効果は、一般魔法の強化と空間中に存在する魔法・残留魔力への強制介入だったはずだけど――もしかしたらこの情報自体が僕に魔法使用を制限させるためのブラフだったとしたら?
否、それは恐らく違う、僕の魔法はさっき確かに”暴発させられた”。
つまりそれは城嶋さんが僕の発動した魔法に介入してきたからこそ。
それに今城嶋さんは僕に何をしたのかと尋ねてきた。
つまりそれは今の魔法の何かしらの要因が城嶋さんの”理解の範疇を超えた”からに他ならない。
という事は先ほど暴発した魔法と、今しがた無意識に使った魔法には何かしらの違いがあったという事なのだろうけど――
僕はそんな事を考えながら、起き上るために仰向けからうつ伏せへと状態を変え床に手をつき――
ガシャンッ、と、足元で音がした。
顔を下げる。そこにあったのは沢山のガラス片。
僕がブチ割った窓ガラスの破片の残骸か、それとも城嶋さんの魔法の影響で割れたものかだろうか?
痛覚遮断を使っていたため気がつかなかったが、手をついた拍子に少しだけ切ってしまったようだ。
それだけじゃない、そもそも僕はこの上に仰向けで倒れたのだから、もしかしたら背中にも傷がついたかも――
それはまるで、この部屋と同じように。
「――僕も教室もボロボロだ」
気がつけば僕は呑気にもそんな事を呟き、自然と教室を見渡していた。
城嶋さんの魔法で荒れ果てた教室、机は散乱しているし、床にはここと同じようにガラス片が散乱して――
「――ん?」
不意に、僕の中に違和感が芽生えた。
もう一度見渡してみる――荒れ果てた教室、傷の付いた壁、ガラス片の散らばった床。
それらは城嶋さんの魔法の傷跡で――うん、やっぱり可笑しい。
荒れている事には変わりはないが――傷が足りない。
城嶋さんが攻撃に使っていた魔法は全部で四種類、運搬魔法に燃焼魔法、風魔法、水魔法――
だというのになぜかこの教室には”焦げ跡”と”濡れ跡”がない、もっとよく見てみれば、壁に着いた傷は机が衝突して出来た傷ばかりで”カマイタチで切り裂かれた”傷は見当たらない。
それはなぜか――
「――……ッ!?」
――分かった。そうだ、決して難しい事じゃない。”一般魔法のプロテクト”が発動したんだ。
一般魔法のプロテクト、それは公共施設はもちろん、今では一般にも多く出回っている物質定着型一般魔法対抗呪文の総称。
小難しい言葉を用いてはいるが、ようは一般魔法を打ち消す魔法のこと、ウイルスに対するワクチンのようなものだと言えば理解しやすいかもしれない。
例えば、建築物の壁などは透視ができないようになっている、他人の私物は浮遊させ自在に操ることも出来ない。
故に、公称施設の材質変化や破壊、消失などは出来ない造りになっているのだ。
そして一般魔法のプロテクトは、当然我が室月中学校の校舎にも練りこまれている。
城嶋さんの魔法は確かに強力だけど、その実魔法自体は一般魔法の枠組みに収まるものだ。
だからこそ魔力で展開された炎、水、風は教室に傷を残す事は出来なかったのだろう。
だけど、そうなるとまた一つ新たな疑問が出てくる。
それはどうして城嶋さんは一般魔法のプロテクトという”魔法”を無力化しなかったのかという事だ。
物質定着型一般魔法対抗呪文――呪文という言葉が使われている事からわかるよに一般魔法のプロテクト自体も魔法である。
つまり、一般魔法のプロテクトも一般魔法と同様、魔力という燃料を用いて発動している事に変わりはない訳だ。
そしてその魔力は空中に漂う残留魔力を元としていると何かで聞いた事がある。
そうなると城嶋さんは、いくら膨大であるとはいえ有限である残留魔力を、魔法の発動と終息で同時に消費している事になる。
それではいくらなんでも不合理というものだ。
そもそも魔力を操れるという大原則があるのだから終息の方の魔力消費をカットするのは当然のころだろう。
なぜ魔力の消費をカットしなかったのか――
カットするという工程が面倒だったからという理由だったら、この疑問はそこで終わり。話はこれ以上続かない。
だけど目の前にいるのはあの”城嶋さん”だ。
彼は僕以上に妥協をよしとしない人。そんな人がこの不合理を放っておくだろうか。
たどり着いた一つの不合理、それは今この時には何ら関係ない事なのかもしれない。
でも僕はなぜかそれがどうしても気になった。
この不合理は何処かに繋がっている気がする。そう思えてならなかった。
考えながら僕は再び立ち上がる。
足元ではガシャリと甲高い音がした。
その音で驚愕していた城嶋さんは慌てたように、再び魔法を発動させる。発現するのは先ほどと同様水魔法。
その魔法の規模は目に見えて大きくなってゆく。
それが城嶋さんの、空間中の残留魔力で持ち前の一般魔法の性能を加速させる継続まほ――!?
……――”空間中”?
その瞬間、僕の中に一つの仮説が立っていた。
この仮説が正しければ、僕の武器が一つだけ――増える。
だけど、仮説を立証するのはハッキリ言って一か八かの賭けだ。
しかしながらその賭けをしなければ、今ボロボロの僕は城嶋さんの放つ魔法を避けられないだろう。
どっちにしろやってみるしか道はなかった。
故に僕は、まだ力の入る右足にわずかな可能性を乗せて、本来ならばあり得ない力を流す――
そうして僕の意識は、城嶋さんの放った水塊を見ると同時に加速した。
あり得ないはずの衝撃、パンと言う耳に響いた破裂音は恐らく足元のガラス片の音だろう。
慣れ親しんだ感覚、これは一葉ちゃんとゲームをするときによく味わう僕の加速だ。
どうやら僕は賭けに勝ったらしい――
「ッ!? 消え――何っ!?」
息を飲む音がした。
加速の勢いを殺し僕は再び城嶋さんへと向き直る。
彼は目を見開いていた。
「……何なんだ。さっきからお前は何をしている!?」
城嶋さんは僕に向かってそう叫んできた。
その様子から、もう確信。仮説立証――
城嶋さんの魔法は一葉ちゃんの魔法と同じで、僕の魔法と反対なんだ。
城嶋さんの魔法、二分割思考――
一般魔法の強化と空間中に存在する魔法・残留魔力への強制介入という、その効果に誤りはない。
だけど、城嶋さんの魔法は”認識する空間内に存在する物体・物質内部”までは及ばないんだ。
空間中に衝撃を生み出せるけど、物質内部までは操る事が出来ない一葉ちゃんと同じ。
だからこそ、城嶋さんは一般魔法のプロテクトを無効化しなかった。いや、魔法の性質上したくても出来なかったんだ。
それが分かると、先ほど、何故僕の魔法が暴発したのかも何となく解った。
僕の魔法は、体に保管する魔力自体に衝撃を練り込むことで、衝撃の備蓄を行っている。
そして先ほど僕が使ったのは、正確には”衝撃を練り込んだ魔力を放出する”魔法。
その状態の魔力を打ち消したから、衝撃は打ち出した瞬間、僕の手の中で方向性を失くし、強制的に四散したんだろう。
……そうか、答えが出た今だからこそ分かるけど、この答えはもっと早くに出せた事だった。
だってそうだろう? 城嶋さんの魔法が空間内のすべてに干渉出来るのだったら、僕はこの教室に足を踏み入れた時点で死んでいても可笑しくない。
僕は衝撃蓄電池、魔力に衝撃を練りこむ形で保存しているのだから、それに干渉された時点で、僕は自らのため込んだ衝撃で破裂している筈だから――
よく考えれば分かったはずなのに、分からなかった。
それだけ僕にも余裕がなかったってことだろう。
「答えろ――何をしたっていうんだ!!」
まるで疑問をぶつけるかの様に、城嶋さんは再び僕へと魔法を放つ。
風魔法――不可視の刃が空気を切り裂き迫ってきた。
その風切り音はどこか悲しい、まるで使用者の心の叫びのようだった。
その音を聞いて僕は一歩踏み出す。彼を止めるために。
身体のギアを入れ替える。ニュートラルからローへ――
魔力で制御した力の流動を更に制御して、一気に加速する。
スピードは魔法を使用していない全力走行時の約七割程度。
それでもゼロからいきなり其処までの急加速、不可視の刃は、そのまま僕が先ほどまで居て、そして既にいない空間を通り過ぎて行った。
城嶋さんの視線が僕へと向いた。訳が分からないといった感じの表情をしていた。
それでも城嶋さんは僕へと魔法をぶつける為に再び魔力を練り上げようとする。
当たってあげるわけにはいかない。僕自身も限界だから……
だからこそこの一時、持てる力の限りを振り絞る。
身体のギアを入れ替える。ローからセカンドへ――
この時点で僕のスピードは魔法使用なしの全力走行時とほぼ同じだ。身体が軋み始めるのが分かる――
だけどこれではまだ駄目だ。さっきまでこれじゃあ城嶋さんに手が届かなかった。
ならばどうすればいいか? 簡単なことだ。
身体のギアを入れ替える。セカンドからサードへ――
「っ、くそ!!」
身体の軋みが大きくなった。
だけどその変わり先ほどの状態から約三割増しのスピード。その速さに城嶋さんは思わずといった感じに悪態を吐く。
……――いける!!
僕は思いっきり床を踏みしめて方向転換、右手を突き出しそのまま城嶋さんへと突っ込んだ。
「舐めるな!!」
だけど駄目だった。城嶋さんは素早い足運びでその場を飛びのく。空振り。
どうやらこのスピードでは城嶋さんにはまだ届かないらしい。なら――
身体のギアを入れ替える。サードからトップへ――
身体の軋みがギシギシからビキビキへとジョブチェンジした。
「――■ギ!!」
瞬間目の前を火花が散ったような錯覚を覚える。直感で悟った。これは不味い、と――
僕は身体の壊れる音を聞きながら方向転換する。先ほどと同様城嶋さんへと突っ込むために。
だけど視線を向けた先には、魔法を発動させようとしている城嶋さんの姿があった。
どうやら僕の動きを予測して準備していたらしい。
「――終わりだ!!」
城嶋さんが叫びをあげる。宛らそれは勝利の咆哮。
僕自身方向転換をした直後、ここから再び方向転換は出来ない。
出来る事があるとすれば、城嶋さんの魔法の発動より早く彼へと魔法を叩き込む。
そのためにはどうすればいいか?
僕は奥歯を力いっぱいかみしめた――
身体のギアを入れ替える。トップから――オーバートップへ!!
ここまで来たら力の流動だけでは加速が追い付かない。故に両足へ衝撃を送り込み発破する事で推進力を得る。
城嶋さんとの距離は歩測で約十歩。
だというのに、その半分にも満たない歩数でのたどり着くのは、やはり異常なのだろう。
ドン、ドンと足を踏み込むたびに衝撃の発破音が響く――
――そうして僕の掌は――
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目の前で可笑しなことが起きていた。
何かに気がつくようなそぶりを見せたあいつは――
先ほどまではあれ程必死に走り回っていたあいつは、先ほどよりも圧倒的に速いスピードで駆け回っている。
最早何も分からなかった、あいつが何に気がついたのかも、何を使っているのかも、そして俺自身が何をしているのかも。
霧生は俺を置き去りにして走り回る。
どうしてそんなに速く走る事が出来るのか――考えることをやめた俺には勿論わからない。
そもそもなぜ俺があいつを攻撃しているのかも、既に分かっていないのかもしれない――
それでも俺は本能に身を任せるかのように、霧生に向けて魔法を組み立てる。
次にあいつがどう迫ってくるのか、それがなんとなく分かったから――
結果からいえばその予感は見事的中、俺が腕を向ける先、霧生は姿を現した。
俺はそんなアイツに、まるで銃の引き金を引くみたいに魔法を放とうと思ったんだ。
――でもあいつは、俺がそう思った矢先、俺の目の前から消える様にいなくなってくれやがった。
気がつけば、霧生は俺の手を掻い潜り、まるで剣を突き立てるかのようにして、俺の胸に右手を中てていた。
その命中自体は大した威力はなかった。
まるでただそこに手を当てているだけの様。
こんなものじゃ俺は俺の意識を狩り取れやしないだろうに――
――だけどそれは間違い、そう思った途端、霧生の右手を中心にして凄まじい衝撃が俺の身体を襲った。
「――ガハ!!」
それはあり得ない衝撃だった。
まずは手始めに心臓を喰いつくし、それでは足りぬと波紋のごとく体中を駆け巡る。
それは手を、足を、臓器を、そして最後に脳を通り抜け――そして俺の体は動かなくなった。
意識が段々と白に染まってゆく――
「城嶋さん、貴方の敗因は、きっとたった一つの事です」
霧生が何か言っている。
「貴方は、貴方自身の事を知らないでいる、貴方自身の魔法の事も、貴方の貴方自身の立ち位置も――貴方と言う人間性も」
……――そんなものを、どうやって確かめればいい?
「とりあえず、貴方の周りで一番近い位置にいる人に聞いてみてください、それで貴方も救われる筈です。保証しますよ」
そう言って霧生は笑いやがった。
「――僕の、勝ちです」
限界だった。俺の意識は霧生のその言葉を最後に完全に真っ白になった。