◆室月中学校 普通教室棟 3-B--SceneⅦ 全の在り方
淡々と語られたが、僕にはそれから城嶋さんの心の叫びを聞いた気がした。
”一番になる事を強制させられる”
それがどれだけ苦痛な事か、そのプレッシャーがどれほどの物なのか……僕には想像もできなかった。
そこまで考えて僕はふとある一言を思い出す。
聞いた当初は少しばかりの違和感を感じたその言葉だったけど、今この時、城嶋さんの真実を聞いた今になって、やっと真意が理解できた。
あれは昨日の事、クラスの演劇練習のために体育館に足を運んだ際に、城嶋さんが話した一言。
スリーポイントのラインではなく、センターラインという後方から事も無げにジャンプシュートを決めてみせた城嶋さん。
そんな城嶋さんは感心する僕に対して何でもないようにこう言った。
――――なに、”出来るようになれば”簡単なことさ――――
……重い、そしてなんて深い言葉だろう。
何でもないように見せたあの一挙一動でさえ、城嶋さんにとっては修練を繰り返して”出来るようになった”ことだったんだ。
どんな事でも出来るようになるまで続ける。
それはつまり何にもくじけないという事であると同時に、どれほどの労力を要する事か……
全てに秀でた人などいやしない、それは分かっているつもりだった……でも、それでもこの人だけは特別だと思っていた。
――天才だと思っていた。
――僕とは違う人間なんだと思っていた。
だけど本当の城嶋さんはそうみせているだけで、その実僕と変わらず人間だった。
そうして、そういった思い込みこそが”一番である事を強制させられた”この人にとっては最も重かった事ではないのだろうか?
この人ならば出来て当然だ。
出来るからこそ城嶋さんなのだ――そういった周囲の思いがあればこそ、その事実は重くその身にのしかかってくるモノだから。
簡単な失敗さえも許されない、常に平然と物事をこなさなければならないというそのプレッシャー。
……普通ならば潰れてしまっても可笑しくはないだろう。
それでも、潰れず有れたのはそれを背負ったのが城嶋さんだったからに他ならない。
城嶋さん自身、自分の事を非才だと言ったが、それが本当だとしてもこの人は”凄い人”だったんだ――……
……――――あれ?
それならば、どうしてこの人はこんな事をしてしまったのだろう?
いや、考えるまでもない、その原因は僕がこの人の努力を踏みにじってしまったからに他ならない。
自暴自棄になった僕が、”僕自身の我がまま”を叶える為だけに使った”痛覚遮断”――
”魔法の使用”はしていないけれど、僕の身体能力は”継続魔法を使いこなすため”、そのために備わった力。
つまりは反則技みたいなもの。
つまり、その反則技で僕はこの人の努力を踏みにじっていたんだ――
つまり、僕はこの人に大きな”迷惑”をかけてしまっていた。
それを理解した瞬間、僕の心臓は大きく戦慄いた。
いけない――
このままじゃいけない――
このまま、一葉ちゃんを連れてうちに帰る――それだけでは駄目だ。
この人を狂気に走らせてしまったのは、正しく僕のせい――
ならば、それならば――僕は、間違っても僕は……逃げるなんてしちゃいけない。
僕の所業がこの人を狂わせてしまったというのなら――この人を正気に戻すことは僕の”義務”だ。
僕は足に力を入れた。
立ち上がるためだ。
だけど、相変わらず僕の足の痙攣は続いていて、上手く立ち上がる事が出来なかった。
腹が立った。脆弱な自分の体に殺意さえ覚えた気がした。
……――今一時、この時だけでいい、だから黙って僕のいうことを聴け!!
僕は拳を振り上げ、痙攣する足に向かって振り下ろした。
「……っ!?」
ゴスンという鈍い音―― 一寸後に誰かが息を飲む音が聞こえた気がした。
だけどそんな事は気にしていられなかった。
僕は殴ったことで若干痙攣の治まった左足を無理矢理踏みしめなんとか立ち上がる。
そして城嶋さんを見た。
「城嶋さん……一つ、一つだけ……訂正を」
城嶋さんは僕の行動に呆気に取られているようであったけど、その瞳はしっかり僕の姿を捉えているようだった。
ならば問題はない。
「――僕は才能ある人間じゃない、僕はチッポケで脆弱な、ただの――ガキだ」
僕のその言葉に城嶋さんは正気に戻る。
「……何を馬鹿なことを、お前は才能ある人間だよ。俺とは違う――その証拠にお前は何でもこなして見せるじゃないか。それこそ誰の手を借りずとも」
そんな返しを聞いて思わず呆然、そして苦笑い。
……――そうか、僕の姿はこの人には、いや、他人にはそんなふうに映っていたのか。
「勘違い、勘違いですよ、それは、僕は何でも出来るから他人の手が必要ないんじゃない、”他人の手を煩わせない為に”何でも出来る必要があったんです」
「……は?」
「――つまりですね、僕にはそれ(他人の手を借りる行為)が許容できないんです。だから努力しました。貴方のそれとは比べモノにならないほどに安っぽいものかもしれませんけど。僕は、僕に出来る限りの努力をしてきたつもりでした」
と言っても別に、白聖祭のように皆で協力し合うという事が嫌いなわけじゃない。
むしろそれは好ましいとさえと思っている。
何よりも嫌いな事は僕の個人的な用事のために、他の誰かの手を煩わせるという事だ。
だから僕はそうならない様に立ち回ってきたつもりだった。
毎朝早起きをして体調を整えた。
夏休みを返上して勉強に明け暮れた。
それは母さんに泣いてほしくなかったから、父さんに心配を掛けたくなかったから。
――僕は大丈夫なんだよ、と、安心させたかったから。
白聖祭の実行委員に立候補した。
演劇に出たくないというのを言い訳にしたけど、実はこれは今までクラスのみんなにかけてきた”迷惑”を少しでも挽回したかったからというのが、決して小さくはない理由の一つ。
だから、僕は僕の出来る範囲で一生懸命やろうと思っていた。
「誰かに頼られるのは別によかった。誰かを手伝うのも構わなかった。僕が誰かに必要とされているのなら、僕はその誰かに出来る限り手を貸します」
誰かの為に、何かの為に、そんな考えは所詮綺麗ごと。
いや、それがどれほどすばらしい精神かは分かっているつもりだ。
皆が皆、そうあれるのであればこの世界はなんとすばらしいことだろう。
そこには平和があり、争いなどは無いだろう。
だけど現実では、そんな気高い志を持っている人物は一握りしかいない。
そして、僕のこれはその様な気高いものでは決してありえないもの。
「だけど、僕は、僕自身の所業のせいで誰かに”迷惑”がかかるのが、たまらなく嫌だった」
だから、僕は許容できる内容であるかぎり他人からの頼みごとが断れない。
僕がそれを断ることで断ったその人に何かしらの”迷惑”がかかってしまうんじゃないのか、それを思うとどうしても辛くてやりきれない。
つまり、僕のはただの自分勝手な我がまま。
そして、その我がままを貫くためにはたとえどんなに時間がかかろうと、どんなに見栄えが悪かろうと自分の力で物事を成す必要があったんだ。
たとえそれを達成するのに障害があってもそれは然り。
僕自身怖いのは嫌だし、勿論痛いのも嫌いだけど――辛いのはもっと苦手だったから、僕はそれを受け入れた。
『痛覚遮断』なんて物を無意識に使えるようになったのも、それを受け入れたからなのだと。今更ながら思う。
「――だからこそ、城嶋さんのそれは勘違いなんです。さらに言えば貴方は”他人からの頼みごと”にさえ勝てなかったと言いましたが、それ(他人からの頼みごと)は僕にとっては何よりも重い事だった。だから僕は多少の無理をしてでも負けられなかったんです」
城嶋さんは僕の話が余程予想外の物だったのか、心ここにあらずといった感じでじっと僕を見続けていた。
己を高めるために、最大限の努力をする――結局のところ僕たちはそう変わらない人間だった訳だ。
違いがあるとするならばそれは”限度”だろう。
他人に迷惑がかからない程度まで技能を高めればいい僕に対して、城嶋さんは一番になるまで高めなくてはならなかった。
それが唯一にして絶対の違いだ。
城嶋さんもそれに気がついたのか、いつの間にか僕を捉える瞳は戸惑いに揺れていた。
「――くそっ、願わくばもう少し早くそれを聞いておきたかった。俺は踏み出してしまったんだ。だから……もう止まれない」
そう言って俯く城嶋さん、聞こえた声からは後悔を感じた気がした。
その言葉を聞いて僕は、決意を固める為に大きく息を吸って、吐く――深呼吸。
痙攣する左足にわざと力を入れて、しっかりと床を踏みしめる。
「さてと、城嶋さん、一つ僕と賭けをしましょう」
「……賭けだと?」
「はい、これから僕は全力で貴方を打倒します。僕を返り討ちにする事が出来れば貴方の勝ちです。貴方の望む事をしてください、だけどもし、僕があなたを打倒する事が出来たなら、貴方は――今までの城嶋さんで有り続けてください」
「……っ、それじゃあ俺が得をするだけだぞ? お前の得が何もない」
「……僕が貴方に対して酷い事を言っています。だからそれでいいんです。僕は”命をかけて”、貴方を正気に戻します。戻して見せます!!」
そう、酷い事だ。
今まで”一番である事を強制させられてきた”城嶋さんに今までと同じように在れと言っているのだから。
一度は潰されてしまったプレッシャーに、もう一度耐えろと――――
だけど城嶋さんの努力は決して間違っていないと思うから――城嶋さんならば大丈夫だと思うから――
たとえ命が賭けの対象であろうとも、僕自身、その賭け金には何の不満もありはしなかった。
――もし何かしらの不具合があるとするならば、それはきっと唯一つの事。
「――とはいっても僕の命はすでに予約済みの物ですから、絶対に負けられないんですけどね」
僕はちらりと一葉ちゃんの方を見て、負けられない事を再確認。
――そして僕は、城嶋さんが立ちあがってくるのを静かに待った。