◆室月中学校 普通教室棟 3-B--SceneⅡ 城嶋の魔法
「――カハッ!!」
背中を強打する感覚とともに強制的に肺の空気が押し出され、僕は床の上へとズルズルとへたり込んだ。
呼吸がうまくできなかった。これは背中を打ちつけた弊害。
僕はヒューヒューと情けなく喉を鳴らしながら、茫然と座り込む。
「――ッ、全」
名前を呼ばれ、僕は無意識に声の聞こえてきたほうを向いた。
その先には踏鞴を踏むように状態を崩し、庇うように両腕で顔を覆っている城嶋さんと、地に伏せながらも心配そうに僕のほうへと視線を向ける一葉ちゃんの姿。
そして、先ほどとは全く違った教室の姿が僕の目に飛び込んできた。
机が無残に転がり、割れた窓ガラスが飛び散る―― 一寸前まで見慣れた場所だった僕たちの教室は、まるで暴風雨が吹き荒れた後なのではと錯覚するほど、凄惨な状態へと変わっていた。
何が起きたのかが理解できなかった。
急激な状況の変化に思考が追い付かない。
僕は茫然としながらも、とりあえず立ち上がるために、膝に手を置き――そこで違和感に気がついた。
膝に手を置いた矢先、ぴちゃりと何かが僕の体操服を湿らせたのだ。
今度は何事かと、慌てて膝へと目をやる。
――僕の膝は血に濡れていた。
「え!? な、なんで――」
戸惑い、眼を見開いた。
どうして膝が血に濡れているのか。
僕は慌てて膝にあるであろう傷を確認しようと手を伸ばし――そこで勘違いだと気がついた。
傷を負っているのは膝のほうではないらしい。
膝に伸ばしかけた手、そこから血が滴っている様子が見て取れた。
恐る恐る両の掌を確認してみれば、案の定、僕の掌は傷だらけ、其処らじゅうに裂傷を作っているではないか。
痛覚を遮断しているために、直ぐに気がつかなかった。
でも、なぜ僕の両手はこれ程までに傷だらけになっているのか?
確かに僕は両腕で教室の窓ガラスを突き破ったから、一か所や二か所くらい、怪我をしていてもおかしくはないのかもしれないけれど、それでも、これ程酷い怪我などつくはずがない。
そうなると、一体僕の両手の傷はいつついたものなのか?
そこまで考えて、僕の思考は一つの結論を導き出した。
魔法を使用した直後に感じた、予想外の”反動”。
その反動によって吹き飛んだ僕の体。
荒れ果てた教室。
傷だらけの両手。
その両手で使用したのは”僕自身の魔法”。
そうなると、まさか――
「――僕の魔法が”暴発”したのか?」
考えた瞬間、同時にあり得ないと思った。
確かにとっさの判断での魔法行使だったけど、こんな結果になることなど思いもしていなかった。
僕自身魔法の行使に失敗した経験はある。
そしてそのたびに今回のように裂傷を作ったことも当然あった。
だけどそれらは、”衝撃”という”力の流動”の仕方を、少しばかり間違えたが故に、身体の局所に影響が出たというだけの話。
失敗に至る原因が明確で、それ故に失敗という名の結果となったのだ。
だけど、今回のは違う。
咄嗟の事とはいえ、僕が行ったのはただ単純に衝撃を打ち出すという事だけだ。
蓄積衝撃の消費量は半端じゃない、が、その制御自体は簡単なもので、当然直前までの魔法行使のプロセスにはこれといった問題は思い浮かばない。
僕の魔法が暴発に至ったのは一体――
「――っと、危ない危ない、お前も継続魔法持ちなのか、上手く打ち消せたと思ったんだがな……咄嗟の事だったから上手くいかなかったらしい」
不意に聞こえてきた独白、僕はそれを聞いて慌てて顔を上げた。
荒れた教室の中、声の主はやれやれといった感じに乱れた前髪を直していた。
彼は今何と言ったのか、否、聞こえていなかったわけじゃない。
僕の耳が正常に機能しているならば、城嶋さんは確かにこう言ったはずだ。
上手く”打ち消せた”、と――
そこまで考えて、先ほど魔法を放つ直前に聞こえてきた一言が不意に頭の中に蘇った。
―――何かしようとしても、無駄だ―――
あの一言は空耳じゃなかった。
となると僕の魔法の暴発は、もしかして城嶋さんが?
「貴方は……一体何をしたっていうんですか?」
思わず僕は城嶋さんに問ただしていた。
手櫛で前髪を整えていた城嶋さんは、その動作をやめて僕のほうへと向く。
「なに、お前がわからなくても無理はない、俺の持っている魔法がそういうものだというだけの話だ」
整えられた前髪から覗く狂気の光に、僕は射抜かれたような錯覚を覚えた。
「空間中に存在する魔力への干渉、それが俺の魔法で出来ること、だからこそ魔法を使おうとしても無駄なんだよ」
城嶋さんは語りながら再び先ほどと同様に右手を振り上げた。
「そしてさらに言えば俺はこんなこともできる、霧生、お前は”残留魔力”を知っているか?」
”残留魔力”、聞いたことのある単語だ。
そもそも魔力というものは、人間のみが生成できるものというのが大前提だが、それを使用できるのもまた人間のみだ。
当然人間は魔法を使用する際に、自分の意思で魔力を生成するのだけれど、時として使用するのに必要な量以上に生成してしまう場合がある。
また、魔力物自体も意志さえあれば生成できてしまうものであるため、時に激しい感情の起伏などで魔力が生成されてしまう場合もあるらしい。
魔力自体、飽和定数が大きく拡散しにくいという性質があるため、そういった魔力は生成されたその場所で残留してしまう。
そういった、生成されたが使用されず残留してしまった魔力と言うのが、文字通り”残留魔力”と呼ばれるものだ。
”残留魔力”自体は害のあるものではないし、拡散しにくいといっても、長い時間で見れば、いつかは消えてなくなってしまうものだから、別段どうという訳の物でもないはず――
…………
――いや、待てよ、今しがた城嶋さんは何と言った?
覚えている、城嶋さんは”空間中に存在する魔力への干渉”と言ったのだ。
僕の魔法を暴発させたのも、その力があったからこそ――
「なんとなく気がついたみたいだな。そもそも俺の持っている魔法自体は攻撃的なものじゃない。だけど、空間中に存在する膨大な残留魔力を一点に収束し、”他に用意した魔法”の術式を加速させ、その威力を増幅させることができる。こんな感じにな」
前に突き出すようにして出された城嶋さんの右手、今度は先ほどとは違い、その掌には赤々とした光が生まれる。
ゆらゆらと揺れるその光は炎、物質の燃焼に伴って発生する現象。
なんてことはない、この現象だけならばありふれたもの。
コンビニにだって売られている”ライター程度の火が出せる”一般の燃焼魔法だ。
だけど、僕の目の前のモノはその規模が圧倒的に違っていた。
みるみるうちに大きくなっていく火の玉、ライター程度の大きさは、ピンポン玉へ、野球のボールへ、バスケットボールへ――
とにかく言えることは、安全性など見る影もないという事。
「空間中に存在する魔力へ干渉し、掌握、残留魔力を収束、それを用いて一般魔法の性能を加速させる、それが俺の継続魔法――」
圧倒的な存在感。思わず鳥肌が立つ。
向けられた火球はただそれだけで赤々と僕たちを照らし出していた。
殺伐とした教室の中で響くのは城嶋さんの声だけ、そしてその声は、何の起伏も持たず、ただただ冷徹に――
「――二分割思考、だ」
――その一言を告げてきた。