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◆九月十二日 午前七時――――――霧生家 台所




「おはよ~、母さん」



 今日も同じようにきっかり七時に台所へと顔を出す。


 出来るだけ自然に、出来るだけ気だるそうに、出来るだけ寝起きだということを演技して。


 勿論一時間三十分前に既に目を覚ましている僕には、既に眠気などありはしなかったけど、母さんはとても聡い人だ。


 これに気をつけておかない場合、直ぐに僕の体調を見抜いてしまうかもしれない。


 

「はい、おはよう」


 

 母さんは僕へ挨拶を返し、朝餉を準備するその手をいったん止めると、僕のほうへを近づき、両手で僕の頬を優しく包んだ。


 まじまじと僕の顔色を伺う母さん、だが抜かりはない、今日もきっかり血圧を通常まで上げておいたのだから僕の血色には問題ないはずだ。



「……うん! 大丈夫みたいね、いい顔色よ」



 どうやら母さんは納得してくれたようだ。母さんは僕の目の前で優しく微笑んだ。


 母さんのこの行動は僕が”こう”なってしまってから始まった毎朝恒例の儀式のようなものだ。


 行動としては僕の血色を確かめるという唯それだけのことなのだけど、健康を”装っている”今も続けられているということは、やはり未だに心配をさせてしまっているということなのだろう。


 僕は体の不具合に関する嫌悪感を押し込めたまま、とりあえず気づかれないことに内心で一息ついた。


 母さんを騙すのはやはり心が痛む、たぶんこの痛みに慣れる事はないだろう。まあ、慣れてしまうのはそれはそれでいやなのだが……


 それでも、不用意に体調不良を訴えて、この人を悲しませるよりは何倍もマシだと思ってしまう。 



 そう、これは今までこの人を苦しめてしまった僕の義務だ。


 この人を傷つけてしまった僕が、最大限の努力をしてこれ以上傷つかないようにする。


 こんな考えは所詮偽善で、幼稚で、唯の自己満足なのかもしれないけれど、それでも妥協することは出来なかった。



「はいはい、それはどうも」



 そういって僕も母さんの笑顔を見て笑って見せた。


 浮かべるのは母さんとよく似通った笑顔、よく僕は人から母さんと似ているといわれる。特に笑顔は際立っているらしい。


 というか、僕の容姿の殆どは母さんから受け継いでいると言い切っても過言ではないだろう。


 その証拠に母さんと外に出かけると、本当に不本意ながら、たまに間違えられることもある――姉妹に。




 ……勘弁してほしいものだ。




 細身で女顔、身長にいたっては未だ140に辛うじて届いた程度。


 母さんも確かに小さいが、その母さんの身長にも届かないのはいかがなものだろうか?


 

「二人とも何時までいちゃついているんだ? 全も、今日も一葉ちゃんを起こしに行くんだろう?」



 そんな僕らに視線を外すことなく、とても落ち着いた声色で声をかけてきたのは、一人新聞を広げている父さんだった。



「あら、な~に~? もしかしてそれって嫉妬? 嫉妬しちゃった?」



「馬鹿なことをいっていないで、浅海も手を動かしなさい」



 なにやら浮いた声色を出す母さんに向かって、父さんは小さくため息を付きながらに注意する。もともと母さんは朝餉の準備の途中なのだから正論だ。


 大柄だが性格は温厚で怒ることなど滅多にない父さんは、その巨体に違わず頼りになる性格らしく、ご近所からの信頼も厚い。


 そんな父さんの一声に、母さんは少しだけ機嫌を崩しながらも、おとなしく朝餉の準備を再開する。



「ところで、全、学校の方は大事無いか?」  


 

 父さんは一言だけ僕に尋ねた。


 僕は一瞬ドキリとしながら口を開いた。



「……うん、大丈夫だよ、しっかりやってると思う」



「そうか……」



 それっきり父さんは無言になった。


 聞きたいことだけを訊ね、余計なことはことは言わない。


 実直で真面目を絵にかいたような人だった。



「あ、なに~? 二人でお話?」



「……いや」



 そこに母さんが、料理を載せたお盆を持ってやってくる。



「楽しそうね。私も混ぜて」



「そんなんじゃない」


 

 お盆を机に置いた母さんは唐突に父さんに絡んだ。


 そして父さんの大きな背中に後ろから乗りかかってしまう。



「混ぜてよー」



「そういうのは僕の居ないところでやってよ」



 子供っぽい母さんの言動に思わずあきれてしまう、このようなことをしているから、僕との関係を時たま姉妹に間違えられるのだと思う。


 うん、きっと、多分、メイビー――


 というかこれが原因だと思いたい……



「いいじゃない少しぐらい。お父さんと一緒で真面目なんだから、もう」



「浅海も離れなさい、メシにしよう」



「むう、はいはいわかりました。悠馬さんのいけず~、二人とも真面目だから嫌い」



 父さんの一声で再びむくれる母さん、あ、今の会話で出てきたのは二人の固有名詞、つまり名前だ。


 母さんの名前が霧生きりう 浅海あさみ、そして父さんが霧生きりう 悠馬ゆうま、今しがた展開された状況から想像できると思うが、この二人の結婚は母さんの求婚だったらしい。


 共通の友人に紹介されて関係が始まり、最初は恋愛関係ではなかったものの何かの拍子で母さん側が惚れてしまったとのことだ。


 その後母さんの強固なアタックの末、父さんが折れる形で結婚にいたったらしい。


 そうして、その関係は今も続いている。


 仲良きことは大変宜しいことなのだろうけど、朝っぱらからその惚気を目撃する身としては、勘弁して欲しいと思っても仕方のないことではないだろうか。


 

 まあ、そんなやり取りのおかげで僕は一時的にも自分の体調を忘れられるのだから、なんとも微妙な話なのだけれど……



 僕はむくれる母さんに苦笑いを見せながら、少しだけ音を立てて配膳されたお味噌汁をすすった。




■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■





「全、醤油取ってくれないか」



「はい」



 僕は父さんの要求にこたえて目の前においてあった醤油の瓶を差し出した。



「ありがとう」



「あなた、あまりお醤油ドバドバかけないようにね?」



「父さんは母さんじゃないから大丈夫だと思うよ?」



 何事も大雑把な母さんに、僕は思わずツッコミを入れる。


 大柄で見るからに大雑把そうな父さんだが、実はかなり細やかな気配りが出来る人なのだ。



「うるさいわねぇ、もう」



 母さんは不機嫌そうに口の中に目玉焼きを放り込んだ。


 ちなみに目玉焼きは醤油で少し黒くなってしまっている。


 明らかにかけすぎだった。


 父さんは入れ物を傾けて器用に醤油を目玉焼きにかけてゆく。


 量はかなり少なめで母さんの使った分の半分もない。



「ところで全、今日も遅くなるの?」



「うん、白聖祭の準備とかがあるからちょっとね。なんていっても明日には前夜祭、あさってには一般公開ですから」



 白聖祭、それは僕の通う中学校の文化祭のようなものだ。


 ただ白聖祭の場合、前夜祭にクラス対抗で陸上競技を行うという、運動会を兼ねた少々特殊な催しとなっている。


 まあ、中学校の文化祭であるため、出店などをやるわけでもなく、日ごろの学業の成果を発表する場といった意味合いが強いため、それほど面白いものではないだろう。


 唯一注目されるものといえば、毎年恒例、一般公開時に行われるクラス別の演劇くらいだろうが、それさえも今年は僕自身運営委員をしているため出ることはない。


 つまるところ、今年の僕の白聖祭での役どころは完璧な裏方なのだ。


 まあ、裏方ゆえに事前準備には一般生徒より多大な労力を要するのだが、僕は今回その裏方に進んで立候補した。



「でも残念ね~、去年の全は可愛かったんだから今年も演劇やればよかったのに」



「…………」



 母さんは本当に残念そうな口ぶりでそんなことを言ってきたが、僕は無言でそれをやり過ごす。


 あまり思い出したくはないが、昨年の僕は母さんの言うとおり演劇に出演した。


 そのときやった役所は女役――しかも主役級ヒロイン


 ――言っておくが、そうなったのは勿論僕の希望が反映されたからではない、断じて! 簡単に説明するなら役決めの時間に僕が遅刻したからというのが理由だ。


 その時の演劇自体、役の采配をすべて男で賄うという奇を狙ったものであったらしく、そのためこの見た目故、僕にその配役が廻ってきたらしいのだが――――



 

 ――――はっきり言おう、言ってしまおう、最悪であったと。



 

 まあ、演劇など目立って何ぼという感じであったため、僕たちの演劇の演出は結果的に功を奏し、演劇事態は大成功であったのだが、このときほど自分の容姿を憎いと思ったことはない。


 クラスの女子に面白半分で容姿を弄られ、出来上がった僕の姿は怖いほどに女の子。


 そして、その姿を目にし、なにやら頬を朱に染めるクラスの男子共――


 そのとき、僕は彼らと、今までと同じ関係を続けていく自身がなくなる程に恐怖した。一年たった今でも鮮明に思い出せる。


 

 だからこそ、今年は白聖祭の運営委員となったのだ。


 運営委員となれば多大な労力と引き換えに、演劇の出演は免除されるというその不可抗力を狙って――




 ――あのような恐怖体験はもう二度と味わいたくはないから。




「――兎に角僕は運営委員だから、今日も少し遅くなると思うよ、それだけはよろしくね」



「はいはい、まったく、見た目は可愛いのにそんな所は悠馬さんとそっくりなんだから――――ってあんた! 前髪に若白髪が出てるわよ。まったく、そんな所は似なくてもいいのに」

 


 言いながら母さんは徐に手を伸ばすと、僕の髪の毛を一本摘み、一息にプチッと引っこ抜いた。


 油断していただけになす術はなく、僕は痛む頭皮に手をやりながら、少しだけ母さんに睨みを利かすのだが、母さんは僕の視線などどこ吹く風といった感じで、今しがた引き抜いた白髪を差し出してくる。


 故に、僕もまじまじとそれを見つめてしまったのだが――――なるほど確かに根元から毛先まで間違うことなく真っ白だった。



 僕は思わず父さんへと視線を向ける、正確には父さんの白髪の割合の割かし多い、その特徴的な白黒頭にだ。


 何時だったか父さん自身から直接聞いたことがあったが、父さんも若白髪が多かったらしい。母さんが似なくてもいいのにといったのは、つまりそういうことなのだろう。


 まあ、見てくれ的にも余り良くないのだから、尚更だ。

 


 そんなことを考えながら、僕は朝食の席へと意識を戻そうと、不意に視線を落とした。



「――――え?」



 瞬間、白黒の髪の毛の間から覗く漆黒の視線と交錯する。


 思わず声を上げてしまう僕、それは戸惑いからの小さな呟き。


 理由はわからない、だが確かに交るその視線には”悲しみ”の色が見て取れた。



「――父さん? どうかしたの?」



 僕は少しだけ不安になって、父さんに声をかけた。


 もしかして父さんは僕の体調を見抜いてしまったのだろうか――そんな不安が頭の中を駆け巡る。


 母さんを誤魔化せたからといって、僕の体の不調はその鳴りを完璧に潜めてはくれていない。


 もしかしたらそれが知らぬうちに顔色に表れてしまったのではないか?


 そんなことを考える。



「いや、なんでもない」



 だが、どうやらその考えは杞憂だったようだ。


 父さんは誤魔化す様に再び言葉を紡いだ。



「そういえば、今日は全の誕生日だろう?」



「――――っあ」



「あら、いわれてみればそうじゃない!」



 最近は白聖祭の準備で忘れていた。九月十二日――つまり今日という日は僕の誕生日だった。


 母さんも父さんの言葉で思い出したようだ。



 そして父さんは、先ほどとは打って変わって、随分と張り詰めた声で僕に言った。




「全、お前自身が、為さねばならぬと思ったことをしっかりとこなしたその上で構わない、今日はなるべく早く帰るように意識しなさい」




 まるで何かを覚悟するかのように搾り出された言葉。


 気が付けば先ほどの作り笑いさえも鳴りを潜め、真剣な表情であった。



「お前に、話がある」



 父さんのその表情を見ていれば嫌でもわかった。


 それがよほど重要な話なのだということが――


 僕はそんな父さんの態度を不信に思いながら、それでもその雰囲気に押され、小さくうなずいた。





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