◆IncludeOut それぞれの気持ち
僕は走った――通いなれた道を。
すでに時間は八時近く、道行く人影はほとんどいなかった。
そんな通学路を僕は必死に走り抜ける――
街灯によってボンヤリと照らし出された歩道は、その無機質さを一層際立てているようだった。
目の前から歩行者が一人――スーツ姿の男の人だ。
ネクタイを適度に緩め、右手には鞄と上着を抱えたその姿、残業帰りのサラリーマンか何かだろうか?
とにかく、家を飛び出してすれ違った人は彼で二人目だった。
そんなサラリーマンは、僕のほうを見ると、少しだけ怪訝そうな表情を浮かべた。
――まあ、理由はわかる。
昼間ならいざ知らず、日暮れはとうに過ぎているのだ。
そんな時間帯に必死で全力疾走する男子学生を見たら大概の人間はそういった表情を浮かべることだろう。
僕だってあの人と同じ場面に遭遇したらきっと同じ表情を浮かべると思うから――
けれど、怪訝そうな表情を浮かべたサラリーマンは、僅かに手に持つ荷物を持ち直す動作をしたかと思うと、すっと半身をずらし道を開けてくれた。
そしてすれ違いざま――
「頑張れ!」
――どういうわけか、僕に向かって励ましの言葉をかけてきた。
どうしてそんな声をかけられたのか分からなかったが、とりあえず僕は道を開けてくれたことに対して小さく頭を下げた。
「……ぁ」
その動作で気がついた。
下げた視線の先――そこには今も休むことなく動き続ける僕の足が見える。
そして、その足が身につけていたのは、間違うことなく僕が通う室月中学校の指定の運動服だった。
それで理解、今しがたすれ違ったサラリーマンが僕に応援を送ってきたのは、僕のことを体を鍛えるために走りこむ、運動部の学生かなにかとでも思いこんだからなのだろう。
その考えははっきり言って勘違い以外の何物でもないのだけれど、その勘違いがなければ、もしかしたら不審がられたその延長、声をかけられ足止めをさせられていたかもしれない。
……――そういえば、僕は運動着のままだった。
今現在にいたるまで、僕は自分の服装さえ忘れてしまっていた。
昼間、白聖祭前夜祭恒例対抗クラスマッチ、その最終競技で情けなくもぶっ倒れ――そしてそのまま流されるようにして今に至っているため、倒れた時の服装から着替える暇がなかったというのが現実。
これはこれでぬけているというというか……なんというか……
そこまで考えて、動かす足はそのままに、ふと思った――
死の運命を伝えられたのが昨日の夜、それに追い詰められて無理して倒れたのが今日の午後のことで、父さんと話をしたのはついさっきのこと。
沢山の事があったようで――実際沢山の事が起こって、まだ何かが起ころうとしているけれど――その実まだ二日とたっていなかった。
言ってしまえばたったの二日で僕の世界は一度壊れたのだ。
だというのに、今こうして必死に走っていられるのだから、世の中何が起こるか分からない。
逆にいえばたった二日で立ち直れたということで――その事実は僕にとってはこれ以上ないほどに上出来だった。
それができたのは僕だけの力ではない、僕を支えてくれる皆がいてくれたからこそ。
僕にとっては何物にも代えがたい、掛け替えのない人たちだ。
そして、今向かっている先にいるであろう人も、間違う事無くその中の一人。
……――何が起きているかは分からないけれど、僕が必ず連れ戻してみせる!!
柄にもなく、僕はそんな風に意気込んだ。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
地獄だった――地獄のようだった――
身体の動かない私にできることと言えば、大切な絆を忘れてしまわないように、思い出を追憶しながら歯を食いしばることぐらいだった。
――二人手をつないで近所を遊びまわって、泥だらけになって二人して親に怒られたことを。
――家族ぐるみの旅行に行って、旅行先で二人揃って迷子になって泣きじゃくったことを。
――寝坊しそうになった私をあいつがおこしに来てくれて、それ以来寝坊がやみつきになってしまったことを。
――初めて二人だけで買い物に出かけて、私がちょっと目を離している隙にあいつがショタっけのあるお姉さんに連れて行かれそうになって、思わず私が魔法を使ってしまったことを。
――私の事を特別だと言ってくれたあいつの笑顔を。
どれもこれもが、私にとって掛け替えのない思い出なのだ。
でも、だというのに――
大切なそれらは、まるでブチブチと音を立てて引きちぎられるかのように――ガリガリとヤスリで削り取られていくように――容赦なく無くなってゆく。
「――ッ!、……ぁ、ぅ」
大切なのに、宝物なのに、絶対のものだと思っていたのに、こんなに簡単に――
思わず私の視界が揺らいだ、眼もとからこぼれ出るそれを私は止めることができなかった。
あいつと、■との絆が――
「ッ!? イヤぁ……どうして、こんな」
今の一瞬あいつの名前が、思い出せなかった。
「――いや、や、やだ……やだよぅ」
教室の中、私の涙と呻き声だけが静かにこぼれていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
床で涙する水鳥さんを目にし、俺は思わず身震いした。
あれだけ嫌な方法だったはずなのに、俺は自分の中の呼びかけに逆らえずそれをしてしまった。
それに対して強い嫌悪感を感じてしまう。
だが、その反面この行為に対してひどく納得している自分がいるのが不思議だった。
……否、考えてみればそれがなぜなのかは容易く想像がつく。
俺が今までやってきたことと、それに反する目の前方法、俺自身の内にある衝動を満足させるには後者のほうが圧倒的に簡単なのだ。
故にどうして”これ”が我が家に伝わっているのか、それを否応なく理解してしまう自分がいる。だからこその納得。
俺は一度大きく息を吐きだした。
それが満足感からなのか、それとも罪悪感からなのか、その判断はできなかった。
兎にも角にも、もうすぐだ。今この時何もできないことをもどかしく感じるがそれは仕方がない。
俺が彼女にかけた忘却魔法は、忘却させる対象となる記憶に仕切りを置いて切り離し、対象をすべて抽出した段階で初めて一斉にデリートをかけるものだ。
故に、術式の途中で下手に手を出せば、切り離した記憶が元に戻り、術式を最初から組み直さなければならなくなってしまう。
流石にそれは手間がかかるので御免被りたい。
何気なく窓から外を見てみる。今日は三日月だった。
星はほとんど輝いていない、唯一夏の大三角のみが確認できた。
夏の大三角、正確にはこと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。
ベガとアルタイルは確か織姫と彦星だ。となるとデネブはなぜ夏の大三角に数えられているのかふと疑問に思った。
織姫と彦星、そしてそこにいるデネブ。
互いに焦がれる星を見て、仲間はずれのあの星は一体何を思うのか。
そんなことを考えて苦笑。
まるで俺たちのような星だと思った。
俺は、それをなんとなく眺め続けた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
――こうして、物語は冒頭へ
少年は教室の窓ガラスを自らの身で突き破り、二人の前へと現れる。
――――境界の夜の始まりである。