◆九月十三日 午後五時四十五分――自動車の中
一葉ちゃんからカバンを受け取る。わざわざ教室まで取りに行かせてしまったことが酷く申し訳なく感じた。
幸いカバンには白聖祭中のスケジュール表と空のお弁当箱ぐらいしか入っていなかったから、それほど重くはないのだけれど、一葉ちゃんに無駄な労力を遣わさせてしまったことに変わりはない。
それに一葉ちゃんにはもう一仕事頼まなければならないのだから、申し訳なさは一入だった。
一葉ちゃんに頼むのは、城嶋さんへの伝言だ。
先生の話では、父さんが既に学校についてしまっているとのこと、ということはつまりこのまま僕の強制送還は決定なのだろう。
そうなったら当然、先ほど城嶋さんとした約束は果たせない。
だからこその伝言、僕自身が出向けないのならせめて、行けないという事だけでも城嶋さんに知らせておかなければならない。
そのことを一葉ちゃんに話したら、一葉ちゃんは笑顔で僕の頬を引っ張りながら罵倒してきた。
一葉ちゃんの言葉を要約すると――
……――約束をした? あんた馬鹿なの? 状況をよく考えなさいよ!!
と、そんなことを言われた。
奇しくもそれは、先ほど三谷先生に言われたこととほぼ同じ――僕は苦笑を浮かべることしか出来なかった。
まあ、結局のところ一葉ちゃんは、めんどくさそうな物言いをしながらも僕の頼みを引き受けてくれた。
なんだかんだ言って、一葉ちゃんは優しいひとだ。
僕は一葉ちゃんに感謝しながら、校門傍の駐輪場に停車している我が家の車に乗り込み、学校を後にした。
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結論からいえば、迎えに来てくれたのはやはり父さんだった。
いや、自動車出迎えが来てくれた時点で、そこに乗っているのは父さんしかあり得ない。
大穴で一さんかもと淡い期待を込めたものの、やはりその推測はどこまでも正しかったようだ。
そうして僕はなんとも居づらい、この移動する密室状態の空間の中で、父さんと言葉なく帰路についていた。
気まずい――今朝もそうだったが、今朝は母さんが同じ部屋にいたおかげで、ここまで息苦しい空間では無かったというのに。
まあ、気まずいのも仕方のないことなのかもしれない、あんな事を話されれば、以前と同じふるまいなど出来るはずもない。
故に僕は父さんの方を出来るだけ見ない様に、自動車の助手席からパワーウィンドウ越しではあるが、通いなれた通学路をただ眺めていた。
だからなのだろう、僕が何時もとの違いに気が付けたのは――
窓から外を眺めていると、どういう訳か、不意に窓の外の景色が見慣れたものでは無くなった。
不思議に思い、後部座席越しに後ろを見てみると、見慣れた交差点が見える。
間違いない、あそこまでは確かに”通学路”だった。
ただ、あの交差点を”右に曲がらなければ”家には行けない、それを直進してしまえば此処が通学路でなくなる事は当たり前の事実である。
それを理解すると、今度は違う疑問が僕の中に浮かび上がってくる。
それじゃあなんで父さんは通学路から外れた道を運転しているのか――
道を間違えたから?
――違う、僕たちがよく知るこの町で、僕以上にここに詳しい父さんが道を間違えるわけがない。
道路が工事中で通行が出来なかったから?
――違う、今朝も同じ道を通ったけどそんな事はなかったし、第一先ほど見た時もそんな感じじゃなかった。
気まぐれな道草?
――もっと有り得ない、父さんの性格的にそんな事はしない。
僕は若干戸惑いながら、父さんの顔を見た。
父さんはと言うと、視線は動かさなかったけれど僕の視線には気がついたようで、静かに口を開いた。
「この先に用事があるんだ。お前を一度連れて行こうと思っていたから、丁度いいと思ってな、なに、すぐに着く」
僕には父さんの考えが分からなかった。
とりあえず、僕に何ができるわけでもないので、黙ったまま助手席に座っていることにする。
そうやって五分ほどたったころだろうか――父さんは左へとウインカーを出し、慎重に駐車場へとはいっていった。
どうやら目的地の駐車場らしい、止められるスペースは四台ほど、どんなに多く見積もってもそれ以上は入りそうになかった。
とはいえ、僕たち以外の車など止まってはいなかったから、結局のところ関係ないことなのだけれど……
そんな事を観察していると、父さんはキチンと駐車場にひかれている白線に自動車を合わせ、止めると、サッサと降りてしまった。
その様子にハッとなり、僕も慌ててシートベルトを外して外へと飛び出す。
父さんはと言うと、何も言わず一所に視線を向けていた。
父さんが向ける目線の先にあったのは――――
「玖珂……整体?」
「――ああ、あそこだ。さて、入るぞ」
そう言って父さんに優しく背中を押された。
少しだけビクッとしてしまったが、言われたとおりその建物へと歩いてゆく。
入口らしきガラス拵えの扉、僕はその取っ手を引っ張った。
カラン、カラン、と、来客を告げる鈴の音が響く。
「――あいよー、いらっしゃーい」
声がした。それは男の人の声。
声の方を見てみれば、そこには新聞を広げ診療台らしき長机に腰掛けている人がいた。
男の人が新聞を畳みこちらを見据えて来た。そこでやっと姿を見ることができた。
背の高く目つきの鋭い人、だけど髪の毛はショートヘアボサボサで不精ひげを生やしている。
先ほどの声と相まって、随分とだらしない印象を受けた。
と、そんな男の人が一瞬僕を見て目の色を変えるとすぐさま渋い顔をし、続いて父さんへと視線を移す。
「おう、誰かと思えばもしかして悠馬か? 久しぶりだな。ま、この前電話で話したからこの表現はおかしいのかも知れないけどな」
「いや、実際直接会うのは久しぶりだからな。おかしくはない」
「そりゃそうだ、ま、そんなこたぁどっちでもいいがな、それよりこいつがこの前話してたお前の子供か?」
「ああそうだ。見てやってほしい」
父さんと男の人は何やら気易く会話を交わす。どうやら知り合いらしい。話し方もどこか一さんとのそれに近いものを感じた。
そんな事を考えていると、いままで会話に置いていかれていた僕に、男の人が再び視線を向けてくる。
「初めまして、俺はここの医院長をやってる――つっても俺しかいないがな、玖珂 幸喜だ。坊主――いや嬢ちゃんか?」
僕はムッとして、玖珂さんを睨みつけた。
「……僕は男です。それに僕は霧生 全です、坊主じゃありません」
「そりゃ失敬、だけどな全、男ならもうちょっと胸を張って堂々としろよ」
「むぅ……」
胸を張って堂々と――それは間違っても今の僕にはない仕草である。
その事実に何も言い返すことができず、思わず僕は唸り声をあげてしまった。
「ふぅ、まあそんな事はどうでもいい――」
……――いや、決してどうでもいいなんて物言いで片付けてほしくないのだけど。
僕は心の中でそう思った。実際口に出しそうにもなった。
でも、なんとなくそれを言っても無駄なような気がして、心の中に思うだけでとどめておくことにする。決して釈然とはしなかったけどね。
だけど、そんな僕の思惑など知らぬとでも言うように、事実玖珂さんは先ほど浮かべた渋い顔をもう一度浮かべながら、問いかけて来た。
「――お前、大丈夫か? よくそんな成りで平気でいられるな」
玖珂さんのその問いかけに、僕の体は無意識に震わせてしまった。