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◆室月中学校 保健室--SceneⅢ 束の間の安心



 いつもと違う城嶋さんを少しだけ呆然見送った。



 その違和感からか、城嶋さんが出て行った保健室は先ほど僕が一人でいた時よりも、随分と殺伐としているように思えた。



 そんな空間の中、ただ呆然とベッドに腰掛けていると、段々といたたまれなくなってくるのは果たして僕特有の現象なのだろうか?



 とりあえず、このまま座っているのもどうかと思うので、起きてみることにする。



 ベッドのそばには来賓用のスリッパが置いえあったので、取り合えず履いてみた。



 通常なら校舎内では、学校指定の上履きを履くのが基本ではあるが、校庭で倒れ、そこから直行でこの場所に運び込まれたであろう僕だ。



 これ(来賓用スリッパ)が用意してあるのは、倒れる直前の僕が上履きを履いていなかったからこそ、運んできてくれた誰かが気を利かせて置いておいてくれたのからなのだろう。



 とはいえ、校内をスリッパで移動するのは少しだけ不思議な気分になった。



 とりあえずペタ、ペタ、ペタ――スリッパの踵を擦りながら歩く。



 が、歩き出してすぐ、グラリと視界に歪みを感じ、僕は思わず窓枠に手をついた。



 三半規管が揺さぶられる感覚、恐らくはただのめまいなのだろう。



 これは先ほどベッドから上半身を起こす際にも起こった現象。



 ――どうやら僕の体はまだ完全に回復しきってくれてはいないようだ。



 僕はその事実に更に憂鬱になり、思わずため息をついた。



 気を抜いてしまえばまたしても情けなく泣いてしまいそうだったので、強引に歩を進め、窓際に配置してある長椅子へと腰を下ろした。



 取り合えず、一息――――



 そうやって、必死に落着きを取り戻そうとしていると、この部屋の入口の向こうから廊下を進む足音が聞き取れた。



 微かに聞こえるその音は、本当に少しづつではあるが確かに大きくなってゆく。



 数秒――その足音はこの部屋の入口近くで一旦とまり、その代り、少々強引に保健室の扉がスライドした。




「う~っす」




 城嶋さんとは対照的で、なんとも言えぬ気だるそうな声。



 開かれた扉の向こう側には、よれよれのジャージを身にまとい、長い髪を後ろで束ね女の人が立っていた。



 ――担任の三谷先生だ。



 三谷先生は開けるのと同様、少々強めに扉を閉めると占めたその手で口に咥えた白い何かをつまんだ。



 一瞬煙草を吸っているのかとおもったが、どうやらシガレットの類らしい。



 まあ、普通に考えてみても、今の御時世、教職者に限らずとも廊下で歩き煙草をする人間などいやしないだろう。



 いくら傍若無人な三谷先生といえど、それぐらいの良識は持ち合わせているようである。



 と、僕がそんな事を考えていると、三谷先生は僕の姿を認識したようで、僕の方へと歩みよって来た。




「おう、起きたか霧生。どれ、平気か?」




 三谷先生は徐に僕のおでこに掌を当てて来た。



 おそらく体温の確認をしようとしての行動なのだろうけれども、その唐突な行動に驚く。



 おでこに感じる手の感覚が妙に気恥ずかしいのだけれど、先生の手を払いのけるわけにもいかず、僕は思わず小さく縮こまってしまった。



 そんな僕の様子に先生は不思議そうな顔をしたが、そのれも一瞬のみ、次の瞬間にはニンマリと笑みを浮かべて、僕の頭をガシガシと少々強めに撫でて来る。



 それは流石に嫌だったので、払いのけさせてもらうけど。



「ちょっ、やめてください! まだちょっとふらつきますけど大丈夫ですから」



「そうか? それなら別にいいんだけどよ、とりあえず親御さんに連絡しておいたからな。迎えが来るまではじっとしてろよ、お前の荷物は水鳥に用意させてっから」



 ”親御さん”に”迎え”――先生の言葉に含まれていた単語に無意識に反応してしまう。



 母さんは車の免許を持っていない、つまり迎えに来るとなると必然的に免許を持っている父さんになるわけで、通常この時間帯に僕を迎えに来る事は出来ない。



 ところが、実はこの白聖祭は土日を含めた三連休(十五日は月曜日だが敬老の日で祝日)に合わせてあるので、父さんが僕を迎えに来る事は十分に可能なわけだ。



 いや……実際僕が気にしているのはそんな事では無いのだろう――



 ――はっきり言ってしまうと、僕はどんな顔をして父さんに会えばいいのか、それが分からないのだ。



 それ故の反応、無意識の拒絶、また何かを言われるのではないか、もしかしたら更なる絶望を突き付けられてしまうのではないか……



 そんな事を無意識に思ってしまったのだ。



 ――それに、僕にはまだ学校でやらなければいけないことが残っているのだからなおさらである。

 



「三谷先生、すいませんけど一度家に電話させてもらってもいいですか?」




「ん~? なんでだよ」




「えっと、城嶋さんとの約束がありまして、まだ学校に残っていないといけないんです。だから迎えを断ろうと思って」




 三谷先生は僕の一言に怪訝そうに首を傾げ、プラスチック製とおもしきシガレットを再び口元へ運んだ。



 そして数秒、先生は目をつむり腕を組みながら、如何にも何かを考えてるように眉間に皺を寄せたかと思った次の瞬間――




「この、愚かものが!」




 ――ペシッと僕にチョップを喰らわせてきた。

 



 痛くはなかった。それは体罰と言うより殆ど突っ込みに近いものだったのだろう。



 突然の突っ込みで僕は少しだけ驚いていると、三谷先生はそんな僕に構わずズイッと顔を近づけてくる。



 少しだけメンソールの匂いがした。




「なあ霧生、無茶したかと思えば今度はその発言ってなぁ、ひょっとしてお前は馬鹿か? 馬鹿なのか? と言うかむしろ馬鹿だお前は。お前はぶっ倒れたんだぞ! 用事の有り無しなんて関係ねぇ、むしろレッドカードで一発退場だ。全く何時ものことだが程々にいておけっての」




「えっ、えっ!? ちょっ、馬鹿は確定ですか? それに前にも言いましたけどそんなに毎度ってわけじゃないかと――」




「あぁん!? 分っかんねー奴だな! 自分の胸に手を当てて聞いてみろ」




 …………




「……えっと、こうですか?」




 僕は先生に言われたとおり、右手を自分の胸に押し当て、ついでに目を閉じてみる。



 自分の胸に手を当てて聞いてみろ――つまりそれは自問自答してみろという事だ。



 でもよく考えてみても、やっぱり僕は自分の出来る範囲のことしかやっていないという、その程度のことしかわからなかった。



 僕は首をかしげながら目を開く。目の前では先生が変な顔をしていた。




「……それ言われて本当にやるやつ初めてみた。可愛い奴だなお前。ああもう俺と結婚してくれ!」




 ……なんだろう、先生に一体何が起きたのか?



 何気に少し息の荒い先生。急に何を言い出すのか、余りの内容の変わり様に僕は唖然と首をかしげた。



 そうやって呆けていると、なぜか間髪入れず部屋の入口が弾けるように開いた。

 


 扉の向こうには――僕のカバンを持った一葉ちゃん。




「ちょっとーー?! いきなり何を言ってるんですか先生!! 自重してください!!」




 声を荒げる一葉ちゃん、そんな彼女を僅かに赤らめながらも随分と殺気立っている。



 何に怒っているのか、先生の突然の暴走といい、僕には全く訳が分からない。



 ちょっとした混沌状態である。




「いやだね、前々から我慢してきたがもう限界だ、これは俺が持って帰る! て言うかお前現れるタイミング良すぎだろ、さては盗み聞きしてやがったな」




 持って帰るっていきなり何を――てか先生も僕を物扱いですか?

 



「べ、べ、別に私は先生と全が気軽にしゃべってて羨ましいなーとかなんて全然思っていませんから! 此処にいたのはその――そう、これを持ってきたからです!! そもそも先生でしょ、私にこれを持ってこさせたのは!」




「なんだよー、やっぱり見てたんじゃねぇか、盗み見はいただけないぞ?」




「う、ウルサイですよ!」




 それは勢いに任せて言いきった割に、随分と説得力のない物言いであった。



 一葉ちゃんは思いっきりきょどりながら、同時に言い訳のように手にした僕のカバンをまるで誇示するかのように手前につきだしながら僕らのもとへ歩み寄ってくる。




「と、とにかく! 連れて帰るなんて絶対ダメだし、まして、け、けっ、結婚なんて絶対ダメです! これは私のです!!」




 そうして、一葉ちゃんは僕と三谷先生との間に強引に入り込み、ついでに何故か僕の頭を腕で抱えこんできた。



 もう僕には訳が分からない、なぜ突然、唐突に一葉ちゃんに抱きかかえられるのか、本当に訳が分からなかった。



 ふらつくし、頭痛いし、訳わかんないし、抱きかかえられて苦しいし、でもちょっと柔らかいし――そうした要因は容易く僕の思考を奪い取っていく。



 驚きと混乱とで集中して物事を考えることが出来ないのだ。



 とりあえず僕は考えることを一時的に放棄した。



 目の前では僕の頭を抱きかかえた状態の一葉ちゃんと、三谷先生が相変わらずよく分からない言い争いを続けている。



 僕は流されるようにただ黙ってその光景を見ていた。



 そうやって静かにしていると、言い争う二人の声とはまた別にもう一つ、別な音に気がついた。



 それは少しばかり速めのペースで刻まれる、生きている証。



 ドクン、ドクン――僕のペースと異なるそれをすぐそばに感じた。

 



 一葉ちゃんの心音だ。

 



 気がつけば僕は目を閉じ、それをじっくり聞きとれるように意識を集中していた。



 何故だろう、僕自身もこの鼓動を刻んでいるのに、一葉ちゃんのそれは僕の荒波のような心の内を鎮めてくれてるみたいに思えた。



 当然、そんなはずはないというのに――そう、これはただの生命活動の音に他ならない。



 でも、いやだからこそ、僕はそれを漠然と理解し、安心しているのかもしれない。



 昨日、僕は死ぬのだと言われた。五年後には僕は文字通り自らの手でこの音を止めるのだろう。



 それは事実だ。でも、今ここで、この場所で――僕の心臓これは確かに動いている。



 僕は、此処にいる、此処にある。



 そんな当たり前なことだけど、そんな当たり前を、僕は多分忘れていたのかもしれない。



 何となくそんなふうに思ったんだ。



 ――そんなふうに考えていると、ふと、ポンと柔らかな感触を頭に感じた。



 違和感を感じる、そういえば一葉ちゃんと先生の言い争いは何時の間にやら聞こえなくなっていた。



 気になり、僕はそっと目を開けてみることにする。




「よう、昨日ぶりだな”霧生 全”」 




 先生の雰囲気が変わっていた。



 とりわけ変わっているのは目の色だ、先ほどとは違う、うまく言い表せないが、なにか全てを見通している様に思えた。



 そのあまりの様変わりの仕方に、一葉ちゃんも口を開けてポカンとしている。




「霧生、お前がお前であることを止めてしまうなよ? そうすればお前はまた歩けるはずだ。保障するよ」




 そういって優しく僕の頭を撫でる三谷先生、先ほどのおちゃらけた態度は一体何だったのか。



 今日ほど、先生を”不思議”な人だと思ったのは初めてだった。



 もしかしたらこの人は、本当に全てを見透かしているのかもしれない。



 そんなふうな事を考えながら先生を見ていると、先生は何かに気が付き視線を上げた。




「――っと、正門から車が入ってきたぞ。どうやら親御さんも着いたみたいだな、それじゃあ霧生気を付けて帰れよ~」




 そう言うと先生はさっさと僕の頭から手をどけると、手を振りながら保健室から出て行った。



 僕と一葉ちゃんは唖然としたままそれを見送る。



 見送った後も、僕の頭の上は少しだけ暖かさが残っているような気がした。






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