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◆九月十二日 午前五時二十九分――霧生家




 ギシリ、ギシリ、と何かが軋む音がする。




 それは所謂ところ、悲鳴であったのだろう。


 言いようのない不快な感覚を伴いながら、それは体の隅々に遍いてゆく。


 そして同時に感じるのは毎度と同じ意識が急激に浮上する感覚、体の軋りで目を覚ます。


 それは僕――霧生 全にとって、ここ一年に渡り繰り返されてのことだった。



 重い瞼を押し上げて、最初に飛び込んで来るのは慣れ親しんだ板張りの天井。


 枕もとの目覚まし時計に目をやれば、示される時刻は早朝五時三十分を示していた。


 それなりに使い込んだこの目覚まし時計が、確かな時を刻んでいたとしても、それなりに早い時間だろう。


 昨日僕が床に就いた時刻は二十二時をかろうじて過ぎたくらい。


 だから、いくら早い時間に目が覚めたからといって、睡眠時間が足りていないという訳ではないはずだ。


 受験生という身分で睡眠時間が七時間ならば、それは贅沢ともいえる時間長だろう。

 


 だというのに、どうしてなのだろうか……意識しなくともはっきりとわかってしまう。



 頭の中に響いて回る鈍い痛みに、ひど過ぎることはないが、それでも不快に感じる嘔吐感。


 そしてやはり消えてはくれなかった体を這いずり回るこの軋り。


 この症状が顔を見せたのはいったい何時ごろだっただろうか……正確なところは最早覚えていないけど――あれは確か中学二年の梅雨の時期だったような気がする。


 始めは唯の風邪だと思った。風邪薬を飲んで寝てれば直ぐに治るのだと、その程度の考えだった。


 だが、それが一週間続き、二週間続き、そして一ヶ月続くとなれば、誰だって自分の体で何が起こっているのか? と、疑問に思うのは、当然といえば当然だろう。


 そして二ヶ月目、夏休みも終わりに差し掛かったその時、掛かりつけの病院で、掛かりつけのお医者さんによって、僕は『自律神経失調症』だと言い渡された。




 『自律神経失調症』……それは睡眠不足や過度のストレスなどの刺激が長時間続いたりすると、自律神経がそれを排除しようと頑張り過ぎ、自らバランスを崩してしまうという、所謂一つの精神病のようなものらしい。



 なんでも、自律神経は内臓や血管の収縮・拡張、ホルモン分泌など、すべての器官を調整しているものなのだという。


 つまりそのバランスが狂ってしまい、体に不調が現れてしまうと、そういうものなのだというのだ。


 

 だが、医者からその説明を聞いた時分、僕は素直にそれを信じることが出来なかった。



 僕は他人からおおらかだとよく言われていたし、その自覚もある。


 現に僕の中で不の感情、怒りや悲しみ、憂いといった感情はそれほど長くとどまることはなかった。


 僕は人一倍よく眠る子供だった。


 寝つきもよく目覚めもそれほど悪くない、そして何より”寝る”というその一動は僕の至福の中ではかなり上位に入り込むものだ。


 これに適う至福で思い浮かぶのは、辛うじて糖分を摂取しているときだろうか。


 だというのに、僕の頭痛と嘔吐と体の軋りは、睡眠不足とストレスだと、どうして信用できるだろうか――



 

 ……もどかしい




 医者からは自律神経調製剤なるものをもらった。それと同時に心療内科でカウンセリングを受けるようにも進められる。


 僕は、ちゃんとお医者さんに自分は睡眠をしっかりとっていること、ストレスは感じていないということを、自分の言葉でしっかり伝えた。


 伝えられていたと思った。


 でも、それでもお医者さんは僕のことを『自律神経失調症』だと判断したらしい。


 かくいう僕も、はっきりとそれを断定されたこともあって、疑いながらも信じてしまった。


 不安とやるせなさを感じた。これこそがストレスの原因なのではないかと、そんな風に考えたこともあった。




 ……もどかしい ……もどかしい




 夏休みが明けて学校が始まった。


 けれど、僕の中の症状は未だにそのなりを潜めてはくれなかった。


 朝とりわけその症状が強く、時間がたつにつれてほんの少しずつ緩和してくることもあり、ほとんど毎朝遅刻を繰り返しながら学校に通った。


 僕にもいっちょまえの意地があった。だから、出来るだけ教室では僕が精神病なのだということを隠したかったし、もう一つの秘密とともにひた隠しにしていた。


 だが、それがいけなかったのだろう、毎日体調不良だといって遅刻してくるくせに、来てみれば元気に見えるのだから。


 そしてある日、いつものように遅刻して、教室に入ろうとしたときに教室内の話し声を聞いてしまった。


 曰く、霧生は授業をサボりたいがために仮病を使っているのだ、と。


 聴いた瞬間、体と一緒に心まで軋んだ気がした。




 ……もどかしい ……もどかしい ……もどかしい



 

 家に帰れば魔法の訓練がまっていた。どういうわけか、家にはそれなりに広い地下室があり、そこでいつも父さんが訓練を施してくれた。


 頻度は週4回、父さんは僕の体調が優れないのならば、訓練は休んでもかまわないといってくれた。


 だが、やっぱり僕にはちっぽけな意地があったから。訓練だけは休むことはしなかった。


 そして、訓練のあった次の日は決まって何時にもまして具合が悪い。


 医者に、もしかして魔法の使用や、激しい運動が症状の原因なのではと、一度たずねてみたがすぐさま否定された。


 どうやら『自律神経失調症』には運動はそんなに悪いことではないらしい。


 それを信じるとするならば、ますますわけが解らなかった。




 ……もどかシい ……もドかしイ ……もドかシイ ……モどカシい



 

 僕がこうなって半年がたった。


 ある朝、やはり同じように具合が悪く、そのことを母さんに伝えたら凄く悲しそうな顔をされた。


 母さんは優しい人で、同時に強い人だと思っていた。


 だからその表情がとても気になって、部屋から出て行った母さんの後をこっそり付いていった。


 起き上がると頭痛と嘔吐感が酷いため、四つんばいで這いずるように近づいてみる。


 すると台所で母さんが、まるで崩れ落ちるかの用にフローリングの床に座り込み、声を殺して泣いていた。


 心が……割れるかと思った。




 ……モどかシイ ……もドカシい ……モドカしイ ……もドかシイ ……モドカシイ


 


 思い出しても気分が悪くなる、もともと良くない気分をこれ以上、しかも朝っぱらから悪くするなど宜しくない事態だ、故に僕はそこで一度思考をカットした。


 思い出したように再び目覚まし時計に目をやると、先ほど確認した時刻より十分ほど経過した時刻が示されている。


 母さんが起床して朝餉の用意をしだすのは六時十五分、僕がいつも”起きたように見せかけて”台所に顔を出すのはきっかり七時、


 後約一時間と二十分少々で、この頭痛と吐き気を少しでも緩和させねばならなかった。


 親には既に僕の体調は改善したと”思わせている”のだから、尚更である。


 幸いなことに毎度の魔法訓練において、体の血流をある程度コントロールする術を身に着けている。


 どうやら僕の症状は血圧を上げることで、少しだけマシになるようだ。


 朝方に最も体調が悪く、時間が経つにつれて和らいでいくのもそれが原因なのだろう。


 これはこの一年間で僕が見つけたささやかな抵抗だった。



 さて、今日が再び始まった。



 ならば、今日もまた隠し通さなければならない。


 なけなしの気合と魔力を練り上げる。そして、今日という一日もばれることなく隠し通すために、僕は静かに呼吸を整えた。


  

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