◆九月十三日 午後三時五十二分――室月中学校 校庭--SceneⅠ 揺れ動くココロ
部屋を飛び出してしまった僕だが、なんとなくそのまま一人で学校に行くこともできず、何か言いたげな表情の一葉ちゃんが家から出て来るのを待ってから学校へと向かった。
僕たち二人は通いなれた通学路を進む、にもかかわらず、僕たちは何時もの僕たちとは少し違っていた。
……いや、違っていたのは僕だけなのだろう。
会話が続かないのだ。
一葉ちゃんはいつもと同じく僕に話しかけてきてくれるけど、返答は一言二言。
悪いとは思うけれど、しかしながら今日はどうしても何かを話す気分にはなれない。
きっと一葉ちゃんは不審がるだろう、だが……だめなのだ。今の僕には一葉ちゃんの顔を真正面から見ることが、どうしてもできなかった。
今日は白聖祭の初日――まさかこんな気持ちでこの日を迎えることになるとは思ってもいなかったけど……
とりあえず今日という日が白聖祭であってよかったと思う。
僕は裏方、今日から三日間は確実に忙しい筈……
忙しさに身を任せれば余計な事を考えることもないだろうし、一葉ちゃんと顔を合わす回数もそれなりに少ないと思うから――
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我が中学校の文化祭の初日、まずは陸上競技のクラスマッチから幕を開ける。
一般公開は明日だが、ここでの活躍が後に控えている『ベストオブクラス』の選考の基準となっていることもあって、校庭は大賑わいを見せていた。
選考基準はいたって簡単、とにかく多くの競技で勝ちを拾うこと。
生徒は必ず二つ以上五つ未満の範囲で競技に参加し、順位に伴った点数がもらえる。
そして、その点数は自分のクラスの点数に加算され、その合計でそれぞれのクラスに優劣をつけるのだ。
僕はというと、幸か不幸か何気に身体能力が高いものだから、とりあえず個人で参加できる上限まで登録されていた。
短距離走、中距離走、借り物競走に二人三脚、それらに加えて運営委員の仕事も雑多――体調の優れない今の僕にはそのどれもが苦しかった。
修司君や一葉ちゃんが何度か僕に心配そうに声をかけてきてくれる様子から、僕ははた目から見ても不調そうに見えるのだろう。
だけど、今ここで弱音を吐いてしまったら、ここでダウンしてしまったら、もう二度と起き上がれないような気がした。
起き上がれなくなったら、”また”僕は誰かに迷惑をかけてしまう。
それがどうしようもなく怖くて、僕は僅かに体を震わせながら、なんとか次の競技のスタートラインに向かった。
今日僕が出場する最後の競技にして、このクラスマッチの最終競技。
バトンで走者を繋いで走るトラック競技――八百メートルリレー走。
僕はその最終走者だった。
我がBクラスのこれまでの成績は三番目、でも、このリレー走だけは最終競技であるだけに他の競技と比べて、若干もらえる得点が多く設定されている。
つまりこの競技で勝てば、僕たちのクラスが優勝することも大いにあり得るわけだ。
「位置について、よーい――」
その声に反応して顔だけ向ければ第一走者がスタートの準備をしていた。
うちの学校のトラックは一周で四百メートルの大きさだから、丁度トラックの反対側の光景。
一拍の後、パーンと響くピストルの音、スタートの合図だ。
飛び出しはほぼ同時、どのクラスの人も我先に、次の走者にバトンを渡そうと必死になって走っていた。
あの人たちのクラスの中には、この競技で勝っても優勝に手が届かない人たちもいるだろうに――誰一人として手を抜いて走る者など居はしない。
「Bクラスぅー!! 気合だ! 根性だ! ああもう、なんでもいいからとにかく勝てぇー!!」
応援席からの怒号が聞こえてくる。
他の人たちもそれなりに大きな声で声援を送ってくるが、そんなもの小さいといわんばかりに張り上げられたその声は、簡単にそれらを圧倒していた。
声の主は、おそらく三谷先生だろう。
うちのクラスの第一走者は六人の内の三番手に陣取りながら近づいてくる。
目の前で、第二走者へのバトンが受け渡された。
「よーし、あ、こら清水!! 抜かれてんじゃねぇこのダボがぁぁ!! こちとら生活かかってんだ! 死ぬ気で走れ、死ぬ気で!!」
先生の声が聞こえた。不穏な響きが混じっている。
……――生活かかってるって、一体何やってんだろあの先生。
大方他の先生と賭け事でもしてるんだろうが、全くなんという不良教師っぷりだろう。
周りにいるクラスメイト達もそれを理解したのか、先生の熱の入り様に少し引いている。
僕はその様子に呆れ、小さくため息を吐き出した。
「……それにしても、あの声援はないんじゃないかなぁ、そんなに簡単にその言葉を連呼しないで下さいよ」
僕は俯きながら小さくそんな事を溢していた。
『死』は、考えるだけでこんなに重くて苦しいのに、今一番聞きたくない単語だというのに……
考えて、僕は慌てて頭を振った。
結局、第二走者の清水君はその後もう一つ順位を落とし、僕たちのクラスは五番手で第三走者へとバトンを渡すことになった。
だが、清水君を責めることはできない、なぜなら清水君は先ほどの障害物競争で軽く足首をひねっていたからだ。
間が悪いことにそれが直前の競技であったためメンバー変更の申し出は間に合わず、怪我を押してまで出ることになったしまった。
だというのに、ちゃんとバトンを繋げてくれたのだ。それ自体が凄いことだと僕は思うから。
さて第三走者は、修司君だ。
「おらあぁぁぁぁ!!!」
やかましい叫び声が聞こえてくる。雄叫びを上げながら走るのなんて彼くらいのものだろう。
でも修司君は速かった。前の走者と見る見る間隔を縮めては、あっという間に一つ順位を上げた。
瞬間、観客席から歓声が上がった。
修司君が近づいてくる。もう直ぐ僕の出番だ。
だけど、どうしよう――
――僕の体調は最悪、しかも同じ最終走者の面々を見渡してみればそこには城嶋さんの姿が目に映った。
負の要素が、多すぎた――――
一瞬魔法を使ってしまおうかとも考えたが、すぐさまその考えを否定する。
このクラスマッチ、魔法の使用は禁止されていているし、魔法を使おうものならば、その使用は簡単に分かってしまう。
その理由は全校生徒の運動着の片方の肩に縫い付けられているリボンが原因だった。
このリボンの理由は二つ、一つはクラスによって色分けがされていて、生徒の所属するクラスを判断しやすくするため。
そしてもう一つ、なんでもこのリボンは『魔力反応物質』なる物で作られているらしく、少しでも魔力を感知しようものならば瞬時に”黒色”へと変化してしまうらしい。
つまり、”魔法使用の有無”を確認するという理由もある。
そういうわけで魔法は、一般、継続に関わらず、使用しようものならば、簡単にばれてしまうのだ。
当然クラスマッチは魔法禁止であるから、それがばれたら競技は失格、下手をしたらBクラス自体が失格になってしまう恐れもあるくらいなのだ。
命を奪うだけにとどまらず、何の役にも立ちはしない――なんだってこんな魔法があるのだろう。
やりきれない想いに、またしても泣きそうになった。
「霧生、お先に失礼するぞ」
不意に声が掛けられた、隣からだ。
声の主は城嶋さん、気がつけば修司君はもうすぐ近くにいた。
順位は三番目、あのあともう一人抜かしたらしい。それに一番手と二番手との距離も随分近くなっていた。
一番手の人が城嶋さんへとバトンを渡した。
城嶋さんのクラスが一位らしい、少しだけ憂鬱になる。
二番手の人と、体半分遅れて修司君が近づいてきた。
「頼むぞー、全!!」
修司君は少しでも差を縮めようと、おもいっきりバトンを僕へと差し出してきていた。
その声を聞いて僕は走り出す。
後ろに伸ばした右手にバトンの手ごたえを感じた。
……――全く、ずるいよ、頼むなんて言われたら断れないじゃないか。
僕は密かに心の中で呟いた。
カラダジュウガイタイ、カンセツガイタイ――ココロガイタイ。
だけど、皆に迷惑はかけられない!!
「――――痛感断絶――――」
僕は無意識に呟き、走り出した。