◆九月十三日 午前七時四十分―――水鳥家--SceneⅠ 眠れる幼馴染に想う事
結局あれから眠ることなく朝を迎えた僕は、昨日と同じく一葉ちゃんを起こすために水鳥家を訪れた。
あんな事を言われた後だというのに、僕がとった行動はというと、いつもと全く同じ。
いつもと同じ時間に行動を開始し、いつもと同じ時間に台所へと顔を出し、いつもと同じく朝食をとった後、いつもと同じく家を後にする。
――――行動だけならば、いつもと同じ”朝”だった。
だけど、同じ行動を行ったとしても、やはりというか、今日は、今日だけはいつもと同じ”結果”にはならなかった。
台所に行けば母さんに凄く心配されてしまった。
曰く、今日の僕は随分と酷い顔色であるらしい。
恐らく寝不足のせいなのだろう、ついでに言えば頭は痛いし吐き気は酷い、まさに最悪の体調であった。
人間の三大欲求に挙げられる”睡眠”は、やはり重要なものなのだと、僕はあらためて思わずにはいられなかった。
それでも僕は無理やり笑顔を作り、母さんに大丈夫だといって聞かせたのだけど、母さんの表情が晴れることはなかった。
そんな僕たちの様子を傍目で見やる父さんは、いつにもまして無口だった。
いつもならば一言二言言葉を発するのに、それはなく、なんとも言えぬ雰囲気のままに鎮座していた。
正直なところ僕の方もかける言葉が見つからなかったから、正直助かったのだけれども、ただただ黙々と食事をする僕たちに、母さんは余計に心配をかける始末。
結局場の雰囲気に耐えられず、僕は逃げるように家を出る結果となってしまった。
さらには、何時も玄関先であいさつを交わす一さんにも、酷く心配されてしまう僕がいた。
昨日と夜と同じ、なんとも言えないような顔をして、「大丈夫かい?」と声をかけてくる一さん。
そんな一さんに、僕はと言えば曖昧に笑いながら大丈夫だ、と、一言。
……それしか言う事が出来なかった。
そうして今現在、僕は一葉ちゃんの部屋のある二階へと上がる階段を、苦労しながら登っている。
最近はいつも階段の上り下りで苦労しているのだけれども、今日のそれは一段と酷い。
身体はまるで錆びついたブリキの玩具を思わせる程に、ギチギチギチギチと痛みを発している。
余りにも弱っちい自分の体、情けなくて無性に泣きたい気分になった。
一葉ちゃんの部屋の前に立ち、ノックを二回――返事が返ってこなかったため、僕は部屋の中へと踏み込んだ。いつもと同じだ。
部屋の主はベッドの上で仰向けに寝そべっていた。今日の一葉ちゃん珍しく随分と寝相が良いらしい。
僕はベッドに近づき、いつものように一葉ちゃんの体を揺らした。
「一葉ちゃん、一葉ちゃん、朝だよ、起きて」
だが、閉ざされた瞼はその程度では開かなかった。
僕はそんな一葉ちゃんの様子を見ながらため息をついた。ここまではいつもと同じだった。
いつもならば、何時まで経っても起きない彼女に呆れながら、彼女の額にでこピンを打ち込むのが定石。
だから、今日もその定石に則って行動を起こそうとしたのだけれど……
―――――全兄さんは俺の兄で魔法を一に渡すために命を落とした――――――
一葉ちゃんの顔に手を伸ばしたその時、どういう訳か昨日の父さんの言葉の一節が脳内にフラッシュバックした。
「っ?!」
瞬間、伸ばした僕の手は空中で静止する。
昨夜から寝ずに考えていたから、それは何度目の思考であったのか。
――当然、その回数など覚えてはいない。
だけど、そのワンシーンのシミュレーションは自己嫌悪したくなるほど鮮明だった。
一さんの話だと、僕と同じ名前の伯父さんは一さんの目の前で自分の心臓を抉り出したらしい。
つまり僕も、そうなるかも、いや、”そうするかも”知れないということ。
――自分の心臓を
――――自分の手で
――――――えぐり出す
「っうく!」
思わず呻いてしまった。僕の心臓はまるで早鐘のように痛いほど鳴り響いていて、それが想像に拍車をかける。
実際、自分の心臓を抉り出す痛みなど、これなどとは比べ物にならないことだろう。
想像出来ないが、想像できないことが逆に怖かった。
伸ばした僕の手を見てみれば、またしても震えている。
辛くて、悲しくて、心細くて、気がつけば僕はそのまま震えるその手で、眠る一葉ちゃんの頬へと伸ばしていた。
触れた彼女の頬は暖かい。
見た目綺麗な一葉ちゃんの頬の、その肌理の細かさは驚くほどだった。
手にかかる息づかいがくすぐったくて、でも、それが僕の不安を取り除いてくれた。
……――僕は君の為の贄らしい。
現実味が皆無の真実、勿論はいそうですかと受け入れることなど出来ない。
どうすればいいのだろう? 僕は何を信じればいいんだろう? 死ぬのは怖い、今のままでいる為には一体どうすれば……
そこまで考えて、ふと、とても嫌な考えが浮かんできた。
僕は彼女の贄――つまりそれって、一葉ちゃんが”いなくなれば”僕が贄たる必要もないのではないか?
ふと、視線を落とせば触れた一葉ちゃんの顔の下、細い首筋が目に入った。
僕は頬から手を放し、その細い首筋へと手を伸ばし――――
「――っあ」
「――――ッ!!」
瞬間、僕は我に返った。小さく聞こえた一葉ちゃんの声、慌てて確認してみれば、一葉ちゃんは目を見開き頬を赤くして固まっている。
一葉ちゃんは目を覚ましたらしい。そのおかげで僕は正気に戻ることができたのだ。
僕は心底自分に嫌気がさした。
一瞬でもそんな嫌な事をしそうになってしまったことが、泣きたくなるほど悔しかった。
……――僕は、とんでもない愚か者だ!
「――っ、ご、ごめん一葉ちゃん、僕外で待ってるから!!」
僕は何とかそれだけ言葉を絞り出すと、逃げるようにして彼女の部屋から出て行った。