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◆霧生家--SceneⅢ 呆然自失の果てに




 正直なところ、立ち尽くすしか出来なかった。



 なんて僕は無力なんだろう――そう、強く思った。僕の頭は容易く、たった一つの事実に支配されてしまった。



 司令塔である脳みそがそれなのだから、体に動こうとする命令を送れないのも当然。



 そうしたある種の虚無感に、僕は我が身を投げ出しながら、ただ呆然と視線を下げた。




 ――――『死』――――言葉にすれば唯の一言でしかないのに、なんて重い言葉だろう。




 その一つの言葉が僕の頭の中に浮かんでは、消えてゆく――――





 ――ドサッ!





「…………っ!」




 どれくらいその状態を続けていたのか? 不意に聞こえてきた物音の方に、僕は自然と視線を向けていた。



 そこにあったのは、さっきまで僕が手にしていたはずの家系図。



 それがあるのは床の上、呆然と眼で追ってみれば、だらしなく下ろしていた僕の手のひらには何も握られていなかった。





 ……――ああ、僕が落としたのか。





 僕はボンヤリとそんな事を思いながら、それを再び拾い上げるために手を伸ばした。



 しかしながら、伸ばす途中で家系図を捉えていた視線が外れ、拾い上げるには至らない。



 前につんのめる形でバランスを崩したからだ。




「――っと?」




 僕その不可解な現象に戸惑い慌てて身体を起こすも、今度は後ろに重心が傾いた。



 家系図を掴もうと伸ばしたその手を壁に押し当て、それを支えに僕はどうにか倒れずに済んだ。



 おかしなことだが、どういう訳か僕の体のバランス感覚は尽く狂っているらしい。



 それを漠然と疑問に思ったが、その答えと、ついでに先ほどなぜ僕の掌から家系図が滑り落ちたのかを理解した。



 体の支えを其のままに、僕はゆっくりと空いた片方の手のひらを凝視する。



 間違いない――視界が少しだけぼやけているため分かりにくいが、それでも確信できるほど――――



 体を支えていなければまっすぐ立ってもいられないほど、僕の足は、僕の手は、情けないほどに震えていた。




「お、おい全君、大丈夫かい?」




 不意に声が聞こえてくる。



 気遣う様な声――顔をあげてみれば、なんとも形容しがたい顔をした一さんがいた。



 何かを言いたそうでいて、そのくせそれが口に出来ない――見ているこっちが歯がゆく思えてしまう。そんな表情。



 いつも陽気に微笑んでいるだけに、ひどく違和感を感じるほどだった。



 僅かに視線をずらしてみれば、先ほど僕に決定的な一言を言った時と同じ体制で父さんが佇んでいる。



 いつもは表情の変化の少ない父さんも、心なしか悲しそうに僕を見ていた。




「…………」




 ――父さんは何も言わなかった。




 ――何も言ってはくれなかった。






 ……――何故何も言ってくれないのか、僕には分からなかった。






 とはいっても正直なところ、これ以上何を言われても、理解するどころか聞き取ることもできないだろう。



 僕は漠然とそう思った。



 震える手足を抑え込みながら、言葉を絞り出す。




「――ご、めん、父さん、少し早いけど……僕はもう休むよ、母さんに、ご飯はいらないって、いっておいて」




「……っ、ああ分かった。ゆっくり休め」

 



「……うん」




 壁に手をつきながら、僕は部屋を後にした。





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 ふらふらと部屋を後にする全を見送りながら。大きくため息を吐き出した。



 伝えた。伝えてしまった。遂に伝えてしまった。



 ふと視線を左に移してみれば、心底嫌そうに顔を歪めた一が、頭をガシガシと引っ掻いている姿が目に入った。




「っ――!! くそっ、迂闊だった。まさかこんな事になるなんて!! 悠馬、お前もお前だ! なんであんなに冷静に息子の死刑宣告ができるんだ」




 冷静でいられるわけがない、掌から血が滲んでいる所を見るとどうも力を入れすぎたみたいだ。



 口の中も鉄の味がする。




 ――だが、全のあの泣きそうな顔を思い出すと――掌よりも、口のなかより心が痛い。




「――話さずにいていい話でもないだろう、実際兄さんも全と同じくらいの時に聞かされたようだしな」




「そうかも知れないが、納得は――出来そうにない」




「ああ、俺もだ」



 

「――――全兄さんのように、全君は挑んでくれるだろうか?」




「……挑んで、くれるといいがな」




 まだまだ全には伝えなければならないことがあったが――今は無理だろう。



 とにかく今のあいつには、落ち着く為の時間が必要だ。



 ”答え”に至るのは、とにかくこれを乗り越えなければならない。




 良い”答え”を出してくれるといいが……




「実際、どう転ぶも全次第だ。結局俺たちは見守るしかない」




 結局俺は、いや、俺たちはその程度のことしか出来ないのだから――――





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 結局部屋から出た僕は、ズルズルと自分の体を引きずりながら、自分の部屋へと踏み込み、そしてそのままベッドへと倒れ込む。



 本来ならば、制服を着替えるのだけれども、今の僕にはその工程さえ億劫だった。



 だが、ベッドへと倒れ込んでみても、一息がつけなかった。

 


 相変わらず身体は震えているし、頭は一つのことでいっぱいだった。



 だからこそなのか、どうしても考えてしまう。




「僕は一体……どうすればいいんだろう?」




 ――――『死』――――それは漠然と聞かされた結末。



 死ぬって一体何だろう?



 ――そういえば僕は今まで明確な『死』を目にしたことはなかった。



 おじいちゃんやおばあちゃんは写真でしか顔を知らない。



 物心付く頃には、もうすでにいなかった。



 一葉ちゃんのおばさんの時もそう、それも遠い昔のことで、はっきりと覚えていることでは無い……



 そこまで考えて、ふと一人の人物を不意に思いだした。



 思い出したのは、去年亡くなった遠い親戚の叔母さんのこと。



 ――そうだ、今のところ最も近しいのはあの人のことだ。



 名前もしっかりとは覚えていないし、実際会ったことは両手の指の数よりも少ないだろう。



 だけど、その叔母さんは人当たりの良い人で、優しい笑顔がとても印象的だったのを覚えている。



 死因は詳しく聞いていないが、その叔母さんの亡くなられたという知らせを、去年母さんから突然聞かされて驚いたのを覚えている。



 たしか、お葬式には父さんと母さんも行っていたと思った。



 遠い親戚の人なので、子供の僕まで参加する必要はないと言われ、結局亡くなられたという話を聞いただけで終わってしまったけれど、僕にもそれなりに思う事はあった。



 とにかく実感はなかったのだけど、叔母さんにはもう会えないのだと、あの人の笑顔を見ることはもうないのだと、それを考えると何故か無性に悲しくて、そして同時に怖かった。



 そうだ、『死』というのは悲しくて、怖いものだ――





 それと同じことが、僕にも――――?






「――――ッ!?」




 僕は頭を振りながら、如何にか思考をカットした。




 苦しくて、悲しくて、辛くて、重くて、ひどく怖い――――




 真っ暗の部屋のベッドの上で、僕は膝を抱えて丸くなる。



 今日は文化祭準備の疲れもあるし、一葉ちゃんとのゲームもした。



 身体はとても疲れているのが分かる。



 ――眠りたい。取り合えず今は、意識を手放してしまいたかった。



 だけど、その思いとは裏腹に僕の眼は冴えわたっていた。



 ――……長い夜になりそうだな。



 僕は漠然とそんな事を考えた。






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