◆灯台ふもと--SceneⅥ 気付いた確かな事
「――――また相手をしてね」
そう言って、全は私に笑顔を向けて来た。
全の浮かべる笑顔は、大抵困ったような苦笑いだけど、今回のは違う、”ほわっ”とか”ほにゃっ”とか、そんな擬音の笑顔。
この笑顔、私は知ってる。これは全の”本物”の笑顔だ……まるでこの世で一番嬉しいことが起きたみたいな、そんな顔。
すごく柔らかい、すごく優しい、浅海おばさんにそっくりの私の大好きな笑顔だ。
その笑顔を見て、私は自分の頬が熱を持つのを自覚する、今日何度目のことだろう――――私って赤面症なのだろうか?
「――――っ!」
そうして私は赤面をきっかけに、今の自分の置かれている状況に気がついた。
先ほどまで一杯一杯であまり気にしていなかったけど、今の状況は非常にまずい。
案外大きい懐、ブレザー越しに感じる胸板の感触、私の後頭部を優しく抱え込む以外に大きな手のひら、そして見上げればすぐそこにある柔らかい笑顔。
赤面の度合が加速する――――先ほどとは違う意味でパニックしそうだった。
心臓の鼓動が速くなる。
とにかく見られているのが気恥ずかしい、あの笑顔はずっと見ていたいほど大好きなものだけど、今の一時だけはそれが向けられていることが心底恨めしかった。
だから私は自然と行動を起こした。殆ど反射にも等しい行動。
私は自然と手を回し、全の腰元にしがみ付き、再び全の胸元に顔をうずめていた。
「――――えっ!? ちょっ、一葉ちゃん?!」
私が顔を埋めると同時に、上の方から動揺したような声が聞こえた気がした。
だが、本心を言うと私の方が動揺していると思う。
全のウエストの細さにちょっとだけ羨ましいと思ったのも動揺のせい。動揺のせいよ?
ただ向けられている優しさから一時でいいから、何とかそれを遮ろうと私の体は動いたのだけれども……
拘束されてる私には、それを遮る手段などこれしかなくて、しかもパニックしていたものだから自然とこの行動を起こしてしまった次第。
だけど、この行動を起こして、私は一つの事柄に気がついた。
密着するブレザー越しに伝わってくる。一定の間隔でドクッドクッと絶え間なく続く全の脈動。
それは生きとし生けるものからは必ずする筈の音なのだけど、聞こえてくるそれは私のものと重なった。
――――そう、必要以上にドキドキしているはずの、今の私の心臓と同じ鼓動の早さだったのだ。
理由はどうなのか分からないけど、全の心臓も随分忙しなく動いていた。
私と全が押し黙まった。
二人しかいないこの空間で、その結果静寂が訪れるのは必然。
音のなくなった世界の中で、私は全の早い鼓動を聞き入った。
そうしていると、なぜが段々と私の鼓動の方は落ちつきを取り戻し始めてくれるのだから不思議だった。
落ち着きを取り戻し始め、私はふと全の鼓動の理由は何だろうと考えてみる――――
私が今こうして抱きついているからなのだろうか。
先ほどのゲームで激しく動いていたからなのかもしれない。
本当の理由を知るすべはないけど、もし前者なのだとしたら――――なんか、とっても嬉しい。
それってつまり、全が私のことを意識してくれているってことだから。
ふと先ほどの全の言葉を思い出す。
――――僕の中で特別そうなってるってだけなんだけどね――――
特別だと、言ってくれた。
全は何気なくいった言葉だったが、それは何より私が欲しかった言の葉。
冷静になった今だからこそ考える事が出来るけど、今思えば、今日の私は随分と城嶋君の一言に振り回されていた。
ただの一言で随分と不安に駆られ、その不安に随分と悩まされた。
悩んで――悩んで――自分で勝手に強引な結論を付けた。
不安に押しつぶされないように、恐怖に負けないように――――今思えば、負けなければいいなんて唯の思い込みだったのに。
だけどその結果は、焦った私はそれのせいで負けて……こいつに感情をぶつけてしまった。
何が何だか分からなくなって、世界がぐにゃりといびつにゆがんだ気さえしたのに。
だというのに――結局答えはこんなにも単純だったのだから、呆れてしまう。
私にとって全は特別で、全にとっても私は特別だった。
簡単なことを複雑に考えて、そして失敗する。なんとも滑稽なことだと思う。
だけど同時に此処で失敗してよかったとも思ってしまうのもまた真実。
こんなに嬉しい”確かな事”を見つける事が出来たのだから――
――――うん、ウジウジ考えるのはもうやめよう。
もしかしたら、これから先同じことで悩むのかもしれないけれど、悩んだらそのの時はその時。
だから今は――――
「あの、えっと……一葉ちゃん? 恥ずかしいからそろそろ放してほしいんだけど――――」
――――癪だからさんざん私を悩ませてくれたこいつを、もう少しだけ困らせちゃおう。
私は、そんなことを考えながら、全の胸元に顔を埋めるのだった。