◆灯台ふもと--SceneⅤ 幼馴染への答え
――勝った。
――初めて僕が勝った。
勝因は絶対にあれ――足の裏に衝撃を集め発破による爆発的な推進力による踏み込み、それと地面に衝撃を打ち込み発破させることでの目くらまし。
恐らく初見でしか通用しない方法、もう一度は絶対に成功しないだろう。
後者は少々卑怯な手段かも知れないが、だが、まあ、そこは大目に見てもらうことにする。
「――――痛感接続――――」
一葉ちゃんの肩に手をやりながら、僕はとりあえず自分の”痛み”という名の感覚を元にもどすため、小さく一言呟いた。
瞬間、体の隅々に今まで眠っていた痛覚が一斉に目を覚まし、それと同時に僕の体に激痛が遍いた。
筋肉が断続的に悲鳴を上げる。関節がギシギシと鳴いている。
血管が破れそうな程に脈打ち、痛みを増徴させる。
深く息を吸い込み、浅く吐く。呼吸する度に肺が痛い、喉に激痛が奔る。
脳が燃えているのではと、錯覚してしまうほど熱い。思考するだけで痛みが奔る。脳が情報処理をする度に痛みが奔る。
痛覚の一時的な隔離、それにより僕の体は確かに”痛み”という感覚の一切を排除することができる。
だが、その動作は所謂”諸刃の刃”、痛覚を切るという事は体のリミッターを外す事と同義と考えてもいいことだろう。
人間は身体の30%の能力しか出すことが出来ない。と、いうのはよく聞く話だろう。
何故かと問われれば簡単な話、100%の性能を出せば自分の体が耐えられないからだ。
痛覚を切れば細身の女の人でも、指で五百円玉を曲げられるくらいの力を出すことができるらしい。
しかしながら、それをすると筋肉や肌細胞、筋といった部位を傷つける恐れがある。故に人は”痛覚”というリミッターによって己の体に制限を設けるわけである。
つまり、今それを外した僕の体に走る激痛は、そのリミッターを外したことによるしっぺ返しという訳だ。
その痛みに思わずうめき声をあげそうになったが、僕は奥歯を噛み締めそれに耐える。
――今日のは一段とひどかった。
特に左の手足、共に衝撃を過剰に扱った部位であるため文句を言う事は出来ないのだが、それでもその痛みに涙を溢しそうになる。
だが、呻き声をあげることも涙を流すことも僕にはできなかった。
そもそも僕が痛覚を隔離するという術を身につけたのは、”痛がる僕の姿”を見せないようにするため、それを見せて父さんや母さん、一葉ちゃんに心配をかけないようにするためなのだから。
それに、こんなこと(痛感断絶)をしているなどという事がばれたら、余計に皆に心配をかけてしまうから――――
……――ん? なんか言っていることに矛盾を感じてきたぞ? ……まぁいいか。
それに、今浮かべるべきは、泣き顔より笑顔。
僕は初めて、このゲームで一葉ちゃんに勝つことができたのだから。
「僕の勝ち、だね」
純粋に嬉しいと思えた。
だけど、今日の勝ちは本当の勝ちとはやっぱり違うのだろう。
今日勝てたのは、いつもとの一葉ちゃんでは無かったという事が最大の理由。
どういう訳かゲームの最中に余裕を失くした一葉ちゃん、あれがなければ今日の勝ちはあり得なかった。
そういう理由で、今日のは”純粋な勝ち”とは言えないのかもしれないけれど、長年挑み続けて初めての勝利なのだから、喜ばずにはいられなかった。
「あ、あぁ――――」
だが、そんな僕とは対照的で、真っ青な顔になる一葉ちゃん。
まるで絶望の淵にでも追い込まれたかのような、そんな幼馴染の様子に僕は少なからず動揺した。
「ああ……うぐっ、ひっく、うわあぁぁぁ――――――――――――――!!」
「え? ええっ!?」
そして、次の瞬間僕の動揺は困惑へと変わった。
嗚咽を漏らしながら一葉ちゃんは地面に膝をつく。
こぼれる涙を両手で塞き止めようと試みるが、あふれ出る涙は容易くそれを決壊し、掌をすり抜けてゆく。
分からない、分からない――――僕に負けたのがそれほどまでに悔しかったのだろうか?
「か、一葉ちゃん?! ど、どうしたのさ!?」
「全は、私のなのに! 私のなのにぃ!! 結局無理だった、全部無駄になっちゃった!!」
「無駄って何が? だめだったって何? 後僕は物じゃないよ!?」
僕は情けなくも両手をワタワタと動かしながら、どうしたらよいか分からず途方に暮れる。
一葉ちゃんのこの取乱し方、原因は僕が勝ったことなのだろう。
というか他に思いつかないし……
でも、一葉ちゃんの口にした”無駄だった”のニュアンスには、”負けたという事柄”事態に対する悔しさというか、”負けた事によって生じる何か”に後悔しているような感じだった。
だが、そうはいってもこのゲーム、勝ち負けに関して罰ゲーム的な要素があるわけではない。
無くなったとすれば、一葉ちゃんの常勝無敗という戦歴くらいのものだが、それにしたってこれ程までにショックを受けるものなのだろうか?
そんな疑問を浮かべつつ一葉ちゃんに視線を落としていれば、嗚咽交じりに再び一葉ちゃんは口を開いた。
「ウッグ、ヒグッ、ねぇ全、嬉しいでしょ? 嬉しいよね? 私に勝てて、私を超えられて満足よね?」
「――えっ? う、うん、そりゃ少しはね」
「――ッ! やっぱり私はただの、……ハードル……なの?」
僕のささやかな肯定に息を呑む一葉ちゃん、そして小さく何かを言った。
そのあまりの声の小ささに、最後の方が聞き取れなかった。
「――え? 最後の方なんていったの?」
「っっ! 私は一体あなたの何だっていうのよ!! ……うわあぁ―――!!」
自分はいったい何者なのか? その問いかけを僕にすると、再び一葉ちゃんの嗚咽は勢いを増してしまった。
正直質問の内容が僕にはよく分からなかった。
この流れでどうして僕にとっての一葉ちゃんが問題になるのだろうか?
それに、突然そんなことを聞かれても、他人の評価というのは存外に難しいものだから尚更。
結局のところそれを答えるには、僕が僕自身一葉ちゃんをどう思ってるかということを正確に理解しなければいけないということで、つまり自分自身が分かってないと、結構それも難しいもの。
でも人間、自分の理解というものが一番難しいという言葉もあるくらい。
それでいて自分自身というものは、相対的に他人が評価するものであって。
つまり、自分を知るということは、他人の視点で自分自身を判断するということと同義なわけなのだけれど、でも自分を知らない事には他人の評価なんて――――ああだめだ良く分からなくなってきた。
これって循環論法ってやつだろうか?
僕は一度頭を振って思考をまとめることにする。
とりあえず、なぜ一葉ちゃんが自分を気にしているのかは分からないけど、その答えを一葉ちゃんが自分の力で見抜くのはとても困難なこと。
今、一葉ちゃんがこうして取り乱しているのが良い証拠だろう。
なら、とりあえず教えてあげようと思う。
僕の主観が君の求めるものであるのかは分からないけど――――
一体何が、君の心を押し潰さんとしているのか、それは僕には分からないけれど――――
僕の思ってる一葉ちゃんという人間を話してあげよう――
でも、それにはまず一葉ちゃんに泣きやんでもらう事が先決だ。
さて、いったいどうやって泣きやんでもらおうか――――
僕は一生懸命頭を悩ませた。
――――検索中 ――――検索中
「――――……あっ!」
頭を悩ませて僕は一つの光景を思い出す。
それは珍しくも父さんと母さんが喧嘩して、大泣きした母さんを父さんが慰め、仲直りしていた場面。
だが、思い出して僕は思わず赤面した。
それは傍から見たら中睦まじい光景であったけれど、見るのとやるのじゃ大違い。
はっきり言ってかなり恥ずかしかった。
でも、父さんのあの行動で母さんはすぐに泣きやんでいたし、それに他の方法は思いつかない。
……うう、柄じゃないけど仕方ない。
僕は一葉ちゃんの目の前に立つと、両手を広げ、意を決し、一葉ちゃんを抱きかかえた。
僕よりも背の高い一葉ちゃんだが、今の一葉ちゃんは膝を折って地べたに座り込んでいる状態のため、丁度一葉ちゃんの頭を僕の胸部で抱きかかえる形となった。
「ッグ……え? あれ? ぜ、全!?」
思いのほかその行動の効果はてきめんであったらしい、一葉ちゃんは案外あっさりと泣きやみ、何やら戸惑っているご様子。
……なんというか、ものすごく恥ずかしい!!
以外にもスッポリと、僕の腕の中に納まってしまった一葉ちゃんに戸惑ってしまう。
僕より背の高い幼馴染の女の子の、思った以上の線の細さにビックリすると同時に、ひどくドギマギしてしまう。
抱きかかえたのは失敗だった。これでは僕の心音が一葉ちゃんに聞こえてしまうかもしれない。
そんな思いが、僕の心臓の鼓動をさらに加速させた。嫌な悪循環だ。
だが、そんなことを思いながら、その実用意しておいた言葉は微塵も揺るがない。
「あのね、一葉ちゃんは、一葉ちゃんだよ」
「…………なによそれ」
「うん、聞かれてみて色々考えてみたんだけど、同い年で、女の子で、幼馴染で、なんでもできて、でもちょっと抜けてるところもあって、ちょっと意地っ張りで、朝一人で起きられなくて―――って具合に色々思い浮かんだんだけど、なんかどれもしっくり来なかったんだ。みんな一葉ちゃんのことなんだけど、何かどれも”足りない”気がしたんだ」
それはただ単に、僕の語彙が少ないせいで言い表せないだけなのかもしれない。
だけど、単純計算で十五年、ほぼ毎日顔を合わせ、一緒に行動して来てた幼馴染に対する認識が、ただの二言三言で補えるわけがないのは必然だと思う。
「だけど、考えてて閃いたんだ。そういう当てはまる言葉を全部ひっくるめて”一葉ちゃん”なんだ。ま、僕の中で特別そうなってるってだけなんだけどね」
結局大切な事の殆どは僕達の想いの中にある。つまりそういうこと。
「……とく……べつ? うそ、だってそんな……」
「そ、特別――――だから、さっきまで――えっと、今もだけど、兎に角今日の一葉ちゃんの様子変だよね――っていうか変! 僕としては非常に気になるんだけど。何かあったの?」
僕はあやす様に一葉ちゃんの後頭部を撫でる、セミロングの髪の毛が揺れる。
ふと、一葉ちゃんが戸惑いがちに顔を上げた。
――赤くなった瞳が僕を見上げてくる。
「え? うそ、私そんなに変だった?」
「うん、変だった。というか変じゃなかったら僕は今日ここには寄らなかっただろうね」
見上げてくる顔が不思議そうな色となる。
「あのね、今日の朝父さんに言われたんだ。今日はなるべく早く帰ってきなさいってね」
「え!? ちょ、ちょっと、つまり今日は用事があったってこと!? だったら何で」
「うん、でも同時にこうも言ったんだ。”為さねばならぬと思ったことを、しっかりとこなしたその上で構わない”ってね」
つまり、大事な事、大事だと思った事を蔑ろにするなと、そう言いたかったのだろう。
なんというか、それは父さんらしい物言いだと思った。
確かに父さんには僕に対する何かしらん用事があるのだろう、それも結構重要なこと。朝の父さんの様子からの何となくの想像だけど。
それでもまずは僕自身のことをと、それを考えてくれているのだろう。
「だから私の提案につきあったってこと?」
「うん、だってほっとけなかったから、何があったかは知らないし、言いたくないなら聞かないけど、人の顔を見て喋ってくれないっていうのは、嫌だったし」
そう、とにかく僕は、これが重要なこと何だと思ったんだ。それも僕が関わる重要なこと。
その真偽は結局、ゲームが終わった後嫌というほど思い知った。
負けた一葉ちゃんは泣き崩れた一葉ちゃんの姿によって――
だから、僕は今ここにきて、今泣きやんでくれた一葉ちゃんを見て心底よかったと思っている。
僕が関わったことで、一葉ちゃんが泣き崩れているのなら、せめて僕が何とかしてあげたかった。
心の重りを取り外してあげたかったんだ。
それがたとえ唯のエゴだったとしても――――
「ねえ一葉ちゃん、今日は僕が勝った。でも今日の勝ちってのは一葉ちゃんか本調子じゃなかったからだと思う、だから――ううん、結局勝ち負け云々の問題じゃない。
一葉ちゃんがどう思っているか分からないけど、僕はこのゲーム自体も特別なものなんだ。だから――――」
そう、たとえ痛い思いをしたとしても、こればっかりは理屈じゃない――やりたいと思うからやる。
結局、特別というのはそういうものだと思うから――――
「――――また相手をしてね」
だから、その一言を僕は一葉ちゃんに笑いながら言うのだった。