◆九月十二日 午後五時十七分―――灯台ふもと--SceneⅠ 馴染みの場所
一葉ちゃんの唐突な申し出からしばらく。
僕たちはというと、先ほどの通学路をひた進み、南へと歩いた。
商店街を抜け、住宅街を抜け、途中連立した僕たちの家を通る際荷物を玄関先に放り投げ、さらに五分ほど歩いたその先に見えてくるのは二手に割れた分かれ道。
この道を右に行けば、そこは僕たちのよくお世話になる海水浴場となっている。
そこは、夏でも利用するのは地元の人ぐらいという穴場のような場所で、僕たちも受験生という身分でなかったら、この夏は大いに利用していたであろう所だった。
だがそんな道も、九月も中旬に差し掛かろうとしている今、しかも夕暮れ時ということもあるのか、其方に人影はほとんど見られない。
そして残す左側。
こちらは右の道に比べアスファルトで舗装されてもいない、砂利を引いただけという簡素な畦道となっている。
しかもその道の行き着く先というのが林の中に消えていくものだから、人影など微塵もありはしなかった。
分かれ道からでも目にすることのできる、その林の真ん中には、白くそびえる灯台の姿が見て取れる。
とまあ、そんな感じの分かれ道なのだが、僕たちの目的地。
今回の場合、一葉ちゃんの言う『あそこ』にあたる場所というのは左側。
灯台が顔を出す林へと続く道の方だった。
茜色の世界を並んで歩く僕と一葉ちゃん、あと三十分もすればあたりは真っ暗になってしまうのだろうけれども、僕たちには『あそこ』に行くことに対する戸惑いはない。
幼いころからよく訪れている場所でもあるし、最近でもこのくらいの時間帯にたまに訪れる場所であるからだ。
だいたい訪れる際は今日のように学校帰りの場合が多く、そのたびに玄関先に荷物を置いて訪れるのが暗黙の了解となっている。
つまり母さん達にも、玄関に荷物がおいてある。イコール、僕たちが『あそこ』に行っているという認識となっていたりする。
林に踏み込むと、唯一切り開かれた道は砂利さえひいていない道となる。
サクッ、サクッ、サクッ
歩を進めるたびに、足の下から草と土を踏みしめる音が聞こえてくる。
少し歩きにくいがそれほど気になるほどでもない。
小さい頃はもっと歩きにくかった気がしたし、草の丈はもっと高かったように思う、この林の中で、二人して迷子になって親に怒られたのも、今となってはいい思い出だ。
僕は密かにそんなことを思い出しながら更に歩みを進め、そしてやっと目的の場所へとたどり着いた
その場所というのは、おそらくこの狭い林の中で唯一開けた空間なのだろう。
そしてその開けた空間の端っこには、白く大きな灯台が居座っていた。
というか、もとよりこの場所は彼のために用意されたものである。
が、無人灯台である彼を訪ねるものは殆どおらず、”人が訪れない”という不思議な感覚、更には遊ぶにも十分な広さがあるという訳で、いつ頃からかこの場所は僕たち二人の秘密の場所となっていた。
そして、その認識は今も変わらず続いている。
確かに幼いころに比べれば、ここを訪れる回数は格段に少なくなっているが、それでも掛け替えのない大事な場所だった。
「ん~~~! ここ来るのも久しぶりね~」
大きく伸びをしながら不意に一葉ちゃんが口を開く。
心なし、その声色は柔らかい。
僕にとって掛け替えのないこの場所だけれど、一葉ちゃんにとっても同じ認識なのだろう。
そう思うと僕は何となくだが、少しだけ嬉しく思った。
「――そうだね、二か月、いやもっとかな? とにかく最近忙しかったから、特に勉強とかね」
最後に此処を訪れたのは、確か夏休みに入るちょっと前だったことを僕は思い出した。
白聖祭のこともあるし、基本的に僕たちは三年生、つまり受験生なのだ。
一葉ちゃんは成績優秀で、どんな高校だろうと推薦入学を決めてしまうだろうが、僕はそれほど成績が良いわけではい。
しかも僕の場合自律神経失調症のおかげで二年のときの成績があまりよろしくないことになっている。
遅刻が多く、その分授業に出られなかったのが原因だった。
そのため今年の夏休みは少しでも学力を上げるため、殆ど勉強三昧の毎日。
そんなわけでこれ程までに間隔が空いてしまったわけなのだ。
「……あんたが忙しそうにしてるのは勉強に限った話じゃないでしょ、それにしても夏休み本当に勉強ばっかりして――あんたの志望校なら、あんなに必至になって勉強しなくてもよかったんじゃない?」
一葉ちゃんは何故か不機嫌そうに目を細めながら、棘のある口調でそんな事を言ってきた。
……はて、なぜそこで不機嫌そうになるのだろうか?
もしかしてあれかな?
夏休み、家に遊びに来る一葉ちゃんを、勉強しなくちゃいけないからって追い返したのが気に入らなかったのかな?
……うん、たぶん気のせいだ――よね?
「うん、でもさ、出来る限りのことはやっておきたいんだ。それになんか勉強してないと不安でさ」
僕は頭を引っ掻きながら、苦笑い。
そんな僕の態度に、一葉ちゃんはどこか面白くなさそうな顔をする。
「僕の事はいいよ、それより進路のことと言えば、どうして一葉ちゃんの志望校は僕と同じ所なの? 一葉ちゃんならもっと良い高校でも余裕だと思うけど」
僕の志望校の偏差値ははっきり言って中の上、どんなに良く見ても上の下とその程度だ。
それなのに学年トップをぶっちぎっている一葉ちゃんは、どういうわけか他に目もくれず、そこを選んでいた。
なぜ一葉ちゃんはそこを希望するのか、僕はずっと不思議に思っていたことだった。
「べ、別に深い意味なんてありゃあしませんですぜぃ! しいて言えばあれよな! 県立だし、近いからっからかな?」
「……なんか言葉づかいがおかしくなってますよ、一葉さん?」
「う、ウルサイ! 別にどうだっていいでしょ、私のことなんて」
良く分からないが一葉ちゃんが顔を赤くしてうろたえ始めた。
確かに僕たちの志望校は、県下で最も近い県立高校であるのだが、それのどこに、一葉ちゃんをここまで動揺させるファクターがあるのというのだろうか?
正直、謎は深まるばかりだった。
「まぁ、別にいいんだけどね。とりあえずここに来たんだから、いつもの”あれ”するんでしょ?」
「当然ね、良いよ、さっさと始めましょう」
僕の言葉に、一葉ちゃんは徐に上着のポケットから紺色のゴムを取り出し、癖のないセミロングの髪の毛を後ろで括り、俗に言うポニーテールの髪形になった。
僕たちが”あれ”をするとき、一葉ちゃんは基本的にこの髪形になる。
「条件は?」
「当然いつもと同じ、時間は――そうね、今日はあまり時間がないから、五分で」
「了解」
呟いて僕は一葉ちゃんに背を向け歩き出す。
だが、それは一時的なものだ。
僕の歩幅にして約二十歩、距離にして約十五メートルほどの間隔をあけて、僕は再び一葉ちゃんへと向きなおった。