8話
ゴウンと機械の駆動音が地面から響く。六角形のパネルが複数組み合わさった画面には行き先までの空路が表示されていた。特殊な魔導水晶が使用された画面の背景には外の夕闇が映っていた。
勿論、外からは中の様子は見ることは出来ない。この飛空艇自体に高度な光魔法がかけられており、光学迷彩の原理で周囲の景色に溶け込むことが出来るシステムになっている。
中型魔導飛空艇、ニーズヘッグ号。アスエム帝国が誇る魔導技術と機械都市ギルクラウンの造鉄船技術を合わせた最高傑作ともいえる飛空艇。しかし、その飛空艇は盗まれてしまう。今もなお、その飛空艇とそれを奪った集団は指名手配中である。
煙草の煙を空中に伸ばしながら、気怠く椅子に腰をかけ、灰を被ったような髪色の男ーアックスは魔導水晶板に写された空路を睨みながら、珈琲を口元に運んだ。空路の先には信号があった場所が点滅されており、赤く光っている。
「カルカモナ村……また辺鄙な所に」
重い溜息を吐いて、面倒くさいといった風に頭を掻くアックスは目の前に置かれた灰皿に苛立ち気に煙草を押し当てた。灰皿には剣山のように煙草が捨てられており、アックスの心情を写し取っている。
左腕は包帯でグルグル巻きになっており、古びた軍服を上手く着崩している。胸ポケットから再び煙草を取り出し、指を弾いて火をつける。さきほどからこの調子で煙草を吸い続けているせいか、船内のブリッジは煙で充満していた。
低い駆動音と共に、鉄製の扉が横に滑る。ブリッジに一人の女が入室するやいなや、眉を顰めた。
「ちょっと、煙草臭いったらありゃしないわよ」
「ジル、まだ交代の時間じゃねぇぞ」
「どっかの男が煙草の吸い過ぎで死ぬかもしれないから見に来たのよ」
操舵室に入るなり、”ジル”と呼ばれた女性――ジルヴィア=トゥリエルは怪訝そうな顔で鼻を摘まんだ。鉄柵から乗り出し、一つの小瓶を放り投げる。それを受け取ったアックスは蓋を開け、一気に飲み干した。
不味い。背筋から震えあがるほどの苦みが体中を駆け巡る。徐に顔を顰めるアックスを見て、ジルは甲高く笑った。
赤髪の長髪を雑に括った彼女は短いジャケットを羽織り、ダメージの入ったショートパンツからすらっとした美脚を覗かせている。かなり露出度の高い服装で現れたジルは特別な服装ではなく日常的にその感じのため、アックスは横目でうんざりそうに眺めた。
「吸っても足りないくらいだよ……。ユーリと離れて何日経ってると思ってるだ」
「お嬢とはぐれて一月くらいかしら?でも信号弾の反応があったんでしょ?無事に生きてるなら安心じゃない」
「場所が悪いんだよ。反応があったのはカルカモナ村。あの辺一帯はエルフ族の森に近い」
「あー、特にエルフ族は魔工学に否定的だからな~。上陸ポイントを探さなきゃな」
腕を組んで空路図とにらめっこを始めるジル。その様を見て見ぬふりするアックスは最初からジルに助けを求める気はない様子だ。手元の操作盤でカルカモナ村付近の地図を拡大する。その周辺地図を見た時、アックスは何やらある事に気が付いた。
それは村の外れにある一つの教会。カルカモナ村に訪れたことはないが、その教会にはなぜか見覚えがあった。再び操作盤を動かし、ニーズヘッグ号が搭載している帝国のデータベースに照会する。いくつかの情報を一覧として映し出し、その中にカルカモナ村の情報があった。
そこにあったのは、ある教会の情報であった。帝国から奪取した時点でデータベースの更新がされていなく最新情報ではないが、その教会が絡んでいるであろう事件がズラッと並べられている。
「問題はそこだけじゃねぇ。この教会がどうもきな臭い」
「その教会ってのがそんなに危険なのか?」
「いつから存在してたのかは分からねぇ。ただ最近、妙なことが起きる付近には《《いつも教会》》がある。必ずと言っていいほどな」
「おいおい、そんな危ない場所にお嬢は居るのかよ?信号弾のポイントまであとどの位だ?」
「数刻以上はかかるな。着陸のポイントも探さなきゃならん」
気付けば煙草の灰が落ちかかろうとしていた。灰皿に乱暴に投げ入れ、ついには灰皿は吸い殻で一杯になってしまい、溢れかえろうとしている。再び指を鳴らして灰皿の中に火をつける。轟々と燃える様はアックスの苛立ちの如く、吸い殻を跡形もなく燃やし尽くした。ボヤ騒ぎだけは止めてくれよ、とジルは呆れ気味に近く席に座る。
アックスは苛立ち気に貧乏揺すりをして天井を見上げた。まるで落ち着かない様子にジルは頬杖を突きながら不思議そうに眺めている。アックスと違い、楽観的な性格のジルは余裕気に欠伸を漏らす。
「アックスってお嬢のことになると、熱が入っちゃうよね~」
「当たり前だろ。あいつは帝国が最も捕まえたがってる対象だぞ。早く合流しないと何が起こるのか分からねぇ」
「あの子だって非力じゃないんだから大丈夫よ。それはあなたが一番分かってることでしょ」
「.......あいつは不安定だ。それに帝国の空挺師団が辺りを探し回ってる。《《あいつの師団》》も捜索に参加してるって話だ。――っと、交代の時間だ。とりあえず、朝までこの調子で空路を進んでくれ。昼前には着陸付近には近付くだろ」
「あーい。お任せあれ~」
ジルはふらふらと手を振り、操舵席に座り直す。アックスはブリッジを後にして、甲板に登る。
ニーズヘッグ号は白銀の雲海を切り裂きながら進む。甲板の周囲に張り巡らされた金属製の手すりには、霧のような水滴が付着し、ひんやりとした空気が肌を刺した。冷たい風が渦を巻きながら吹き抜け、甲板に積もった細かな水滴が舞い上がる。水滴はアックスの頬を掠め、後方に飛び去って行く。手すりにもたれ、何度目か分からない煙草に火をつける。しかし、吹きすさぶ風がそれをすぐに飲み込もうとして、上手く煙草に引火しない。
「チッ……」
舌打ちし、風を避けるように軍服の襟を立てると、片手で煙草を庇いながら再び火を点ける。今度は成功した。ライターの炎が煙草の端を焦がし、わずかに遅れてくすぶる赤い光が霧の中で小さく瞬いた。
ゆっくりと息を吸い込と、煙草の先がわずかに赤く燃え上がり、吐き出された煙が霧と混ざり合いながら宙に溶けていく。甘くも苦い煙が鼻を抜け、湿り気を帯びた空気に微かな香りを残す。
遠くで雷鳴が低く響く。雲の奥に光が走り、一瞬だけ甲板が白く照らされた。彼はその光を眺めながら、煙草を指先で弾き、灰を甲板の端へと落とす。灰は風にさらわれ、霧の中へと消えていった。
ユーリに渡した信号弾は二種類あった。
一つは蒼光の信号弾。状況に合わせて使う指示は出しているが、用途は安全地帯が条件だ。辺りに「危険なし、問題なく着陸して良しという意味合いで持たしている。
問題はもう一つは紅光の信号弾。大きな意味合いとしては警戒が必須である。しかし、今回に至っては限定的な条件で使用するように持たしている。その意味合いは――
「周辺に敵勢あり。戦闘を想定せよ……か。本当に無事なんだろうな、ユーリ」
鉄柵を強く握りしめ、溢れる焦燥を抑えようとする。鉄柵の水滴が手にじわりと広がり、知らぬ間に染み出した汗と混じっていた。