6話
あまりに長すぎる銀髪に眼底が透き通るような蒼眼。光を反射する真珠のような肌は青年のそれとは一線を画している。鏡が写した姿は眉目秀麗な少女。その少女に見覚えはなく、鏡に映った事実に開いた口が塞がらない
異世界に飛ばされるまではまだギリギリのところで飲み込むことができたが、性別が変わるのは流石に冷や汗が止まらない。それどころかさっきまで場所と全く違う所に居るのも理解が追い付いていない。
「とにかく帰りたいんだが……。そう上手くはいかないよな」
フタバは完全に諦めていた。状況に絶望した訳ではない。フタバの意志でははどうにもならないのだ。意識はフタバのもので間違いないが、少女と化したフタバの体は本人の意志とは関係なく、どこかに向けて歩を進め出したのだ。まるで操り人形かのような気持ち悪さを感じつつも、金縛りの感覚に近い手も足も出ない遣る瀬無さにフタバはため息を吐かずにはいられなかった。
一体、この体は何処へ行こうというのだろうか。心なしか街の中央に向かっているのか、時計塔が近付いている気がする。先ほどの市場のような活気ある雰囲気よりかは厳かな落ち着いた様子だ。
すれ違う人々も高貴な身なりのものが多い。男は白いシルクのフリル付きの襟が首元を飾り、華麗な模様に金糸の刺繍が豪華に施されている。一方、女の胸元には繊細なレースがあしらわれ、首には真珠のネックレスが輝いており、サテンのドレスのスカートは長く広がり、歩くたびに優雅に揺れていた。
周囲の人間の装いを横目で見て、気付いたことがあったが、高貴な人間たちが嘲笑混じりの冷たい視線をこちらに向けているのだ。
それもそのはず。フタバが宿している少女は黒いワンピースに雑な銀色の装飾が施されている。はっきり言って、場違いである。周囲の貴族風の人らがこちらに釘付けなのも分からなくもない。
フタバを上から下まで見る侮蔑の眼差しを無視し続けるのもかなりのストレスである。どの世界に行っても差別はなくならないのかもしれない。もはや環境のせいではなく、人の根源がそうさせているのだろう。
「ナツ。またそんな恰好で歩いてるのか?」
突然フタバは一人の青年に声を掛けられる。高貴とは言わないほどだが、それなりにきちんとした装いをしている。”ナツ”と声をかけられたが、それがこの少女の名前なのだろうか。少し見上げる形で青年の姿を見る。
白っぽい緑色の髪を靡かせ、耳元には金色の装飾品がゆらゆらと揺れていたゆったりとしたローブを身に纏っており、顔は逆光でよく見えないが、おそらく整った顔をしている。こちらに微笑みかけるその様子はこの少女と仲が良いのだろう。
しかし、フタバの体は少女のものだが、記憶や意識はフタバ自身だ。感覚はものすごくはっきりと記憶のある夢に近い。意識はあるものの、行動に全く反映されないそれに酷似している。
「お上が呼んでいるよ。君は行かないだろうから、先に迎えに来た」
「お上?」
どうやら言葉はフタバの意志で喋れるらしい。なんともガバガバな設定である。しかし、声色が少女の甲高いため喋る度に違和感を覚える。それに小さい体は動きづらく、不便を感じずにはいられない。
「寝ぼけてるのかい?とにかく、神官様もいらっしゃるんだ。遅刻なんてしたら、僕が怒られてしまう」
気味の悪いほど穏やかな声色でフタバを宥める青年は先導するように先を歩き始める。フタバの体は青年に付いていくようにトボトボと動き始める。
しかし、頭がかち割れるような頭痛がフタバを襲う。体中に響き渡るくらいの耳鳴りがフタバの中で反響する。
日に照らされた青年の姿が遠くに離れていく。物理的な距離とは違う、視界の隅が淡くぼやけていき、やがて視界全てが光に包まれた後、フタバの意識は滲んだインクのように掠れていった。
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「うわぁぁ!!って、ここは……あれ?さっきの街は?」
「どうしたの?街?何を言っているの?ここは村の外れの森よ」
突如襲われた頭痛に耐えかねた先には元の鬱蒼とした森の景色が広がっていた。さきほどの中世の街の姿はまったくない。目の前にあるのは謎の青年ではなく、氷のように冷たい美少女、ユーリであった。少し困惑した表情でこちらを見つめる彼女に可愛いと感じたのは言葉にすべきではないだろう。
しかし、とりあえずは元の世界に帰ってこれた。ここを元の世界というのは些かどううだろうと思うが、ひと先ずはそういうことにしておこう。額に浮かんだ大粒の汗を拭い、フタバは起き上がる。硬い地面で一日寝たせいか、体中が強張っている。
すっかり辺りは明るくなっており、木々の間からは陽光が差し込んでスポットライトのように点々と地面を照らしている。一日中燃え続けた焚き火はすっかり消えており、細々と煙を空に伸ばしている。その煙を見て、昨日のユーリの放った信号弾の軌跡を思い出す。
ユーリが昨日この村を出るために仲間に信号を送っていたことを思い出した。そして、この先起こるであろう村の行く先も。
「やっぱりここを出るんだな」
「ええ。昨日打ち上げた信号をキャッチしてこちらに向かって来ているはずよ」
ユーリは声色も表情も変えず、淡々とそう言った。やはり彼女の考えにこの村を救うことは毛頭ないようだ。そうなれば、フタバの取る行動は必然と決まってくる。変な夢の世界に飛ばされていたが、寝ている間に解決策とまでは言えないまでもやるべきことに決心がついていた。
「ユーリ。俺に蜘蛛女の居場所を教えて欲しい」
「――どういうつもり?見学するような場所ではないわよ」
フタバの問いかけにユーリは眉を顰める。しかし、フタバも冗談でそのようなことは口にしない。お互いの無言の睨み合いが続く。森に響く鳥の鳴き声が二人の間を沈黙を際立たした。
確固たる理由の元、フタバはある行動を起こそうしていた。勿論、リスクも付いてくる。しかし、今の状況を見逃すほどフタバは冷酷に離れなかった。
「俺があの女に会ってくる」
フタバがしようとしていること――それは村の命運を賭ける騙し合いだった。