4話
もう辺りは暗くなっていた。ユーリは火打ち石で組み上げた薪に火種を落とした。
鬱蒼とした森の中で、焚き火をくべながらフタバはぼんやりと先ほどの出来事を考えていた。黒い人影の正体、この村を牛耳っている人外の存在、そしてその連中がユーリ――未だ謎の多い美少女を手中に加えようとしていること。
異世界に来たと思ったら、一日でピンチになっている。フタバ自身はネトラの計らいによって、この村を出たことになっているが問題はそこではない。
村人たちはユーリのことを探しているだろう。もしユーリの守る方向であっても、村人やネトラさんがどんな目に合うかは、先のアラクネの表情で想像が出来てしまう。問題はユーリ側だ。あの子が身を挺して村人たちもといネトラさんを守るために立ち回ることは微塵も考えきれない。あの美少女は髪色みたく冷たい冷酷な人間だ。自分の不利になる選択は取らないだろう。
かといって、フタバがヒーローのようにこの状況を打破できる術はない。元の世界でも絶望的な運動神経に加え、この世界には魔法と呼ばれるチートのような技がある。テンプレだと異世界に転生した時に何かしらの最強魔法や最強スキルが備わっているのがお約束だが、その気配は残念ながらまったくない。この世界でも相変わらず運が味方してくれないようだ。
もはや焚き火を見つめても何も変わらない。ぶつけようのない気持ちがぐるぐると頭を回り、フタバはため息をつき空を見上げた。フタバの心情とは裏腹に夜空は雲一つなく澄み渡っていた。
「今日も世界はきれ――」
「何見てるの?」
予期せず、視界に美少女が乱入してくる。そう――噂の冷酷美少女である。
透き通った綺麗な瞳、薄氷のような艶やかな髪、そのまま透けて溶けていきそうな白い肌。
元の世界に居たら確実に芸能界に即参入して、アイドルやモデルから女優に華麗に転身して、大河ドラマや朝ドラの主役なんかやっちゃって、いつの間にか共演したイケメン俳優と結婚して、見事子持ちママタレントで現実とネット共に引っ張りだこの存在になるに違いない。
「ん?なに?アイドルやらママタレントって?」
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
まさか心の言葉がそのまま口に出ていたとはいよいよ疲れているようだ。フタバ再び大きくため息をつき、肩を落とす。
「それよりもご飯にしましょ」
「よく捕まえれたな」
「簡単よ?魔法で動きを止めたの」
「……聞かなきゃよかった」
そう言って誇らしげにグイと差し出してきたのは一匹のうさぎであった。つぶらな瞳でこちらを見ている様は同情を誘うには充分なものであった。そんな捕まえられた哀れな獲物とは裏腹に勝ち誇った美少女が一人。その相反する二つの構造が弱肉強食を表していた。ことわざ図鑑があればぜひ挿絵に使って欲しい。
慣れた手つきでうさぎを捌くと、あっという間に丸焼きののポーズで焚き火の上に吊るされた。あふれ出る油が垂れる度に焚き火は息を吹き返すように火を上げる。
こんな状況でも腹は減るのだから、人間というのはこの世ので一番身勝手な生き物なのかもしれない。
そんなこんなでユーリが調理してくれたうさぎの丸焼きが出来上がり、有難くそれを頂戴した。
「それでこれからどうするんだ?村に戻る訳にもいかないだろ」
「そうね」
迷う間もなくユーリは短く返答した。予想はしていたが、言葉にされると落胆してしまう。自ら捕まりに行く物好きなんて存在しない。だとすれば、あの村の人たちは……。
「何か言いたげね」
うさぎの肉を頬張りながら、こちらを見ずにフタバの意図を言い当てたユーリは本当に末恐ろしい存在だ。年はおそらくフタバより若いだろうが、その肝の据わり方は玄人のようだ。いつ切り出そうか悩んでいた為、それを暴かれたフタバは少しばつの悪そうな表情を浮かべる。
「俺はこの世界に来たばかりだし、この世界のしきたりとかルールとか全く知らないけど……やっぱり村の人たちを見捨てることができない」
「じゃあ、助けに行くといい。それでその人たちが喜ぶのなら」
「――できない。俺には何も……」
「そうね。あなたは無力だもの」
何か言い返す隙も無い。ユーリからしたら何も知らない、何の力もないフタバの戯言など聞く耳を持つだけ無駄だろう。
アラクネの纏う不穏な空気は抵抗する気もなくすほど凶悪だった。あれには手も足も出ない。ただの人間にはこの問題はあまりにも大きすぎる。そう――フタバ自身には
「無茶なお願いなのは分かっている。だけど……どうにか村の人たちを救ってくれないか!?」
「何度でも言うわ。私には関係ないことなの。それに私は近々この村を出るきだった。魔力も随分回復した。もうここに居続ける理由はないわ」
「じゃ、じゃあこの村の人を――ネトラさんを見殺しにするってのかよ!?」
フタバは立ち上がり、頭に血が上った勢いでユーリを非難した。魔法で認識を変えたといえど、ネトラさんにはお世話になったはずだ。全てをとは言わない、せめてネトラさんだけでも――
「ずっと違和感があった。何であなたはそんなにも他人の命に対して、そこまで熱弁出来るのか」
「それは当たり前だろ?俺もあの人たちも血の通った人なんだから」
「そうか。知らないのね。なら、教えてあげる。この世界のちょっとした常識を」
そう言ってユーリは一つの石ころを取り出した。それは所々赤い鉱石のようなものが混じった石――ネトラさんの家の祭壇に飾られてあったものだ。少し変わった石だが、それが何なのだろうか。
しかし、特に説明もなく、ユーリはその石を焚き火の中へ投げ入れた。理由も聞くまでもなく、その行為はすぐに現象になって現れた。
辺りに響く破裂音と共に、焚き火から青白い煙が立ち上がる。その煙は不思議にも微かに人の姿を模した。やがて顔つきまで分かるくらいはっきりと浮かび上がり、苦悶に満ちた声を上げ、そして空に溶けていった。
一瞬の出来事であった。驚く暇もないまま過ぎ去り、強烈なまでのおぞましさを刻む。
「な、なんだよこれ……?」
「これは命晶石と呼ばれるもの。個体差はあるものの、これには魔力が込められている。その者の生きた証として形を成す代物」
焚き火に照らされ煌々と輝く命晶石は怪しく赤く光った。フタバは緊張の面持ちでユーリの言葉を待った。待たなければならないような気がした。そう感じた理由はすぐに分かるのだった。
「――この命晶石は魔力を持つ人間の慣れの果てよ」
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「本来魔力というのはこの世に当たり前のように存在するもの。あらゆる生物はこの世に生を受けた時から宿っていて、この大気にも流れている。ただし、唯一その魔力にあまり適合しない種族がある」
「適合しない種族?」
「人族。あなたや村人のような元々魔力や魔法が備わっていない種族よ。それが他の種族に並ぼうと独自の魔力形態を築いていった結果、我々が扱う魔力や大気に流れているそれとは違うものになったの。
その結果、人族の肉体が朽ちた時、その魔力はこの世に馴染めず、行き場を失った魂と魔力が結び付ついて命晶石となるの」
「おい待てって!それなら今のが人間だったものってことかよ?それじゃあ――」
今しがた起きた現象、煙が象る人の顔と苦しみの声。命晶石が人の魂ということは、昇華していったものが人の慣れの果てだとしたら、今のユーリの行動は人殺しに近い行為だ。
冷徹な判断に、冷酷な決断。ユーリの今までの行動に納得しない所はいくつかあったが、今回ばかりは許容できる範囲を超えていた。ネトラさんが祭壇に飾っていたという事実。予想するに元の世界でいう仏壇のようなもの、大切な人のに違いないあ。そのような存在である命晶石を躊躇なく壊せるなんて、人の心がないにも程がある。
「今、私のことひどいと思った?」
「――ああ。女子には優しくって教わってきたが、我慢できそうにないな。特に理由のない行動なら殴ってる」
「そう。何も覚えてないのね」
「どういう意味だ?」
「あなたがクレータ―で目覚めた時、あなたの言葉を使うなら、この世界に来た時かしら」
「それがどうしたんだよ……?」
核心を突かない回りくどい言い方にイライラが募っていく。いったい何が言いたいのだ。ユーリはフタバの反応に呆れたようなため息を吐くと、グイと距離を縮めてはっきりと言い放った。
「あなたの周りに沢山落ちてたよ」