3話
村に戻ってきたフタバらはネトラの家で休ませてもらっていた。しわくちゃな手で手際よくご飯の支度をする様は記憶に残る故郷の祖母を思い出させる。随分前に亡くなった祖母だが、あふれ出る優しさばかりは記憶の薄れないままフタバの中にあった。
フタバは囲炉裏の火を見つめながら、今日起きたことを思い返していた。ゲームの世界のような場所に転生して、村のはずれにあり得ない大きさのクレーターを作ったこと。そして、同じような境遇の奴が、もう一人居るということ。光すら見えなかったが、ようやく物事が前進して安堵する。
「あれ、ネトラさん、ユーリはどこに行ったんだ?」
「あらら、どこに行ったんだろうね?もうすぐでご飯の支度が終わるから呼んできてくれないかい。多分、川の近くに居るはずだよ」
ネトラさんの言う通り、村に流れる川付近を探しに出たフタバであったがその捜索は案外早く終わった。川の近くにちょこんと座り、一転を見つめている少女がそこには居た。村に似つかわしく無い美貌は川の水面に映る月よりも一際輝いていた。どの角度から見ても美しさが崩れないユーリはまるで彫刻のような無機質さを感じさせる。
「おーい、ネトラさんが飯だってよ」
「分かったわ。すぐ行く」
端的に返事をしたユーリだったが、全く動こうとしない。それよりかフタバを見つめて微動だにしないのだ。これはモテ期なのかもしれないと顔をキメるも氷のようにピタリとも動かない。
「えっーと、なんですかユーリ嬢、そんなに見つめてもらっても何も出ませんぜ?」
「随分と順応が早いのね。さっきまで狼狽えてばかりだったのに」
「そりゃどーも。色々と考えてもどうしようもないことに気付いたのさ。それなら一層のこと受け入れて生きていく方が幾分かマシだ」
この一日でフタバは多くの衝撃を味わってきた。元々居た世界から何故かこの世界に飛ばされ、白亜紀レベルのクレーターを自分が作っていたと知り、不気味な人影を美少女が華麗に始末する様子を見れば、驚くものも驚かなくなるものだ。すんなりと受け入れられている冷静な自分自身が怖く思えてくる。
人は過酷な環境に放り込まれると思いがけない成長をする、可愛い子には旅をさせよとはよく言ったものである。
「他の世界からやってきたって話。にわかには信じられないわ」
「信じようとしたことあるのかよ?」
「ないわ。というか、辻褄が合わないのよ。他の世界から来るには膨大な魔力と高度な亜空間魔法があれば可能かもしれない。だけど、あなたにはその二つが全く感じられないわ。そうね、まるで空っぽ」
「随分な言い方だな……。その二つが備わってなくて、俺がここにいるってのはどのくらいあり得ないことなんだ?」
「んー。猫がオルガノン河を潜水で渡りきるくらいあり得ないわ」
「.......よく分からんがかなり無茶なことなことは分かった」
出会い始めでは想像できなかったほど、ユーリは会話をしてくれるようになっていた。この村のこと、ネトラさんのこと、このコミュニティに関わる情報はあらかた教えてくれた。そして、一番気になっていたことをフタバはついに聞くことになる。
「なんでユーリだけ、村の人たちと服が違うんだ?ってか、服どころか雰囲気から違うんだが」
「鈍い人だと思っていたけど、案外見てるのね」
「お前さっきから俺のこと馬鹿にしてないか?」
「馬鹿にしないわよ。空が青いなんて今更再確認しないでしょ」
「やっぱり馬鹿にしてんじゃねぇか!」
どうやらユーリはシンプルに口が悪いらしい。口が悪いというより、遠慮がないというか言葉のフィルターが皆無というか……。つまりフタバの心を容赦なくえぐり取っていることは明確である。無自覚な口撃ほどタチの悪いものはないのかもしれない。
「私の魔法はね、一方的に命令を与えることができるの。あなたも見たでしょ?あの人影らしきと”相対した”ときのこと」
ユーリはそう言いながら立ち上がり、村の方面へと歩き出した。フタバもそれに続くように後を追う。
ユーリとフタバが遭遇した得体のしれない人影らしきもの。禍々しい雰囲気を放っていて、人型を模しているものの人ならざる異質な存在。確かにあれらと相対した時、突如としてぬらりとした動きを止めた瞬間があった。その後の華麗な剣撃で思考を奪われていたが、ユーリの発言でようやく紐づく。
「なるほどな。相手の動きを止める命令をしたのか.......なにそれチートじゃん」
「チート?なにそのおいしく伸びそうなものは」
「.......それはチーズだろ。チートってのは、なんつーか.......まあ気にすんな」
悉ことごとくお互いの世界での言語が嚙み合わないことを感じつつあるフタバは細かい説明は省き出していた。この世界にチートなんて概念があるわけがない。そもそもユーリの言う魔法なんてものがあるのなら、チートもへったくれもあったもんじゃないからだ。
とはいえ、ユーリのおかげで窮地を脱することが出来たのは事実だ。もっと言えば、この世界に来て初めてユーリに会ったきっかけで村にまで辿り着けたのだから、実は彼女は運命の女神なのかもしれない。いや、そうに違いない。口の悪さは目に余るが、こんなにも可愛いのだから。
「つまり、私はこの村の人間じゃないけど、ネトラさんに私はあなたの孫って認識させる命令をさせれば、この村の住人になることは難しくないわ」
「でもさ、何で村の住人に成りすます必要があるんだ?ここの人たちならそんなことしなくても、迎え入れてくれるだろ」
フタバの言葉にユーリは歩みを止めてしまう。何か言いたげな表情でこちらを一瞥したが、言葉を飲み込むように再び歩き出した。一瞬見えたその顔つきはどこか悲しげであったが、その事に触れさせまいとどんどんと先に進んでいく。
「おい、待てって!......あぶっ!」
置いていかれまいと追いかけるも、急に立ち止まったユーリにぶつかってしまう。何事かと問いだ出そうとするも、乱暴に頭を掴まれ草木に隠れるようにお互いにしゃがむ体勢を取らされる。いきなりのことで声を荒げようするフタバであったが、瞬く間に口を手で覆われて、声を上げることさえも憚れる。
しかし、その理由は聞くまでもなかった。
視線の先、村の人たちが一か所に集まっている光景が目に入る。そしてそれを囲むように先ほどの黒い人影たちの姿もそこにはあった。
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村人たちは恐れた様子で、地面に膝をついていた。そこにはネトラさんの姿もあり、弱々しい姿にフタバの脳内が熱を帯びた。まるで弱い者いじめのようなその構図は腹の底から嫌悪感を引きずり出してくる。
駆けつけようと体を動き出そうとするフタバを少女らしからぬ腕力で静止させるユーリにびくともしない。
「おい!何してんだよ!このままだと村の人たちがっ!」
「黙って。今は出るべきではないわ」
村の人たちが一斉に言葉を飲むような悲鳴を上げたと思いきや、黒い人影を搔き分けるように何かが姿を現した。
息をのむほどの絶世の美女。しかも無防備に上半身はほとんど衣類を纏っていない。だが、女の腰から下――それは人間のものではなかった。
視界が遮られて隠されていた下半身が、ゆっくりと動き出す。黒光りする甲殻が夕日に反射する。巨大な蜘蛛の胴体と脚を持ち、獲物を捕らえるための鋭い爪が地面に突き刺さっていた。
そこに艶めかしい美女の上半身がくっついているその様は一気に人外な対象として脳裏に刻まれた。
艶やかな黒髪が怪しく揺れ動く。その隙間から覗くのは、異様なまでに白い肌と、妖しく輝く赤い瞳。妖艶な雰囲気を纏うが、背筋をなぞるような悪寒が這い上がらせる。
「こうやってあなた方と顔を合わせるのはいつ振りかしら?」
甘く、耳をくすぐるような声。耳にこびりついて離れないその声色はフタバを脳内を痺れさせる。人間の本能だろうか、反射的に耳を塞いだフタバはギリギリのところで理性の綱を手繰り寄せた。
そんなフタバの様子とは反対にユーリは狼狽えることなく、まっすぐにその光景を見つめていた。
「まあ、つまらない挨拶はいいわ。ここに来たのには訳があってね。妾の可愛い従者がどうもやられたみたいなの。それも二人も」
蜘蛛女が言う従者が黒い人影のことを指しているのは直ぐに分かった。声色は落ち着いているものの、村の人たちを問いただしているのは明白であった。そして、会話に出てきた二人は、昼間にフタバたちが相対したあいつらだというのもすぐに結びついた。
つまり、親玉がやられた子分の行方を探しに来ているのだ。集められた住人たちの知る由もない事実、いわれのないとばっちりである。
「誰か知らんか?――のう、そこのお前」
「め、めめ、滅相もございません!私どもはいつもと変わらない一日を過ごしておりました!」
蜘蛛女くもおんなの鋭い眼光は一人の村人に注がれる。村人はひどく怯えた様子で頭を深々下げて弁明した。村人の面々の反応を見る限り、蜘蛛女が畏怖の対象であることは間違いないだろう。
このまま放置しても事態は進展しない。あの不気味な連中なら最悪の事態も過ってしまう。しかし、ユーリがフタバを抑える力はまったく緩むことはなかった。むしろ、余計なことをしようとするのを見抜いているのかフタバが体を動かそうとしてもびくともしない。
「止めなさい。あなたが出て行っても何もならないわ」
「っ!何言ってんだよ!?明らかにやべー状況だろうが」
「数を見てみなさい。このまま出て行っても数に押されるだけだわ。それに、私には関係のないこと」
ユーリは冷たく言い放つ。いくら魔法の影響とはいえ、仮にも自分に孫と認識させているネトラさんが危機に陥っているというのに、よくも簡単に切り捨てる言葉を吐けるものだ。フタバは腹の底から煮えたぎる怒りを感じながらも、どこか腑に落ちている。
知る限りユーリは良くも悪くも素直な性格だ。わざわざ魔法で認識を変えているくらいだ、人情なんてものはハナからないのかもしれない。まっすぐ見つめるユーリの目の奥には優しさも同情も含まれていなかった。
「従者の魂が途切れたのは爆発騒ぎがあった場所ね。魔力濃度が高すぎてあなた方はあそこに近付くことが出来ないものね」
蜘蛛女はやけに素直に納得した様子だ。
魔力濃度が高い?確か、あのクレーターの場所には高濃度の魔力が溜まっていた。ユーリが言うには魔力中毒っていうのを患ってしまうほどの。
「ときに、二つの落下地点にそれぞれ人間が混じっていたそうな。かなり魔力を含んでいるに違いない。美味そうじゃ――のう、ネトラ。そやつらはどこにおる?」
「一人は重傷のため、村の外れで療養しております。直ぐには運び出せる容態ではありまえん。――もう一人は……」
蜘蛛女に問いかけられたネトラさんは言葉を飲むように、ゆっくりと口を開く。
「もう一人のお方は、既に村を出ております」
「ほう、あれだけの騒ぎで直ぐに村を出ることが出来たのか。随分と丈夫なこと」
ネトラさんは明らかにフタバの存在について嘘をついた。しかも、あの禍々しい蜘蛛女相手に。ネトラさんからしたら、ついこの間初めて会った浮浪者のようなフタバを売ってしまえば、少なくとも今の状況はマシになるだろうに。
ネトラさんの優しさによって危機から遠ざけられている事実を目の当たりに、自分の無力さに反吐が出る。
「それで誰の命があってその者を勝手に妾の村から出したのじゃ?村長としての判断か?ネトラよ」
「いえ、この村はあなた様のものです。アラクネ様」
「ならば、お前の下した判断は妾を侮辱するには充分すぎるものよ」
「……申し訳ありません。」
辺りの空気が一変する。直感で悪い予感しかしない。フタバは駆けつけようとユーリの拘束を外そうと暴れるも、ユーリはそれを許さなかった。
「ま、待ってくれ。ネトラさんは何も悪くな――」
「妾の言葉を遮るな」
声を上げた村人にキッと睨みつけたアラクネは鋭い尾を伸ばし、勢いよく村人の胸を貫いた。苦しむ叫び声が村中に響き渡る。苦悶の表情と共に村人の体には黒い血管が次々と浮かび上がった。見る見る内に皮膚の色は黒く染まっていき、人の形を保ったまま、やがて真っ黒に染まってしまう。
そう――村人たちを囲む、黒い人影に姿を変えたのだった。
一瞬の出来事に時が止まったかのように、辺りは恐怖の糸が張り巡らされる。
今しがた分かったことがある。この村は完全にアラクネという人外に支配されている。それも圧倒的な恐怖と埋まることのない力の差がそこにはあった。
今の出来事からするに黒い人影は元々は人間なのかもしれないという嫌な考えが浮かぶ。
いや、それは間違いないだろう。もっと最悪なのは、その存在が村人が姿を変えたものだったら?じゃあ、昼間フタバらが相対したのは、ユーリが躊躇なく倒したあの二人は。
フタバは抑えるユーリを思いっきり睨みつける。注がれた視線にユーリは冷たく一瞥した。
”知っていたのだ”。ユーリはあの人影が村人だったということを。知っていながら対処したのだ。
「ぅうう……。あああぁぁ!」
唸り声をあげるその様は、先ほどまでの人間の姿を忘れさせるくらいに獣じみている。変貌を遂げた村人はアラクネの目の前に跪くと、忠誠を誓うようにアラクネの足に口づけのような行為をした。
アラクネは怪しげに口角を上げ、一目で主従を周囲に刻む。ものの数秒でアラクネの従者に成り下がる様を見た村人たちはより一層言葉を飲んだ。
「おいっ、お前!このまま見てる気かよ!?」
「お前じゃない。私には名前がある」
「そんなこと言ってる場合かよっ!?このままだと皆が――」
「皆が?何度も言わせないで。私には関係のないこと。今ここで村の人たちが蜘蛛女あの女の手下になった所で私の意志は変わらない。それに……」
「な、何だよ?」
「ここで私が出たら、必ず戦闘になる。そうなったら私は自分の命に代えても戦うわ。たとえ相手があの人影でも」
ユーリは依然として表情を変えず、冷酷な事実を突きつける。ユーリはあの人影を何の問題もなく倒すことが出来る。それが元人間だったとしても、元村人だったとしても、おそらくそれがネトラさんであってもだ。
フタバは苦虫を嚙み潰したように遣る瀬無い気持ちに襲われる。自分の無力さに押し潰されそうになりながら。
「まあ、これで失った分は補充できた。それと、ネトラ。もう一つ聞きたいことがあるのじゃ」
「.......何でございましょう」
「お前、孫が居るそうじゃな」
「ええ。この場にはおりませんが、一緒に暮らしています」
ネトラさんの孫。つまり、魔法で認識を変えているユーリのことだ。フタバらは吸い寄せられるようにアラクネの言葉に耳を傾ける。
「おかしいな。この村に来た時、お前の娘を我が従者に加えたが、そいつには娘など居なかった。妾は従者にしたものの記憶を読むことが出来る」
「私には確かに孫が――」
「妾が嘘を申していると?」
「.......滅相もございません」
「まあ、よい。その孫を明日、妾の根城に連れてこい。その者を従者に加えて、この件は水に流そう。さもなくば……分かっておるな?」
アラクネは冷たい瞳でそう言った。