13話
アックスが向かったのはカルカモナ村の集落部。この村で人が一番集まって暮らしている場所に来たはずだったが、村に辿り着いた直後に言いようのない違和感を抱くことになる。
「人の気配がしないな」
生活感はあるものの、肝心の人影がまったくない。家先に干されたままの洗濯物、先ほどまで遊ばれていた形跡のある遊具、ある家のテーブルには湯気が立つ食事が放置されていた。まるで村人だけが切り取られたような気味の悪さを感じさせるその様は異様そのもの。アックスは眉間にしわを寄せ、人の姿を探して村を進んでいく。
そして、村の中心に近づいたとき、ふと異様な気配を感じた。視線の先にあったのは、一軒の民家。外身だけではただの民家に違いないが、その奥から漂ってくるどす黒い気配に思わず足を止めてしまう。手元を短剣に伸ばし、ゆっくりと民家に近付いていく。
入口まであと少しのとこでアックスはある匂いに気付く。それは濃密な血の匂いでまだ温かさも感じ取れる。熱とともに漂う鉄臭さが、じっとりと纏わりついてくる。
静かに息を潜めながら忍び寄るが一歩踏み出した拍子に、乾いた地面の砂粒が靴の下で擦れ合い、かすかな音を立てた。
刹那、民家の中からまるで槍のように黒い足が鋭く伸びる。空気を裂く音とともに鋭利な足がアックスの貫こうと迫ってくる。表面に細かい棘が見えるほどに距離に短剣をすかさず突き出し、刃を沿わせるように敵の脚を受け流す。鋭い棘の一つが、頬をかすめ、髪をかすめ、温かい液体が一筋、皮膚を伝い落ちた。
「――随分な挨拶じゃねぇか」
薄暗い民家の奥から何かがのそりと這い出てくる。現れたのは火傷で爛れた白い肌とそれとは対照的な所々欠損した黒い蜘蛛の下半身。甲殻が焦げ、黒ずんだ裂け目から内臓がわずかに見える。おそらく元はかなりの美女であろうが顔の一部は焼けただれて形を失い、両眼は血走り、かろうじて残った片目には怒りが込められている。
魔獣。魔に属する獣たちは人族を食い物にすることが多い。それは捕食行動によるものがほとんどだが、実際はそれほどまでに捕食という行為は生命活動に必要不可欠なものではない。多くはただの遊びに近いものだ。
格下の人族を弄び、恐怖で支配して手下として扱うことで狭い範囲だがそこの王として君臨することができるのだ。そうすることで他の魔獣に狙われることも減り、安定した拠点を得るのだ。
この村もこの魔獣の支配下に置かれているのだろう。何も魔法を持たない人族が魔獣相手に敵う訳が無い。
しかし、不可解なのはその目の前にいる魔獣が満身創痍であるということ。様子を見る限り、かなり消耗している。ここまでなるほどに追い詰めた者がこの村にいるというのだろうか。
「帝国軍でも来ているのか……?」
嫌な予感が脳裏を過り、魔力探知の範囲を最大限に広げる。あまり派手に範囲を広げすぎても相手に気付かれてしまう為、アックスは魔力を薄く延ばすように村全体に広げた。村の反対側でユーリの魔力が感じ取れる。
しかし、それ以外の魔力反応は感じられない。そして目の前の魔獣が事切れる寸前だというのも魔力反応の微弱さで手に取るように分かる。
「なぜ……お前らは.......いつも」
魔獣は低く、喉の奥で何かを呟いた。口から血を吐き出しながら、こちらに何かを訴えかけようとしている。その瞳は虚ろになっているが、奥底には憎悪の炎が燻ぶっていた。
「私から奪っていくんだ!!!」
魔獣は怒りの方向をアックスに向ける。辺りの家屋が揺れ動くくらいの凄みと魔力を放つ。瞬間、魔獣は距離を詰め、鋭い尖足で素早く刺突を繰り広げていく。アックスは落ち着き払った動きで短剣でいなしつつ、相手の弱点を探る。
蜘蛛型の魔獣種は高確率で何かしらの毒性を持っていることが多い。容易に攻撃を受けることは危険が高く、相手が満身創痍でも一発逆転になりうる可能性を秘めている。冷静に反撃の隙を伺いつつ、魔獣の動きのパターンを見破り、一気に懐へと距離を縮める。
「時間違法」
アックスの深く息を吸い込み、魔法の発動とともに、世界がゆっくりと流れ始めた。決して、世界が遅くなったのではない。アックス自身の時間が加速しているのだ。
自分の鼓動が異様に大きく響く。まるで遠くで太鼓を叩くような振動を胸に感じつつ、魔力を両腕に集中させる。人迎、膻中、鳩尾、急所と呼ばれる点を魔力を込めた連撃を魔獣の人間部分に叩き込んだ。アックスの持つ火属性の魔力が魔獣の体を弾く度に荒っぽく火花を散らしていく。
「ぐぬあぁぁ!」
時間にして数秒の出来事であったが、体内時間の加速を受けていない魔獣は一瞬にして何十発もの連撃を叩き込まれ、理解できないままその異形の巨躯を吹っ飛ばされrることになった。
それでも反撃の意思を見せる魔獣に、アックスは口元に咥えた煙草を手に取り、空中に微細な軌跡が描く。螺旋のような線が宙に浮かび上がり、それはやがて一つの魔方陣を形どった。
「餌だ、火蜻蛉」
魔方陣の中心からまるで炎の精霊のようなものが現れ、徐々に生物の蜻蛉を形どる。
羽根は軽やかに、そして猛烈に揺れながら燃え上がる炎をまとっている。その羽根の一部は、まるで火花のように輝き、炎の波紋を作り出しながら空を舞う。蜻蛉の体は、焼けるような赤とオレンジに輝き、触れる空気まで熱を帯びていた。魔方陣から這い出た数十体の火蜻蛉は魔獣に向けて一直線に飛び放っていく。
炎を纏った羽根が光を引き裂き、煙を巻き上げながら猛スピードで迫る。魔獣は反応する隙も無く、火蜻蛉は容赦なく前進に噛みついた。鋭い口が皮膚を貫き、肉を裂く音が響く。魔獣は痛みに顔を歪めるが、すぐに叫び声を上げる暇もなく、体にまとわりつく炎の熱を感じ始める。
「小癪な真似を!!」
「気をつけな。そいつの好物は《《火属性の魔力》》だ」
アックスが忠告するやいなや、火蜻蛉の体が一瞬、輝き、爆発的に火花を撒き散らしながら、先ほど打ち込んだ火属性の魔力に引火する。炎が瞬く間に相手の肩、腕、体へと広がり、魔力が引き起こした激しい炎が相手を包み込む。
「またっ.......火がっ!!」
「――終わりだ」
アックスは背中のマスケット銃を構え、冷静に狙いを定め魔力を込める。引き金を引くと弾丸は火に包まれた敵の頭を正確に貫き、その衝撃に火蜻蛉は一斉に霧散して、空気中に溶けていった。魔獣を包んでいた烈火は一気に弾け飛び、悲鳴を上げることもなくその巨躯は地面に倒れこんだ。
地面が揺れ、砂埃が巻き上がる。節くれだった脚が、かすかに震えながら最後の抵抗を試みるが、やがては動きを完全に止めてしまった。
「逝ったか。――ん?なんだあれは?」
住居の奥深くから、岩陰の隙間から、木々の間から、まるで闇そのものが形を成したかのような黒い人影たちが静かにその姿を現した。各々の魔力量はそこまで高くないが驚くべきはその数。目の前に倒れている魔獣と同じ魔力を感じられるため、おそらく仲間であろう。
あっという間にアックスは囲まれてしまい、退路を断たれてしまっていた。
アックスは静かに腰を落とし、右手を滑らせるようにして短剣を抜いて逆手に持ち替える。魔力を全身に滾らせ、集中力を研ぎ済ませる。
ゆっくりと距離を縮めていく。しかし、その歩みに敵意は感じられない。
また一歩また一歩とこちらに向かってくる。しかし、そのままアックスを通り過ぎ、魔獣の亡骸に群がり始めた。
躊躇いもなく一人、また一人と、黒い影がその体に手を伸ばし、まるで何かを貪るようにその肉へと手を突っ込む。指先が焼けるのも気にせず、灼熱の外殻を剥ぎ取り、引き裂き、内部へと侵入していく。
骨を砕く音。肉を引き裂く音。
それらは主を弔うのではなく、その身を喰らっていた。その異様な光景を前にしても、アックスはただ静かに見つめていた。それが忠誠の証なのか、それともただの本能なのかは分からない。人影たちの影が、まるで蠢く虫のように地面を這い、亡骸の上でうごめていた。
「.......ちっ、もう時間か」
突如、水面に波紋が広がるかの如く宙に淡い光の揺らぎが生じた。虚空に紋章のような魔法陣がアックスの耳元に浮かび上がった。魔方陣からは聞き慣れたジルのやかましい声が響いている。声だけで待ちくたびれた、早く買って来いと言わんばかりのジルの顔が浮かぶ。アックスは眉を寄せながら、苦い表情で応答する。
「おーい、調べ物は終わったか~?」
「ああ。周辺に帝国の奴らは来てないか?」
「帝国の索敵機が魔力探知に引っかかているな、索敵機に見つかっても本隊が来るのは小一時間はかかるだろ」
「分かった。ユーリの方は?」
「さっき帰ってきたよ、お土産も一緒にね。でもすぐさまそっちに向かったわよ。まったく落ち着きのない子だわ~」
通信魔方陣から愚痴話が垂れ流して聞こえてきたので、アックスは容赦なく通信を切った。もう一度短剣を握り直し、空いた手には小銃を構える。視線の先には魔獣に群がる人影たちであった。
「さあ、片付けるか」