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魔法使い殺しの空賊紀行  作者: P吉
薄氷の少女
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9話

 村を離れたフタバは再び鬱蒼とした森を進んでいた。森の道中は、昼間でも薄暗く、木々の枝が絡み合って空を覆い隠している。湿った土の匂いと、時折、聞こえる羽虫の羽音が静寂を破る。道は細く、両脇には苔むした岩と巨大なシダが生い茂り、人の手がほとんど入っていないことが分かる。村人たちも滅多に寄り付かないと言っていたし、人気のなさからくる不気味さのようなものが辺りに蔓延していた。

 やがて、蜘蛛の糸が木々の間にかかっているのに気づく。それはただの蜘蛛の巣ではなく、現実世界でも見たことないくらい大きい。人が不用意に触れようものならばすぐさま動きを封じられ、獲物と化すだろう。


 しばらく進むと、木々の間から灰色の建物が姿を現した。かつては立派な教会だったのだろう。外壁はかつての荘厳さを物語る彫刻が施されていたが、今では苔と蔦に覆われ、刻まれた細工さえも風雨に晒されて消えかけている。尖塔はかつて天を指し示していたが、その一部は崩れ落ち、瓦礫と化して地に沈み、風に乗ってかすかに揺れている。

 扉は半ば開いたままになっており、獲物を誘い出すかのようなわざとらしい隙を感じさせる。


 だが、すぐに教会の内部に入ることはしない。フタバはひとまず教会の周辺を散策する。かなり老朽化が進んでいるのか、衝撃を加えればすぐにでも瓦解してしまいそうな不安定さを感じさせる。フタバは改めて自分が立てた作戦が滞りなく進みそうなのを確信する。


 教会の内部に一歩足を踏み入れた瞬間、時の重みと忘却の香りが全身を包み込む。古びた木製の床は、長い年月に苔と埃が覆い尽くし、足音が吸い込まれるような静寂に変わっていた。


 天井近くで、かつての荘厳さを物語るステンドグラスの破片が、ほのかな月光を受けてかすかに色づき、壁面に散らばった鮮やかな断片となっていた。窓の割れたガラスからは、薄明かりが差し込み、無数の影が揺らめきながら、まるで過去の祈りが囁かれているかのような幻想的な風景を作り出している。


 中央に位置する祭壇は、今や無数のひびと、苔むした石の欠片がその存在感を曖昧にし、かつて神聖な儀式が捧げられた証でありながらも、今は冷たい不気味な静寂とともに存在している。祭壇の上には、血のような赤褐色に染まった跡が残され、ここで何かあったことを悟らせる。


「不気味な場所だな……」


 うっすら鼻腔を掠める血の匂いに眉を顰める。歩く度に古びた床が不気味に鳴く。しかし、どこか風が抜けていく隙間風のような音が聞こえるのだ。先に進むと、その正体が露見する。

 祭壇の裏にひっそりと隠された地面に空いた人間が軽く入れそうな穴が空いていた。無造作に刻まれた暗い割れ目のようなその穴からは冷たく湿った空気が地下深くからの呼び声のように、静かに漏れ出している。


 足を踏み入れると、狭い通路は次第に階段のような凹凸を帯び、かすかな水滴が石壁を伝い落ちていく。肌を刺す洞窟内の空気が行く手を阻むかのように重くのしかかる。その空気を押し退けながら、足元の悪い道を下っていく。まるで地獄に向かうように奥からはどす黒い恐怖が滲み出していた。


 湿った冷気と静寂に包まれた地下の通路を進むと、やがて一つの広間に出た。そこは、薄暗い闇が支配する空間で、壁や天井には無数の蜘蛛の巣が絡み、嫌悪感を抱かせる。

 その中央に、まるでこの闇の世界を司るかのような存在が鎮座していた。人間の上半身と蜘蛛の下半身を併せ持つ、妖艶かつ凶暴な姿。アラクネ――彼女は、まるで生きた闇の化身のように、ゆったりと、しかし確固たる威圧感を漂わせながら、広間の中央でこちらを見つめていた。

 下半身の蜘蛛の部分を見なければ絶世の美女なのだが、地面を刺す鋭利な足と揺らめく尻尾がその甘い考えを砕かせる。


「誰じゃ、(わらわ)の眠りを妨げる不届き者は」


 広間に漂う重苦しい静寂は、一層濃く、そして身に染みるような恐怖と魅惑が交錯する。恐怖を引きずり出すようなその声色は気を抜けば臓物さえも口から飛び出してしまいそうだ。

 全身の毛穴から冷や汗が止まらない。人間としての本能がアラクネの前から立ち去るべきだと、足が震えて体を支える重心をブレさせた。

 ふと、村での出来事を思い出す。アラクネにひれ伏す村人たちの姿。一瞬にして黒い人影にされ手駒してしまう未知の力。真正面から対峙すればフタバに価値はないだろう。


 しかし、ここで逃げ去ることはできない。むしろ、今からでは逃げ切ることも叶わないだろう。

 自分が生きているのか死んでいるのかさえも曖昧にしてしまう緊張感と重圧。それの生唾と一緒に飲み込みながら、フタバはゆっくりと言葉を紡いだ。


「俺が……俺が、()()()()()()()だ!」


 強張る声色ではっきりとフタバは言い放った。

 そう、完全に嘘である。一世一代、一か八かの虚偽。人外相手に武力で勝機が見出せないなら、それ以外での攻略を打ち出さなければならない。フタバにとってそれが「騙し」であった。


 アラクネは不気味に口角を上げる。その表情が何を指しているのか、フタバに真意は掴めなかったが、力強くアラクネに向けて一歩踏み出した。

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