プロローグ
”種”。
生物の分類および存在の基本的な単位。現在のところひと言で種を定義することは不可能である。
森と共存するエルフ族、高度な鍛冶能力と武を極めしドワーフ族、太古から世界の行く末を見守ってきた竜族。多種多様な種族が、ここ――イシュタルで生活をしていた。
その中でも特別な種族、イシュタルの中心に位置する世界樹ユグドラシルの守護と管理、そして魔法の祖と呼ばれる星霊族。イシュタルの魔法文化は星霊族から伝承したとされている。各種族が均等に力を持ち、この世界の平和は保たれていた。
しかし、その均衡を崩す種族が台頭してきた。それは”人族”である。
平均的な身体能力、身体で生成される魔力量も各種族には劣るため、魔法を扱うのもままならなかった種族。イシュタルの片隅で静かに暮らしていた少数民族が何故均衡を崩す存在になったのか。
それは各種族を凌駕する知力と圧倒的なまでの向上心である。他の種族と異なる魔法耐性と魔力量をカバーするため独自の魔法体系の確立、魔法と工学を合わせた「魔工学」でめざましい発展を遂げ、イシュタルでの地位を確立させてきた。
だがここで二つの種族の間に亀裂が入る。純粋な魔法を生み出してきた星霊族と魔法を改良してきた人族。魔工学の完全撤廃を求める星霊族、進歩の歩みを止めない人族。
幾度とも交わされてきた話し合いは平行線のまま、互いの折り合いはつかないず、二つの種族は争いで話しをつける展開となった。血で血を洗う互いの尊厳と名誉を懸けた戦争。
イシュタルの魔法史にも最も大きな転換期として刻まれている異種間戦争――星の子戦争。十年にも続く小競り合いの末、各族長が互いの消耗していく戦況を憂いついに休戦協定に合意した。
人族最大派閥、アスエム帝国領帝都ミッドカルド。
アスエム帝国の"王"と四大皇族の長、上流貴族――彼ら評議員が集う謁見の場で休戦協定が行われた。
赴いたのは、当代の星霊族当主――レイラ・ストラスフィア。従者一名のみを連れ、相対する種族の本拠地に現れた彼女は平和的解決を望んでいた。多くの犠牲の先に得られるものがない戦争に未来がない.......と。種族の反対を押し切り交渉のテーブルについたのだった。
しかし、戦争は終わることはなかった。
翌日、イシュタル全土に響き渡ったのは「星霊族の女王が休戦協定の場で人族を皆殺しにした」という哀しき結末であった。これにより、人族と星霊族の戦争は激化していくこととなる。
星霊族の主張は一貫して「人族は殺していない。」であった。が、そんな主張など人族が真に受けることもなく、弔い合戦かのように星霊族へと侵攻を始めた。小競り合いと殲滅は全く違うのだと、星霊族は勿論、人族さえも思い知らされるのだった。人族が生み出した魔工学の進歩は星霊族の想像をはるかに超えていた。
魔法障壁を携えた空挺艦隊、絶大な破壊力を持つ魔法兵器、魔法耐性のかけられた鎧を纏う兵士。今までのイシュタルの戦争の歴史を全て覆したアスエム帝国の魔工学技術は戦局などと図る必要のないほど圧倒的な力量差であった。十年続いた小競り合いが文字通り小さいものであったと星霊族の目に体に頭に深く刻み込んだのだった。
星霊族の領地に侵攻してから五日もしない内に、アスエム帝国の軍は星霊族の本拠地の喉元まで来ていた。
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星霊族の当主――レイラは娘であり次代当主でもあるユーリ・ストラトスフィアを連れアスエム帝国の侵攻方向から離れるように森を駆け抜けていた。
「ユーリ、あなただけは絶対に守るわ」
レイラに手を引かれ、転びそうに絡まる足を必死に地面に押し当てる。レイラの表情はユーリからは見えないが、かなり焦りの色を示しているのが分かるほど空気は張りつめていた。幼児ながら事態の重さはひしひしとユーリに伝わっていた。
戦争などと身に覚えのないことに巻き込まれながらも、族の当主の娘として、次代を背負う者として、母と逃げることが星霊族の未来を救うことになると悟っていた。恐らく、背を向けた方角では星霊族の存続をかけた争いが行われているのだろう。
数百数千の命の花弁が春の嵐に吹き飛ばされていると知りながらも、その足を止めることはできなかった。その足を止めることが、背中を向けた星霊族の民への最大の裏切りになるからだ。
「もうこちらにも来ていたか……」
突如、足を止めた母の背中に顔をぶつける。しかし、すぐにぼやけた視界に危機とした状況が飛び込んできた。帝国軍の兵士が前方に数名。こちらに攻撃の意思を持ち、じりじりと距離を詰めてきている。
「レイラ・ストラトスフィアだな?大人しく投降しろ」
兵士は冷たく言い放つ。レイラはユーリを自分の背の後ろに隠す。兵士が小銃を構え、その銃口はレイラたちを捉えた。
「大人しく投降したとして、無事に済むのかしら?」
「この戦争の最終目標はお前だ、レイラ・ストラトスフィア。お前さえ拘束してしまえば、星霊族は攻撃の意思はなくなるだろうからな」
「そう.......残念だけど捕まるわけにはいかないの」
レイラの髪が逆立ち、魔力が周囲に満ち溢れる。ユーリは呼吸のしづらさを感じ、咄嗟に母の魔法だと気づいた。辺りは凍てつき、木々はおどろおどろしく揺れ動いた。一変した空気に兵士たちは驚きを隠せない様子であったが、すぐに膝から崩れ出し、悶えるようにしてそしてピタリと動かなくなった。レイラの魔法が解いた頃にはユーリの体力はかなり奪われたのか、身震いが止まらなくなっていた。
「何度も私の魔法には耐えれないか……」
レイラは唇の端を噛む。レイラの魔法は広範囲出力が高すぎるせいか、ユーリへのダメージを完全に無くすことはできずにいた。さきの兵士ほど戦闘不能にまではいかなくても、着実にまだ幼い体にはダメージが溜まっていっていたのだ。そしてレイラの魔法にはもう一つ欠点がある。
「おい!こっちにいたぞ!」
魔法出力が高いということはそれだけ魔力探知に引っかかりやすいということだ。このままユーリを連れて戦闘を繰り返すことはかなりのリスクを抱えていた。唇を噛み、何かの決断に迫られている表情にユーリは何故か不安を覚えたのであった。続々と兵士たちが集まってくる。レイラはユーリと目線を合わせ、向き直った。その表情はさっきまでの星霊族の長としての険しい表情ではなく、一人の母としての朗から顔つきであった。
「ユーリ、あなたとはここでお別れよ」
「えっ、なんで?私、お母さんと離れたくないよ!」
「ごめんね.......あなたの大きくなった姿、見たかったな……」
そう言ったレイラは笑顔を浮かべているものの、頬には涙が滑り落ちている。レイラは手をかざし、ベールような魔力の膜がユーリを包む。先ほどの冷たい魔力とは全く違う、温かい愛情をこめられた優しい魔力だった。ユーリを包んだベールは宙に浮かび、その場を離れようとゆらゆらと移動し始める。
「待って!待ってよお母さん!私を一人にしないで!」
「ユーリ、ちゃんとご飯食べてね。歯磨きもしっかりね。一緒に寝てあげられないけど、寝るときは怖がらないでね。……げん……過ごし……」
ベールを力強く叩くもびくともしない。無慈悲にレイラから遠ざかっていき、母としての言葉はだんだんと聞こえなっていった。
レイラは兵士に向き直り、魔法を展開する。周囲は死を感じさせるほどの凍てつきが漂い始め、大気は武者震いかのように揺れ動いた。空は青暗く沈み、誰もが不穏な空気を察し天を仰いだ。
青暗い空から一筋の光が差し込む。その先にはレイラの姿があり、煌々と照らされたその姿はまるで女神のように神々しい。
膨大な魔力と共に複雑な魔方陣が展開される。二重三重の帯状の魔方陣がレイラの周囲を囲み、レイラを中心として地面にも魔方陣が広がりだす。
「やめて、お母さん……」
涙で霞むユーリの視界に遠くの母が微笑んだ気がした。
優しく柔らかな表情はその場にいるのが戦場だということを忘れさせるくらいに。
轟音と共に、眩い光がレイラを起点に放出され膨大な魔力を溢れ出した。
母、としての最後の魔法は娘を全ての障害から守る暖かな魔法を。
星霊族の当主、として最期の魔法は全てを壊さんとするほどの広範囲出力でその一帯の帝国兵士を地形ごとイシュタルの世界から葬り去ったのだった。
イシュタル全土を巻き込むこととなったこの星の子戦争は星霊族当主の絶命と種族の降伏を最後に幕を閉じた。