第1話 カウント開始
いつもなら、森に囲まれたその石造りの城は、夜になると暗闇の中に静かにたたずんでいる。
それがこの日は煌々と光を湛え、物々しい雰囲気に包まれていた。近頃世間を騒がせている怪盗からの予告状が届き、蟻の侵入も許すまいと警備を強めていたのだ。
しかしその甲斐もなく、警報は火花を散らすように鳴り響き、第2ラウンドの開始を告げた。
「出入口の封鎖を確認」
城内にアナウンスが流れ、大勢の警備員の足音がこだました。
鉄格子ではめ殺しにされた窓の前を、警備員たちが走り抜けた。彼らが向かう先には、大柄な男の姿があった。見た目は二十歳前後、黒いジャージの上下にボディバッグを備えて、軽快に警備員から逃げていた。
男は、人間離れした素早さで、捕まることなく出口のない城内をしばらく逃げ回った。けれども数にたのみ、連携のとれた警備員たちの動きに徐々に逃げ場を失い、ついには追い込まれてしまった。
「ここまでか~」
残念そうに男が言った。
「わかってるじゃないか。怪我をしたくないなら大人しく捕まれ」
警備員の1人が、真っ暗な空に背を向けた男に言い放った。
建物は城、場所は城壁の上。城壁の下には、水を張った幅の広い堀があった。飛び込むこともできるが、堀の岸にもたくさんの警備員がいて、逃走経路としては適していなかった。
しかし、そんな状況に置かれてなお男は楽しそうに笑った。
「ふふふっ。記録は何分?……10分もたなかったか」
男は、誰かと話すようにそう言った。
(通信機器を持っているのか。そのようには見えないが…)いぶかりながら、一番前にいた警備員が目をこらした。すると、その目がちょうど男の目と合った。
「おじさんたち、やっぱプロだね。圧倒されたよ。いい経験になった。ありがとう。それじゃあ、また機会があれば」
そう言った途端、男の全身から霧が吹き出した。霧は男と警備員たちとの間に広がって、男の姿を見えなくした。
「小細工を!」
霧の中へ、勇敢な警備員の一人が突撃した。けれど男がいたはずのところは通り過ぎ、城壁の端に着いて、その警備員はキョロキョロと辺りを見回す羽目になった。
直後、ドボンっと大きなものが水に落ちる音がした。確認すると、堀の水面には大きな波紋が広がっていた。
「飛び込んだぞ」
堀の周りにいた警備員たちは、大声で呼びかけ合いながら集まり、逃がすまいと、水面をライトで照らして浮かんでくるであろう男を捜し始めた。
そんな、誰もが堀に注目している中で、城壁側にいた警備員の一人が「あれっ?」と声を上げた。
「どうしたんだ?」
「いや、今何か黒い線が森の方へ伸びていたような…」
「……何もないぞ」
「……気のせいか?」
「おいおい。しっかりしてくれよ」
その警備員は軽く首をかしげると、促されて、捜索中の仲間と合流するためにその場をあとにした。
その後、堀の周囲は、数を増す警備員たちによって騒がしくなっていった。
そんな騒々しさから、離れること数十メートル。森の木が生い茂るところに、黒い線は確かにあった。確かにあったが、城に近い方からみるみる消えていっていた。そして、その先にあった端へとすぐに到達すると、見る影もなく消えてしまった。
そこに残ったのは、深夜の森に相応しくない、少年の姿だけだった。小柄な少年が、その小さな体をさらに縮めて息をひそめていた。
「うまく騙せたみたい」
少年は、振り返って確認するとそう言った。そしてニヤリと笑いながら立ち上がって、目の前にあった低木を跳び越えた。
怪盗騒ぎの数週間前、小柄な少年は、太陽の光が照りつける草原で低木を跳び越えていた。
身につけているボディバッグでは、ピンで留めたカメオがキラリと光った。
着地をし、激しく足を回転させる。少年は、走っていた。いや、走っていたというより、逃げていた。
後ろからは、八百屋(48歳・♂)が真新しい自転車を猛烈にこぎながら追いかけていた。
「このガキ、今日こそ許さねえぞ」
両者譲らぬデッドヒートは、スタート地点の町を遠くにのぞみ、なおも拮抗していた。低木を跳び越え、あいだを縫い、差をつけたり縮めたり…。少年は底なしの体力で、八百屋は気合いと根性で、遅れをとることなくここまできた。
だが、もうすぐ草原を抜け、森に入ってしまう。そうなれば自転車は不利だ。八百屋はそれまでに捕まえようと「うおおお」と声を上げ、さらなる加速をした。
と、ときを同じくして、森の手前の高い木が数本ある辺りで、二人を待っている少年たちがいた。
細身で眼鏡をかけた少年と、斧を持ってボーッと立っていた、太った少年だ。
彼らは草原から見えないように、木の陰に隠れて様子をうかがっていた。
「来たね~」
太った少年が持ち前のテンポでゆっくり言うと、細身の少年は突き放すように言った。
「見ればわかるよ」
細身の少年は多機能眼鏡をかけていて、それで、近づいてくる二人との距離を測った。
「結構早いね。もう近いし、構えようか。ゼロで振り抜いてよ」
「うん、わかった~」
ゆっくり答えてから、太った少年が斧を振り上げた。
「ゴー、ヨン、サン、ニー、イチ、ゼロ」
「……よいしょ」
2テンポほど遅れて、斧は力強く振り下ろされた。
ザンッ。
斧が切ったのは、これでもかというぐらいピンッと張られた綱だった。
罠を発動させたのだ。
結果、地面に隠してあった網が持ち上がり、その上にきた八百屋を見事、「うおおお」という驚きの声と共に自転車ごと捕まえた。
「やった~。上手くいったね~」
太った少年の喜びの声に、細身の少年が答えた。
「ああ、完璧だった(僕がね)」
それから2人で木陰を出て、小柄な少年と、合わせて3人で八百屋を囲んだ。
「くそっ!またこんなの作りやがって!」
網の中で八百屋が野犬のように叫んだが、少年たちには悪びれる様子も、ひるむ様子もなかった。
それどころか、細身の少年に至っては相手を煽る始末だった。
「自転車を新調しても、フィトには追いつけなかったね」
フィトと呼ばれた少年は、今し方まで走っていたにもかかわらず、全く息が切れていなかった。そして堂々とした態度で、細身の少年をたしなめた。
「カルパ。人の努力をバカにするのは良くないぞ」
たしなめられた細身の少年・カルパは、悪びれこそしなかったが、意見を汲む様子は見せ、それ以上何も言わなかった。
「クエタ、斧は?」
フィトが今度は、太った少年・クエタに話しかけた。そのクエタの手に斧はなく、代わりにスナック菓子の袋があった。
「あっち~」
クエタが、お菓子を食べる合間で木陰をさして、ゆっくり言った。
フィトは、のぞき込むようにして斧を確認すると、八百屋の方に向き直った。
「今日も残念だったね。
それじゃあオレたちは行くとこがあるから、あっちの斧、クエタんちのだから返しといて。
罠は、10分したら出られるから」
フィトは、一方的にそう言うと、八百屋の返事を待たずに背を向けて歩き始めた。
「おいっ。待て。勝手なこと言うな」
八百屋が制止するも、フィトは気にも留めなかった。カルパは、「ご愁傷様」とだけ言うとフィトに続き、クエタは何も言わないまま、スナック菓子の咀嚼音だけを響かせながら2人についていった。
一人取り残された八百屋は憐れなものだった。足掻いても網から出られず、「待て!帰ってこい!」と何度呼び止めても無視されて。そして、最後にはその積もったものを吐き出すように、大声で叫んだ。
「この報いは絶対に受けさせてやるからな!」
しかし、八百屋から放たれたその咆哮は、少年たちに関心を持たれることもなく、その頭の上を飛び越えて、森の幽閑へと消えていった。
「で、それは、この森の中にあるのか?」
「そうみたいだよ」
フィトの問いかけにカルパが答えた。それから彼は、手に持っていたノートを開いて、書いてあることを確認した。
「町から真っ直ぐ行った、ちょっとした山になっているところだって」
「山か~。山ならこのすぐ先にあったなぁ」
フィトが生い茂る草を踏みつけ、簡易的な道を作りながら答えた。
「行ったことある?」
「いや、まだない」
「いつか行こうとは思ってたんだ…」
二人が話していると、後ろからドローンの音が近づいてきた。それはクエタを自動追尾するドローンで、それが、八百屋を罠から解放する役目を終えて、3人に追いついてきたのだ。
そのドローンには大量のスナック菓子を詰めた網がつるされていて、クエタは、ドローンがクエタの手前でピタリと止まるやいなや、早速中身がなくなった袋と取り替えて、新しいスナック菓子を食べ始めた。
「八百屋も追いかけてきてたりしないか?」
フィトが、少し期待感を持って言った。
「来ないよ。あの人、変に真面目だから、今頃どうせ斧を持って自転車こいでるよ」
カルパが吐き捨てるように言ってから、目を細めた。
「―ところで今日は、何をとったの?」
「ん?りんご。食うか?」
フィトが、ボディバッグの中のりんごを見せた。
「いらないよ!いわく付きの物なんて」
カルパは強く拒否した。
「―それにしてもあの八百屋、りんご1つでよくあれだけ追いかける気になるね」
「しかも、ちゃんとお金払うんだぞ。クエタのとこのおばさんが」
「まあ、それが気に入らないから八百屋も怒ってるんだけどね」
「何が気に入らないんだろうなぁ」
フィトはそう言って考える素振りを見せたが、それも一瞬だけのことで、結論も出ないまますぐに切り替えた。
「まあいいか、そんなことより、そろそろ山だな」
森へ入ってからこっち、地面はずっと波打っていた。
だが、この先は明らかな上りになっていた。しかもけっこうな急斜面だった。
フィトからすればなんてことない角度ではあったが、はてさて、あとの二人はどうか。
フィトは、振り返ってカルパを見た。カルパは疲れが見える顔で、恨めしそうに斜面を見上げていた。
(うん、無理そうだ。)
それがフィトの忌憚のない感想だった。
「やめとくか?」
フィトに聞かれて、カルパは一瞬諦めかけた。だが、あることに気づいて、考えを改めた。
「いや、迂回路を探そう。あの父親もそうしたに違いない」
実は、カルパが持っている、行き先を示したノートは、カルパの父親が書いたものだった。
つまりその父親もこの先には行ったはずで、その身体能力を考えれば、迂回路を探す提案は当然の帰結だった。
「なるほど。そりゃそうか」
フィトも納得し、迂回してみることになった。
「しかし、オヤジさんの秘密基地かぁ。楽しみだな」
フィトが、目的地へ胸を膨らませて言った。
「あるのは祭壇だよ。勝手に秘密基地にしないの」
のんきなフィトに対し、カルパは少し気が張っていた。
「―何度も言うけど、本当にあるかわからないよ。『ただの妄想でした』ってオチもあるんだから」
「でもそのノート、引き出しの奥に隠してあったんだろ?嘘だったら隠したりしないって」
「いや、嘘というか、創作だから隠すってこともあるよ。小説の設定とか」
「そんな内容なのか?」
フィトに聞かれて、カルパがさらっと概要を並べた。
「……洞窟の奥の石室、公園の休憩所みたいな祭壇、奇天烈な文章―」
「奇天烈な文章?」
「うん。何でも、文字の一つひとつが様々な言語で書かれてて、単語もバラバラ、ルールもバラバラだから、解読が困難なんだって」
「…?そんなの読めるのか?」
「さあ?ノートには、少しは読めてるみたいに書いてあるけど…」
「オヤジさんも、奇天烈だな」
「その奇天烈な父親の勘では、どうやらその文章は、祭壇で行う儀式の説明書きっぽいとのことだよ。何のため儀式だか」
「面白そうじゃないか。悪魔とか召喚できるかも」
「いや、それがね。文章には現代の言葉も使われてるんだって。
つまり、書かれたのは最近ってことでしょ?それで儀式って言われても、まるで神秘性を感じないよ。
そのお粗末さが僕には、小説の一節のように思えるんだ」
「ふ~ん。……オヤジさんって小説書いたっけ?」
「う~ん。歴史学者として本は書くけど、これまで全くのフィクションは書いたことないかな」
「なら、小説じゃない可能性も十分あるじゃないか。何をそんなに心配しているんだ?」
「えっ、だって、もしなかったら…」
「そんなの、なくて普通だろ?あるかもしれない分、オレたちは得してるじゃないか」
フィトの独特な計算方法に、カルパは目を丸くした。
「…まあ、フィトがそう言うならいいけど…」
カルパは、そう言いながら、肩の力が抜けて、体が少し軽くなった気がしていた。このときばかりは、道なき道を進むこの時間も、あまり苦痛に感じなくなっていた。
しかし、そんな気持ちも、すぐに覆された。
「あれ?あそこ道になってないか?…ほら、整備されてる」
フィトが発見したのは、草を除いて砂利を敷いた、見るからに人工的な道だった。
では、だれがこの道を作ったのか。カルパの脳裏に1人の顔が浮かび、怪訝な顔をした。
「そういえばちょっと前に、父親がそういった機械を借りてきていたような気がする」
「マジか、当たりだな。…でもこんな道があると、秘密基地としてはどうなんだろうな」
問題はそこじゃないし、目的地も秘密基地ではない。カルパは思ったが口には出さなかった。
「おい、カルパ。見ろよ、あっち」
今度は何だ。カルパがフィトの指した方を見た。するとそちらでは、見えるところに森の終わりがあった。そこまでモビリティで来られそうなので、道なき道を進む必要はなかったわけだ。
「帰りは早そうだな」
そう言ってフィトは笑っていたが、カルパには、怒りが込み上げていた。父親はどうしてその道のことをノートに書いていなかったのか。記録者としての良識を今すぐ問いただしてやりたくなった。
カルパは、急に体が重たくなったように感じていた。クエタを見ると、彼もずっと後ろから着いてきていたはずなのに、疲れた様子はなく、ずっとスナック菓子を食べていた。
いや、スナック菓子を食べているのはいつものことだった。だが、人の気も知らないで涼しい顔で食べ続けられては、気が滅入る。
「どうしてそんなに食べ続けられるんだ…」
思わず漏れたひと言に、クエタが反応した。
「ん~?おいしいよ~?」
味の話ではない。味で解決するのは、世界でクエタだけだ。カルパは自分の置かれた状況を嘆かわしくに思い、その思いが疲れた体をさらに重たく感じさせた。
心境は最悪だが、まだ先はある。
カルパは、踏みしめる砂利の音と、スナックを食べる咀嚼音を聞きながら、どうにかフィトの背中を追って、なだらかな砂利道を登っていった。
その洞窟は、山の中腹に、本当にあった。自然豊かな山の中にあって、入口の前だけがわずかに平地になっていたので、すぐにわかった。
入口まで行き、覗きこむと、奥への光の到達を拒むように、真っ直ぐな横穴が伸びていた。
幸い、クエタのドローンに周囲を照らせるライトがついていたため、先行させて洞窟内に入ることができた。
洞窟内の壁や天井は土がむき出しで、いつまで形をとどめていられるかは未知数に思えた。
少し進むと、意外にもすぐに、広めの部屋に突き当たった。例の石室のようだった。30㎡くらいの広さに、出入り口は1つだけ、その中央には、石造りのテーブルがあった。
そのテーブルは、大小の2つの円がくっついたような形をしていて、入口から見ると、雪だるまのような形をしていた。
椅子と思われるものも、雪だるまの胴体の左右と、足下にそれぞれ1つずつ、計3つ確認された。
なるほど、公園の休憩所とは言い得て妙だ。入口から見て左手の壁には例の文章らしきものもあって、ノートを読んだときの印象と、目の前の光景が見事に合致した。
そしてそのことでカルパは、不覚にも一瞬、物語の中に入ったような錯覚にとらわれていた。
「オヤジさんの書いたとおりだったな」
フィトに言われて、カルパはドキッとした。妄想に浸っていたことに気づかれたと思ったからだ。
けれどフィトにその様子はなく、その発言もありのままを言ったに過ぎないことに気づいて、カルパは何事もなかったかのような顔をして、淡白に相槌を打った。
フィトは、洞窟を見つけてからというもの、はしゃぎっぱなしだった。ひっきりなしに動き、遅い2人をせかし、洞窟の高さや、土で出来ていることなど、何でもないことにも声を上げて喜んでいた。
石室に入ってからも、壁をたたき、テーブルをさすって、「石だ、石だ」と意味のないことを繰り返し叫んでいた。
そして、一通り回ると謎の文字列を見上げ、何やらブツブツ言っていた。
「わかる文字が23個しかない」
フィトは、嬉しそうに言った。どうやら数を数えていたようだった。
「なぜかフィトが文章を読める」みたいな奇跡を一瞬たりとも期待しなかったカルパがそんなフィトをスンとなって見ていると、フィトが、話しかけてきた。
「で、ここで何するんだ?これを読むのか?」
「…ん?それはうちの父親に任せておけばいいじゃない?」
カルパが、フィトの高揚にゆっくり波長を合わせながら言った。
「―それより、こっちの方が面白いと思うよ。椅子が3つなんて、僕たちのためにあるみたいでしょ?」
フィトに合わせに行った結果、カルパは少し気取った言動になっていた。
そのことに自分で気がついて恥ずかしく思ったのだが、フィトの反応は「いいこと言うな」とノリノリで、なんだかそれが、なおのこと恥ずかしかった。
「このテーブル、何のためにあるんだ?」
フィトが無邪気に問いかけた。
ここで恥ずかしがっていて、バカにされてはつまらない。カルパは恥ずかしさを押し殺して、少し大人ぶって答えた。
「正確なことはわかってないよ。それを考察するのが面白いんじゃないか。フィトは何をするところだと思う?」
「何だろうなぁ」
よし、バレずに済んだ。カルパはそう思いながらフィトと一緒に、テーブルを観察した。
雪だるまの胴体の方、大きい円は、内側にもう1つ円形の盛り上がった台があって、回らない中華テーブルみたいになっていた。
そして、頭の方、小さい円には、こちらも内側に円形の切れ込みがあって、大きい円の台と、細い溝で繋がっていた。
「なんだか、ボタンみたいだな」
フィトが、小さい方の円形の切れ込みをのぞき込みながら言った。
「ノートにもそう書いてあるよ。でも、違うとも書いてあるけどね。『これを何かの装置と見るのは夢想が過ぎる』って」
「なんだよ。夢がないなぁ」
「いや、あの人のことだから、自分で一度、押してるんじゃないかな。そのうえでこれを書いたんだよ。見栄っ張りなところがあるから」
世界のどこかで、カルパの父親がくしゃみをした。
「じゃあそのオヤジさんは何て?」
「まだ結論は出てないみたいだけど、それは蓋で、中に何か入ってるのかもって」
「何を入れるんだ?」
「さあ、それは作った人に聞いてみないと」
「何を入れるかなぁ。…クエタだったら何入れる?」
フィトがクエタの方を見た。クエタは、ドローンから外した、大量のスナック菓子の網を担いで、入口付近に立っていた。相変わらず、スナック菓子を頬張りながら…。
その姿を見て、フィトにはクエタの答えの見当がついた。
「スナック菓子は入ってないぞ」
フィトが言うと、クエタはおもむろに頷いてまたスナックを頬張った。
「なんにせよ。しかるべき機械がないとそこは調べられないよ。それよりこっちを見てみない?」
カルパに促されて、フィトは大きい円を見た。
大きい円には、3つの椅子にそれぞれ対をなすように、溝でかたどられた2つの四角形があった。
一方の四角形は大きめで、椅子の真正面に、もう一方はその右にあって、真四角の形をしていた。
どちらの四角形にも中には溝で絵が描いてあって、大きめの方はすぐにはわからなかったが、その右にある真四角の方に描かれているものはすぐにわかった。
「手形…だよな。ここに手を置くのか?」
「だろうね。3つともあるから」
フィトは、あとの2つも見て確認しようとしたが、立っていた場所からは確認することができなかった。
しかし、カルパを疑っているわけでもないのでわざわざ動くことはせず、もう一方の大きめの四角形に話題を変えた。
「こっちは何が描いてあるんだ?」
「ええっとね。それぞれ違うものが描かれていて、説明書きがある壁の方は〈頭〉、入口の方はわからなくて、残りが〈腕〉じゃないかって」
「これが〈腕〉か」
溝で簡潔に描かれている絵は、〈腕〉と言われて初めてイメージができるものだった。
「―これの意味はわかってるのか?」
「ん~、〈担当〉…なのかな。説明書きにそれらしい言葉が書いてあるって。つまり〈腕〉を担当する人がここに座るってことだね」
「担当かぁ。…なら〈頭〉はカルパで決まりだろ?…あと1つは何だろうな」
フィトが、入口側の椅子の方へ移動した。
「なんだこれ。ただの落書きじゃないのか?」
入口側の絵は、ごちゃごちゃしていて何が何だかわからなかった。〈腕〉の絵とは溝の多さが段違いだ。どうしてこんなことになったのだろうか。
「ノートにも、これは後回しって書いてあるよ。説明書きを読み進めれば、わかるかもしれないからって」
「そうか。そういうことなら、悩んでも仕方ないな。クエタここでいいか?」
「うん~、いいよ~」
「じゃあ座って」
そう言われて、クエタが口をモグモグさせながら、ゆっくりテーブルに歩み寄った。
「えっ?ちょっと待って。儀式の真似事でもしようっていうの?」
カルパが驚くと、フィトがあっけらかんとして返した。
「そりゃあ…そのために来たんだろ?」
「違うよ?誰が何のために作ったのかもわからないのに、遊んじゃ駄目だよ。その人にとっては神聖な場所かもしれないんだよ?」
「大丈夫だって。なんか…そんな真面目なフインキここにはないもん。それに、そういうのは気持ちの問題なんだから、バレなかったら誰も嫌な思いしないって」
「いや、そういう考え方は…」
カルパが反論しかけたが、フィトは聞く耳を持たなかった。
「ほらっ、〈頭〉はあっちだろ。回って回って」
気乗りしない様子は変わらない。だが促されて、カルパはテーブルを回り込んだ。
その間にフィトは、〈腕の席〉に座り、手形に自分の手のひらを合わせていた。
「ここに手を置いて、みんなで呪文を唱えたりするのかな」
「呪文か祈祷文か知らないけど、それらしい文言はノートには書いてないよ。必要ないんじゃない?」
「え~。そんなのフインキ出ないじゃないか」
「呪文ばかりがフインキの出し方じゃないってことでしょ。…そもそもフインキって何?そんなのいる?」
「いる!フインキは大事。呪文も大事。…てかこれ、俺の手とピッタリ合うんだけど」
話は変わって、手形のことだ。
「―クエタはどうだ?」
「ボクもだよ~」
クエタが〈何かの席〉に座って言った。
さて、その手はきれいではないだろう。あとで掃除させなきゃ。カルパはそう思いながらも、手形には興味を持っていた。
「…確かにノートには、『手形は小さめ』って書いてあったけど」
カルパが〈頭の席〉に座って、手形に手を置 いた。
「―僕もピッタリだ。…でも変だよ。僕たちの手の大きさだってバラバラなのに、どうして―えっ?なんだこれ!うわぁ」
カルパが疑問を口にする最中、驚きの事態が起こった。
ただの石で出来ているはずのテーブルが、急に視界を埋め尽くすほどの光を放ったのだ。
咄嗟のことで3人は目をつむったが、あまりの光量に目をやられてしまい、何も見えない時間が出来た。
いったい何が起こったのか。目が見えない代わりに耳をそばだてると、今度は石室内に、石がこすれる音が響き始めた。
「何?何?何?」
無防備な状態でのそれは、恐怖でしかない。
かといって、無闇に動くこともできない。
そうしてその場で恐れおののいていると、ほんの数秒で音が止んだ。
フィトが、いち早く視力を取り戻し、周りを確認した。
新しい通路が現れたわけでもなければ、入口が塞がれたわけでもなかった。
では、あの音の出所は何だったのか。
探してみるとその答えは、テーブルのもう一方、小さな円の方にあった。
そこにある切れ込みの内側が、3cmほど上昇していたのだ。
「なんだか、ここ、浮き上がってるぞ」
謎の展開を受けて、フィトが二人に呼びかけた。
しかし、それで返ってきたのは、人のうめき声だった。
聞き覚えのある声だ。
そのことに気づいて目をやると、カルパが頭を抱えてうずくまっていた。
「どうした?頭が痛むのか?」
声をかけても、カルパはただうめき声を上げるだけで、返事をしなかった。
(クエタは?)
フィトは、クエタも心配になって、クエタの方を見た。
するとクエタは、平然とカルパのことを見たあとで、あまつさえ悠々と、落としたスナック菓子の袋を拾い上げていた。
「おい、今は食べてる場合じゃないだろ?」
フィトが驚いて咎めた。
けれどもクエタはその、咎められたことに驚いた。
「え~。でも~、大丈夫そうだよ~。時間はかかるようだけど~。」
「えっ?そうなのか?」
人が苦しむ姿などそうそう見るものではない。フィトは、クエタに大丈夫だと言われて、疑う根拠を持っていなかった。そのためクエタを信じて、うずくまるカルパを黙って見守った。
カルパは、しばらく経つとクエタの言葉どおり静かになった。
いや、静かになりすぎたくらいだった。うめいていた分、呼吸は乱れていたが、それだけだった。落ち着いたのなら何があったのか話し始めそうなものだが、それがなかった。
呼吸をしているのだから意識はあるのだろうが、何がどうなっているのか、その現状を周りが量るすべはなかった。
(声は届くのだろうか。)
フィトがそう思って声をかけた。
「落ち着いたか?」
するとカルパはその声に、一度ピクリと反応した。そして、それから小刻みに震え出し、絞り出すように小さく声を発した。
「ごめん…」
「えっ?なんて?」
カルパが謝るような状況が理解できなかったフィトは、聞き間違いかと思って聞き返した。
しかし、カルパはもう1度謝った。
「ごめん。こんなつもりじゃなかったんだ」
何のことだろうか。フィトもクエタも、何ら被害を受けていない。むしろ苦しんだのはカルパだけだった。いったい何を謝っているのだろうか。
普通ならこの異常さに不安を覚えるところだ。
だが、フィトの肝は太かった。
「…うん…そうか!まあ、いいんじゃないか?何が『ごめん』かはわからないけど、どうにかなるだろ」
「そんな軽い話じゃないんだ!」
突然カルパが声を荒げ、フィトが驚いていると、カルパが沈むように続けた。
「―僕たち、死んでしまうんだよ」
まだ理解はできないが、事態は思いの外おおごとのようだった。
ただそれでも、フィトに動揺は見られなかった。
「そうなのか?いつ死ぬんだ?」
「いつって…それはまだわからないけど…」
「じゃあ、今までと変わらないじゃないか?」
「違うよ!劇的に短くなってるんだから!」
「そもそも、どうしてそれがわかるんだ?」
「それはあの父親が―」
カルパは言いかけてからやめて、一度大きく深呼吸をした。
「―ごめん。少し冷静になるよ。聞いてくれる?」
フィトは無言で浅く頷いた。
「―まず、今僕がうずくまっていたのは、膨大な量の情報が頭の中に入ってきたからなんだ。どうやら世界中の知識を得たみたいなんだけど、それがあまりにも多すぎて処理し切れないものでね。
そしてその、世界中の知識を得るっていうのが、この祭壇の力―〈霊験〉とでもいうのかな―それを受けた結果らしい。
〈頭〉を担当するっていうのは、そういうことだったみたいだね」
フィトが、なるほどと言わんばかりに頷いた。
「―そして、それでわかったことなんだけど…この、僕が持ってきたノートは、実は古いものだったんだ」
「…?それをオヤジさんが隠してたのか?」
「ううん。それが僕の勘違いだったんだよ。これは隠してたんじゃなくて、なくしてたんだ。それを僕が見つけて持ってきてしまったんだよ」
「じゃあ…」
「そう。これには最新版がある。説明書きの全文を訳した最新版が。
そしてその中身が他の情報と一緒に僕の頭の中に入ってきたんだ。だから言えるんだよ。『僕たちは、遠からぬ未来に死ぬ』って」
「で、それがいつなのかはわからない、と」
「うん。説明書きによると『神々の恩恵がなくなったら』だって」
なんだか謎かけのような一節だ。具体的には何を指すのだろうか。
2人が頭を悩ませていると、どういうわけかクエタから情報が寄せられた。
「それ~5日と~14時間ぐらいかな~」
「えっ?」
変に具体的な数字に、二人はびっくりした。
「何の時間?」
薄々勘づいていたが、カルパがクエタに確認した。
「多分~、残りの時間~」
「どうしてわかるの?」
「だって~、それ~」
クエタが指したのはテーブルの、小さい円の方だった。
そこの切れ込みの内側が少し上昇したのは、フィトもさっき確認していた。
「それ~、下に動いてるよ~」
「本当か?」
フィトは小さい円に近づいて、じっくり見た。
「―いや、かすかに回っている気はするが、下がってるか?」
「そりゃわかるはずないよ。5日半でその高さを動くってことは、1日で0.5mmくらいってことでしょ?時速で0.02mm、秒速で0.06μmだよ?人が捉えられる数値じゃないよ!」
「そうなの~?でも~、そう見えるけど~」
「そんなに離れたところから?」
カルパがクエタに疑い目を向けた。
だが、その目が見たのはもっと他のものだった。
「―んん?クエタ。目、光ってない?」
「マジか?そんなことある?」
フィトものぞき込んだ。
「―ホントだ。光ってる」
クエタの両目は、何を照らすでなく、眼球全体から淡い光を放っていた。
ただ、確実に自身の視界には入っているはずだが、クエタ本人はそのことを知覚できていなかったようで、
「え~?ボクの目~光ってるの~?」
と 言うと、思わぬ展開に2人の顔を見比べ、目を白黒させた。
「あっ、消えた。どうしてだろう」
消えたのは、小さい円から目を離した瞬間だった。
それを見て、カルパが考え始めた。
「何~?ボクに何かあったの~?」
不安がっているクエタ。
するとすぐに、カルパが答えを出した。
「…そうか。それがクエタが受けた〈霊験〉なんだ。それで微細な変化も観測できるんだよ!」
カルパが鼻息荒く言った。
そして、クエタの席のテーブルを確認した。
「この絵!この絵が示しているのは〈目〉…かな?…なんか違うね…」
〈目〉というヒントを得てなお、そこに描かれているものはわからなかった。
「そういえば、オヤジさんはそれ、なんだって結論づけたんだ?」
「えっ?あの人は…」
カルパはフィトの問いかけに答えようとしたが、ふと口ごもり、途端に顔を真っ赤にした。
「―あの人は、違うことを候補に挙げているよ。父親の名誉のために詳しくは言えないけどね」
「ふ~ん。じゃあ、わからないな。で、カルパはどうして赤くなってるんだ?体調でも悪いのか?」
「ううん。大丈夫だよ。ちょっと2人にはまだ早いことが頭をよぎっただけだから」
「なんだそれ。…まあ、いいや。ちなみにオヤジさん、オレのはなんて?」
「フィトはやっぱり〈腕〉みたいだね。何か変化はない?力が強くなってるとか」
言われてフィトは、手をグーパーさせた。
「そんな感じはしないな…。ちょっと貸して」
クエタの網を借りて持ち上げてみた。
「―うん…別段軽いとも思わないし…」
「もっと重い物を持つと発現するかもしれないよ。クエタだって常にってわけじゃないし」
「重い物?このテーブルとか?…よいしょ」
フィトが、テーブルを持ち上げようとしたが、ビクともしなかった。
「全然駄目だ」
「腕~、光んないね~」
「じゃあ何だろう。…細かい作業とかは?」
「例えば?」
「小さい物に字を書くとか」
「字かぁ。何か書くものあるか?」
カルパもクエタも首を横に振った。
「じゃあ、ひとっ走り行ってくるか」
「えっ?今から取りに帰るの?」
「試してみないとわからないだろ?」
「もっと他に試してみることが…」
「何を試すんだ?」
「まだ思いついてないけど」
「なら考えておいてよ。10分で帰るから。他に何かいるものは?」
「今は何も」
「あ~、母さんがクッキー焼くって言ってたから~」
「OK。ついでに寄ってくる。あっ、そのリンゴ、食べてもいいよ。それじゃあ」
そう言うとフィトは走り出し、あっという間に見えなくなってしまった。
テーブルには、食べかけのリンゴが残されていた。カルパが膨大な情報の流入に苛まれていた間、フィトが食べていたりんごだ。
そんなリンゴをカルパは手に取り、しゃくりと一口かぶりついた。
「これからどうしようか」
「フィトの〈霊験〉?を考えるんじゃないの~?」
「それも含めて、何に時間を使うか考えないと。…5日間だよ?5日間。……ホント、2人には申し訳なさしかないよ」
「何が~?」
「僕のせいで、あと5日間しか生きられないことがだよ」
「違うよ~。カルパのせいじゃないよ~。これは~、3人でやったことだよ~」
「何言ってるの。原因を作った僕の責任だよ!」
「でも~、カルパは見るだけのつもりだったんでしょ~?こうなったのは手形に手を置いたからだよね~?じゃあ~、それをやろうって言ったのはフィトじゃない~?ボクも一緒にやったから仲間だし~」
「一緒にやったのは僕もだよ」
「そうだね~。みんな仲間ってことだね~。…で~、何の話だったっけ~?」
「…もういいよ。なんだか時間の無駄に思えてきた。それより、この5日間をどうするか話そう。せっかく力を手に入れたんだ。いい使い道があるかもしれない」
カルパは話の流れで、フィトのことではなく、自分たちの〈霊験〉の使い道を考え始めた。
その一方でクエタは、他のことが気になっていた。
「ねえ~。この力って、神様の力なの~」
「どうして?」
「さっき、『神々の恩恵』って言ってたから~」
「ん~、どうだろう…。便宜上、そういう表現にしただけじゃないかな。伝われば、エネルギーとか、擬人化されない表現でも問題はないと思うよ」
「そうか~。じゃあ~、神様は関係ないんだね~」
「関係があったらどうしようと思ったの?」
「みんな名前があるのかな~って」
「みんな?」
「だって~、ボクたちは使える力がそれぞれ違うから~、それだけ神様がいるってことでしょ~?」
「そうとも限らないよ。1人の神様が全部使える可能性もあるんじゃない?」
「そっか~、1人かもしれないんだ~」
クエタは納得させられたが、言った本人はその誤りに気づき、眉根を寄せた。
「いや、1人のはずはないのかな」
「どうして~?」
「だって『神々』は複数形でしょ?なら最低
でも2人。単純計算で3人。ともすればここ以外にも、神様にあたる存在がいるのかもしれない!」
カルパが興奮気味に、目を輝かせて言った。
「そうなんだ~。でも~、いたらいいことあるの~?」
「重要なことだよ。僕も、『神々の恩恵がなくなったら』って表現には、違う意味で違和感があったんだ。最初から長さが決まってるのなら、そんな曖昧な表現にする必要があるのかなって。
でも、他にも『神々』が存在するのなら、その曖昧さにも説明がつくんだ。つまり、それらの恩恵も、継ぎ足すことができるかもしれないんだよ。
その仮説があっていれば、僕らの残り時間飛躍的に伸びる可能性さえあるんだ」
カルパはいつになく饒舌だった。
一方クエタは、話を理解しているのかどうか、相変わらずの通常運転だった。
「でも~、そんなのこれまで見たことないけど~、本当にいるの~?」
「問題はそこだよ。本当にいたとしても、どんな形で存在しているのかもわからないから、見つけられるかどうか…」
そうカルパが懸念を口にした直後、遠くでフィトが「おーい」と呼びかける声が聞こえた。
「えっ?さすがに早過ぎない?」
不思議がるカルパに、まだ遠いフィトの声が届いた。
「草原でスゴいバッタ捕まえたんだ」
(バッタ?そんなもので喜んでるヒマないのに)
カルパはムッとしたが、フィトは嬉々として続けた。
「これ全身が光ってるんだよ」
それを聞いてカルパとクエタは目を見合わせた。
「それだ!」
「…それかも~」
2人の声はそろわなかったが、気持ちは確かにシンクロしていた。
石室にて、3人はテーブルの大きい円の方を囲んでいた。
「多分、これが台座なんだ」
カルパが着目したのは、大きい円の盛り上がった部分だった。
「ここに置けばいいのか?」
「そう。おそらくこのバッタには、いわゆる
〈神々〉が宿っているんだ。〈神格物〉とでも言おうか。
そして、この〈神格物〉からは〈恩恵〉が得られる、という推察が成り立って、この台座が、そのための装置だと思うんだ」
「なるほど。それで、呪文は?」
「また呪文?」
「うん。ジュモンダイジ」
「どうして片言なの?……まあ呪文なら、結局さっきもいらなかったし、これもおそらくいらないよ。
そもそもまだこれが正解かもわかっていないし、あとにしてもらっていい?」
「ええ~。仕方ないなぁ」
フィトは渋々、光るバッタをテーブルの中心に置いた。
するとすぐに、バッタがこれまで以上に強く光り始めた。
やはり呪文は必要なかった。
一堂は「おおーっ」と驚きの声を上げ、その動向を見守った。
バッタの光は、強さもそのままに台座へと移り、台座全体に広がった。
そしてひとしきり光ると、小さい円の方へ、溝を伝って移っていった。
その光が残り時間に変わるのは、もう間違いなさそうだった。
気になったのは、どのくらい増えるかだ。
2人は期待に胸を膨らませ、1人はスナック菓子を頬張りながら、結果を待っていた。
光は、小さい円の切れ込みに到達すると一度消え、少し間を置いてから、内側の浮き上がった部分を光らせた。
焦らされ、自ずと期待感も高まった。
そして次の瞬間、石室に、石がこすれる音が少しだけ響いて、光が消えた。
それは本当に "少しだけ" だった。
「えっ?…終わり?」
カルパが目を丸くした。
「―クエタ?」
「…な~に~?」
「時間を見て」
「ああ、そうか~」
クエタの目が光った。
「―20分くらい増えてるかな~」
「20分…。少なくない?」
「ちょっとだけだったね~」
「少な~い」
言いながら、フィトが楽しげに笑った。
しかしカルパの顔は険しかった。
「笑っていられないよ。1日にバッタ72匹分が必要なんだよ?」
「楽勝だろ」
「バッタがいたらね。でも神様に喩えられるくらいだから、多分、出現は限定的なんだ。
どのくらいいるかわからない中で、楽観視は命取りになるよ」
「よし。じゃあ頑張る」
イマイチ深刻さが伝わっていない気がしたが、フィト相手にはそんなものだ。カルパは気を取り直し、これからの話をした。
「まあ、ルールはわかった。あとはどれだけ攻略できるかだ。現状、急ぐ必要がある」
「バッタを集めに行くんだな」
「ううん、まずは町に行こう」
「どうして?バッタ探しは?」
「僕に思うところがあってね。それが正しければ、必要なのはバッタ探しじゃないんだ。だからそれを確かめに行くんだよ」
その日の空は、穏やかに晴れていた。
辺り一面に広がったクローバー畑では、たくさんの小さな花が咲いていた。
時折吹く風は、こもった空気を優しく逃がし、新鮮で、ほのかに湿った空気を、日差しで火照った体にもたらした。
母親は、車椅子に座って、クローバーの絨毯の上をまだおぼつかない足取りで駆け回る子どもを見ていた。
その肩では、唯一の飾り気とも言えるカメオが淡く光り、子どもの安寧を祈っていた。
無邪気に笑っている子どもの姿は、その祈りが無事に届いているのだと思わせた。
母親は、そんな子どもを見て思わず微笑むと、まるで愛撫するかのように子どもに話しかけた。
「フィト、こっちに来て。お話があるの」
「なに~?」
子どもが笑顔で母親に駆け寄った。
「あのね、フィト。お母さんは、もうすぐ死んでしまうの」
「死ぬって何?」
子どもが目を大きく開けて聞いた。
「いなくなってしまうってことよ。こうやって話すことも、一緒に遊ぶことも、何もできなくなってしまうの」
「ヤダ!お母さん、いなくならないで」
子どもは泣きそうな顔で訴えた。
母親は、それを大きく包み込むように答えた。
「お母さんも嫌よ。フィトと一緒の気持ち。
お母さんも、フィトといっぱい色んなことがしたかった。
一緒に色んな物を食べて、一緒に色んな物を見て、『おいしいね』とか『きれいだね』とか、いっぱいお話したかった。
でもね、フィト。お母さんはもう、あと少ししかできなくなっちゃったの。
だからね、フィト。お母さんは、残りの時間は大切な人と一緒に、精一杯、幸せな時間を過ごす気でいるの。
大好きなフィトの名前をいっぱい呼んで、大好きなフィトの笑顔をいっぱい見て、大好きなフィトにいっぱい触れて。
そうやって大好きなフィトと一緒に過ごせたら、お母さんは幸せだから…。
ねえ、フィト、残りの時間、お母さんと一緒に、たくさん遊んでくれる?」
「うん…」
子どもは、少し暗い面持ちで頷いた。
「いっぱい、いっぱいギューッてしてくれる?」
子どもは母親の言葉に、今度は無言で頷いた。
「フィト」
母親は子どもの名前を呼び、両腕を広げた。
それを見て子どもはよちよちと母親に歩み寄ると、その両腕の中に頭をうずめた。
彼らの町は、名前をキーヤと言った。
東西に広がる農場ばかりが大きく、町自体は小さい町だった。
農場で働く人たちのベッドタウンで、時間帯によっては賑わうが、昼間は多くが農場へと出払っているため、町中を歩く人は少なかった。
フィトたちは、そんな町の中央付近にある広場に行った。
この広場は、町で何かをするときにまず集合して話をする、3人の町の拠点だった。
小さなモニュメントがあるだけの広場で、昼間はいつも、まばらながらに人がいた。
けれどもこの日は、お馴染みのキッチンカーこそいるものの、他には誰一人いなかった。
「妙に静かだね」
違和感を覚えてカルパが言った。
「―いつもこんなに静かだったっけ」
「たまたまじゃないか?みんなの用事が重なるときもあるだろ」
疑うことを知らないフィトが答えた。
「―それで?光っているものを探すんだっけ?」
「うん。僕の考えが正しければ、〈神格物〉は町でも見つかる可能性が高いんだ」
「どこか目星はついてるのか?」
「ううん。サンプリングを兼ねているから、目標は全部見ることだよ。
命が懸かっているんだ。他人の家だろうと遠慮はなしでいこう」
「了解」
「あっ、あともう一度確認するけど、僕たちに起こっていることは、絶対に誰にも話しちゃダメだからね。たとえ噂程度にでも、情報が拡散されるわけにはいかないんだから」
カルパは町へ来るまでに、現状の特異性を2人に語っていた。
〈霊験〉において、他の2人のそれはまだ未知数だが、カルパが受けたものだけを見ても、隠す理由は十分にあった。世界中の公的な情報を得た中で、機密情報もたんまり知ってしまったからだ。
そのことは、各機関や集団、または個人に、身柄ないし命を狙われる理由として申し分ない事象だった。
「大丈夫。絶対に言わない。その方が物語の主人公っぽいし」
事前に話していたので、フィトの承諾は早かった。
返答に付け加えられた軽率さは気になったが、フィトが話さない理由としては信用に足る発想だった。
結果カルパは言いかけた小言を飲み込んで、話を続けた。
「……OK。じゃあ手分けして探そう」
そう言ってそれぞれの持ち場を決めようとしたとき、大人の声が割り込んできた。
「何を手分けして探すって?」
見るとそこには八百屋がいた。
そしてその隣には、この町で数少ない警官の1人もいた。
「―紛失物なら、警察に届け出たらどうだ?まあ、届け出ると同時に捕まってしまうけどな」
八百屋はあからさまに喧嘩腰だった。
「どういうこと?」
カルパの問いかけに、八百屋が愉悦をにじませながら答えた。
「この度、被害届を出したんだ。お前らの罪は周知の事実だからな。当然受理されたよ」
それを聞いて、警官が申し訳なさそうに頭を下げた。
「悪いな。仕事だから断れなかったんだ。
大人しく捕まってくれないか。保護者の方々には連絡してあるから。
明日から夏休みだし、1週間の勉強合宿だと思って」
「1週間?そんなの死んじゃうよ!」
カルパからつい大きな声が出た。
いつも冷静な印象があったカルパからだ。
その上、勉強合宿に1番抵抗がないであろう人物だったため、大人2人は一瞬あっけにとられた。
けれども八百屋は、そんなことで及び腰にはならず、すぐに前かがみになって怒声を放った。
「大袈裟なことを言うな!まるでこっちが理不尽を押しつけているみたいに!お前らがしてきたことの報いだろうが!」
煽られたことを根に持っていたのもあるのだろう。その言葉にはかなり気持ちが入っていた。
ただ、こちらの3人にも、素直に従えない事情があった。
そのためカルパはすぐに逃げることを考え、どこからがいいかと辺りを見渡した。
すると広場には、四方八方から急に人が集まってきていた。その人たちの視線は3人に向けられていて、逃がすまいという様子が見て取れた。
八百屋と示し合わせていたようだった。
元々広場に人がいなかったのも、八百屋が働きかけたからに違いなかった。
「子どもの教育のためだって言ったら、みんな快く協力してくれたよ」
八百屋が、3人を追い込まんと言った。
しかし、快くは嘘だろう。
確かに捕まえる気満々な人もいたが、心苦しそうに遠巻きに見ている人も中にはいて、大人の事情も多少はあったに違いなかった。
そこにつけいる隙はないだろうか。
カルパが考えていると、フィトがスッと前に出た。
「ごめん!八百屋のおっちゃん。悪気はなかったんだ。次からはちゃんと買うから、今日は許して」
それは、置かれている状況を考えれば、軽すぎる謝罪だった。
そんなに軽くては、いくら謝罪の意思があろうとも、八百屋に受け入られてもらえるはずもなかった。
「なんだ!その態度は!それで謝ってるつもりか!お前たちは大人をどこまでバカにすれば気が済むんだ!」
「いや、バカにはしてないよ。本当は罰だって受けてもいいんだ。でも、今はとても大事な用があるから」
「それがバカにしてると言ってるんだ!お前たちの用なんてな、大人から見れば、いくらでもある写真の1枚くらいしか価値がないんだよ!そんなもので、これだけの大人を帰らせられるか!」
さて、フィトたちの用事は、いくらでもある写真の1枚ではなく、ともすれば遺影に変わる話だった。
その話ができればあるいはとも思うが、話せないこの時点での結論は1つで、それをカルパはフィトに言った。
「逃げた方がいいんじゃない?」
「…みたいだな」
2人は小声でやり取りをし、フィトの了解をもってカルパは、今度はクエタに小声で話しかけた。
「今すぐ後ろに全力で逃げて」
「うん。わかった~」
クエタは、二つ返事で走り出した。
だが突然走り出したものの、その足は決して早くなく、これは逃げているのかと周囲の大人を戸惑わせた。
「何してるんだ。捕まえろ!」
八百屋の言葉に、近くにいたパン屋がハッとして、クエタを捕まえようと動いた。
するとそれを待っていたカルパが、大きく声を出した。
「助けて、アエラス!」
カルパが呼んだその名前は、ドローンのものだった。
暴漢対策のための機能を、カルパが作動させたのだ。
結果ドローンはパン屋を暴漢とみなし、クエタとの間に入って、パン屋の前に立ち塞がった。
極端に足が遅いクエタも、これなら逃げられるという考えだった。
しかし、そのとき、突然肝心のドローンが高度を下げ、地面に着陸してしまった。
「あれ~?」
異変を感じ、クエタが止まった。
「どうしたんだ?アエラス!」
カルパも呼びかけたが、ドローンに動く気配は全くなかった。
2人が戸惑っていると、警官が軽くニヤリと笑って、小さい機械をチラつかせた。
「警察官だからね。こういうものも持っているんだ」
それは、警官だけに使用を許された、ドローンを無力化する機械だった。
特別な改造でもしていない限り、市販されているドローンならその場で高度を下げてさせて、沈黙させられるという代物だ。
クエタのドローンも例外ではなく、吊り下げていたスナック菓子を下に敷いて、その上に鎮座することになった。
その機械の存在は有名で、当然カルパも知っていたが、警官がこの場に持って来ているとは想定外で、ちゃんと準備をしているところに警官の本気度も窺えた。
「じゃあ、逃走の意思アリってことで。仕方ない」
言いながら、警官が持っていた機械をふところに入れ、代わりにジャラリと手錠を出した。
それを受けて、八百屋も身を乗り出した。
「何か言い訳はあるか?」
それは八百屋の最後通告だった。
フィトもカルパも、もうそれに返す言葉はなかった。もう何を言っても、時間の無駄だったからだ。
時間が惜しいのはむしろ自分たちの方で、そう思うと、2人は無意識に臨戦態勢をとっていた。
八百屋は、そんな2人を見て「ふんっ」と鼻を鳴らし、2人から視線を外して周りに目をやった。
「みなさん、お願いします」
八百屋の号令で、十数人からなる大人たちがゆっくり動き出した。
大人たちはじりじりと距離を詰め、3人を囲む輪は少しずつ小さくなっていった。
ただ、とりわけクエタとの距離が近かったパン屋は、すぐに、クエタに手が届く位置に到達してしまった。
「坊ちゃん。悪く思うなよ」
パン屋が「お断り」を入れてから、クエタ めがけて手を伸ばした。
しかし、それには、フィトが反応した。
瞬く間に2人の下へ行き、「ごめん」と言いながら、ギリギリのところでパン屋を押しのけたのだ。
パン屋は転びこそしなかったものの、バランスを取り戻すまでに数メートル、ふらついた足取りで離れていって、他の人とぶつかりそうになっていた。
フィトは、そんなパン屋の状況をほどほどに確認すると、すぐに次の展開へと目を向けていた。
「カルパ。どこだ?」
フィトの求めにカルパが応じた。
「モニュメントの方。酒屋がベストだ」
言いながら、カルパはもう走り始めていた。
「クエタ」
フィトが声をかけると、クエタも「うん」と頷いて走り始めた。
フィトは、そのクエタを追い抜いて前に出ると、酒屋の正面に直行し、直前で立ち止まった。
酒屋は、カルパの見立て通り消極的な参加者だったのだろう、目の前にフィトが来ても飛びかかろうとはせず、あわあわと戸惑うばかりだった。
そしてその間に、クエタとカルパは、酒屋の脇を擦り抜けることができた。
2人を逃がしてしまっては、包囲も何もない。そのことに焦った酒屋は、せめてフィトだけでもと飛びかかった。
だが、避けるフィトを目ですら捉えきれず、あえなく転んでしまっていた。
「おじさん、ごめんね」
標的にしたこと。転ばせてしまったこと。恥をかかせてしまったこと。それら全てを一言に込めて謝りながら、フィトは悠々と包囲の外に出た。
その時点で、カルパたちは、モニュメントの横を通り過ぎようとしていた。
フィトからの距離にして、わずか8メートルほどだった。
2人の走るペースは、クエタに合わさざるを得ないため、あまりに遅かった。
「クエタ。ほらっ、もっと速く」
言いながらカルパがクエタの背中を押したが、速さはあまり変わらなかった。焼け石に水だ。これではすぐに大人たちに追いつかれてしまう。
おかげで、包囲を抜けられても、大人たちは余裕の表情をしていた。士気が下がった様子はなく、酒屋を責める者もいなかった。
そして、優位な立場から獲物をなぶるくらいの心持ちで、逃げる3人を追いかけ始めた。
まず、目の前にいたのはフィトだった。
目の前にいるのだから、捕まえようとするのは当然だった。
1人目が飛びかかり、2人目が手を伸ばし…、避けた先で待ち受けたり、2人で挟み込んでみたり…。
次こそ捕まえられると幾度となく試みたが、フィトは一向に捕まえられなかった。
人は得てして、自分は他の人と違うと思うものだ。
酒屋をはじめ、みんなが捕まえられなくても、自分ならできるかもと、誰もが大将首を狙った。
結果、大人たちはフィトを巻き込んだ一つの集団になって、都度形を変えながらゆっくり移動していた。
「何をしているんだ、お前たち!フィトに構い過ぎるな!」
八百屋が、事態を重く見て一喝した。
目標は、フィトだけではないのだ。
見ればあとの2人との距離は、30メートルほどに開いていた。
「―前の2人を追え!1人たりとも逃がすな!」
大人たちはハッとして、その大部分が、カルパたちを目がけて加速することとなった。
そしてそれは、フィトからすれば、企てが失敗した瞬間でもあった。
そもそもフィトが本気で逃げようとしていたなら、とっくに大人たちの手が届く範囲からは逃れていたはずだった。
フィトがその場にいたのは、大人たちを引きつけてカルパたちを逃がすためだった。
八百屋は早々にそれを見破ったわけだ。
おかげであまり時間が稼げず、フィトも「あっ、マズい」と漏らしながら、他の大人たちと一緒に加速する羽目になった。
さて、加速はしたものの、フィトにできることは、大人たちの前に回り込んで進行をわずかに遅らせるくらいだった。
けれど相手の数は、カルパたちとの距離をみるみる縮めている人だけでも、7、8人といったところだった。
それを1人で抑え込むのはまず不可能だった。
かといって、暴力に訴えるのはフェアじゃない。
フィトがそんなことを思いながら悪戦苦闘していると、カルパがその状況に気づいて、「来た!もっと急いで」とクエタをせかした。
けれど、クエタの速度はまるで上がらなかった。
その内に大人たちが近くまで迫ってきて、1人がカルパを捕まえようとした。
しかし、それにはフィトも、クエタとパン屋のとき同様、押しのけることを躊躇しなかった。
正当防衛…というつもりはなく、ただただ窮地に立たされた友達を捨て置くことができなかったのだ。
このままフィトが抵抗し続ければ、いつか諦めてくれたりしないだろうか。
カルパはふと、そんな淡い希望を抱いた。
だが、押し寄せる大人たちの波に、そんなものは簡単にかき消されてしまった。
フィトは襲いかかる相手を2人、3人と続けて押しのけていたが、その間隔がすでに、常人には対応できないものになっていた。
押しのけた人もそれで退場するわけではなく、すぐに持ち直して、再度追いかけてきていた。
さらに、後続の大人たちが合流するのも時間の問題だった。
そんな中、前に回り込もうとする人もいて、どう考えても1人では対応しきれなかった。
そもそも、フィト自身も捕縛対象なのだ。
庇ってばかりもいられないし、すぐ後ろでは八百屋と警官の目が光っていた。
カルパは、振り返ってその様子を確認すると、情けない声を出した。
「フィト、ごめん。これじゃあ無理だ!僕らを置いて、1人で逃げて!1人で逃げて、〈神格物〉を集めて!それさえあれば助かるんだから!」
現時点でそれが、自由へ足がかりを残す唯一の可能性だった。
にもかかわらず、フィトは1人で逃げることに激しく反対した。
「ダメだ!あとどれくらい一緒にいれるかわからないんだ!残りの時間は3人一緒にいなきゃ!」
そのフィトの信念には、母親と過ごした最期の影響が色濃く出ていた。
カルパは、フィトが珍しく見せた感情的な思いにあてられて、口をつぐんだ。
だが、それで足が速くなるわけでも、大人 たちを退ける力が出るわけでもなかった。
窮地であることに変わりはなく、フィトもその認識は十分に持っていた。
視界に入っている大人たちに、耳に入る多数の足音に、ただならぬ危機感を覚えていた。
このままでは、全てを失ってしまう。そう思うと、フィトは思わず、祈るような気持ちで、全ての大人が無力化する "何か" を切望していた。
以下、本編より約10分後の、3人の会話である。
クエタ「あのとき~、フィトのポケット~、光ってたよ~」
フィト「ポケット?」
カルパ「……何それ、さっきのバッタ?ただの石みたいになった。…持ってきてたの?」
フィト「うん、クエタに渡されて…。でも、どうしてまた光ったんだろ?」
カルパ「光る理由ねぇ……あっ、わかった!それがフィトが受けた〈霊験〉なんじゃないかな。フィトがバッタの〈霊験〉を引き出したんだ。〈腕〉ってそういう意味だったんだよ。それであんなことが起こったんだ」
フィト「えっ?じゃあオレは、いつでもあの状況を作り出せるってことか?」
カルパ「そう。いつでもあの地獄をね」
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
そのとき、八百屋と警官は、フィトに手を伸ばして捕まえようとしていた。
フィトも、そのことに気づいて振り返ろうとしていた。
すると次の瞬間、身の毛がよだつ音と共に、辺りが急に暗くなった。
いや、暗くもなったが、黒くなったという方が適切か。
大小様々な "黒" が無数に現れ、その場にいた人の視界を埋め尽くしたのだ。
その "黒" の正体は、虫だった。
その量たるや、町とその周囲から虫という虫が全てこの一カ所に集まったかのような、超大群だった。
視界を埋め尽くすその超大群は、完全に包まれてしまえば呼吸すらままならなくした。
たとえ虫が苦手でなくても、正気を保てるかどうかというおぞましさだった。
そこにいた誰もが、それまで何をしていたかなどすっかり忘れて、少しでも逃れようともがき始めた。
ある者は顔を手でおおってうずくまり、ある者は身をのけぞらせて必死に虫を払いのけ…、足をもつれさせては倒れ、前後不覚に陥っては壁にぶつかり…、みんなのうめき声が響き渡った。
それは、他人を思いやることはおろか、自分が生きていることさえ忘れてしまうような時間だった。
その地獄はしばらく続き、大半の人がもがく体力もなくなってきたころ、虫の群れが引き始めた。
ちらほらとお互いの姿を確認できるようにはなったが、周りを見る余裕のある者は少なく、だいたいは、体中に虫をまといながら、思い思いの姿勢でこのあり得ない出来事に呆気にとられていた。
そんな中、警官は体についた虫を払いながら、ぼそりと言った。
「何なんだ、これは…」
だが、近くにいた八百屋の興味は、他にあった。
「…奴らがいない」
他にいなくなった者はいなかった。
あの虫の超大群だ。まともに移動などできるはずもない。
それでもフィトたちがいたところだけは、ポッカリと空いていた。
「虫に喰われました?」
「発想がエグいな。逃げたんだろ」
「しかし、あの中を逃げられますか?」
「…あいつらは、逃げられたようだな」
「ちょっと考えられないですけど…あの虫の量ですよ?」
「……『大切な用』か…。あながち嘘でもなかったのかもな」
「ふ~ん。で、これからどうします?まだ続けますか?」
「…もういいか。やることがあるなら、もう滅多なことはしないだろ」
「じゃあ、ドローンも返しますね」
「ああ」
八百屋の返答を受けて、警官は機械をポケットから取り出して操作した。
そして、ドローンが頭の上を飛んでいったのを確認すると、機械をポケットに戻した。
「あれっ?」
と、そのとき、警官はあることに気づいて、声を上げた。
「どうしたんだ?」
「いや~、落としたかな~?マズいな~。なくしたら始末書ものだ」
そう言いながら警官は、キョロキョロとその大事な物を捜していた。
一方そのころ、フィトたちはやっとのことで草原にたどり着いていた。
カルパとクエタは精も根も尽き果てた様子で、安全を確認すると、そのまま草の上に倒れ込んだ。
フィトも、そんな2人を見て安心し、フーッと1つ息を吐くと、草の上に仰向けで寝転んだ。
「プッハハハハッ」フィトが笑った。「なんだ、今の!超大群だったな」
見ると胸元にはカミキリムシがいて、フィトはそれをそっと捕まえて逃がした。
「笑えないよ。虫で溺れそうだった。あれはあれで臨死体験だよ」
カルパが息も絶え絶えに、言った。
「でも結局、助かったじゃないか。それに、見て」
フィトが手に持っていた物を掲げた。
「手錠?」
「うん、光ってたから持ってきた」
「やったー。さすがフィト。あの警官が持ってたやつ?そんなのに気づく余裕、全然なかったよ」
「これは、カルパの説の後押しになるんじゃないか?」
「うん、重大なサンプルだね。やっぱり〈神格物〉は、町の中の方が探す価値がありそうだ。
でも、他の物を探そうにも、町にはもう行けないかな」
「オレ1人なら大丈夫だろ。探し物は全部オレがするよ。カルパたちは秘密基地でゆっくり作戦を練ってくれてたらいい」
「秘密基地…だね。あそこが本当に秘密基地になっちゃうね」
そんな話をしていると、クエタのドローンが帰ってきた。
「あれ?アエラス、解放されたのか?」
フィトがそう言うと、それを聞いてクエタが重々しく起き上がった。
そしてドローンに吊り下げられている網からスナック菓子を取り出して食べ始めた。
「よく食べられるな」
カルパは自分が食べたときのことを想像して、気持ち悪そうな顔をした。
「―でも、アエラスが解放されたってことは、もう僕たちを捕まえる気はないのかな?」
「じゃあ、戻って他のも探してみようか!」
「いや、今日は元々偵察だけのつもりだったし、もうやめとこう。それに八百屋を変に刺激して、また追いかけられでもしたら困るからね」
「じゃあ、秘密基地だ。手錠でどのくらい残り時間が増えるのか知りたい」
「そうだね。あと、これまでの情報を整理しないと」
「よし、そうと決まれば早く行こう」
「落ち着きないなぁ。まだ回復してないんだから、ゆっくりさせてよ。クエタだって―」
そう言ってカルパが見たクエタは、普段どおり涼しい顔をしてスナック菓子を頬張っていた。
「…そうだった。まともな人間は僕だけだった…」
カルパは力を振り絞って立ち上がると、ゆっくりモビリティのある方へ歩き出した。
3人は、モビリティまで横に並んで歩いた。
その正面には、キーヤの町が広がっていた。
フィトとクエタの家はこの町の中にはないが、3人の通っている小学校がある、勝手知ったる町だ。
けれどこのとき、フィトとカルパにはいつもの町が違って見えていた。
「あの中にどのくらい〈神格物〉があるんだろうね」
カルパが不安そうに言った。
町1つからどれだけ〈神格物〉が見つかるかは、自分たちの残り時間を計算する上での目安になる。
もし少なかったら、そう考えると、カルパは胸が苦しくなるのを感じた。
一方フィトは、そんなカルパの問いかけに、いかにも楽天家という返事をしていた。
「なんだか、ゲームに出てくる宝箱みたいでワクワクするな」
そしてクエタは、そんな対照的な2人の横で、いつも通りスナック菓子を食べていた。
《手錠込みの残りの〈恩恵〉 ー 5日間と13時間41分(分?)》