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放牧主義

元々私は、実生活においても放牧主義なのだ。


みんな好きなようにすればいいと思うし、私も好きなようにしたい。

友達に対しても、家族に対しても、職場の人に対してもそう思ってる。


もちろん、犯罪行為は通報するし、腹が立つ事をされたら怒るし、止める。仕事上、間違っていたりすれば、指摘するし、解決する。


でも、それ以外の事なら、みんな好きにすればいいんじゃないの、と言うスタンスで生きている。


だから、誰かが何か突拍子もない事を始めても、まじかー、なるほど、ほーほー、ふんふん、いいんじゃないの、と割とすぐ受け入れがちなのだ。


そして、そんなふうな考えで生きていると、書いている小説の登場人物達に対しても同じスタンスをとってしまう。


奴らときたら!と、はーい、皆さん、ここからいきなり、愚痴が始まりますよー。

気をつけてくださいよー。

愚痴とか聞きたくない方は、引き返しても大丈夫ですよー。



大丈夫ですかー?大丈夫ですねー?

はい、ここから愚痴ですよー。


奴ら!というのは登場人物達のことだが、その奴らときたら!突然何かを気に入ったり、いつの間にか何かの趣味に目覚めていたり、急に何かを決意したりするのだ。


もちろん、私が書いているから、私の好きに出来ると言えば出来るのだけれど、書いているうちにそのセリフや行動から、登場人物の性格やら、何が気に入りがちか、何を受け入れられないか、などの方向性ができていくのだ。

登場人物達の前に、道が出来ていく感じだ。


すると、どうしたって、そこから大きく外れた行動はとるはずがない。

外れると、どうしたって不自然になって、そこが浮くのだ。読んでいる読者も冷めるの思うのだ。

まず、私が冷めるのだ。

突然物分かりの良いセリフを言い出したら、なんだそれ、と思うのだ。

作者が冷めるのだから、そりゃ読者だって、冷めるのだ。


外れる為には、もう一つ何かの理由づけエピソードが必要になってくる。それも読者が納得する程度の内容でだ。

つまりは面倒臭い。


それに、ストーリーは書く前から結末までの流れが、ある程度決まっているのだ。

今後、何が起こるかも、作者としてある程度決めている。

それなのに、登場人物達が何気なく言ったセリフで、それぞれの道が出来てしまって、奴らは何かを始めてしまう。

結末へ進まない。


どうする、作者!?


と、なったところで、出てきてしまうのが、私の放牧主義なのだ。

そうしたいなら、すればいいじゃないの。

そっちに行きたいなら、行けばいいじゃないの。


登場人物に対しても、そう思ってしまうのだ。

そして、好きなように喋らせ、進ませる。

すると、ストーリーとの統合性を考え直さなくてはいけない。

こいつらを、最終的にあそこに立たせる為にはどうすればいいのか。

もちろん、エピソードを増やすしかないのだ。

でも、あまり長引かせると、読者が飽きる。作者も飽きる。

そこなのだ。ダラダラやりすぎてしまうと、多分、読者よりも先に、作者が飽きる。


そうだ。私が面倒くさくなって続きを書かない事態が、一番やばい。

どうする。

どうする、私。

こいつらを好きにやらせて、なおかつ、最終的にはあそこに立たせ、なおかつエピソードを増やし、更に、私を飽きさせない。


もう、こうなってくると、読者より私なのだ。

まず、どうやって私を惹きつけるエピソードにするか。

私は、私を楽しませないといけない。


もういいや。ブックマークとか、評価とか、もういいや。ごめん。読んでくれてる人、ごめん。とりあえず、私をどうにかしなくては。

いやでも、やっぱり、読んでくれている人にも楽しんでもらいたい。

だから、ここに、何かみんなの心が浮立つ、キーワード的な物を入れて。

謎でもいい。登場人物も読者も作者も、みんなでそれを眺めながらウキウキしながら進んでいくような、何かならもっといい。そんな要素を入れて。

でも、それって、何よ。

それに、そんな要素は、もちろんストーリーの根幹に関わってくるものになるはず。

じゃあ、元となるストーリーを考え直すか。

世界の方を変えてしまうか。

ああ、全て考え直さなくては。


的な、ね。


放牧主義を貫くには、これほどの労力がかかるものなのだろうか。

でも、やはり、好きにすればいいじゃん、と思ってしまうのだ。


小説の中の人物は、架空の人物だけれども、結局のところは人なのだ。

人とは、訳のわからない事をやり、訳のわからない理屈を持ち、訳のわからない熱情に従い生きているものなのだ。

異世界であれ、現実であれ、結局のところ人は人。猫は猫。犬は犬。コアラはコアラなのだ。

あれ?何を言っているんだろう私は。


ま、ここで私が何が言いたかったのかというと、シンプルに愚痴です。

愚痴を言うつもりで作ったはずじゃない、このエッセイで、ついに愚痴を言ってしまう事態。

二章難しい。


そして、時間のある今朝のうちに、小説を書いてしまいたいのだけれど、いろいろ考えるのが面倒くさいなと思って、つい気楽なエッセイを書いてしまうという、逃げ行動。


いや、でも、私は、このエッセイを書き終わったら、小説書くから。考えるから。

ほんと。

本当に書くから。

本当だから!

昨日の夜も時間があったから書こうと思っていたのに、ついゴールドシップの動画を漁ってしまったけれど、今からはちゃんと書くから。今浪厩務員並みの広い心で登場人物達に向かうから。

なんとかするから。


このエッセイにいらしてくださる読者の方々、このエッセイ的には妖精様方、本日は私の愚痴を聞いていただき、誠にありがとうございました。

でも、私、なんとかしますから。


あ、でも、このエッセイだけ読んでいる妖精様方は、私の小説の方を読む必要はないですよ。

小説の宣伝の為に書いているエッセイではないですから。

それに、私、放牧主義ですから。

妖精様も、自由に過ごしていただけると、私も嬉しいです。









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