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第135話 猫の不養生 (11)

 音戸邸おとどていの古めかしい卓上電話が鳴ったのは、アパートでの騒動から一週間ばかり過ぎた日の事である。


 電話は廊下の電話台の上に鎮座している。これを見るたびに根岸の頭には、磯野家とか野比家といったワードがぎるのだが、それはともかく彼は電話を取った。


「はい。音戸の根岸です」


 この番号にかけてくるのは大体、雁枝かりえを直接知っていた年配の怪異なので、簡潔にそう名乗る。


『おう、生きてるかもがり大殿おとど


 受話器から聞こえてきたのは、やや低くつっけんどんな女性の声だった。


『ブロナー・マクギネスだ。雁枝の葬儀は、お疲れさんだったな』

「……ブロナーさん」


 言葉に詰まる。

 根岸もまた、ブロナーに連絡を取るかどうかで迷っていたのだ。雁枝が遺してくれた手帳には、電話番号やら、邪法の術を使った奇怪な連絡手段やらが記載されていた。


 しかし何を話したものか、と考えると踏み切れずにいた。


『私はまだ日本にいる。案外と用向きが多くてな。世話になってる陰陽士おんみょうし連中から聞いたが、お前は早速大立ち回りをしたそうじゃないか』

「いえ、僕は大して役には」


 と、根岸は正直に否定する。

 確かに彼のもがりの異能は事件解決の糸口になったが、しかし『大立ち回り』が必要な場面になると、根岸はどうにも未熟である。結局最後はミケに頼ってしまった。


『どうだか。何にせよ、日本の役所は怪異同士の私闘には首を突っ込みたがらない。人間に被害が出ない限りはな。

 この件を治めてくれたのがお前で、連中は安堵してるさ。お陰で被害は補償の効く範囲にとどまった』

「それは……良かったですけど……」

『歯切れが悪いな』


 ブロナーは軽く笑い声を漏らし、そして続けた。


『根岸秋太郎。お前、私の用件をもう察してるんじゃないか?』

「……」


 しばし迷った末に、根岸は口を開く。


「僕らが……消滅させた幽霊。エマ・マクギネスは……ブロナーさんの関係者だったんですか?」

『ああ、そうだとも』


 質問を予想していたのか、至極あっさりとブロナーは応じた。


「じゃあ人間の被害者、ロナン・マクギネスも」

『そうなるな』


 お悔やみを、と言いかけて、そんな定型句で済ませて良いものか根岸は思い悩む。

 短い沈黙が落ち、そののちにブロナーが発言した。


『かつて……ざっと二世紀近く昔の事だ。私は故郷アイルランドにあって、マクギネス家にくバンシーだった』


 アイルランドで古くから知られる怪異、妖精バンシー。


 死期の迫った人間の近くに現れ、恐ろしい叫び声を上げる。不気味な伝説ではあるがしかし、彼女らは人に危害を加える存在とはされていない。

 寧ろしばしば、名家と呼ばれる人間の一族に寄り添い、遠く離れた場所にいる親類の死を警告したり、高潔な人物の最期を嘆きいたんできたのだという。


『マクギネス家の人間にいつしか不思議な力が宿るようになったのも、私の霊威の影響かもしれない。だが、彼らは故郷を捨てた。その時私もまた、彼らを見捨ててしまった』


 アメリカに渡ったマクギネス家は、実業家としても霊能者一族としても成功した。

 しかし程なく、彼らの血脈に宿る異能は失われていく。

 それでも彼らは虚飾の『霊感』に頼ろうとし、その果てに悲惨な末路を辿ったのがエマ・マクギネスだ。


『別に、彼らの血筋が途絶えた訳じゃない。何しろ古い家だ。分家筋の何人かは今もピンピンしてる』


 淡々と語った上で、ブロナーはふっと電話口の向こうで息を吐く。


『ロナンやエマは、可哀想なものだったが』

「……すみません」

『どうしてお前が謝る』

「その……ご存じとは思いますが、僕はアメヤリさんに協力する形で、怪異化したエマ・マクギネスを――消滅させました」

『もちろん聞いてるさ』

「ただ、アメヤリさんが悪意で行動を起こしたとは思えなくて」

『それも分かってる』


 いくらか不機嫌に声を低めて、ブロナーは根岸の言葉を遮った。


『お前、勘違いしてるようだがな。私は別に、エマの件でアメヤリの奴を恨んじゃいないぞ。知り合ったのはそれがきっかけだが』

「あれっ――そうなんですか?」


 葬儀の日、アメヤリとブロナーは明らかに険悪な遣り取りを交わしていた。雁枝とミケが仲裁しなければどうなっていたか分からない。


『そうだとも。私も奴も怪異だ。その土地土地とちどちの怪異のやり方をいちいち責めるつもりはない。

 そもそも私はマクギネス家からとっくに離れた身。その時点で、いずれ彼らに訪れる破滅は半ば予見していた』


「じゃあどうして葬儀の日には……ああいう空気に?」


『単純に、アメヤリとは馬が合わないんだよ。同じ水域の怪異、人の死を嘆く女の怪異ではあるが、ラ・ヨローナってやつはじっとりと過去を悔いてばかりだ。私らバンシーは未来志向なのさ』


 鼻を鳴らすような短い音が、電話の向こうから飛んできた。

 死の予言を『未来志向』と呼ぶのは果たして適切なのか、根岸はどうも納得しかねたが、とにかくブロナーのバンシーとしての誇りはそこにあるらしい。


「――だとすると」


 気を取り直して、根岸はブロナーに問う。


「ブロナーさんの用件が、ちょっと分からなくなりました。僕はてっきり、今回の事を抗議されるものと……」

『抗議? 何言ってるんだ逆だよ。一言礼を伝えるためにこうして電話してる』

「礼――」

「エマが……ああなる他に道はなかったとしても。あれ以上、無暗むやみに人や怪異を殺してまわったり、衆目に晒されるような目に遭わなかったのは、お前たちのお陰だ」


 ――ありがとう。


 ゆっくりと、自身の感傷を噛みしめるかのようにブロナーはそう口にした。

 やはり本当は複雑な心の内があるのかもしれない、と根岸は密かに思う。しかしそれを指摘するのは、最早野暮(やぼ)というものだ。


『そう、それともう一つ報告だ。この前、一人の日本人に会ってきた』

「日本人。人間ですか。誰です?」

津島昇つしまのぼるっていったかな』

「えっ!?」


 思いがけない人名を聞かされ、根岸は目をみはった。


『そう驚く事でもないだろ。津島はあちこちの国でやらかした微罪が積み重なって、今や結構なお尋ね者なんだ。陰陽庁おんようちょうと警察は合同捜査に乗り出してた。そんな時に、森心也もりしんやという人間の若者の証言が得られた……』


 そこでブロナーは声を潜める。


『私が陰陽庁のちょっとした伝手つてで津島の情報を貰い、見返りに捜査に力を貸したとしても、別に文句は出ないさ』

「法的にはグレーですけどね」


 気まずさから、根岸は渋い顔をした。

 怪異の力を利用した公的機関による捜査や拘束は、日本の法律で認められていない。

 しかし実態として陰陽局の現場レベルでは、友好怪異の協力を得た捜査もよくある話らしい。


 根岸としてもあまり大きな事は言えない。彼は音戸邸の土地の権利書にサインして印鑑まで押したが、厳密にはあれにも法的効力がないのだ。要するに『黙認された偽造』である。


「それじゃ、彼は逮捕されたんですね?」

『まあな。しかし……』


 一旦言葉を切ってから、エマは再び、浅い溜息と共に発言した。


『……長くはなさそうだった』

「長くない――津島昇が?」


 またも根岸は驚く。

 殯の異能で垣間見た彼は、まだ三十代程度だった。

 ただ、不摂生そうな顔色だったのは確かだ。ロナンとの取引に使った店の雰囲気からして、過度のアルコール、もしかすると薬物も摂取していたかもしれない。


『対面した時に私が()()()んだから、間違いない。人間の医者でも顔色を見れば、多分そう言う』


 バンシーが叫んだ。

 それはあらがいようもなく、対面した者に死の運命が迫っている事を意味する。


 覚えず、根岸は目を閉ざしていた。

 津島昇という人物を根岸は直接知っている訳ではない。

 大学の後輩である森心也を怪異事件に巻き込んだり、諭一ゆいちの写真を勝手にメディアに載せたりと、素行の良くない人物である事は分かる。


 それでも、ここ数日のうちに何人かの人や怪異の死を目の当たりにした身として、これ以上生命(いのち)ついえる話など聞きたくなかった。


「一時とはいえ、エマ・マクギネスにかれた事が、彼の寿命を縮めたんでしょうか」

『あるかもしれないな。メンタルも大分やられてたから』


 意外にもブロナーの声からは、既に暗い響きが拭い去られている。


『今は入院してる。これ以上逃亡の恐れはないと警察は見てるようだ。それに――この機に絶縁してた家族と、十数年ぶりに再会したんだそうだ、津島は』

「……家族と」

『どっちも泣いてたよ』

「……」


『私の異能は、何も人間を脅したり怯えさせたりするためにある訳じゃない。本来はそうやって使うものだ』


 ――この世に悔いを残さないように。離れ離れの血族が、せめて最期を看取れるように。


 そう、雁枝の時と同じく。

 そして多分ブロナーは、エマや彼女の家族にも同じ事をしてやりたかったのだ。それは果たせなかった。


「ブロナーさん」

『うん?』

「知らせてくれて、ありがとうございます。貴方は、仰るとおり……未来を向いている」

『ああ。だからそう言ってるだろ。アメヤリとは違うんだよ』


 ちくりと付け加えた上で、彼女は更に続ける。


『どうせあいつは、今も辛気臭い顔してるんだろう。色々あったが、不幸の連鎖はこれで終わりだ。少しはスッキリしてみせろと伝えといてくれ』

「……僕が、そんな伝言を?」


 もう一度笑い声を立てた後、ブロナー・マクギネスからの電話は切れた。

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