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第131話 猫の不養生 (7)

 アステカ文明という呼称、そこからイメージさせられる壮麗な遺跡群は、日本でも有名である。


 十四世紀、現在のメキシコシティをみやことしておこり、やがて同時代において全世界でも有数の強大な軍事国家となって、一五二一年スペイン人によって滅ぼされるまでの間繁栄を極めた。それがアステカの王国だ。

 建築、土木、天文学、芸術に秀で、優れた遺跡や遺物が現代にも残されている。


 一方、アステカの文化は独特かつ厳格な宗教観でも知られる。

 彼らは太陽の消滅を恐れ、数多くの生贄いけにえを神に捧げ続けた。現代日本人から見れば残酷な死に方は、時に名誉ですらあったと言われる。


 厳しい自然環境や周辺情勢によってはぐくまれた死生観なのだろうか。


 根岸としては、五百年前の地球の裏側で生きた人々の倫理道徳を、今更野蛮だグロテスクだと四の五の言う立場にない。文化財に携わる者として、興味深い対象ではあるが。


 ただし、そうした死生観の持ち主、それも高位の人物が激怒した状態で現代社会に突然蘇った場合、何が起きるかと言えば――


 ――深刻な()()()()になり得るだろう。


「アステカの神官……の、幽霊。それで顕現した彼は、どうしたんです?」


 そろりと、根岸はアメヤリに質問した。


「本人にとってもいい迷惑だったっぽいわね」


 アメヤリは淡々と答える。


「彼は怒ってたし、混乱してもいた。ベースになった魂は一人分だったけど、何百年も昔の複数人の思念も混ざり合った状態で、しかもデタラメなやり方で召喚されたんだもの。

 更にまずい事に、彼は生前から特殊な能力をそなえてたのか……法外の霊威の持ち主だった。自力で制御出来ないほどの」

「暴走……ですか」

「集会をしていた団体のうち逃げ遅れた人達、駆けつけた神父や警官、近隣住民。二十人以上が、一体の幽霊に一晩で殺された」

「ひえっ」


 運転席でハンドルを握る諭一ゆいちが首を竦めた。


「まあ、当時は混乱期だったから。旧合衆国でもアジアでも似たような事件は起きてた。寧ろ旧合衆国の西部よりメキシコの方が平穏だったみたいだけどね」

「失礼な質問ですが……アメヤリさん、おいくつです?」

「貴方の所の家令と大体同世代よ」


 気を悪くするでもなく、アメヤリは根岸に応じる。

 ミケと同世代となると、第二次世界大戦終結前後の生まれだろう。八十年前の世相をその目で見ていた訳だ。


「あの時の私は顕現したばかりで、まだ気まぐれに生きてた……。

 降霊集会のあった墓地は池のほとりだったと言ったでしょ。丁度、そこの池を縄張りにしてたのよね」

「えっ! ヤバいじゃん。自分ちの庭先で大量殺人?」

「そういう事」


 アメヤリからすると、完全にとばっちりと言えた。

 騒動は広まりつつある。このままでは軍隊だのヴァチカン認定の祓魔師エクソシストだのが出張ってきて、人と怪異の大抗争が巻き起こりかねない。


 かと言って、神官の霊を縄張りから叩き出すのも難しい。ラ・ヨローナは高名な怪異種だが、その一個体としての自負を持つアメヤリでも、彼と真っ向からり合えば勝ち目はなさそうだった。


 幸い――とも言いがたいが――神官の霊は一頻り暴れて、多少の落ち着きを取り戻しつつあった。

 同じ怪異であり、古典ナワトル語(中央アメリカ先住民の言語)を話せるアメヤリとであれば、どうにか対話出来る精神状態になっていたのだ。


 アメヤリは穏便に事を治めるべく、神官に交渉を持ちかけた。

 仲介こそラ・ヨローナの得意分野である。


「交渉は意外とすんなり進んだの。いくつか条件は付けられたけど、彼は元々の居場所だった宝石の中で、再び眠りに就く事を承諾してくれた」


 彼が眠っていた宝石とは、円盤状に磨かれた黒曜石だった。

 エマ・マクギネスが降霊に()()()()()()()()時、衝撃で放り出され池に沈んでいたが、それはアメヤリが早々に回収出来た。


 メキシコの政府筋に連絡を取って、神官が提示した宝石の管理条件を伝え――あとはもう一つの『回収』仕事が残るのみだ。


 エマ・マクギネスの命である。


「魂の安寧は人命であがなえ。……彼にとっては常識どころか良識の部類よ。譲歩の余地はどこにもなかった」


 そしてアメヤリの方にも、断る理由はなかった。



   ◇



 エマは運良く降霊集会を生き延び、潜伏中の家に戻って慌ただしく逃亡の準備をしていた。

 空間穿孔能力を持つアメヤリがエマを探し出すのは、造作もない事だ。


 部屋に置かれた水差しからアメヤリは出現した。弱霊感体質のエマでも彼女を薄っすらと視認は出来たらしい。エマは悲鳴を上げてへたり込んだ。


「悪いけど……もうあんたが死ななきゃ収まりがつかないの」


 アメヤリは素っ気なく告げて歩み寄る。エマは部屋の隅に縮こまり、夜逃げ用の荷物に詰めようとしていたウィジャボードを胸に掻き抱いた。


「どうして、こんな事に。あたしは――あたしは幸せに生きたかっただけなのに」


 正気を失いかけているのか、エマは譫言うわごとめいた文句を繰り返して泣き叫ぶ。


「お金だって払ったのよ。たくさん払った。もう何も残ってない。お母様、お母様どこなの。あたしがこんなに不幸せなのに、困ってるのに――」


 震えるエマの肩をアメヤリは掴み、その状態でエマもろとも空間を穿うがった。


 転移した先は彼女の縄張り。墓地近くの池の只中ただなかである。

 水中で力無くもがくエマに絡みつき、アメヤリは容赦なく水底へと彼女を沈めていった。


『いやっ……お……おかね……はらう……から……』


 濁った池の水を通じて、エマの最後の思念がアメヤリに伝わる。


 ――最期の思いがそれか。


 ちらりと、アメヤリは憐れんだ。

 別に悪人ではなかったのだ。大人になる機会を与えられず、現実も見えないまま、時代に振り回されるようにして転がり落ち、ここで自分に殺されようとしている人間。


 とはいえ、今更助けられる道筋はなかった。


 エマ・マクギネスは暗い水の底で、二十年少々の短い人生を終えた。

 アステカの神官の霊はそれで納得し、黒曜石の円盤の内で永い眠りに就いた。

 その石は現在に至るまでメキシコ政府の管理下にあり、特殊文化財『神官テオピスキの石』として先住民のコミュニティに守られている。それもまた神官の出した条件だった。


 エマが最後まで手離さなかったウィジャボードを、アメヤリはこっそりと遺族に返した。

 彼女の心の拠り所だったのだろう。それ自体には何の力も宿っていない、装丁が豪華なだけの、正真正銘子供の玩具である。


 遺体は人間に自然と発見されるまで返せない条件だが、遺品くらいは弔われても良いはず、との判断だった。実際、神官からクレームは来ていない。


 こうして縄張りの平穏を取り戻したアメヤリだったが、その後しばらくして彼女は、思う所あってメキシコから旅立った。


 同じく旅行中だった音戸おとど雁枝かりえと出会い、日本に来て本格的に『怪異の仲介業』を始めないかと勧められ――そこから更に数十年。


 日本に滞在していたアメヤリの元へ、一ヶ月ほど前に故郷で起きた事件の詳報が飛び込んで来る。


 メキシコシティのとある酒場で、ラ・ヨローナに近しい異能を持つ怪異が顕現し、突如暴走。人間一人を殺害するに至った。

 殺された人間の名はロナン・マクギネス。

 彼は死の間際、古びたウィジャボードに触れていた――



   ◇



 「で……メキシコにいる仲間に頼んで、警察に押収されてたウィジャボードをちょろまかして送って貰ったって訳よ」


 話を締めくくるアメヤリに対して、諭一は前方を見据えたまま顔をしかめた。


「さり気なくとんでもない事してない? ぼく、これから就活だし一応品行方正に生きたいんだけど」


「部外者の人間を巻き込みたくなかったからこそ、なんだけど。

 それにしても、唯一の手がかりだった『ツシマ』を知る人間がこうも早く見つかったのは意外だわ。雁技の葬儀の時、人狼にも言われてたけど、もがり大殿おとどってのは巡り合わせを()()()()ものね……」


 そういえば、中村陸号なかむらろくごうにそんな言葉をかけられた、と根岸は思い出す。

 陸号の身内である捌号はちごうと山梨の実家で出会った件についてだ。あれも凄い偶然だと思ったが、今回もまた出来過ぎている。


 殯、とは奇縁を引き寄せる異能をも意味するのだろうか。


「と――とにかく。アメヤリさんとしては、陰陽庁や政府が介入するより先に、顕現してしまったエマ・マクギネスの幽霊を成仏させたいと? ……『成仏』って言って良いんでしょうか」


 『幽霊』に分類して良いのかどうかも分からない、と根岸は付け加える。


 ロナンの思念を通して観察したエマは、ラ・ヨローナの特徴を具えていた。水を操り、対象を溺死させる。

 怪異学上、ラ・ヨローナの分類は『魔物』だ。日本の妖怪に近いが、文化圏が異なるとそう呼ばれる。


「エマの魂をベースとした、ごく半端なラ・ヨローナ、兼幽霊……多分、死に際に私が彼女に同調してしまったせい」


 エマの処遇を神官に任せず、アメヤリが自ら手にかけた。彼女の一生に憐憫れんびんを覚え無意識に思念を同調させた。遺品のウィジャボードを家族に返した。


 それらの全てが裏目に出て、怪異化するべきでない魂を暴走する霊として顕現させてしまった。


「あの時、ウィジャボードには……憑いていないように見えたのだけど。でも事実、顕現した以上は私の見落としね……」


 そんな風に、アメヤリは悔いを見せる。


 だが、そこで根岸はふと疑問を抱いた。

 アメヤリの言うとおり、ウィジャボードにロナン以外の思念を視出みいだす事は、根岸にも出来なかったのだ。


 エマは数十年間ひっそりと憑いていたウィジャボードから、顕現後に完全に切り離され、痕跡も残さなかった?

 代わりにロナンの思念の断片がそこに取り残され、根岸の異能はそちらだけを感知した?


 あり得なくはない。

 しかしやはり違和感がある。

 あの時、視出みいだした映像では……


(……思い出してみようか)


 後部座席に座る根岸は、自分の隣を見遣った。

 屋敷から出る時に急ぎアタッシュケースに入れて連れて来た血流し十文字を挟んで、その向こう。布袋に仕舞われたウィジャボードがある。


 再び触れてみる気分にはなれない。が、彼はつい先刻脳裡に焼きついた他人の記憶を、今一度詳細に呼び起こした。


 ――酒場……テーブルの上。曇ったグラスが二つ、中に飴色の液体。見慣れない紙巻き煙草。中央にウィジャボード。その傍ら……

 ロナンに促されてプランシェットに触れたツシマが、もう片方の手で掴んでいたもの。


 ――折り重なった紙幣。札束だ。


 そもそもあの二人は、あの場で何をしていた? ロナンは何故、大叔母であるエマの降霊など見せようとした?


 ロナンはエマの霊を見て、すぐに彼女の名を呼んだ。あの姿のエマを知っていた。今までにも対面した事があったとすれば。


「ウィジャボードはあくまで呼び出すための道具……。憑いていたのはロナン自身に対してだったとしたら」


 我知らず、思考が声に出ていた。赤信号で車を停めた諭一とアメヤリが、揃って根岸を振り返る。


「ネギシさん、どした? ……何か顔色悪いよ」

「身内に憑いてる怪異ってのは普通、安全なんです。『灰の角』みたいに。空港の出入国検査でもスルーされるくらいで。それが突然暴走したんだとすると、別の――うぇッ」


 唐突に吐き気がこみ上げて、根岸は口元を押さえた。


 根岸が今つぶさに思い出したのは、他者の強烈な無念、死の瞬間の恐怖と苦痛の追体験である。揺れる車の中などで無闇に味わうべきものではない。


「……すみませんちょっと車降りて吐きます」

「わーっ! 待って待って! こらえて! すぐそこだから!」


 諭一が大慌てでハンドルを取り、その言葉通りに間もなく、一行は駐車場へと到着した。

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