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第130話 猫の不養生 (6)

 「殺し? 穏やかじゃねえな」


 アメヤリの告白に、志津丸しづまるが眉をひそめる。

 しかし言葉とは裏腹に、彼は存外あっさりとアメヤリの過去を受け止めた様子だ。

 若手とはいえ彼は高尾の天狗、関東一円の怪異たちが巻き起こす諸々の荒事に慣れている。


「あのー……さっきの幽霊さ……」


 と、こちらは物騒な話題に天狗ほどには慣れていない諭一ゆいちが、恐る恐る発言した。


「ぼくを見て『ツシマ』って呼んだよね」

「そうね」


 アメヤリが頷く。


「えっと、ネギシさんの話だと、幽霊になった『マクギネス』って人と『ツシマ』って名前の日本人が一緒にいて、マクギネスだけが死んじゃった。

 ……自分を見捨てたツシマをマクギネスは恨んでたのかな? そんで、今この部屋で人間ってぼくだけだし、一応半分日本人だから、化けて出た時にぼくをツシマと見間違えた?」


 根岸が見た『ツシマ』は、黒い短髪に無精髭を生やした、色黒で小柄な男だった。

 諭一とは似ても似つかないが、幽霊の視覚や聴覚はしばしばあてにならない。

 彼らにとっては自身の思い込んだ世界が全てである。根岸自身も経験済みだ。


「あり得る話ですが――」


 顎に指を当てて考え込む根岸の前で、アメヤリが首を傾げつつ、諭一に向けて上体を近づけた。


「見間違えた、そのようね。匂いのせいだわ。どうやら、私の気のせいじゃなかったみたい」

「匂い?」


 根岸は志津丸と、怪訝な顔を見合わせる。

 怪異は怪異の匂いを嗅ぎ分けられる。が、その嗅覚にも個人差や種族差はある。アメヤリの指摘が、彼らには理解出来なかった。


「それはさっきアメヤリさんが言ってた、ぼくのおかしな水の匂い、ってやつ?」


 諭一が重ねて問う。


「ええ」

「何それ?」

「仏教圏の人間に理解しやすいように言うと……『悪縁あくえん』の匂いね。私達は水域の空間穿孔くうかんせんこう使いだから、霊的な繋がりには敏感なの」


 空間穿孔。ブギーマンや河童かっぱ、ヒダル神といった怪異たちも使いこなす、空間から空間へ穴を穿うがって転移する異能である。


 便利な力だがどんな場所にでもワープし放題な訳ではない。概ね、土地ごとに住まう生物同士の血縁・地縁、信仰や伝承の類似性によって、掘り進められる坑道の脈は限定される。


 なるほど、ラ・ヨローナのアメヤリが水の匂いによって『縁』を嗅ぎ分けられるというのは納得だ。


「悪縁? なに、ちょっと怖いって」

「怖がる必要もないけど。ただ、貴方最近、誰かに生贄いけにえに捧げられなかった?」

「知らないよ!?」


 唐突にもほどがあるアメヤリの質問に、諭一は仰天した。


「生贄ってあの」


 根岸も狼狽うろたえて発言する。


「アステカ式に、薬物や酒類で酩酊状態にした人間の胸部を切り開いて心臓を取り出し、生皮を剥いだりするといった……? でも諭一くんは元気にしてますよ」

「なんで根岸がアステカの生贄事情に詳しいんだよ」

「考古学やってたらどこかで聞きかじるもので」

「もので、じゃねえっつの。ああもう、ミケが喋れねーとツッコミが足りねーじゃん!」


 うんざりと髪を掻き乱す志津丸を後目しりめに、ミケは椅子の上で丸くなってスヤスヤと眠っている。

 ウィジャボードの騒動で疲れたらしい。猫は持久力に欠けるのだ。


「そこまで本格的じゃなくて」


 と、至って冷静にアメヤリが応じた。


「彼にまとわりつく『匂い』は……そうね。

 誰かが、自分に降りかかった祟りからのがれるために、別の誰かに怨念を感染させしようとした。その祟りの連鎖に間接的に巻き込まれて、『悪縁』が出来てしまってる……そんな雰囲気」


 ――間接的な祟りの連鎖との縁。


 何ともあやふやな話で、ピンと来ない。


「って言われても」


 当の諭一も困惑顔だ。


「諭一くん、『ツシマ』という名前に心当たりは?」


 駄目元と思って、根岸は確認した。諭一は首を斜めに倒してみせる。


「友達にはいないかなあ。大体、『ツシマ』がいたのは治安悪そうな外国のバーっぽい場所だろ? そんな所、日本の学生はそうそう行かないっしょ」

「確かに学生ではなさそうでしたね。たところでは年齢三十から四十くらい。かなり不摂生そうな……となると、OBか研究生?」

「いやー、思い浮かば……」


 ない、とまで言いかけた諭一は、そこで不意に言葉を切った。


「OB。あっ――」


 そう口走り、額に手を当てる。


津島つしま……のぼる。そういやあの人『ツシマ』だ……!」

「なんだよ、あるんじゃねえか心当たり」


 早く言え、といきどおる志津丸に、諭一は慌てて手を振る。


「いやっ、会ったこともない相手なんだよ! うちの大学の文学部のOB。ヤバめのゴシップとか追いかけるジャーナリストやってて、名前だけは知られてる。で、モリっちが……ぼくの友達が」


 ひとつ唾を飲んで、諭一は続けた。


「……ぼくの写真、その人に売ったらしい」

「――……ええ!?」


 しばし呆気に取られてから、根岸は目を丸くする。


「生贄に捧げられたってのは、諭一の写真が? 何だそれ、大丈夫なのか?」


 志津丸も思わずと言った風に立ち上がり、空中から天狗の羽団扇はうちわを取り出した。にわかに臨戦態勢である。


「そこまで深刻な状況じゃないでしょう……。本格的に祟られてたなら、『匂い』はこんなものじゃないし、第一ウェンディゴが気づかないはずない。あくまで、彼の写真の売買は媒体。祟りの当事者は他にいる」

「祟られてる――それって結局、誰が誰に?」


 いい加減混乱してきたらしい諭一が、誰にともなくあたふたと問う。

 アメヤリは憂鬱そうに睫毛を伏せ、しかし簡潔に答えた。


「祟ってるのはエマ・マクギネスの悪霊。被害者は恐らく……貴方が言うところの友達、『モリっち』ね」

「エラいことじゃん!」


 即座に、諭一は席を立った。ポケットから車の鍵を取り出し、玄関に足を向ける。


「助けに行かなきゃ。それに陰陽庁に通報――」

「待って待って、落ち着いて」


 彼に追いついた根岸がその肩を叩く。何が起きているのか、まだ全く分かっていないのだ。


「通報前に現状を確認しときましょう。でも諭一くんだけじゃ危ないんで、僕も行きます。――『モリっち』って人の住所は分かります?」

「遊びに行った事あるから分かる。市内のアパートだよ、車ならすぐ」

「……空間穿孔の方が早いんじゃない? 浴室まで直通よ。一人か二人なら、私が連れて行けるけど」

「他人の家の風呂場に突然人間が出現すると、騒ぎになる場合もあるんですよ」

「ふうん……?」


 根岸の反対に納得しかねる様子でアメヤリは相槌を打ったが、


「じゃ、車でいいわ。でもどのみち、私も行く。エマの件は私に責任があるからね……」


 と、早々に切り替えた。


「その、エマ・マクギネスの霊についても説明が欲しいんですが」

「道中話す。早いところ出発しましょ」


 アメヤリは先に立って部屋を去る。

 応接間の入口で、根岸は振り返った。

 椅子の上のミケは目覚める様子がない。


「志津丸さん、しばらくの間留守番お願いしてもいいですか。ミケさんを頼みます」

「そらァ別に構わねーけどよ」


 一人、テーブルに残される形になった志津丸は、構えていた羽団扇を消し去って頬杖をつく。


「その『モリっち』とかいうのは、諭一の写真をヤベー記者に売り飛ばしたって話だろ。ンな奴を助けに行くのか?」

「ムカついてない訳じゃないけど」


 廊下から諭一の声が飛んできた。


「だからって祟られろとか死んじまえとも思わないって。そんな事になったら後味悪いじゃん」

「オメーらマジ……」


 軽く呆れたような表情を浮かべる志津丸だったが、言葉の途中で口を閉ざし、前後にひらひらと手を振った。


「ま、いいや。行ってこい。起きたミケがふすまを破らねえように見といてやるよ」

「ありがとう」


 一つ苦笑を返すと、根岸は念の為袋に戻したウィジャボードを小脇に抱えて、部屋を出た。



   ◇



 諭一の運転で、『モリっち』こと森心也もりしんやの自宅へ向かう中、アメヤリは先刻告げたとおり、エマ・マクギネスなる人物について知るところを語った。


 ――エマ・マクギネスとは、端的に言えば詐欺師であった。


 一九四五年、世界層破断による怪異パンデミック以降、軒並み没落し破滅する事になった、霊能力者を騙った詐欺師の一人である。


 元々、マクギネス家はアメリカに居を構えていた。

 先祖はアイルランドからの移住者で、実業家として成功し代々裕福な暮らしを送っていたという。

 その頃には、実際に不思議な力を持つ者が常に一族から生まれていたらしい。

 彼らは時に失くした物を探し当てたり、事故を予見し回避したりして、近しい人々から感謝された。


 しかし第二次大戦を前にして、理由は不明ながらその力は徐々に失われていった。


 能力は失われても、一度味わった称賛と地位は忘れられない。

 世情に便乗して不安を煽り、お祓いをすると言っては高額の礼金を要求する。嘘を家業とするようになったマクギネス家はそのノウハウを確立した。


 エマはそんな家の末娘として生まれ、十代の時には『我が一族屈指の霊能者』として母親に連れられて降霊会に出席していた。


 そういう幼少期を送らされた人間にどれほどの責任能力を問えるのか。

 そこは意見の分かれる所だろう。

 ともあれ、時代の激変は彼女に容赦をしなかった。


 終戦と共に世界中に怪異が溢れかえり、各国政府は霊能者と名乗る人材を大わらわで掻き集めた。

 怪異と対決姿勢を取るか平和裏に交渉するか、個人も国家もスタンスは様々だったが、どうあっても怪異と対話出来る、安全に対峙出来る人間は必要なのだ。


 当然、真に力を持つ聖職者や霊能力者は重宝されるようになり――逆に、偽物の正体はあっという間に露見した。


 何の能力も持たず、ろくに怪異を視認する事も出来ないと発覚したエマは、詐欺師として糾弾され、何件もの訴訟を起こされ、財産を失うばかりか莫大な借金を背負う羽目になった。


 折しも、アメリカ合衆国は怪異の影響で全土が混乱に陥っていた。

 それに乗じてエマは家族共々故郷を脱出し、メキシコに潜伏する。


 逃亡生活を送りながらもエマは、贅沢三昧と栄光の時代を忘れがたく思っていた。

 子供用の人形やウィジャボードを使って遊び、時々母親に吹き込まれたとおりの台詞を繰り返せば、大人達が驚き褒め称えてくれる日々。

 母親はとっくに失意の果てに病死していたが、あの頃の生活をいつかは取り戻したいとエマは切望した。


 そしてなけなしの財産と引き換えに、エマは非合法の霊験具れいげんぐを売る商人から宝石を一つ買い取った。

 これを使えば死者の声が聞こえると言われたのだ。


 一九四九年、秋。メキシコの重要な祭日、『死者の日』を直前に控えたある夜――首都郊外、池のほとりの墓地にて。

 怪異崇拝団体が密かに降霊集会を開いた。


 エマは、またも少なくない額の金を使って頼み込み、この集会に紛れ込んでいた。


 衆目の中で降霊を成功させたい。

 恐らくはその一心だったと思われる。


 結論を言えばこの時、彼女の生涯においてただ一度、最悪の形で降霊術は成功した。


 宝石に宿っていた亡者の魂。その正体は、エマに宝石を売った商人も、商人に売った盗掘家も把握していなかったのだろう。


 異教徒の墓地にて、異教徒に囲まれ強引に眠りからび覚まされ、怒り狂った状態で、彼――アステカの神官の怨霊は顕現した。

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