第128話 猫の不養生 (4)
再建中の天狗の山里も、アメヤリの世話になっているのだと志津丸は語った。
人間の力を借りるには、怪異から見るとあまりに膨大で複雑な、人間社会の決まり事を守る必要が出てくる。
天狗という種族は人間に対し概ね友好的で、修行として人間社会を学ぶ期間まで設けているが、それでもなおヒトの作る法の細部は把握しづらい。
殊、里の再建レベルの事業ともなれば、彼女のようなプロの助力は必須である。
「そんでオレが音戸邸に見舞いに行くって言ったら、丁度アメヤリさんも用事があるっつーから。乗せてきた」
「今の音戸邸、水場へ転移しての訪問が出来ないそうだからね……」
バイクに乗ったのは初めてだがなかなか刺激的な心地だった、とアメヤリは、ティーカップを傾けて感想を述べた。
彼らは音戸邸の応接間にて、皆でテーブルに着いている。
日頃のミケの見様見真似で、根岸が紅茶を淹れてみたのだが、多少渋くなった気がした。
「音戸邸に用事、ですか? しかしミケさんは今――」
と、根岸はテーブルの傍らへ困り顔を向ける。
ミケはというと、志津丸が持ってきてくれた爪研ぎ用の板と紙袋を相手どって、床の上で楽しげに遊んでいた。とても悩み事や相談を聞いてくれそうにはない。
「いいえ。貴方の力を借りたいのよ、根岸秋太郎」
「僕の?」
根岸は面食らい、アメヤリへと向き直った。
「そう。貴方の、『殯』の異能は……この世界とは異なる世界層を見通し……時空を超えて、不確定の存在を今に顕現せしめる力。そう聞いてるわ」
「そう――らしいです」
『殯』の異能は発現の仕方がランダムである。大分慣れてはきたが、未だに根岸はこの能力を完全に掌握したと断言出来ない。
「その能力で……これを、観測してみて欲しいの」
そう言ってアメヤリは、バイクに乗せてきたらしい布の袋から一枚の板を取り出した。
一抱えほどの大きさの木製の板で、厚みもそれなりにある。表面は黒塗りで、その上に繊細な紋様が彫られていた。
続いて取り出された、同じく木彫りでハート型の矢じりのような部品が板の上に乗せられる。
「これは……っ」
骨董好きの根岸は、一見してレトロな趣きに興奮を覚えた。
「ウィジャボードじゃないですか! アメリカ製? この重厚な作り、正規品だろうから……東西アメリカで降霊禁止令が出るより昔。怪異パンデミック以前のもの!?」
素手で触れるのには躊躇しつつも、根岸はわくわくと身を屈めてウィジャボードの観察に取り掛かる。
ウィジャボードとは、簡単に言えば西洋版の『こっくりさん』用のツールである。
その様式もこっくりさんの用紙とよく似ていて、板の上の紋様は装飾性が高いものの、よく見ればアルファベットと数字、『YES』『NO』『GOOD BYE』といった簡易なコミュニケーション用の文字列になっていた。
こうしたウィジャボードは、十九世紀末にはパーティーグッズとして米国の玩具屋で販売されていたというから、元々は日本人がこっくりさんに抱くイメージよりも大分カジュアルな遊びだったのだろう。
しかし怪異パンデミック以降、状況が変わった。
玩具とはいえ、その原型となったのは心霊主義に基づく降霊術である。つまり立派な霊験具と言えた。
一九四五年から五〇年代にかけて、遊び半分のウィジャによってうっかりと降霊に成功してしまう事故が相次いだのだ。
素人による降霊は、非常に危険である。
きちんとした手順を踏まない場合、降霊術によって顕現するのは、本来幽霊にならないはずの淡い死者の思念が、動物も人間も関係なく複数ごちゃ混ぜにされたものだったり、そこに更に生きた人間の憎悪が混じり合ったものだったり、自然界を流れる精気までも無理矢理押し固められて妖怪化したものだったりする。
そうした怪異の多くは、生まれた直後から理性を失い暴走する。姿形までも歪になりがちで、亡くした家族がショッキングな外見になり果てて襲ってくるケースもあり得るのだ。
子供が犠牲となる大規模な事件も起き、各国政府は慌てて降霊術の法規制に乗り出した。怪異側を法で縛るのは困難なので、人間を管理するしかない。
現代の日本では、自治体ごとの条例によって降霊の可否が定められている。
東京都は原則全面禁止。
一方、東北地方の一部地域では、怪異パンデミック以前から『口寄せ』の技術が文化として存続していた事もあり、当局による認可を受けた団体が医師と陰陽士を交えたカウンセリングなどを重ねた上で、慎重に降霊術を運用している。
死者との再会が生者の心の傷を癒やし人生の励みとなるケースも、実際あるにはあるのだ。
当然ながら――と、ふと根岸は不安を覚えた――ウィジャボードをはじめとした異文化圏の降霊術のツールは、日本への持ち込みが制限されている。
「アメヤリさん、このウィジャボードって……輸入の許可取れてるんですか?」
「許可証? 偽造した」
至極あっさりとアメヤリは応じ、根岸はげんなりと肩を落とした。この際、聞かなかった事にするしかない。
「ネギシさんて、なんか時々オタクっぽいよね」
ミケの前で花の枝を振っていた諭一が、気軽い調子で微妙に傷つく感想を述べる。「言ってやるなよ」と志津丸がフォローにならないフォローを入れた。
「えー……密輸の話はともかく。このウィジャボードに、何か僕が見出すべき曰くがあるという事なんですね。怪異が憑いてるとか」
「怪異にはなりきれてない」
相変わらず憂鬱そうに、アメヤリは首を振る。
「このウィジャボードに触れた状態で、死んでいた人間は」
「死――?」
伸ばしかけていた手を、根岸は思わず引っ込めた。
幽霊の身で死穢を忌避するというのも妙だが、しかし死体がこれに触れていたのだと言われては、やはり良い気分にはならない。
「怪異になるほどの強い思念は残せなかった。でも降霊術のツールがそばにあったものだから、僅かに……それに引っ掛かる形で残留したものがあるはず」
「引っ掛かる? 降霊術の道具ってそんな、魚獲る網みたいなもんなの?」
諭一が眉をひそめ、それに志津丸が頷いてみせる。
「網っつーか、マジックテープみてーなもんだな。あれニットの服とかにくっついちまうと、剥がしても細かな毛糸がくっつきっ放しになるだろ。ああいう感じだ」
「ええー……なんも怖くないじゃん」
「知らねえよ、こんだけ怪異に囲まれといて何を怖がりたがってんだよ」
その毛糸の断片から、ニットの全容を見出すのが根岸の能力という訳だ。
「とにかく、一度『視て』みます……」
「いきなり使って大丈夫なものなのか? 『殯』ってのは。オレが千里眼使う場合、探したい物をある程度知っといた方が楽だぜ」
『殯』と原理は異なるが同じ眼力に関わる異能を持つ志津丸が、尤もな懸念を根岸に向けた。
「僕もまだ試行錯誤の段階ですが」
と、根岸は答える。
「先入観がない方がいいと思います。対象があやふやな存在だったら尚更……僕自身の思い込みや想像が混ざって視えてしまうかも。人間の降霊術でも、その手の失敗はよくあるんです」
へえ、と志津丸は目を瞬かせ、アメヤリがテーブルの上のウィジャボードを、根岸の方へと軽く押し出した。
「じゃあ、詳しい説明はあとね。頼むわ」




