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わたしは泣きながら抵抗続けた。しかし、カルビは重く、その手はわたしの身体をまさぐり始めた。

絶対嫌だけれど、あきらめが、ほんのちょっと頭をよぎった。


と、ふと彼の動きが止まる。


でろんと、そのまま動かなくなった。弛緩して、わたしの身体にのっかかっている。

不意に身体か軽くなる。カルビが横に流れるように、わたしからどさりと落ちた。


「え」


ストローのようなものを口にくわえたイライジャ先生の姿が目に入った。わたしが起き上がるのを助けてくれる。


思わず彼に抱きついた。

怖かったのだ。


泣きながらすがりつくわたしを、背をなぜ、「大丈夫」と慰めてくれる。


「ここを出よう。安全なところへ」

「はい。でも、あの、彼らは?」


絡み合うヨーコとジョンだ。

先生は首を振り、もう遅い、と言った。確かに、チラ見しただけでも、ストップには遅すぎるのがわかる。


「催眠のかかり具合で、ああいったことは毎年起こる。目をつぶるしかない」


部屋を出た。


廊下を通る時、あちこちで「ああいったこと」が起こっている気配がした。


「あの、カルビは?」

「カルビ? 肉のことかな? 僕は肉の種類には疎いんだ」


「いえ、あのさっきわたしを襲おうとした、あの彼です。幼なじみで…」

「心配なの? 自分を襲おうとしたのに。大丈夫、しばらく眠っているだけだよ」


吹き矢で、睡眠薬を仕込んだ矢を飛ばしたのだという。

ああ、あの口にくわえていたやつだ。


先生はわたしを自分の宿坊へ連れて行ってくれた。


「今夜はここで眠るといい。僕は出て行くから」

「行かないで」


思わずそんな声が出た。

口にしてから頬が熱くなる。彼のわたしを見るまなざしも怖い。


生徒と保険の先生の間柄だ。それ以上は求めてはいけないのだろうか。

彼は初恋の人なのに。


沈黙が怖い。

何か言ってほしいのだ。


冗談にしてくれてもいいから。


「君のおかげで、今夜は大成功だ。軽度の催眠は生徒に残ったが、それも一夜で覚める。敵国の言いなりになる本格的な催眠はかからずに済んだ」


敵国のスパイ。十八年前に容姿枠で入り込んだ男が、信長役を務めた際に、催眠術を仕込んだのが始まりという。


それにかかった生徒たちが、自分の意志とは関係なく、後催眠によって国の機密を漏洩し続けて来たのだというのだ。


「もちろん全員じゃない。でも、一部でも成功すればそれでいいんだ。後は黙っていても成果が出る」

「今年の生徒は大丈夫でも、既に催眠術にかかった人たちは?」


「それはもう処理が出来ている。上流学園の出身者にはすべて、特級催眠術師により洗脳を解かれているんだ」

「うちの父も?」


彼は少し笑った。うなずく。


「お父上は、ごく浅いものだったから、僕でも解けた。邸にうかがった際に」

「先生は催眠術もできるんですね」


「僕のレベルは、せいぜい二級術師止まりだよ。才能がない」

「これで、もうお終いなんですか? 学園での任務は」


「ああ。監視は置くが、僕でなくてもいい」

「え」


異動になるのだろうか。

そんなことに心がふさいだ。もう会えなくなるのだろうか。


また涙がぶり返す。カルビに襲われた時のような恐怖の涙じゃない。悲しみの、恋の涙だった。


「どうして泣くの? もう大丈夫なのに」

「先生は、せっかくお元気になったのに、こんな危険な任務をこなしていたら、また悪くなっちゃうかもしれないじゃないですか」

「え」


彼は凝らすようにわたしを見た。アイスブルーの瞳は怖いほどにわたしを見つめる。


「君は…」

「わたし、先生がまだ少年の頃に、会っているんです。公爵邸で療養されていたでしょう? それをわたし、窓から見ていて…」


「それは僕じゃない」

「え」


「僕じゃない。君が見たのは、兄のフィンだ。僕たちは双子だった」

「だった?...」


彼は目を伏せ、少し低い声でつぶやくように告げる。


「十四歳になってすぐに、亡くなった。だから、君がフィンを見たのは、亡くなる間際の一年ほどのことではないかな。その頃は、母の里の公爵家に療養していたはずだ」


初恋の君がイライジャ先生ではなかったこと。そして、既に本当の初恋の君が亡くなってしまっていたこと。

それらの事実は、わたしを打ちのめした。


わたし、一体何を見ていたのだろう。

何を信じていたのだろう。


肉の町でも、ずっと夢見ていた。青味がかった美しい金髪の、透けるような肌の彼を心に思い、会えないとは知りながらも、憧れ続けて来た。


何もなかったけど、何も望めなかったけれど。その憧れだけを胸に、わたしは頑張って来たのだ。

欲がない子だね。両親思いの働き者だね。偉いね、我慢が出来て…。両親や町の人々のそんな声をわたしは浴びて暮らしていた。


欲がないなんて。


あきらめるしかないから、ほしがらなかっただけなのに。

我慢が出来たのじゃなく、それしか選べないからだ。


そんなわたしの唯一の心の支えが、憧れの初恋の君の面影だった。それを思い描くだけで、頑張れたのだ。前を向けたのだ。


その初恋の君が、もういないなんて。


衝撃に、涙がほとばしった。子供のように泣きじゃくる。思いに没頭し過ぎて、抱しめられていたことにも後で気づいた。


「フィンが好きだったんだね」

「うん。ずっと、ずっと...」


「僕もそうだ。十年経った今も、忘れられない」

「あ、ごめんなさい。わたしなんか。家族でもないのに」


双子の彼らの絆の深さは、初恋を失ったわたしの比ではない。今頃、自分のみっともなさに気づく。


彼は首を振る。


「ありがとう。今もこんなにフィンを思ってくれる人がいて、うれしい。心からうれしい」

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