劇熱
いつだって、人を殺すと言うのはワクワクするものだ。
誰かを愛し、誰かに愛され、何かを失い、何かを得て、そんな人間と言う名の素晴らしい長編ドラマに、この手で終止符を打てるのだから。
破壊衝動。
それの成れの果て。それが快楽殺人だと思う。僕がそうだったから。
物を壊すことで、抑えてきた自分の性を最後には抑えられなくなって、悩み、苦しみ、僅かに残った理性で僕は最後の一歩を堪えていた。しかし、それもいつかは決壊する。
最初に殺したのは、当時の彼女だった。デートに行こうと誘い、人の居ない山まで行って彼女を殺した。
山頂から綺麗な景色を嬉しそうに眺める綺麗な彼女の背中を押した。
それは、何よりも気持ちのいいことだった。
美味しい料理を食べた時よりも、
ミステリーを読んで上手く騙された時よりも、
晴天の下で行うランニングよりも、
定期的に行っていた破壊行為よりも、
彼女とのセックスよりも、
気持ちのいいことだった。
脳内麻薬が出ているのが分かる。心臓が暴れ出し、指先や足先などの末端が脈打ち、温かくなる。口の中が渇き、目の奥がジンと痛くなる。
これが殺人。
これが人と言う物を壊した感覚。
革命だった。僕の中に溜まった、澱のような破壊衝動が一気に無くなったのだ。何年も経った汚いアパートの壁の汚れを高圧洗浄機で綺麗にしたように、本当に破壊衝動と言う物が綺麗さっぱり無くなったのだ。遥か下で、真っ赤な華を咲かせている元恋人を見下ろしながら、僕は満面の笑みで深呼吸した。山の澄んだ空気が、これまた美味しかった。
人間には——というより動物には慣れというものが存在する。
公園の鳩が人のそばに寄ってくるように、
パチンコに使う金額が日に日に多くなっていくように、
何事においても生物には慣れがある。それは殺人も例外ではない。破壊衝動を押しとどめる僕の僅かな理性の堤防は、人殺を重ねることに低くなっていった。
彼女を殺してから三年が経ち、遂に堪えられなくなって、次は職場の上司を殺した。
上司を殺してから一年が経ち、次は行きずりの人間を殺した。
殺すことに——それの伴う快楽に慣れた僕は、何人も何人も殺していった。
僕は窓の外を眺める。墨汁をぶち撒けたかのような漆黒の夜空に、儚げに浮かぶ歪な月。
静かだ。
とってもいい夜だ。
僕は部屋を出る。ポケットには命よりも大切な、命を奪うナイフがある。