始まる物語
セシリアと3人で朝食を取った後の正午前、ゼロとユフィは仲良く手を繋いで王国東部の街並みを歩いていた。
緩やかに雲が流れ、暖かい日差しが降り注ぐ街並みは、思わず幸せを感じるほどにのどかだ。
彼らと同じように街並みを歩く人々の視線が、見たことがないほどの美男美女二人に注がれていることに、当の本人らは気づいているだろうか。
黒髪のゼロの左耳と、王国ではほとんど見ることのない桃色の髪のユフィの右耳にはお揃いの小さなシルバーリングのピアスがつけられており、ささやかに二人が恋人同士であることを伝えている。
ゼロの右手首にある黒のブレスレットと、ユフィの右手首にある白とシルバーのブレスレットも、ぱっと見はお揃いのように見える。
ただのデートにしか見えないのだが、ゼロはブラウリッターの軍服を、ユフィは薄紫の法衣を着用しており、領主の息子であり、かつ王国騎士のゼロが領内を巡視するという名目も兼ねているようだ。
彼らと話をしたことがある者たちは、すれ違う二人に挨拶をしたりもしている。
その光景は、平和そのものだった。
ゼロが東部にやってきてから約2週間ほどの日々が経過した。
王国東部はかつて1年前に国家転覆を狙って反乱を起こしたウェブモート家が治める土地だったのだが、反乱鎮圧に伴いウェブモート家は取り潰しとなり、領主不在となった東部に新たな領主としてやってきたが、アリオーシュ家である。
アリオーシュ家当主であり、ゼロとセシリアの父でもあるウォービル・アリオーシュは王都の王国七騎士団の中でも精鋭中の精鋭が所属する最強騎士団、シュヴァルツリッターの団長も務めているのだが、セルナス皇国との戦いが終わったことで現在王国内は極めて平和な状態が続いており、ウォービルが東部にやってきてから騎士団の招集は一度もかけられていない。
1年前の反乱で妻、ゼロとセシリアにとっては母であるゼリレア・アリオーシュを失ったウォービルは、その傷を癒すことができず、現在は日々の大半を旧ウェブモート公爵家――現アリオーシュ家――の書庫で過ごしており、反乱の折に首謀者であるクウェイラート・ウェブモートが使用した、海を隔てた先、東の大陸から伝わったとされる魔導書の探求に勤しんでいるのだ。
かつて王国最強の騎士と謳われ、ゼロにとってはあまりに高すぎる壁だと思っていたウォービルは、もういない。
東部にやってきて父と再会したゼロはそう思っていた。愛する者を失った悲しみを癒すことができない父は、生ける屍のように生気を失ってしまった。
時が経ち、回復してくれればとは思うが、ゼロに出来ることは何もない。
これまで長く戦ってきたのだから、傷が癒えるその時までゆっくり療養してほしいと、思うばかりだ。
そんなウォービルの様子を王都にいる女王アーファ・リトゥルムが知っているかは分からないが、ウォービルに召集がかからないということは、同じく王国七騎士団の一つ、ブラウリッターの団長を務めるゼロも召集されないということでもあり、今は愛するユフィと失った時間を取り戻すようにゆったりとした生活を送るのが、ゼロの日常になっていた。
「今日も平和だね~」
るんるん笑顔で街並みを眺めるユフィを見ているだけで、ゼロは胸が温かくなる。
肩ほどまでの長さに伸ばされた、触れたくなるような美しい桃色の髪、華奢な身体に透き通るような白い肌、形の良い唇、バランスよく整った鼻梁、大きくくりっとした目に宿る美しい碧眼。一流の造形師をもってしても作れないと思うような、神の寵愛を一身に受けたのではないかと錯覚するほどの美しさがそこにはあった。
そんなにも美しく可愛らしい彼女が、ゼロの恋人なのだ。
好奇心旺盛で、思いやりのある優しい心も合わせ持つ彼女は、ゼロにとってかけがえのない存在となっていた。
彼女を守るためなら、何だってできる。
平和が一番だが、ゼロは胸にそんな決意を秘めていた。
「今度、海の方まで遠出してみようか」
「えっ! うん! 行きたい!」
何気ないゼロの提案に満面の笑みを向ける彼女へ、ゼロはくすっと微笑む。ゼロもユフィもそれぞれ内陸部で育ったため、海を見たことがない。
海の遥か先には東の大陸や別な大陸があるとは言うが、あまりにも遠くてそれは見ることすら叶わず、海の向こう側には水平線という直線が見えるだけだと、ユフィは文献で読んだことがあるだけだった。
百聞は一見に如かず。好奇心旺盛な彼女はゼロの提案を聞いてから、幸せそうな表情をさらに幸福感で満たしていた。
彼女のこんな顔を見られるのならば、いくらでもいろんなところに連れて行ってあげよう、素直にそう思える笑顔だった。
「いつか、東の大陸にも行ってみたいねっ」
「そうだなぁ。色んな国、行ってみたいな」
世界は戦争に満ちている。
世界六大国と呼ばれるカナン大陸のリトゥルム王国、セルナス皇国、南部中立都市同盟、大グレンデン帝国、東の大陸にあるウェイレア王朝とネイロス公国。
少し前まで、これらの国々は手を取り合う姿勢など一切示さず、それぞれの軍事力を高めていた。
だが1年ほど前に一つ、情勢が変わった。
リトゥルム王国とセルナス皇国の対等同盟。
既にカナン大陸の国々もこの事情を知っただろうが、二大国の同盟により、カナン大陸の情勢は大きく動いたのだ。
両国の同盟により、同盟国同士の占有する領土は大陸の3割ほどとなり、南部中立都市同盟を上回ったのだ。
南部中立都市同盟は経済協定に基づき形成された都市国家の同盟群だが、都市同盟がリトゥルム王国とセルナス皇国か、大グレンデン帝国か、いずれかの陣営と手を組めば、カナン大陸の情勢はさらに大きな変化を迎えるだろう。
中立都市同盟と名乗ってこそいるが、かの都市同盟は高い軍事力を誇り、侵略行為に対しては烈火の如く攻撃を仕掛ける強国だ。
かつてはリトゥルム王国が南部の騎士団を中心に侵略戦争をしかけたこともあるが、その時は大敗に終わったという。
その敗戦以後、リトゥルム王国は長きに渡りセルナス皇国とのみ戦争を続けてきたのだが、もし都市同盟が中立の宣言を破棄し、リトゥルム王国に攻め入ってきていたならば、リトゥルム王国は南北を敵国に挟まれる形となり、攻め滅ぼされていたかもしれない。
触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものでリトゥルム王国は南部中立都市同盟にはブラウリッターを中心とした潜入任務を下すのみとし、大規模な対立は避け続けてきている。
今は小康状態が続くが、それがいつまで続くかはわからない。
だが、アーファとセレマウ、二人の少女が願う世界を実現し、世界中が穏やかな日々になればいい、ゼロとユフィは心からそう思っていた。
街並みを歩く二人とすれ違う人々の表情は穏やかだ。
反乱の発生地として、東部の人々もかなりの数が傷ついたのだろうが、すでに日常を取り戻した彼らには敬意を送りたいほどだ。
のんびりと街並みやすれ違う人々を眺めながら二人は歩を進める。
そんな時だった。
「……シレンくん?」
足を止めたユフィは、すれ違った青年へと振り返り、その名を呼んでいた。
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