幸せな日常
場面は、王国東部、アリオーシュ家に移ります。
リトゥルム王国東部、アリオーシュ公爵領にて。
「ん~……ゼロ、おはよ」
窓から差し込む早朝の光が室内を明るく照らす。
天気のいい日だな、と先に身体を起こした少女は思っていた。
上半身を起こし伸びをしてから衣服を正して、まだシングルベッドの片側で眠たそうにしている少年の顔を見ると、思わず顔が緩んでしまう。
さらさらの黒髪、まるで人形のように整った、整いすぎた顔立ち。彼女が世界で一番かっこいいと思う、世界で一番好きな顔が、自分の隣にある。
はだけた寝間着の内側に見える彼の身体は、リトゥルム王国でも最上位に近い強さを持つ者とは思えないほどに華奢に見えるが、触れてみるとしっかりと逞しい筋肉が感じられる。
「そろそろ起きないと、いたずらしちゃうよー?」
優しく彼の髪を撫でつつ、そんなことを言える今に幸せを感じる。
彼、ゼロ・アリオーシュが彼女のもとに現れたのは、今から2週間ほど前のことだった。
会えなかった日々が長かった分、噛み締める幸せは大きい。
二人が初めて出会ったのは、今から約2年前。彼女、ユフィ・ナターシャが15歳の時に己の力を確かめたいと、皇国軍を指揮する父に志願し戦場に連れて行ってもらった時だった。
彼女の圧倒的な魔力はやはり圧倒的で、戦場では敵などいないように思えた。
だが、仮面をつけた少年が現れたことで、彼女のその思いは消し去られる。
どうすれば彼を倒せるのか、初めて彼と戦場で出会った日から、何度か戦場で出会う度に、彼女はずっとそれを考えていた。気づけば1年間ほぼずっと仮面の少年のことを考えているほどに、彼女は彼のことを考えていたのだ。
運命の女神とは不思議なもので、戦場外で初めて出会った彼は、仮面などつけておらず、その身分すらも隠していた。
セレマウとナナキの3人で行った皇国各地を巡る旅行――本当はセレマウのための国内査察――で芸術都市を訪れた時、宿泊先の宿屋で二人は初めてお互いの顔を合わせた。
その時はまだゼロが身分を隠していたため、不思議な感覚を覚えつつもただただ、そのカッコよさに心を奪われただけだった。
今思い出しても不思議な縁だと、ユフィは思う。
そうしてついに、皇国首都で行われたセレマウにとって初めてとなる法皇法話の際に、ユフィはゼロの正体を知った。まさか仮面の少年が皇国に潜入していたなど欠片も思っていなかったユフィは、それはそれは驚いたものだ。
あの場で露見したコライテッド公爵の思惑を打ち破るために、セレマウの願いを、リトゥルム王国の女王アーファの願いを守るために彼と共に皇国軍と戦い、その後は王国で起きた反乱鎮圧でゼロと共闘した。
その戦いの果てにゼロは約1年間昏睡状態に陥ってしまい、彼女は彼が目を覚ますのをただただ待つ日々を送ることになってしまったのだが。
彼が目を覚まして、本当に嬉しかった。
ゼロの髪を撫でつつ、改めて彼女は幸せを噛み締める。彼といるだけで、何もしていなくても自然と顔がにやけてしまうほどだ。
「ねぇ、今日は一緒に買い物にいくんでしょ~」
半分は起きているのだろうとは思うが、なかなか身体を起こさないゼロの頬をつつくも、それでも彼は身を起こさないので、ユフィは思い切ってゼロの顔に自分の顔を近づける。
「いい加減起きないと、ほんとにいたずらしちゃうぞ~?」
唇と唇が触れそうなほどの距離で、ゼロを見つめるユフィ。
すぐそばに彼の顔がある。
少しずつ自分の胸の鼓動が高鳴っていくのを感じる。
――おはようのキスとか、こ、恋人同士ならいいよね……?
誰にともなく言い訳をして、ユフィが意を決した時。
「おにいちゃん! おねえちゃん! おはよーーー!」
「ひゃあ!!」
勢いよく扉が開けられるとともに飛び込んできた幼い声に、ユフィは心臓が飛び出るかと思うほどびっくりしてしまう。
「お、お、お、おはようセシリアちゃん! きょ、今日も元気だね!」
「うんっ! セシィは毎日元気だよっ」
現れたのは、美しい銀色の髪のまだ幼い少女だった。
彼女はゼロの妹のセシリア・アリオーシュ。ゼロと瓜二つの、少しだけ目が垂れ目で女の子らしい眼差しの、思わず抱きしめたくなるほどの美少女だ。
王国東部のアリオーシュ家に居候するようになってから、毎日顔を合わせているが、いつ見ても可愛い子だなぁと思わずにはいられない、ゼロが目に入れても痛くないほどに溺愛する妹である。
「朝ごはんの準備できたから、来ちゃったっ」
「うんうん、教えにきてくれたんだね、ありがとう」
元気いっぱいの笑顔を見せてくれる彼女を見ていると、自分まで元気になるような気がしてくれる。
「セシィ先に行ってるから、おにいちゃん起こしたら、早くきてねっ」
嵐のようにやってきて、嵐のように去っていくセシリア。
先ほどまでドキドキしていた胸もすっかり収まり、恋人ムードではなくなってしまったユフィは素直にゼロを起こそうと彼の方へ振り返ろうとしたとき。
「そろそろ、どいてもらえる?」
「ご、ごめんねゼロ!」
セシリアが入ってきた時に飛び跳ねるほど驚いてしまったのだが、その時思い切りゼロの身体をお尻で踏んでしまっていたようだ。
「ん、別に大丈夫」
ユフィは慌てるようにベッドから降り、ぺこぺこ頭を下げてゼロに謝る。
そんなユフィにくすっと笑ったゼロが上半身を起こし衣服を正してから、ゆっくりとベッドから降りる。
「おはよ」
「え?」
ベッドから降りたユフィのすぐそばに来た彼は、そっと彼女の肩に手を置くと、優しく彼女にキスをする。
あまりに自然な動きに、ユフィが耳まで赤くするのに時差が生まれてしまったほどだった。
「さっき、しようとしてたでしょ?」
照れることも、悪びれる様子もない普段通りの彼にユフィは嬉しさと恥ずかしさとが入り混じった複雑な感情で胸がいっぱいだ。
「お、起きてたんなら、早く起きなさいっ!」
その言葉が、彼女にできる精一杯の反抗だった。
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