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「兄ちゃん! ボクやったよ!」と、キャルルが頭を寄せる。
その金髪を横から伸びた手が撫でた。
「えらいえらい」
「なんだっブランカっ! 生意気だぞ!」
キャルルは手を払い除けて睨む。
頭から手を退散させたブランカは、もう一方の手でキャルルの耳を引っ張った。
ブランカは、殊勲の少年を群れの一番下だと思っている。
だから自分も褒めてやらねばならない。
一方のキャルルは、指一本か二本分背の低い竜を妹分だと思っている。
男の子にとって、妹に頭を撫でて褒められるなどあってはならない。
じゃれ合う子供達の姿に名残り惜しそうなマレフィカが、闘技場に上がって対戦相手を見た。
「うおー! 美少年じゃー!」
森の魔女は、誰にも聞こえぬように呟いて舌なめずりをした。
アスラウ・ラーンディルについては、アドラーも探りを入れていた。
オーロス山へ旅立つ前、アドラーの魔法を見抜いた少年魔術師。
「ま、ただ者ではないと思っていたが……」
ミケドニア帝国の魔術顧問を代々勤める名門出身で、審判を務めるバルハルト男爵が後見人。
つい最近になって宮殿に住まう獅子のライデン支部に入った。
どうやらかなり珍しい純攻撃型の魔法使いであるとの情報まで掴めた。
見た目は灰色のくりっとした髪に瞳の少年だが、かつてミュスレアに『おばさん』と言い放ったほどの命知らず。
「キャル、お前と同じ年齢だぞ」
「ふーん、何だかスカしてんな。仲良くなれそうにないや」
キャルルはちらりと見てから興味なさげに言った。
魔法使い同士の戦いなど、見たことある人の方が珍しい。
今度はウッドゴーレムが出てきた。
「こやつはメガセコイアから削り出したゴーレムで、高い魔法耐久がある。これの両膝を付かせた方の勝ちじゃ。それで……互いの直接攻撃も可能じゃが、くれぐれも死人など出ぬように気を付けてな?」
バルハルトは、双方に何度も言い聞かせる。
帝国男爵にしてレオ・パレスに四人しかいない総団長が困り顔。
アドラーは、このアスラウという天才少年が、強引に出場を望んだと知っていた。
バルハルトが反対していたことも。
アスラウが、邪気のない顔をマレフィカに向ける。
「こんにちわ、おば……お姉さん。本当は、そちらの団長さんに興味があったのだけど……お姉さんも強そうだから、いいかなって」
「お、お姉さん! だ、団長に興味!! ふおおおっ!」
マレフィカが興奮し始めた。
この森に住む血統の魔女は、知識も実力もある。
年齢はミュスレアより少し上、小柄な上にこの世界では珍しい眼鏡をかけ、こつこつと進める魔法の研究と子供を眺めるのが趣味。
更に誰にも言ってない耽美的な趣味もある。
魔女の知識は広く、そして奥深い。
「マレフィカ、負けないでよ?」
アドラーは大きな声をかけた。
好みの美少年を相手にやらかしてもらっては困るのだ、世間的にも。
「うんうん、分かってる分かってる。ところで、アスラウくん。うちのキャルルくんと仲良くする気はないかな? それで、お姉さんに映像を撮らせて欲しいなーって」
「はあ?」
アスラウの顔が、誰にでも分かる感じで歪んだ。
『何言ってんだ、この大人』というのを、隠しきれてなかった。
「あ、後で良いから、検討して欲しいなあーって」
呼吸の荒いマレフィカから逃げるように、アスラウが後ずさる。
”太陽を掴む鷲”は、ここに来て当たりの組み合わせを引いていた。
「えーでは、始める。双方、怪我のないように」
バルハルトの合図で試合が始まった。
まずはアスラウから、いきなりゴーレムを無視して直接攻撃を仕掛けた。
魔法使いの攻撃力は凄まじい。
特に熱を集めて炎を上げるのと、大気や魔力を圧縮させて爆発させる。
この二種類が初歩的で、しかも威力は術者次第の天井知らず。
直ぐに限界が見える冷却や氷系とは違うのだ。
アスラウの火炎魔法が幾つも命中して弾けるが、マレフィカは美少年から目を逸らさない。
「流石は紅瞳黒髪の魔女、相手にとって不足なし!」
アスラウは優雅に動きながら、二本の炎の柱でマレフィカを挟もうとした。
「ああー、余り遠くへ行くと、よく見えないのー」
マレフィカは、距離を取ろうとしたショタに困って、巨大な豪炎防壁を発動させた。
しかも、自分とアスラウを囲む円状にして。
「えっ!? なんっ!?」
可哀想なアスラウの声が、観客に聞こえたのはこれが最後だった。
アドラーは魔法も使える。
二人の使う法術魔法が、炎の壁を通して何とか把握出来た。
天才アスラウくんは、神童の名に恥じなかった。
三歳の頃から魔法を習い始めたそうだ。
だが「わたしは生まれた時から魔女だし」と豪語する血統の魔女には分が悪い。
しかもこの数ヶ月、マレフィカはギルドの一員として戦いに出た。
マレフィカ以上の知識を持つ魔法使いは存在する。
彼女以上に実戦経験のある魔法使いもいるが、双方を兼ね備えた者は今の時代では数えるほど。
「アスラウが十一の魔法を発動させたが、マレフィカが五つを解除。三つは気にせず受け止めて、二つは上位魔法でかき消した、最後の一つは動揺して外れた」
五分ほどのハイレベルな戦いを、アドラーはみんなに解説していた。
豪炎防壁が解けた後には、目に狂気をたたえてアスラウに迫る妙齢の魔女と、恐怖で逃げ惑うアッシュアイの少年の姿があった。
キャルルがぽつりと呟いた。
「あー怖いよなあ……年上のおば……お姉さんが迫ってくると。可哀想に……」
危うく大惨事を観客に晒しかねなかったが、アスラウが助けを求めた。
「じい! もう良い、終わりだ! 参ったから、止めてっ!」
アスラウの後見役、バルハルトが待ってましたとばかりに勝者を告げる。
この総団長は、才気溢れるとはいえ実戦経験のない若様が、一対一で戦うなど最初から大反対。
そしてライデン支部よりも、少年の貞操の方が遥かに大事だった。
「い、いかんのだー。久しぶりに興奮してしまった。あの子が動く度にな、半ズボンと生足がチラリと見えるのだ。それをずっと追いかけていたら終わってしまった。ミュスレア、分かるだろ?」
「いや、全然わかんない」
ミュスレアは、自分の後ろにキャルルを隠しながら答える。
危うく心に傷を負いかけたアスラウに、マレフィカが勝った。
これでアドラーの四勝、ギムレットの五勝。
決着は、団長同士の戦いに持ち込まれた。
「だから言ったのです。実戦とは、恐ろしいものであると。いずれ戦う時はありましょうが、その時はじいがお側で支えますからな?」
「いや、あれは何か違うし……戦いとは別のもの……」
出番のなかったウッドゴーレムを片付ける間、アスラウはバルハルトにこんこんと諭されていた。
アスラウには、相手の団に居たエルフの少年が、どうやってあの恐怖の近くに居るのか気になった。
ライデン市の冒険者でもとびきり若い二人が共に戦う機会も来る、だがそれはずっと先の話。