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「ヒーラー同士の戦いって、こういう事か」
アドラーもやっと納得した。
闘技場では、二体の泥ゴーレムが殴り合う。
馬の血をつなぎに使った泥ゴーレムは、ヒーラーの回復魔法で再生する。
先にゴーレムが壊れた方の負け。
魔法の回復力と持続力、どちらも必要とされる過酷な競技。
過去には、ゴーレムの代わりに人を使ったが、長生きのエルフ族さえ見たことがない大昔の話。
グレーシャは黒が基調の袖と裾の長い上衣、長い脚はラインの出るパンツにヒール付きの靴。
デザインされた一品物のとんがり帽子に、身長の八分ほどある杖。
「ヒーラーと言うよりも、悪の女王様だな」
グレーシャのことが大嫌いなアドラーには、そう見えた。
「魔女の好む衣装だのー。ああいうのは私には似合わん……」
小柄なマレフィカが悲しそうに呟いた。
事実、背が高くスタイルも鍛え上げ、射抜くような瞳と美貌を持つグレーシャに、黒い戦闘服は良く似合う。
競技場に現れただけで男から歓声が上がる。
続いてリューリアが登場した。
まだ素朴な少女だが、明るい茶金の髪から耳が長く伸び、緑の瞳が印象的。
将来性を感じさせるに十分だった。
「あらぁ? お姉さまに似て、ムカつくお顔ですこと」
リューリアの顔を見たグレーシャは、さっそく細い眉を吊り上げた。
「姉に似てかわいいね、って良く言われるんです」
さわやかな笑顔でリューリアが返した。
「もう直ぐ見れなくなるなんて残念ですわぁ。貴女なら、何処のお店でも売れっ子ですわよ」
グレーシャは、ミュスレアに借金とギルドを押し付けた首謀者。
元々エルフ族が嫌いなのか、余程ミュスレアと合わなかったのか。
『まあ、少数種族を見下していて、本人の性格もすこぶる悪い』
アドラーは独断と偏見で決めつけた。
今後、訂正するつもりもないが。
リューリアを応援しようとしたアドラーは、喉がカラカラな事に気付く。
自分の戦いなら冷静なのに、これほど緊張するとは自分でも驚いていた。
「はい、これ」
ミュスレアが、水の瓶を差し出した。
もちろん家から厳重に管理して持って来たもの。
一気に飲み干すアドラーを見ながら長女はいう。
「心配しなさんなって、わたしの妹だもの!」
アドラーはかつて、これほど根拠もないのに頼もしい台詞を聞いたことがない。
「では、始める。双方とも、初戦にふさわしい戦いを!」
バルハルトが、ギルド会戦の開始を告げる。
回復系の魔法は、ほとんどが神授系の魔法になる。
医神の数は多く、八大神二十五流六十三派と呼ばれるほど入り組んでいる。
主神クラスの下にも、腰痛や膝痛の神、二日酔いに効く神、吹き出物の神、美白の神から脱毛の神まで、体に関する神さまが数百柱とある。
ただし髪の毛を生やす神は、今も見つかっていない。
リューリアが学んで仕える女神パナシアは、傷と病気の応急手当てを得意とする代表的な治癒の神。
この戦いに最も向いた守護神と言えた。
「あら、まあまあやりますわね」
だがグレーシャは余裕の表情。
お互いのゴーレムが壊す速度に、二人の回復量は追いついて長期戦になるかと思われた。
「マレフィカ、どう?」
アドラーは魔女に尋ねた。
「分からんね。どの神の加護か、隠しながら使ってる。レベル的にはだいぶ上だな、あの女」
神授魔法は、神さまの力を使うので燃費が良い。
だが弱点もあり、仕える神がバレると対策も可能になる。
グレーシャには、隠ぺいの魔法も使いながら戦う余裕があった。
ゴーレムの殴り合いは派手だが、ヒーラーの二人は距離をとったままの状態が数分続いた。
そして先に動いたのはグレーシャで、原因は観客。
「かわいいエルフのおじょうちゃーん! そんなババア、やっちまえ!」
命知らずの冒険者が、グレーシャの真後ろで叫んだ。
ゆっくりと振り返ったグレーシャが一歩踏み出すと、その冒険者が本日最初の怪我人になった。
「無礼な観客を躾けたら駄目とは、言わなかったですよね?」
「うむ、観客への攻撃は禁止事項にない。いや、書く必要もないと思ったのだが……」
審判のバルハルトも困り顔。
グレーシャの手には長い鞭、視線の先では顔の皮膚を削り取られた哀れな冒険者。
これを見たライデンの冒険者の思いは一つ。
『あいつ、よそ者か? 新人か?』であった。
具体的には知らなくとも、エスネとミュスレアとグレーシャ、この三人が怖いのはライデンの者なら誰でも知っている。
「せっかくの初戦ですもの、少しサービスしてあげますわ。避けないと、かわいいお顔が滅茶苦茶になりますわよ?」
グレーシャが、今度はリューリアに向けて鞭をふるった。
「なんて奴だ……」
アドラーは、リューリアを出したのをもう後悔していた。
集中力の要る回復魔法を使いながら、しかも隠蔽魔法も同時展開して、物理攻撃まで仕掛ける。
エスネと並ぶ銀剣のランクは、飾りではなかった。
「ミュ、ミュスレアさん! もう参ったしよう! ね、あんなのとリューが戦う必要なんてないから!」
ギルドで真っ先に弱気になったのは、アドラーだった。
何なら自分が飛び出してグレーシャをしばき倒した後、逃げ出しても良いとさえ思っていた。
アドラーは、戦いの前にファゴットに頼んでいた。
「もし負けたら、俺以外の全員を連れてスヴァルトに逃げてくれ」と。
ライデン市の沖合には、高速船の黄金鳥号が錨を下ろしている。
退路を確保するのは、指揮官の役目。
「兄ちゃん、落ち着きなって。リューねえが、そう簡単にやられるわけないから」
キャルルの方が冷静だった。
弟は姉の強さを身をもって知っていた。
魔法切らさぬようにリューリアが鞭を避けるが、ほとんどが避けきれずに体を打つ。
その度にリューリアの服が裂けて布が剥ぎ取られる。
想定外の少女の陵辱に、観客の男どもが盛り上がる。
「いやいや、もー無理! 今直ぐ走って行ってグレーシャをぶっ殺す!!」
アドラーだけが取り乱す。
それでも次女は動けていた。
下に着込んだ鎖かたびらには強い防御魔法がかけてあり、肌までは届いていない。
「そーれそれ! 醜いエルフの裸を晒しなさい! おほほほっ!」
グレーシャが高笑いを始めた。
「これからよ、見てなさい」
アドラーを押さえつけていたミュスレアがいった、彼女は妹が戦意を失ってないのを分かっている。
グレーシャの鞭がリューリアの杖に巻き付く。
エルフの反射神経を生かし、リューリアが受けたのだ。
巻き取られる前に、リューリアが飛んだ。
エルフ族の彼女には、もう一つだけ使える武器がある。
「風の精霊たち、お願い!」
服はボロボロになり、膝まで守る鎖かたびらの下は薄い下衣だけ。
体の線が観衆に晒されて、乙女にとって耐えきれない状況でも、リューリアは諦めていなかった。
彼女を慕う精霊たちに体を預けて、全力の体当たり。
これで場外までグレーシャを吹き飛ばせば、リューリアの勝ちだった……。
「おおっ! ああっー……」
全体重を乗せた見事な一撃に観客が沸き、直ぐに落胆の声に変わった。
「痛いわねぇ、このっ小娘がっ!」
腹部にめり込んだリューリアを、グレーシャが左手で殴り飛ばした。
グレーシャのヒールは、一メートルほど下がっただけでしっかりと地面を捉えたまま。
「きゃっ!!」
リューリアが弾け飛び、鞭は再びグレーシャの手に戻る。
今度こそ鞭の先が顔をめがけて振り下ろされようとした時、大きな声が響いた。
「それまで! 勝者は宮殿に住まう獅子・ライデン支部のグレーシャ!」
バルハルトの宣言と同時に、リューリアのゴーレムは崩れ落ちていた。
肉弾戦をしながら回復魔法を維持するのは、経験が浅いリューリアには不可能であった。
涙目でリューリアを助けに行くアドラーとは対照的に、マレフィカは相手から目を逸らさない。
「なるほどねぇ……。これが特訓の成果かな? ちょっとみんないいかなー」
初戦は負けたが、敵の手の内も一つ読めた。




