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底の浅い湖面を、巨大な昆虫が歩いてやってくる。
季節ごとに大きくなったり縮んだりする湖で、特に決まった名前はない。
湖の岸辺に立ったアドラーは、リザード族のハプシェに声をかけた。
「あー、君たちは逃げなさい。あれは意外と凶暴だ」
「そうもいきませんよ、僕らの村ですから」
ハプシェは笑って答えた。
強がりの笑顔だが、悪いものではなかった。
アドラーは、リザード族の若者達を集めて指示を出した。
まず、湖岸に並べてある船を指さす。
「大事な道具だが、命には変えられん。船を並べて盾にしろ。銛、弓、網で足止めに専念。とどめは俺に任せてくれ、戦いは本職だ」
そして、何度も「俺を信じろ。無理はするな」と繰り返し、リザード族の若者達に強化魔法をかけた。
アドラーは彼らに信用されている訳ではない。
現時点では、強化の効果量はほんの気休め程度。
「さて、やるか」
アドラーは、真っ先に現れた大物に飛びかかる。
ナフーヌの外骨格は硬く、下手に斬りつけても通らない。
突き刺したままでひねると刀身の方が曲がる。
アドラーは、リザード族から貰った剣に硬化の魔法をかけていた。
上位の武器には、使い手を強化する物がある。
エスネの使うミュルグレスと呼ばれる剣がそれ。
武器自体が強化された物、特殊な効果がある物と様々なタイプがあるが、アドラーの手にあるのはただの鉄の棒と言って良い。
使い手が強化しなければならない武器は、紛れもない安物である。
「おおっ!?」
リザードの若者達から歓声があがった。
アドラーが手にした武器は、ナフーヌの外骨格をいとも容易く貫いていた。
「一つ!」
倒した敵を数える、アドラーの悪い癖が出る。
剣が曲がらぬよう丁寧に引き抜くと、アドラーは次の獲物に向かう。
集落の防衛戦は慣れたもの、そして最も気合が入る。
アドラーの戦いっぷりにリザード族が勇気をもらい、徐々に特殊強化魔法が効き目を発揮する。
この魔法は、アドラー個人への信頼度で効果量が上下する。
アドラーとリザード族の若者達は、村への侵入を一歩も許さず頑張っていた。
「二十二! あ、折れたっ!?」
剣が先に限界を迎えた。
「ちっ、よく頑張ってくれたが……」
アドラーは、柄の部分だけになった剣を適当に放り捨てた。
「アドラーさん!」
ハプシェが新しい武器を投げて寄越そうとしたが、二人の間に一際大きなナフーヌが割って入る。
指揮官級だと、アドラーには区別がつく。
リザード族の若者達は必死に耐えていたが、これに手間取ると死者が出かねない。
夜の湖からは、次々に新手が上陸していた――。
「だんちょーーー!」
そこへ、アドラーの頭の上から聞き慣れた声がした。
そして、指揮官級の大物の上に白い影が舞い降りる。
両手に掴んだ剣の先から着地し、刃は根本まで埋まり致命的な一撃を与える。
「ブランカ! 早かったな」
「えへへ」
一番の大物の上に仁王立ちしたのは、エルフの長剣を手にしたブランカ。
白銀の髪が湖を超えて吹く風に舞い、胸元にはエルフ王に貰った大きな紅玉が輝く。
ドラゴンは光るものが好きだ。
「その剣、どうした? よくキャルルが貸してくれたな」
「あいつね、今怒られてる。だから勝手に持ってきた」
キャルルは、エルフの剣を片時も離さない。
眠る時も手の届く所に置くが、ミュスレアに叱られる時だけは別である。
十も離れた姉に怒られると、それどころではない。
「よく分からんが、よく来た!」
アドラーは、ブランカから自分の剣を受け取った。
賢い竜の子は、団長の分もしっかりと持ってきていた。
「マレフィカ!」
アドラーは上空に向かって叫ぶ。
「全員でこっちに来るように伝えろ、大至急だ!」
「はいよー」
ブランカを送り届けたマレフィカが、ホウキに乗って飛んで行く。
「さて、ブランカはそっち。俺はこっち。振り回してリザード族を斬るなよ?」
「はいな!」
剣が生み出す暴風が二つになった。
上陸するナフーヌが次々と駆逐される。
リザード族は、長剣を器用に使うブランカに近づかなかった。
危ないからでなく、むしろ畏れと驚きを持って白い髪と尻尾を見つめていた。
「もう増えないな。塔の動きが止まったか?」
僅かな時間で数百体を呼び寄せた古代の塔は、沈黙を守っていた。
最後の集団に対して、ブランカがブレスを吹いた。
閃光の中、百体以上が一瞬で消滅し戦いは終わる。
「あっ、勝手に使うなって言ったのに……」
アドラーの視線に気付いたブランカが言い訳を始めた。
「あのね、あたしにもちょっと責任があるの。けど、悪いのはキャルルだよ。うん、全部あいつのせい!」
ブランカは手と尻尾をぱたぱたさせて、自分は悪くない悪いのはキャルルだと訴える。
「話が見えないけど、それは後で聞くよ。よくやったな、ブランカ」
アドラーがぽんっとブランカの頭を撫でると、尻尾が左右に大きく揺れる。
船が幾つか壊れたが、リザード族に死者は出なかった。
だがリザード族は、歓声を上げるでもなく遠巻きにして眺めるのみ。
「怖がらせたか……」と、アドラーは思った。
モンスターの居る大地を、水を追って移動するリザード族にとっても、先ほどの二人の戦いは異常。
特にブランカのブレスの威力は、魔法だとしても恐るるに足る。
「あー心配ない、何もしない。直ぐに出ていくから……」
アドラーは、これ以上リザード族に迷惑をかけたくなかった。
「神竜!」
「まさか伝説の」
「我らが神!」
「うん?」
アドラーは首をひねった。
迷信とは距離を置く若者達から、妙な言葉が漏れて聞こえた。
リザード族は、一斉に膝をついてブランカを崇め始めた。
「そーだぞ、あたしは最初の竜の子孫、ブランカ! トカゲじゃないぞ!」
気分を良くしたブランカが、並んだ頭に向かって自己紹介をした。
ブランカが、村の中を我が物顔で歩く。
とてもご機嫌である。
山に居た頃は祖母と二人、山を降りたら人族の子供にからかわれ、今は小さなギルドの一団員。
きちんとドラゴン扱いしてもらえるのは、今回が初めてだった。
「うむむ……輝く御髪に長い尾、偉大な力を持つ咆哮、まさに伝説の通りじゃ!」
村のシャーマンも納得せざるを得ない。
アドラーにしても、この子が竜なのは事実なので否定のしようもない。
ブランカは、祭り用に並んだ食べ物を見つけると、勝手に果実を取って食べた。
「美味しいな、これ」
行儀の悪さにアドラーは頭を抱えたが、村の者たちは「おおー」と感激してから、再び料理を運び並べ始めた。
宴の再開である。
やがて、ミュスレア達もやってきた。
村長と長老とリザードシャーマンは、短く相談して全員を村に入れてくれた。
神竜様と、そのお供の一行なのだ。
アドラーは、手元にあった予備の剣などをリザード族に押し付ける。
村の危機を救ったから飯くらい……と言うわけにもいかない。
元凶のキャルルは、ミュスレアにがっつりと絞られて目が真っ赤。
久しぶりに姉に本気で殴られたそうだ。
「兄ちゃん……ボク……」
「いいよ、キャルル。もう叱られたんだろ? けど勝手に動いて、分からぬ物を触ったら駄目だ。知らぬ間に、この村が全滅するところだったぞ」
「甘いわねえ……」
リューリアが二人聞こえるように呟く。
次女は弟に厳しい。
「ま、まあほら、何とかなった訳だしな? 明日、俺もその神殿に行ってみるから」
キャルル達は、神殿の地下で怪しい存在に会ったという。
バスティが言うには「悪魔」だとか。
気にはなるが、今は全員の無事を喜ぼうと、アドラーは思った……。
「あっ! 忘れてた!」
アドラーが慌てて立ち上がる。
湖岸の物見やぐらの上、はしごも外され、冷たい風が吹く頂上に、全裸マントのエスネが一人取り残されていた。
「くしゅん! おーい、アドラー、早く迎えに来てくれー」
丁度、凛々しい顔に似合わぬ可愛いくしゃみをしたとこであった。




