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アドラー達は街道に沿って北上を始めた。
ここで苦労したのは、糧食の調達に走り回った役人である。
「ファゴット、お疲れのようだな」
事務が苦手な官僚に、アドラーは声をかけた。
「そりゃまあ、オークは大食いですからね。エルクの餌も馬鹿になりませんし」
「しかも、勝手に増えるからな」
「どちらがですか?」
「どっちもだ」
四千の予定だったオーク兵は、城館に着いた頃には五千に増えていた。
さらに追いかけて来た者が、一千人ほど。
戦いだと聞いて、喜々として集まって来たのだった。
シュクレティア姫の居た城館と、首都にあった厩舎と牧場が破壊され、大量のエルクが逃げ出していた。
このエルクを捕まえながら進むのだが、一度などは勝手に焼き肉にしたオークと、それを見つけたエルフとで激しい揉め事が起きた。
異種族同盟の苦労は果てしなかったが、役人達はよく働いていた。
「王様と王子の消息は?」
「それがさっぱりでして」
「悪い方の話も?」
「はい。タリスとは連絡が付きましたが不明です。奴らも、昨日まで捜索していたそうです」
「それであれか」
アドラーは、一キロほど離れた丘を見やる。
傭兵団を中心におよそ三千が、柵を巡らしてタリス郊外で待ち受けていた。
王の首も取れず、王女の旗が大軍を率いて現れては、国内で加勢する勢力はない。
対する連合軍は、オーク兵が六千、集まったエルフ弓兵が一千五百、さらにフュルドフェル騎兵が三百余り。
「籠城しないなら、逃げれば良いものを」
軍事に疎いファゴットでも、味方が圧倒していると分かる。
「そうでもないぞ。充分な火力があれば、撃ち下ろすだけで勝てる。オークもエルフも、個人は強いが戦いは下手くそだからな」
歩兵しかいないオークと、弓兵と騎兵ばかりのエルフ。
どちらが相手でもヒトの軍隊は有利に戦うことが出来る。
そして、この二種族が同盟するなど常識の範囲外であった。
「まあ、ヒト族が戦争上手なのは否定しませんが」
ファゴットはさりげなく言い換えた。
――スヴァルトの宰相は、カーバ・ヒポタマスといった。
カーバ宰相は、有能であった。
反乱の理由は、権力欲とも母国であるサイアミーズによる買収であるとも伝わり恐らくは両方であろう。
事実、彼が四十を過ぎて授かった息子は、サイアミーズ国に仕えていた。
クーデターの作戦は完璧なもので、損害もなく王宮と主要機関を掌握し、首都の軍を武装解除した。
「だが、陛下と殿下はいずこへ……」
カーバ宰相は、王宮の中庭に生える木々を見下ろしていた。
衛兵よりも早く王と王子の寝室へ踏み込んだはずが、影も形もない。
寝台は暖かく、王宮から逃げた形跡もない。
もちろん、中庭の木は徹底的に捜索した。
エルフは木登りが得意であるから。
「閣下! カナン人の商人達がいらしております」
まだ若い秘書官が入ってくる。
この王宮の官吏の半分はヒト族で、彼もそう。
「やれやれ、商人とはせっかちであるな」
反乱の首謀者は、ゆっくりとした歩みを止めて、秘書官に向き直った。
「君は幾つになった?」
「二十五になります、閣下」
「そうか……息子と同い年であったな。老いると記憶が遠くなる……。こういう時は、エルフが羨ましいな。今を限りに、君を解雇する。まだ逃げることが出来よう」
「そんな……! 閣下、わたしは……!」
カーバは手を振って若者を黙らせた。
宰相は有能である。
エルフ族なら六十年以上かかる地位に、僅か三十年余りで上り詰めた。
そして、今の状況からこの先を正確に予測していた。
――準備を整えたエルフ・オーク連合軍は、丘の麓に布陣した。
「森を焼いたか」
視界を妨げたり、隠れることが出来る森は、傭兵達が切るか焼き払っていた。
エルフ族は、ほとんど木を切らない。
必要な時は、森の古木にお願いして最小限だけ貰う。
「アドラー様、森が応えてくれました。姫様が直々に赴いた甲斐がありましたぞ!」
護衛隊長が嬉しそうにやってくる。
「そうか」
アドラーは一言だけ返事をした。
傭兵団には、充分な火力があった。
千丁を超える魔弾杖に大砲で、これならオークの大群を防ぐのも可能。
「……そっちが鉄砲なら、戦車を出すしかない」
誰にも聞こえぬように、アドラーはつぶやく。
綺麗に整列したオーク兵とエルフ兵の間を縫って、十数体のトレントがやってきた。
森の守り神を視認した傭兵達からは、悲鳴にも似たざわめきがあがる。
「トレントに隠れて進軍する。弓は百歩の距離で援護せよ。騎兵は、敵と首都の連絡線を断ち、敵が崩れたら追撃せよ」
指揮権の奪い合いはなく、会議で決まった作戦をアドラーが兵に告げた。
トレントは枝や幹を鉄の弾に抉られて全滅するだろうなと、アドラーは予想していた。
それを承知して、森の守り神は味方になった。
トレントが倒れた後には、それを苗床に新たな森が出来る。
エルフ族は、何千年もその森を守り続ける。
アドラーが右手を振り下ろすと、トレントが大股で歩き出した。
「前進!」
「いくぞ、野郎ども!」
「フュルドフェル隊、出るぞ!」
騎兵が丘の下をぐるりと回り込み、首都と敵軍の中間を押さえる。
古代樹林からやってきた木の王達は、人の新兵器に全身を削られながら斜面を登る。
トレントが倒れた地点は、傭兵達の戦列からわずか数十メートルのところだった。
最初の穴は、アドラーと二百のオークが開けた。
穴が塞がれるのを阻止するため、弓兵がエルフの技を披露する。
お互いの弱点を補ったエルフとオークは、爆発的な戦闘力を発揮した。
戦いは短いが激しいものとなった。
「これ以上は……」
アドラーは剣を腰に戻す。
もう周りに敵兵の姿はなく、早くもフュルドフェル騎兵が追撃に移っていた。
蹄に蹴られ槍で突かれる傭兵の数が増える。
『余り殺すな』と命令しようとして、アドラーは止めた。
エルフ族にとっては復讐戦、止めるべきでないと思ったのだ。
しかし、丘の上から来た方向を見たアドラーは思い直す。
「ダルタス!」
「はっ!」
「降伏をうながせ、殺戮は終わりだ。オークを止めろ」
「了解しました」
オークのダルタスは、命令に忠実だった。
とても族長の父親を殴ったとは思えないくらいに。
アドラーは、エルフ族にも攻撃中止の合図を出す。
丘の下の南へ伸びる道から、シュクレティア姫と共に、ミュスレアや子供たちがやって来るのを見つけていた。
「個人のわがままだが……これくらいは許してもらおう……」
アドラーは、惨敗した敵兵をエルフの騎兵が蹂躙するところを、彼女たちに見せたくなかった。
傭兵団は降伏して武器を捨て始め、クーデターから六日で全ての戦いが終わった。




