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ミュスレア一家は、街から外れた”魔女の籠もる森”の片隅に住んでいる。
木々の生え茂った小さな丘だが、変わったことが起きて不気味だと大人は寄り付かない。
アドラーにも「やけにマナと精霊の濃い場所だな」と分かる程だ。
だがエルフの血を引く三姉弟には、むしろ好ましい場所だった。
「別れの晩餐になると思うから……」と、アドラーは多くの食料を買い込んだ。
お世話になった一家と、最後の食事のつもりだった。
「おかえりー。あらアドラー、いらっしゃい! なにその大荷物?」
ミュスレアの妹リューリアが出迎えてくれた。
歳は十八になるが、エルフらしく成長が遅くまだまだ成長途上。
姉よりも落ち着きがあり、長い赤茶色の髪を背中で縛り、彼女を知る誰もが『将来有望』と太鼓判を押す。
今は治療院で働く為に、医術の勉強をしているはずだった。
家の奥から金色の物体が走ってくる。
「ねえちゃん、お帰り! それに兄ちゃんも!」
末の弟のキャルル。
最もエルフの血が濃く出たらしく、薄い金髪に美少女とも見間違う整った顔。
十五歳になるが、体格はまだ十二歳といったとこ。
森の中で行き倒れたアドラーを見つけてくれた、一番の恩人だ。
「リューにキャル、久しぶり。これお土産だよ」
アドラーは両手に抱えていた肉に魚、パンに野菜、果実やお菓子までテーブルにぶち撒ける。
「にゃあ!」と一声鳴いてから、ギルドの守り猫のバスティが魚を手に入れた。
誰も居ないギルドハウスに置いておくのは忍びないと、アドラーが連れてきたのだ。
魚の一匹くらい喜んで猫にやるだけの食材があった。
「うわっ、凄いわねぇ」
「すげー!」
家の台所を預かるリューリアはさっそく献立を考え、キャルルが砂糖菓子を一つ摘み食いする。
行儀の悪い弟の長い耳を引っ張りながら、リューリアが聞いた。
「何かあったの? 二人でご馳走を抱えて」
「うーん、いやー。ちょっと大事な話があるのよ……」
歯切れの悪いミュスレアの返答に、妹弟も何か悟ったようで、それ以上は聞かずに夕食の準備を始める。
”魔女の籠もる森”には魔物など居ない。
不思議と子供には怖くない場所で、近所の子が薪を拾ったり秘密基地を作ったりもする。
貧しいクォーターエルフの姉弟は、森から色んな物を得ながら生活していた。
「この蜂蜜、僕が取ってきた。こっちの香草も僕が取ってきた」
リューリアが手際よく調理する間に、キャルルが自分の手柄を自慢する。
蜂蜜は肉に塗って暖炉でじっくり焼いて、香り付けの野草は魚の腹に詰め込む。
「凄いな、キャル。小さな森なのに何でもあるんだなあ」
「そりゃあね。時には行き倒れを拾ったりもするよ?」
「ひょっとして、俺のことかな?」
ベタな団らんが出来るくらいに、アドラーは一家に馴染んでいた。
『学校に通う二人も成長して、これからって時に……あいつら何てことを』
ささやかな生活をぶち壊した、かつての団長と副団長は許し難い。
だがこの街に来てまだ二年のアドラーには、奴らを追うアテがない。
「さあ、みんなお皿を運んでちょうだいな」
リューリアが指示を出し、食卓に料理を並べる。
串に刺して蜂蜜の上から塩をまぶした肉の塊を運ぶアドラーに、料理上手の妹がそっと囁いた。
「心配しないで、わたしは反対したりしないからね? キャルも懐いてるし、問題ないわ!」
何やら大きな勘違いをされている気がして、アドラーはますます言い出し難くなった。
楽しく豪勢な食事が終わる。
アドラーとミュスレアが深刻な顔で並んで座り、分かってるけど知らないフリをしてあげるといった表情の姉弟が対面に座る。
もう完全に誤解されてると分かったが、アドラーはハーブ茶で喉を潤してから口を開く。
「実はね……」
ギルドで起きたことを伝えた。
「えっ!? なにそれ、わたしはてっきり!」
「えーっ! ねえちゃんと結婚するって報告じゃねえの!?」
「なんでそうなるの!?」
心外とばかりにミュスレアが怒る。
『まあ……年頃の姉がご馳走と共に男性を連れてくれば、弟妹としてはそう思うのだろうかな……?』
何となく気付いていたアドラーは静かにお茶を飲む。
その横では「このままだと行き遅れ」と口に出したキャルルが、姉の拳骨から逃げ回っていた。
ミュスレアの拳が弟の頭に炸裂した後で、アドラーは二人に謝った。
「本当にごめんね。ギルドを立て直せれば良いが、その見込みはない。カナン人の商人が何をするかも分からない。二人、いや三人には安全な所へ逃げて欲しいんだ」
「別に兄ちゃんが悪いわけじゃない!」
「そうよ! それに夜逃げするなら、アドラーも一緒に来たら?」
「それは無理だ。借金は団長と共にある」
ギルドの全責任は首領が負うものだと誰も疑わない。
「……そんな格好良く言っても、兄ちゃんも押し付けられた身じゃん」
キャルルの言葉は正しいとアドラーは思うが、責任者が生きて逃げ回っていればシャイロックもそちらを優先せざるを得ない。
「ごめんな……。ひょっとしたら、俺が消えて諦めてくれたら3人はこのままライデン市に住めるかも知れないけど……」
もしシャイロックが乱暴な手段に出ると、守ることが出来ないのがアドラーの悩みだった。
「ねえ、なら”エルフの森”へ行ったらどう? お父さんも住んでたって言うし、一人くらいなら人間も入れてくれるかも」
この街からずっと東、人の勢力圏を抜けて更に東。
メガラニカ大陸を縦断する大山脈を囲むように広がる森林地帯、そこがエルフ族の住処の一つ。
「一人って……俺も?」
「だって借金を踏み倒したらお尋ね者でしょ?」
リューリアが何気なく言ったが、アドラーの生まれは遥か遠くの別大陸。
ここには頼る身内も戸籍もない。
『エルフ族か……そう言えば……』
以前、戦場に居た頃をアドラーは少し思い出した。
当時の仲間には、純血のハイエルフが居た。
オークもドワーフもいたし、爬虫類型の種族まで味方だった。
知恵を持つ二足種族がこぞって集まり、会盟を誓い戦った……ような気がした。
記憶は曖昧でも、アドラーに種族間の偏見や差別はない。
「それも良いかもなあ」
ふと漏れたアドラーの本音に、キャルルが反応した。
「10年くらいなら待つよ。それ以上はねえちゃんの賞味期限が切れるから……」
再び激怒した姉に追い回されるキャルルを見つめながら、アドラーは感謝した。
突然故郷を捨てろと言われた幼い二人が、文句一つ言わなかったことに。
だが逆にアドラーの決意が揺らぐ。
『何とかしてギルドを残す手段はないものか……』と。