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エルフの国スヴァルトは、港町まで森に囲まれる。
山と水と森、そして温泉が名物の寒い南国へ付く頃には、ミュスレアの機嫌も直った。
「兄ちゃん……本当に、頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待ったね……」
キャルルの視線と口調には、アドラーを責める色があった。
「何を言うキャル! 俺の言ったことは正しかったろ?」
「ええ……そんな兄ちゃん見たくなかった……」
「キャル、冒険者はむやみに危険には踏み込まぬものさ」
「うわぁ……」
アドラーの処世術は、まだキャルルには理解できなかった。
首都はタリス。
人口は十万もなく、緑豊かな広い土地を贅沢に使う。
スヴァルトに住むエルフは百万人ほどと言われるが、それ以外の種族も多い。
山を求めてドワーフ、農地を求めてヒト、自然を好むコボルトなどが、エルフと同じくらい住む……と、アドラーは説明を受けた。
「で、最大派閥のエルフ族と、次にくる勢力のヒト族との綱引きでもあるんだな。この国の外交は」
アドラーの言葉に、ファゴットは頷いた。
「私が言うのもあれですが、エルフってのは細かい書類仕事が苦手でして」
役人や大臣はヒト族が勤めることが多いと、ファゴットは語る。
「そのトップが宰相のカーバか」
「はい。まあ我々エルフは、寿命の短いヒト族が権勢を握ろうと余り気にしないんですよ。実際のとこ、カーバは有能ですから」
運営や商売に関しては人が抜群に上手い、次がドワーフ。
生来の素質的に向いてるのだ。
エルフ族は通常で三百年ほど、クォーターでも百五十から二百年は生きる。
そのせいか細かいことに拘りが薄い。
「お陰で、情報管理も適当なんだよな……」
アドラーが居るのは、首都タリスにあるファゴット一族の屋敷。
ここに至るまで、後を付けられているのに気付いていた。
「どうするんだ、これ?」
アドラーがちらりと外を見る。
襲ってくる感じはないが、見張られているのは間違いない。
「本当にすいません。まさかここまで激烈な反応があるとは思わなかったもので……」
「サイアミーズ王国とミケドニア帝国は不倶戴天の宿敵だからな。直行しない方が良かったかな」
この二大国は、直接の国境線を持つ。
帝国の玄関口の一つライデン市、そこから大使が緊急帰国となれば嫌でも目立つ。
「本当にすいません……」
育ちの良いエリート官僚は、もう一度素直に謝った。
「まあ良いですよ。こちらからも仕掛けてみますか」
アドラーは、ようやくファゴットを信用する気になった。
どうも腹芸の出来るタイプではなく、ただ使命感に燃えた貴族のお坊ちゃま。
つまり足手まといにはなるが、敵になっても怖くない。
そしてアドラーは、困ってる人を見捨てられぬ、とても面倒見が良いタイプであった。
皆のところに戻ったアドラーが、全員を呼び集めた。
「ブランカとリュー、これから一緒に……って、どちら様?」
アドラーのとこへ真っ先に寄って来たのは、長いブロンドに豪華なドレス。
高価なアクセサリーで飾り立て、薄く化粧もしたエルフの美少女。
「ごきげんよう、お兄さま」
少女は、笑いすぎないように上品に微笑んだ。
「キャ、キャルル……か?」
「はい、お兄さま」
キャルルは、仕上がっていた。
この屋敷に居る侍女が、総動員で完成させた姫の身代わり。
「へー、ほー。凄くかわいい。ドレスもよく似合うよ、素敵だぞ!」
覚えたてのスキルを使って、アドラーは激賞した。
「う、嬉しくない……そんな事を言われても嬉しくないはず……なのに、何故かちょっと嬉しい……。なんで、兄ちゃん?」
「いやいや、待て! 慣れぬ場所で慣れぬ物を着て、高い装身具を着けてるからだ! それだけ、それだけだぞ、キャルル!」
アドラーは全力で意見を修正した。
「ふーん……なんか良いわね、これ」
リューリアが弟の衣装を、羨ましそうに引っ張る。
彼女はこんな豪華な服など、見たことも着たこともない。
「あの、あとで生地だけでも送らせていただきます。この一着のために大量に注文しましたので」
ファゴットが気を利かせた。
キャルルより背の高いリューリアでは、弟の服は入らない。
「ほんと? 約束よっ!」
リューリアが嬉しそうに飛び跳ねた。
「悪いな、ありがとう」
「いえいえ、これくらい何でもありません」
喜ぶリューリアを見て、アドラーもやる気が出た。
「さて、みんなこっちへ。これから釣りをします」
「釣り?」
三姉妹にバスティにブランカとマレフィカ、全員の声が揃った。
日が沈んだ後、アドラーは屋敷を出た。
正体を隠すように足元まであるコートとフードの女性を連れて。
そのまま首都の繁華街へ向かう。
一軒のアクセサリー屋の前で足が止まった。
木と石を組み合わせたエルフの細工物は有名である。
「アドラー、これ! ちょっと見て良い?」
「えー、予定にない行動は……」
「ねえ、見るだけ!」
「どうかなあ……」
「お願い、お兄ちゃん!」
「いいよ、何か買ってあげよう!」
アドラーとリューリアだった。
エルフの次女は、先程『お兄さま』と呼ばれたアドラーの反応を見ていた。
そして効果的に使う。
一方のアドラーは前世でも今世でも兄弟はなく、甘えられるのに耐性がなかった。
アドラーが拾われた当初は、当然ながらリューリアは露骨にアドラーを避けた。
当時は十六歳の少女にとって、怪我人とはいえ知らない男性など距離を取るべき存在。
しばらくして慣れたが、よそよそしいのは変わらない。
変わったのは、アドラーが”太陽を掴む鷲”に入ってから。
とあるクエストでハグベアーという巨大熊に出くわし、ミュスレアが深い傷を負った。
そのミュスレアを、アドラーが背負って街まで運んだことで、ようやく許しを得たのだ。
街まで六十キロほどあったが、アドラーは三時間で走破した。
「あー、うーんと、お姉ちゃんをありがとう。また、うちにご飯食べに来てもいいわよ? キャルルが喜ぶから仕方なくだけどね!」
これ以降、リューリアの警戒度は格段に下がった。
その少女に『お兄ちゃん』と呼ばれ、アドラーは感激していた。
「なんでも良いよ、好きなのを選んで」
リューリアが髪に付ける翠石のブローチを選ぶのを、満面の笑みで見守る。
思わぬ戦利品を得たリューリアと、感激もひとしおのアドラーが街の暗い脇道に入る。
灯りも人通りもない小道。
突然、アドラー達の行く手に数人の男が現れた。
「へへへ、大人しくしてりゃ痛い目は見ずに済むぜ?」
お決まりの文句を発した男らは、どう見ても真っ当な生業の者達ではなかた。
「きゃ、きゃあ!」と、悲鳴を上げてリューリアがアドラーの後ろへ逃げる。
「おっと、女か?」
「おい、よく顔を見せろ」
男の数は五人、半円でアドラーを囲み逃さぬ構え。
「な、なんだね君たちは!?」
声をあげたアドラーの顔面に、容赦のない拳が飛んだ。
「うん? 倒れないとは当たりどころが悪かったかな?」
三人ほどが、アドラーに詰め寄って問答無用で殴り始めた。




